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2 三丁目

  2 三丁目


 放課後になると、ケイは児童会が終わるまで、校庭をさんぽすることにした。

 中庭のビオトロープが、お気に入りの場所だった。まわりをシイの木にかこまれて、下級生もほとんどやって来ない。ケイにとって、ちょっとした隠れ家になっていた。

 ベンチに腰をおろすと、いつのまにかドングリが、ずいぶん転がっている。なぜだろう。夏休みが終わって一週間もたたないのに、風のにおいも、空の色も、すっかり変わってしまった。とくに台風が通りすぎてから、それははっきりしたようだ。

 こずえを揺らして風がとおりぬけ、池にさざ波を立てた。足もとにまたいくつか、ドングリがころがる。

(まるで、こずえを天使が通ったみたい)

 思い出したように、ランドセルから画用紙をとり出した。

 ケイだって、人間以外の天使なんて聞いたことがない。三角の耳と耳の間に、天使の輪をつけたネコなんか、絵本でも見た覚えがない。

 でも、もしかすると、あしたば町のどこかで、本当はしっかり顔を合わせているのかもしれない。ちゃんといるのに、ケイのほうが気づかなかっただけかもしれない。

(トンちゃんは、この絵がおもしろいと言っていたな)

 なるほど、じょうずとか、きれいだとは、おせじにも言えない。どちらかというと、ケイのほうがうまいくらい。だけど、こんなおもしろい絵は見たことがない!

 色はあっちこっち、はみ出しているし、線もゆがんでいる。とうぜん、ヒゲもしっぽも曲がっている上、左右の耳や、目玉の大きささえ、ちょっとずつちがう。

 ところが、少し顔をはなしてながめたとたん、とつぜん生き生きとしてくる。今にもニャア! と鳴きながら、画用紙から飛び出しくるようだ。

「やっぱりここにいたんだ。思ったより早く会議が終わったの」

 トウコはずいぶん走ってきたらしく、ランドセルをずり上げると、ひたいの汗をハンカチでふいた。

「木下さんのこと、何かわかった?」

 ベンチから立ち上がるのももどかしそうに、ケイはたずねた。少しさびしそうな顔で、トウコは首をふった。

「どのクラスにもいないんだって。ねんのため先生にもたずねてみたけど‥‥どうやら、あしたば小学校のどこにも、木下ゆり子という生徒は、いないみたいなの」

 帰り道はずっと上り坂なので、登校するときよりも、ゆっくりになる。二人とも肩を並べたまま、しばらく何もしゃべらなかった。考えなくちゃいけないことは、たくさんあるはずなのに、何から始めていいのか、わからない。

 あんまり考えこんでいたせいで、あやうく木に頭をぶつけそうになった。

「あぶないなあ、もう。あんた何て名前?」

 木に向かってもんくを言っているケイに、トウコはくすくす笑いながら、代わりにちゃんと教えてくれた。

「ケヤキだよ」

 太い幹はコケむして、まだぬれているみたい。もし登ろうとしたら、つるりと足がすべりそう。ずっと上のほうで、緑のこずえが揺れている。そのざわざわという音に、耳をかたむけるようにして、枝の上で何かがじっとうずくまっている。

 ネコだ。

(九べえ!?)

 どきりとした。けれど、黒ぶちもようが同じなだけで、九べえよりずっと大きい。二倍にして十八べえ。それだと大きすぎるから、十三べえくらいか。おせじにも身がるそうには見えないのに、あんな高い所まで、いったいどうやって登ったのだろう。

 いっしょうけんめい背のびをしながら、ケイはこずえをのぞきこんだ。夕方の空はまだ明るくて、木もれ日がじゃまをするから、はっきりとは見えない。けれど、でぶネコ十三べえの背中で、何か黒いものが、もこもこ動いているように思えてしかたがなかった。

 もしかして、あれは折りたたまれた羽じゃないだろうか。ふさふさした鳥の羽とはちがう、まっ黒でのっぺりした、コウモリみたいな‥‥

 いきなり、「ギャー」でもなければ「ガオー」ともちがう、とにかく恐ろしい声が降ってきた。もしも恐竜プテラノドンがいたなら、きっとこんな声で叫ぶだろう。もちろん、鳴いているのは、でぶネコにちがいない。だけど、こんなにぶきみな大声なんて、ケイは一度も聞いたことがなかった。

