21.
しかし所詮は子供の拳。私は体を右方向にきゅっと捻るとその拳をかわす。
「あっ……」
そして少年が言葉を発するよりもまえに背後にまわると、後頭部に力いっぱい――左手で攻撃を叩き込む。ドサッという大げさな音とともに少年がゆっくりと倒れこんだ。
「ふぅ……。やっぱり私もまだまだ甘いですね」
地面に転がる少年に眼を向けながら、私は右手に持っていたナイフを太ももにしまい込む。ナイフに血は付いていない。思いっきり殴ったので左手がズキズキと痛んだが、それでも少年を殺さずに済んだことに大きな安堵を感じていた。
「しかしいくら夢とはいえ――、やはり人を殺してしまうのはダメですよね」
私はMCPに所属してから結構な月日が経っているが、未だに誰かの命を奪ったことはない。もちろん他のメンバーの方が言うように自分と仲間を守るためにも、ときには甘えを捨てる必要はあるだろう。仲間を守るためなら私だって何の躊躇いもなく人を殺す覚悟くらいはある。
しかしだからといって、殺さずに済む命まで摘み取る必要はないはずだ。それは命を取ることに言い訳をしているだけだから。自分が命を奪ったことを仲間のせいにはしたくない。そして一度そうしてしまえば、もう後戻りが出来なくなることを私は感じていた。そのため今までは出来るだけ命を奪わないようにしていたのだが。
――真っ先に殺すことが最適と思うなんて、どうかしてましたね……。
だからこそ、自分がそんなことを考えてしまったことが恐ろしかった。さっきのように少年を気絶させるとか、攻撃を避け続けるとか、いろいろ方法はあったはずだ。もしかしたら後者のほうはわき腹の傷を負った時点で無理だったかもしれないが、それでもまずやるべきことは殺すことではなく、どうすれば殺さずに状況を打開できるかを考えることだったのだ。今回は何とか直前で思いとどまれたが、次もそうなるとは限らない。
「気を引き締めましょう」
自分に言い聞かせるように私はそうつぶやく。きっと私が簡単に殺してまでこの夢から脱出しようと考えたのは、シローさんと沙紀さんが協力してくれると言ってくれたからだ。2人と一緒ならきっと大丈夫、絶対に脱出してみせると浮かれてしまったから。もちろん、そのことを言い訳にするつもりはない。それに2人の言葉は本当に嬉しかったし、浮かれてしまうこと自体は悪いことではないだろう。しかし、だからといってそれで大切なことを見失っていては2人の思いを踏みにじることにもなってしまう。どうしてもそれだけは嫌だった。
「ごめんなさい」
私の足元で気絶している少年に向かって謝罪を述べる。しかし同時にこの謝罪は2人に対してのものでもあった。
――もう間違えません。呪いが解けたときにみんなで笑っていられるように……。
私は心中でそう決心すると、ゆっくりと歩きだす。このまま真っ直ぐに進めば、すぐに目的地の広場に着くはずだ。そう思った矢先――。
「――――!」
何かが、いや誰かが私の足首をぎゅっと掴んだ。息を呑みながら振り向くと、気を失っていたはずの少年の手が私の足首に伸びていた。真っ先に先ほどの攻撃で気絶しなかったのかと思ったが、どうやら様子がおかしかった。
「これは、一体……」
まず私の眼に飛び込んできたのは、顔をあげて笑みを浮かべた少年の瞳だった。ついさっき戦闘をしていたときの少年の瞳の色は黒。しかし今は真紅に染まり、浮かべている笑みも小生意気さを感じさせるものではなく、どこか悪意を感じさせるような気持ちの悪いものだった。
「くっ……!」
背筋に冷たいものを覚えた私はすぐさま振りほどこうと足を思い切り動かした。しかし少年の力とは思えないほどの握力で握られ、なかなか離れない。少し傷を負わせてでもどうにかしなければと思い、太もものナイフに手を伸ばした――瞬間。
「きゃっ」
足首にとてつもない力が走り、私は盛大に転んだ。手にかけていたナイフがカラカラと音を立てて、転がっていく。少年が私を凄まじい力で引っ張ったことを理解したころには、すでに形勢は完全に逆転していた。先に起き上がった少年は私の背中に飛び乗ると両手を掴み、身動きが取れないようにした。それでも何とか私は起き上がろうとしたが、少年はとても子供とは思えない重さでビクともしなかった。
「あははは」
そして、頭上から聞こえてきた笑い声は少年のものではなかった。このふんわりとした、甘い声は――。
「まったく、緋乃ってば甘いですよねー。殺さずに安全を確保しようなんてバカなんじゃないですかー?」
「……魔女、ですか」
「ピンポーン! 正解でーす」
少年の姿で、しかしその口から出てくる声は魔女のものだった。
「一体、どういうことですか?」
「どうって……、私の夢なんだから好きなように干渉できるのは当たり前じゃないですかー」
「干渉……。つまりその少年は、今はあなた自身ということですか?」




