1.燃え残ったものは
ヨーク。
それが俺に与えられた名前。
後に続くファミリーネームはない。
只の「ヨーク」として生を受け、王都郊外のとある村で先祖代々の農地を預かる俺は、一応のところ転生者である。
17歳になった今でも鮮明に思い出せるのは、2000年代の日本で平凡な学生として過ごし、ある日突然ぽっくりと交通事故で命を落とした記憶。
将来の進路すら決める前に途切れてしまった、漠然とした人生の記憶。
前世では終ぞ魂の存在など信じたことはなかったが、自分の体が2tトラックに跳ね飛ばされたのだと理解した次の瞬間に感じたのが、一切泣かない赤子を不審がる産婆と両親の声、そして体を包む産湯の温かさでは納得せざるを得なかった。
ただいくら前世の記憶があったところで、俺が生まれたのは所詮農民の家。
これがもし転生ではなく召喚・転移であったのならば、当時の俺の所持品や体そのものが特異性を発揮したのかもしれない。物語のごとく、そこからご都合主義の異世界無双が始まっていたのかもしれない。
……のだが。
「ステータスオープン」
【ヨーク】
年齢: 17
職業: 農民
魔属性: 水・木
魔法Lv: 2
以上が転生した現在の俺のステータス。
秀でた魔法の才もなければ、記憶以外に前世から持ち込んだものもない。
さらに言えばいち高校生の持ち得る現代知識の中に、異世界での立身出世の役に立つものなどあるはずもなかった。
そんなわけで、「転生者ヨーク」は「ただのヨーク」として平凡な日々を過ごしている。
ちなみに生業は果樹農園の運営で、その中でも主軸となっているのは、冒険者に人気の「カフィの実」という回復効果のある果実。
王都で一年に二度行われる市には直接出店するが、基本的には週に一度村を訪れる商人を通じて日々の糧へと変えてもらっている。
商人サラ・ロクス。
一つ年上の彼女とは古い付き合いで、俺が物心つく頃には既に商人であった父親の後ろについて、ウチにちょくちょくやって来ていた。
ウチの親父と果実の取引をした後、毎度酒を酌み交わしては酔い潰れる父を介抱する彼女を見て、当時の俺は母にも似た憧れを感じたものだった。
父の仕事を見て育ったことに加え、商才もあったのだろう。
器量の良さもそのままに、すっかり大人の女性となった彼女は、今や王都が誇る商会にも顔が効く一人前の商人となっていた。
「転生者だってのに、幼馴染とすらこの格差よ」
それにひきかえ俺は、二年前に疫病で命を落とした両親の農園を突如受け継ぐことになってしまい、敷地だけは無駄に広い農地に広がる果樹たちを枯らさないよう奮闘するだけの毎日。
先日など「曇り続きなら人工太陽を作れば良いじゃないか」というひらめきの下、慣れない火属性魔法を行使したところ、農園の一角を燃やしかけてしまった。
やはり専門外の属性ではイメージによる制御がうまくいかないようで、結局「水」と「木」を司る俺はおとなしく人間スプリンクラーという名の悲しい役割を果たすしかないのであった。
「……にしても、これ。本当にどうするかな」
眼前に広がるのは、件の小火騒ぎの痕跡。
黒焦げになったカフィの木×数十本。
(魔法で干渉して除去できるか?……いや、でもこれって植物と言うよりはもう”炭"だよな)
すっかり色黒になってしまったこいつらに果たして木属性の魔法が通じるのかという不安を抱えつつ、炭の林に足を踏み入れる。
「ん。木や実は黒焦げだけど、種は大分燃え残ってるな」
足裏に感じるゴロゴロ、ザリザリとした違和感。
ケシ炭の中から拾い上げてみると、どうやらそれは燃え残ったカフィの実の種子であるらしかった。
ちなみにこの種子、優れた回復効果のほか一時的なステータスアップ効果のあるカフィの実唯一の欠点であり、一粒食べるたびに種を吐き出さなければならないという面倒な奴だった。
早い話、オリーブや梅干しの類である。
……いや待て。
その発想でいくとしたら、木属性の魔法を使えば、或いはーーー?
「っ。……、これは」
と。
思考の世界に埋没する直前、鼻腔に感じたとある感覚によって意識が現実へと引き戻された。
「……」
「いやいやいや、まさかな。今まで元の世界と同じ植物なんて見た事なかったし、そんなうまい話あるわけない…よな?」
脳髄を刺激したその感覚。
信じられないという気持ちとは裏腹に、俺の嗅覚を司る部分が確かにそうだと騒いでいる。
そういえば元の世界の医者か科学者がこんなことを言っていた……という記事をネットで読んだ。
「匂いには記憶を呼び覚ます効果がある」
目の前の実から漂うその匂いに。
俺の脳は、むかし父親が大切にしていた「パーコレーター」を連想していた。
いや。転生している以上、その記憶が脳に刻まれているかについては曖昧なのだが。
(転生ってシステムを肯定する以上、正確には"覚えている"のは魂ってことになるのかな……って、そうじゃなくて)
話が脱線したが、その「パーコレーター」とは早い話、元の世界では実にポピュラーなとある飲料を抽出するための器具。
大学時代に凝って買ったんだ、と自慢げに語る父親が淹れてくれたそれを初めて飲んだ時、俺は色々な意味で強烈な衝撃を受けたことを覚えている。
その豊かな香り。
口に含んだ時の苦さ。酸味。
飲後に残るアフターテイスト。
「ーーーこれって、やっぱり」
そう。この異世界で"カフィの実"と呼ばれ珍重されるその果実の種は。
「これって……コーヒーじゃね?」