「ものすごく怖いよ、トンちゃん!」

「逃げるが勝ちだよ、ケイちゃん」

 トウコはパチリと片目をとじた。わざと大げさに、かけっこをするときのポーズを作り、いちもくさんに走りだすから、

「わあっ。待ってよ!」

 ケイのほうがあわてて追いかけた。

 二人で坂道をどんどんかけ上がる。たちまち息がきれて、心臓の音が、頭の中でがんがん鳴りはじめる。同じ坂道だというのに、下り坂と上り坂では、まったくちがう道に変わってしまうみたいだ。

 あとのほうでは、まるで地面を泳いでいるようなかっこう。追いぬかれた下級生が、うしろでどっと笑う声。

「あのおねえちゃんたち、お化けに追いかけられてるみたいだね」

 とうとう二人とも、道ばたにしゃがみこんだ。しばらくは、息をすること以外、何も考えられなかった。

 風が、坂道を通りぬけた。ひやりと、背中にさわられた気がして、ケイはふり向いた。

(あれ?)

 ついさっき追いぬいた下級生たちが、どこにもいない。しかもよく見ると、いつもの帰り道とは、ずいぶん様子がちがっている。

(こんな場所、通ったかしら)

 電信柱にブロック塀。緑の木の葉。ちゅう車場の古タイヤ。ヒマワリとコスモス。たくさんの屋根と窓‥‥そんな、どこにでもあるものたちが、ケイが覚えている組み合わせのどれにも当てはまらない。見なれたパズルを、だれかがこっそりと組みかえたみたいに。

「どこで道をまちがえたのかしら。三丁目のほうに出ちゃったみたい」

 トウコもさすがにおどろいて、メガネをずり上げながらつぶやいた。

「えっ。ここ、三丁目なの?」

「電柱に、お札がはってあるでしょう」

 お札というから、むかし話に出てくるような赤いやつかと思えば、たしかに、緑色のプレートに「あしたば町三丁目」とある。家へ帰るとちゅう、三丁目を通ることはないから、かなり的外れな方へ来てしまったことになる。

 このあたりは木立が多いらしく、あっちこっちの屋根の間から、濃い緑の葉がのぞいた。風が吹くと、こずえがいっせいに揺れて、ざわざわという音がここまでとどくようだ。坂の下をのぞきこんでも、もちろんでぶネコ十三べえは、どこにもいない。

「追いかけてこないよね」

 ケイが肩をすくめたのは、みょうに風が冷たかったせいばかりじゃない。

「何が追いかけてくるの?」

「でぶネコ十三べえだよ。あいつ、ほんとうに化けネコだったのかな」

「もう名前をつけたんだ。どうかしらね。ネコがあんなふうに鳴くのだって、めずらしくないでしょう」

「恐竜プテラノドンみたいに? うちの九べえは、ぜったいあんな大声出せないよ。それに、コウモリみたいなさ、変な羽がはえているの。トンちゃんも見たよね」

「木の葉を見まちがえただけかも」

 そうだろうか。と、ケイは首をひねる。

「ほら、ケイちゃんはあの木とぶつかるまで、大天使ミケネコのことばかり、考えていたわけでしょう」

「ぶつかってないけどさ。考えてたよ」

「そのあと木登りネコを見て、あんな高い所に登れるわけがない。もしかしたら、こっちにも羽がはえているのかもしれない。そう思わなかった?」

 思ったかもしれない。

「もともと、そんな気もちがあったから、木の葉が、プテラノドンの羽に化けちゃったんじゃないかしら」

 なるほど、これならケイも、なっとくしないわけにはいかない。シャーロック・トンちゃんのメガネを通すと、たちまち、ふしぎなことがなくなってしまう。空を飛ぶ恐ろしい化けネコが、いつのまにか、ただのでぶネコにもどっている。

(男子なら、化けネコのほうが喜ぶだろうけど)

 そう考えたとたん、ついつい、よけいなことを思い出した。三丁目には、お化けやしきがあったんだ!

