19.
そしてそう決心した瞬間――少年と私の距離がほとんどゼロになった。目と鼻の先。相手の呼吸すら聞こえる。
今だ!
私はそう意識すると、迷いを断ち切り、渾身の力を込めてナイフを振るった。完璧なタイミング。当たらないはずがない。しかし少年はそんなナイフの軌道を見て、かすかにくすりと小さく笑うと早口に言葉を発した。
「――地面上昇!」
先ほどの地面を上昇させる魔法。ここで発動させたのは予想外だが、もう少年とナイフの距離はほとんどない。さっきの様子を見る限り、魔法を発動させるのには多少の時間がかかるはずだ。ナイフは止まらない。少年の魔法が発動され、地面が上昇するまえに決着がついてしまうだろう。ごめんなさい、そんな風に心のなかで謝罪をする。少年の首筋にナイフが吸い込まれていく――、
瞬間。
「え……?」
そんな言葉が無意識のうちに口からこぼれた。戦闘中であることも忘れ、視線を自分の体へと向ける。そこには尖った、三角形の形をした茶色い何かに深々と貫かれたわき腹があった。ドロドロと赤い液体が休む暇なく流れている。それが自分の血であることを意識すると、鋭い激痛が襲ってきた。
「う、あ、あああっ」
私は悲鳴をあげつつも、本能的に数歩退いて少年と距離をとった。幸い少年のほうも反撃を警戒してか、追撃はやってこなかった。
「はぁはぁ……」
体が熱い。私は激痛を感じながら、なぜ、どうしてと心のなかで叫び続けた。確かに少年の魔法は強力だ。しかし逃げ道を封じたときの地面の上昇速度ではとてもじゃないが、私のナイフが首をかき切るほうが早かったはずだ。
――地面の上昇速度を自分の意思で変えられる?
確かにその可能性はあるだろう。個人差はあるが多くの魔法は自分で力の加減が出来るし、調整も可能だ。しかし、相手が逃げるかもしれない状況でわざわざ上昇速度を遅くする必要があるだろうか。もしあそこで私が、地面が上昇するよりも早く走り去っていたら少年は簡単に私を見失っていただろう。やはりどう考えてもそんなことをする意味はないはずだ。
私はそこでふと、自分を貫いた茶色い三角形の物体に視線を向けた。さっきはあまりの激痛に特に意識はしなかったが、よく見るとそれは三角形の形をした土のようだった。まるでつららのように鋭く尖っている。間違いなく、あれは少年の魔法で上昇した地面だろう。
あんな風に形状も変えられるんですね……。
その結論にたどり着いた瞬間、私の頭に何かひらめくものがあった。
行く手を阻んだ地面と私を攻撃した地面。そのふたつの違いは上昇速度だ。しかし冷静に考えてみればそれだけではない。そう――その形状。まず私の後方、行く手を阻んでいるほうは地面がそのまま上昇したといった感じだ。だからこそ私はこの形でしか地面の上昇は出来ないと思い込んでいた。しかしわき腹を貫いた地面は、つららのような三角形のような形をしている。そしてもうひとつ、二つの大きな違い。それは――、
「……大きさ、ですね」
「あん?」
様子を見ていた少年が、突然の私の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる。
「いくつか疑問に思っていたことがあるんです……。なぜ、最初とさっきの魔法の発動速度が違ったのか? そして私を攻撃したとき、もっと大規模な地面上昇をしなかったのか? 簡単な話、もっと大きな地面が突き刺さっていたら、ひとたまりもありませんでしたし」
「それで、その答えを俺に聞こうってことか?」
「いえ、大体の予測は出来ました」
その言葉を聞いて、少年の眼が大きく見開かれる。しかしそれもつかの間、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「へぇ、やっぱり面白いなあ。その予測ってやつ言ってみてよ」
ここが正念場だ。
私はそう自分に言い聞かせる。こんな大怪我をしてしまった以上、もはや消耗しないようにするとか、そんなことを考えている余裕はない。私の持てる力を振り絞り、全力で倒しにかかるしかないのだ。そのためにはどうしても確認しなければならないことがある。
「あなたの魔法、地面上昇はとても強力な魔法です。自分の意志で上昇させる地面の規模を決めることができ、なおかつ形状も変幻自在。しかし、そんな強力な魔法にも欠点は存在します。それは、規模が大きければ大きいほど発動に時間がかかるということです。だからこそ、さっき大規模な攻撃が出来なかった。それだと私のナイフのほうが早く切り裂いてしまうから――違いますか?」
「あはは、面白い発想だな! まあ、でも大体は正解。正直、ここまで俺の魔法の能力が暴かれるとは思ってなかったけど、それだけだと九十点ってことだな。それにそれがわかったところで何も変わらな――」
「それともうひとつ、私の予測があるんです」
少年がケラケラと屈託なく笑うなか、言葉を挟みこむ。自分の言葉が途中で遮られたことが気に入らないようで、少年は眉を寄せたが、それでも黙って話を聞いていた。