「とにかく、早くもどろうよ。この坂を下れば、もとの道に出れるよね」

 ところが、ちょっと坂を下りただけで、たちまち道に迷った。見覚えのない分かれ道がいくつもあって、下ったかと思えば、上り坂があらわれた。家並みに入りこみ、塀の間をさまよったあげく、とうとう行き止まりに。

「うそー! どこなのよ、ここは?」

 行き止まりなんだから、引き返すしかない。二人とも回れ右をしようとしたとき、

「あっ」

 ネコだ。

 ジグソーパズルもカルタも四つ葉のクローバーさがしも、ケイは得意じゃないけれど、ネコなら一番に見つける自信があった。行き止まりだとばかり思っていた、塀と塀の間には、小さな階段がひとつ、かくれていた。そのまん中あたりに、小さめのネコが一匹、じっとうずくまっていた。

 本当は白か灰色なのだろう。けれど、陰になっているせいか、全身が青っぽく見えた。毛玉みたいにやわらかそうな体。しっぽを見ると、半分にちぎれたように、短かいんだ。

 青ネコは、ビー玉みたいな目で、二人の方をながめたまま、かわいらしい声でニャアと鳴いた。

 まるで、「こっちだよ」と言っているみたいに。

 ケイが指さすと、トウコもうなずいた。そろそろと二人が近づいたとたん、ふわふわのボールは、しなやかな獣に早変わりして、たちまち階段をかけ上がった。もちろん二人は追いかけた。ケイの背中で、赤いランドセルがぱくぱくと鳴る。

 上りきったところで、また風が通りぬけた。

 髪をかき分けて見れば、ここも同じように、知らない家並みが続いているばかり。ただ、さっきよりも空がさらに赤く染まり、屋根や電柱の影が長くのびて、道をほとんどおおっていた。あっちこっちの草むらから、もう虫の音が聞こえてくるけれど。

 青ネコの姿は、どこにもなかった。

「そろそろ帰ろうか」

 ぽつんと、トウコがつぶやいた。

「えっ。どうやって?」

「道をたずねればいいよ」

 なんだ、最初からそうすればよかったのに。トウコはわざと迷子になっていたのだろうか。

 考えてみれば、トウコはいつもいそがしそうにしている。学級委員や、児童会の仕事のほかにも、ピアノに英語。バレエにそろばん。剣道からお料理まで、何でも習っているから、こんなふうに、ケイとゆっくり帰れる日のほうが、めずらしかった。

(トンちゃんって、本当は、もっとたくさん遊びたいのかな)

 二人ともだまりこんだまま、どれくらいあるいただろう。だれともすれちがわないまま、ツタにびっしりおおわれた、レンガ塀の前に出ていた。

 塀のうしろは、木がこんもりと茂っていた。その向こうに、レンガ色の屋根がのぞかなければ、森と区別がつかないくらい。手前には、ほとんど茂みにかくれながら、円いガラスの外灯がひとつ。

 また風が吹いて、ツタの葉がいっせいに裏返り、ささやき声に似た音をたてた。

 塀の先には門があり、見れば、その前に男の子が一人、つっ立っていた。たとえば、門の中にいる見えないだれかと、にらめっこしているみたいに。

(竹尾くん‥‥!)

 思わずさけびそうになり、あわてて口をおさえた。

 肩を怒らせ、ひじをつっ張ったかっこうは、ゴールキーパーを思い出させる。じっさいにシノブは、妖怪と同じくらいサッカーファンらしく、帽子をうしろ向きにかぶっては、いつもキーパー役を買って出ていた。小さな体を、右に左に、ぴょんぴょんはずませて、たいていのシュートは受けとめてしまう。

 でもまさか、門の中からボールが飛んでくるなんて、あり得ない。

「見つかったらやばいよ、トンちゃん。早く逃げよう」

 だって、シノブはランドセルを背おっていないから、きっと一度家に帰ったのだろう。反対に、二人はどう見ても道草を食っているかっこう。明日の学級会で言いつけられてはたまらない。

 いきなりシノブがこっちを向いた。今朝もそうだったけど、この男の子ときたら、ネコのように耳ざとい。

「なんだ、おまえたちか。何しに来たんだ」

 いつものえらそうな言いぐさに、なぜかホッとしたような調子がまじっていた。少なくとも、道草を言いつける気はなさそうだ。ケイはなぜか急に強気になって、のっしのっしと近づいた。

「べつに。青ネコを追いかけてたら、ここに出ちゃっただけよ」

 じぶんでも少しおどろいたくらい、男の子に、こんな口のききかたをしたのは初めてだ。シノブは、けれど怒る様子もなく、まじめな顔でうなずいた。

「やっぱりな。そいつは、このあたりで消えちまったんだろう」

「消えた?」

 きょとんとして、ケイは門の中をのぞきこんだ。門柱から鉄ごうしの扉にまで、ツタがからみついている。大きなカマキリが一匹、じっと葉っぱにとまっている。

 空き家なのだろうか。

 扉から玄関に向かって、白いじゃりの小道が続いている。茂みに半分うもれながら、ポーチの円い柱や、窓が見える。窓はどれも古めかしい木のわくに、はめこまれている。ガラスまでコケむしているのか、ひどくくもっていて、中の様子はまるでわからない。それでも、ケイが二階の窓から目をはなせなかったのは、正面に張り出したベランダのうしろにだれかいて、じっとこっちをのぞいているような気がしたから。

「変ね‥‥空き家にしては、ずいぶん庭が片づいているわ」

 トウコが言うと、シノブはたちまち、目をかがやかせた。

「学級委員もそう思うか?」

「うん。だって、ゆうべあんなに風が吹いたんだから、そこいらじゅう、枝や葉っぱがちらばっているのが普通でしょう。なのにまるで、ほうきできれいに掃いたみたいだし。それなのに、ほら‥‥」

 シャーロック・トンちゃんは、門の扉を指でさすった。

「ツタがからみついているから、少なくとも夏の間じゅう、だれもここを開けていないことになる」

 たしかにおかしな話だ。ここが空き家だとしたら、当然もっと草ぼうぼうだろう。けれど、森のように木が茂っているわりに、庭がきれいすぎる。まるでネコが通りやすいよう、だれかが手入れをしたみたいに。

「じゃあ、三丁目のお化けやしきって、ここだったの?」

 めずらしく、トウコはおどろいた表情。シノブは鼻の下を指でこすりながら、

「ちょっとちがうのさ。お化けやしきじゃなくて、化けネコやしきなのさ」

 そう言って、大げさに手をひろげてみせた。タキシードを着ていないのがふしぎなくらい、気どったポーズで、

「そうさ。ここが、あしたば町大魔界百科、最大のミステリースポットなんだ!」

 女の子二人は、きょとんと顔を見合わせた。男の子って、やっぱりようちだ。ケイはそう思ったけれど、今度こそだまっていた。

 門の前の道は、やっとトラック一台が通れるくらい。ちょうど向かい側に大きなニレの木が立っていて、とうとうシノブは、その太い根っこに腰をおろした。

 もしかすると、この男の子は、二人が化けネコやしきにきょうみがあって、わざわざ見に来たように、かんちがいしているのではないだろうか。だって、ケイのうんざり顔にもまったく気づかず、いろいろなウワサ話を、得意げに語り始めるのだから。

「ニ組の小野田カツヤの兄さんは中学生でね。帰りも自転車でここを通るんだけど、部活動でおそくなれば、もうまっくらさ。じつは、けっこう怖がりらしくて、なるべく家のほうは見ないよう、急いで通りすぎるんだけど、それでもたまには、見るんだってね」

「見るって?」

「窓の中が、ぼーっと光っているのさ」

 ぎゅっと、ケイはトウコの腕をつかんだ。ネコがほっかむりして踊ったとか、大入道に化けたとか。昔話みたいなウワサなら笑えるのに、わけのわからない光となると、みょうに恐ろしい。

 その光は、ロウソクを一つ、ともしたくらい。オレンジ色に揺れながら、そのうち、すっと消えてしまう。同じような光を見た人は、ほかにもたくさんいるのだとか。

「ふだんは空き家でも、ときどき、そうじに来る人がいるんじゃない?」

 トウコにあっさりと言われ、シノブはむきになる。

「まだまだあるぞ。これは五年生の杉山タカヨシくんから聞いたんだけど、そのときも暗くなっていてね。ここを通りかかると、いきなり家が揺れはじめた。カタカタと音がして、屋根が上下に動いているのが、はっきりわかった」

「地震でしょう」

「ちがうんだな。だって、となりの屋根は少しも揺れなかったから。しかもそのとき、ぎゃーっ! という、悲鳴みたいな声が、家の中から聞こえてきたんだ」

 と、まるで見てきたような口ぶりなんだ。

 ケイは、でぶネコ十三べえの声を思い出していた。あんなのが、まっくらな家の中から聞こえてきたら、どれほど怖いだろう。もし一人ぼっちだったら、泣いてしまうかもしれない。

「ネコの、鳴き声?」

「だろうね。それも普通のネコじゃない。どうやらこの家には、町内の化けネコどもが住みついているらしいんだ。見ろよ」

 ひょいとシノブは立ち上がり、ニレの木のうしろにかくれたかと思うと、ランドセルをぶら下げてもどってきた。何のことはない、自分だって道草くっていたんじゃないか。

 かばんを開けて取り出したのは、表紙のとれかけた、ぶあつい本。もちろんあの『妖怪大百科』だ。まるで、どこに何がのっているか覚えているみたいに、ぱっと本を開いてみせた。

 化けネコ。

 という大きな字が、まず目に飛びこんできた。

 いくつかの場面が描いてあり、たとえば、着物姿のきれいな女の人の影が、しょうじに映っているけれど、それがおそろしく大きなネコの影だったり。また、ほっかむりして踊っているところも、ちゃんとのっていた。

 化けネコやしきの絵もあった。いかにも空き家らしい庭やベランダに、着かざったネコたちが集まっているから、パーティーでも始まるのだろうか。しかも、描かれている家ときたら、目の前の空き家とそっくりなんだから‥‥

「な。ここにも書いてあるけど、十歳をこえると、ネコは化けれるようになるんだって。よく、ある日ふらりと家を出たまま、それっきり帰らなくなるネコがいるじゃないか」

 ケイのおどろいた顔を見て、満足そうにシノブは続けた。

「ぜんぶとは言わないが、中には化けネコになるやつもいると思う。妖術さえ身につければ、もうエサをもらわなくても、ちょっと手まねきするだけで何でも手に入るからな。そいつらは町の化けネコやしきに集まってくる。人間にいたずらしながら、妖怪仲間どうし、おもしろおかしく暮らしはじめるというわけさ」

 そこまで言われると、さすがにケイも、ばかばかしく思えてきた。ニャッと手まねきするだけで、ごちそうでも何でも引き寄せるなんて、まるでマンガだ。

 また風が通りぬけなければ、笑いだすところだった。

 いつのまにか、空は夕焼けで染まり、数えきれないロウソクをともしたように、あたりいちめん赤い光が踊っていた。化けネコやしきの森のような木立も、レンガ色の屋根も、まるで燃え上がっているように見えた。

 何だろう。

 ケイは思わず、二階のベランダを見上げた。

 ついさっきまで、ぜったいに何もいなかっのに。ここも燃えているような手すりの上には、一匹のネコがいた。

 でぶネコでもなければ、小さな青ネコともちがう。

 たった今、空から降ってきたように、しなやかな背をのばしている。それはまるで、迷いネコのポスターの中から抜け出してきたように、きれいなミケだった‥‥


「ニャア」

 家に帰ると、九べえがいつものように、体をすり寄せてきた。ほとんど頭つきに近いから、こんなに小さな頭でも、コツンと当たればけっこう痛い。

 おかあさんはまだ帰っていないらしい。ケイもおそくなったから、すっかり腹ぺこ子ネコになっている。

「こら。おとなしくしないと、名前を、あばれんぼう将軍に変えちゃうぞ」

 両わきをかかえ上げると、ゴロゴロと咽を鳴らして伸びている。食いしんぼう子ネコは、またちょっと大きくなったみたい。

「ねえ、あんたも十三べえくらい大きくなるの? そのときは、羽がはえたり、化けたりする?」

 たずねても、かわいらしく鳴くばかり。さんざんじゃまされながら、キャットフードをあげたところで、電話が鳴った。耳にあてると、おかあさんの声。うしろからは、いそがしそうな話し声が聞こえていた。

「ケイなの? よかった。何度もかけたんだけど、だいじょうぶ?」

「う、うん。トンちゃんを待ってたら、いろいろあって、遅くなっちゃった」

 と、うまく説明できなくて、しどろもどろになる。次におかあさんの言うことは、だいたい予想できた。

「申しわけないんだけど、どうしても今夜じゅうに、片づけなくちゃいけない仕事ができちゃって。もしかすると、会社に泊まりこみかもしれないの」

 いつものこと。

 とくに休みの前の日には、よくあることだけど、さびしいのに変わりはない。

 二階へ上がると、外はもうまっくら。

 電気スタンドをともして、机にむかう。かばんから算数の宿題を出してはみたものの、えんぴつは、くるくると指の間で回るばかり。数字が化けたみたいに、今日出会ったネコたちの姿が、次々と目の前に浮かんでは消えた。

 うちの九べえに、でぶネコ十三べえ。小さな青ネコ。それから‥‥ベランダのミケ。

 羽がはえていたかどうか、そこまではわからない。夕日がまぶしかったし、化けネコやしきのベランダまでは、ずいぶん遠かったから。でも、

(あんなにきれいなミケを見たのは、はじめて)

 いつもネコを追いかけているじぶんが、たいこ判を押すのだから、まちがいない。もしもネコの天使がいるとしたら、きっとあんなふうだろう。

 算数の問題は、なかなかとけない。とうとう答えのかわりに、ミケをらくがきした。

 でも、やっぱりちがう。

 絵にはちょっと自信があるのに、どうしてもうまく描けない。これは算数より、むずかしいかもしれない。

 ため息をついて、えんぴつを放り出した。なにげなくランドセルを見ると、画用紙が丸めたままさしてある。その迷いネコのポスターを広げてながめ、ケイは大きくうなずいた。

(こっちが正解!)

 ベランダのミケなら、もっとほっそりとしていたけれど、もようや顔つき、耳のとがりぐあいから、しっぽの立てかたまで。ざっと描いたようなクレヨンの絵は、生き生きと特ちょうをとらえている。

 そうだ。九べえなら、ケイもこんなふうに描けるかもしれない。どんなうまい子よりも、九べえらしい絵になるにちがいない。いつもコツンとぶつかってくる、小さな頭。ニャアと鳴くときの、首をかしげるしぐさ。灰色だけど緑色にも見える瞳なんかも、たぶんケイにしか描けない。

 だとすると、あのミケがキララだったのだろうか。木下ゆり子さんがさがしている、迷いネコなのだろうか。

 また電話が鳴っていた。

 時計を見ると、八時半。ぱたぱたと階段をおりて、受話器をとれば、こんな時間に、とてもめずらしい相手の声。

「ケイちゃん、明日なにか予定ある?」

 遊べる? と、きかないところがトウコらしい。

「べつに。宿題くらいかな」

「もう。そんなの今夜じゅうに、すませちゃいなさいよ」

 と、おかあさんみたいなことを言って、けらけらと笑う。元気な声をきいていると、ケイも気もちが明るくなってくる。

「トンちゃんこそ、明日もいそがしいんじゃないの。ピアノだっけ。それとも、習字?」

「英会話よ。だけど、その先生、イギリス人でチェスの元世界チャンピオンなのね。それで今日、アメリカから世界第二位の人がやって来たらしくて、今も対戦中なんだって」

 大激戦となり、とても今夜じゅうには、決着がつきそうにない。もう二、三日はかかりそうだということで、教室はお休みになったという。

 チェスといえば、『鏡の国のアリス』だ。ケイは何度も読んだから、チェスのルールだって、少しはわかるつもり。

(たしか、赤のキングが目を覚ましたら負けなのよね)

 そんなことより、明日トウコと遊べるのなら、世界第二位の人も大かんげい。何をして遊ぼう? どこへ行こうかと、たずねると、はずんだ声が返ってきた。

「もう、そんなのとっくに決まってる。木下ゆり子さんの家よ!」

 あっ。と、ケイは口をぽっかり。

 なるほど、住所は画用紙にちゃんと書いてある。四丁目はほとんど知らないけど、なんといってもシャーロック・トンちゃんといっしょなら、百人力だ。

「探検だね。行こう行こう! そうだ、お弁当とか、どうしよう」

「まっ先に思いつくのが、それなんだ。だいじょうぶ、お弁当なら、わたしにまかして」

 ポンと胸をたたく音が、受話器の向こうから聞こえた。

 そうと決まれば、がぜん、やる気がわいてきた。電話を終えて、二階へかけ上がり、はちまきをしめるまねをして、宿題に向かった。さっきまでのケイが別人みたいに、なぜか今度は、すらすらと問題がとけた。

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