1 一丁目
1 一丁目
台風の夜は、どんなものが飛んでいるのだろう。
ひゅうひゅう。ごうごう。ぴゅうぴゅう。
まるで神さまが吹きならす、調子外れのトロンボーンみたい。
ぱらぱらぱらぱら。
窓にぶつかるのは、雨つぶだろうか。それとも、木の葉?
台風の夜は、どんなものが飛んでいるのだろう。
ちぎれた枝が飛んでいる。ボール紙も飛んでいる。こわれたカサは、おばけみたいに。いやいや、これだけすごいんだから、屋根だって飛んじゃうかも。
もしかすると、この家も飛ばされるのかな。
まさかね。とは思うのだけど、ケイはちょっぴり怖くなって、ネコの名前を呼んでみた。
「九べえ、九べえ」
返事がない。
いつもなら、手がとどくところで丸くなっているはずなのに、手さぐりしても、どこにもいない。
すっかり目がさめて、ふとんの上に体をおこした。もちろんまっ暗だけど、部屋のどこにもいないのは、なんとなくわかる。
外へ遊びに出かけたのだろうか。そんなことをしたら、たちまち吹き飛ばされてしまうんじゃないか。だって、あんなに身がるなんだから。ふだん、空を飛ばないのが不思議なくらい、身がるなんだから。
「九べえ、九べえ」
やっぱりいない。
そうだ、きっとおかあさんのふとんに、もぐりこんでいるのだろう。ケイもそうしたいけど、部屋から出るのはもっと怖い。しかたなく、もう一度ふとんをかぶると、いっしょうけんめい目をとじた。
「あれ?」
ネコの声を聞いたのは、そのとき。
ひゅうひゅう。ごうごう。ぴゅうぴゅう。あいかわらず大さわぎしているトロンボーンにまじって、小さな、かわいらしいネコの声がひとつ。
次に目がさめたときは、すっかり明るくなっていた。
トン、トン、トンと、遠くから、くぎを打つ音。もうどこかで、屋根のしゅうりが始まっているみたい。
カーテンを開けると、窓ガラスいっぱいに、木の葉がくっついていた。空はよく晴れていて、きのうの大さわぎがうそみたい。
パジャマのまま階段をおりた。台所をのぞくと、いいにおいがして、おなべがぶつぶつ。フライパンの中でも、目玉焼きが独り言をつぶやいていた。
「おかあさん、どこ?」
サンダルをはいて外に出ると、どこもかしこも、ずぶぬれのまま。いろんなものが曲がったり折れたりして、地球が少し、かたむいているよう。コツン、と足に何かがぶつかる。それは小さな九べえの頭で、しきりに体をすり寄せてきていた。
べつに「ぬれネコ」になってるわけでもなさそうだ。
「あんた、ゆうべどこへ行ってたの?」
たずねても、きげんよくニャアと鳴くばかり。
九べえを飼いはじめたのは、ケイが四年生になって、すぐのころ。まだ手のひらに乗るくらいの、とてもおくびょうな子ネコだった。体の色は、白に黒ぶち。そのうちひとつが、ちょうど左目の上に、ぺったりのっているから、
「お正月に羽根つきをするじゃない。負けたら顔にスミをぬられるでしょう。あれみたい」
「じゃあ、強そうな名前を考えなくちゃね」
おかあさんがそう言ったとき、ちょうどテレビにうつっていたのが、柳生十べえという、ものすごく強いおさむらい。しかも十べえはフック船長みたいに、左目を大きな眼帯でかくしていた。なるほど、これなら強そうだ。
だけど、ネコにそこまで強くなられてもこまるから、一つおまけして、九べえにしておいた。
「あら、めずらしく早起きね」
外からひょっこりと帰ってきたおかあさんは、エプロン姿のまま。
「家の前を片づけてたのよ。ゆうべは、すごかったわね。見て。ちょっとそうじしただけで、こんなに」
大りょう、大りょう。
歌うようにつぶやきながら、どさりと下におろしたのは、両手いっぱいのガラクタ。九べえと並んでのぞきこみ、ケイはなっとくした。思ったとおり、ゆうべはいろんなものが飛んでいたみたい。
中でもおどろいたのは、レンガ色の大きな屋根がわら。ぐっしょりとぬれて、まっぷたつに割れていた。もし、道でぶつかろうものなら、こっちが割れていたところ。
(何かしら?)
かわらの下から、ケイは一まいのボール紙を引っぱり出した。
うらに画用紙がはってあり、クレヨンでそこに描いてあったのは、かわいらしいネコの絵。
白、黒、茶色の、ふつうのミケネコだけど、ケイが目をまるくしたのは、背中に羽がはえていたから。その鳥のような羽もまた、ミケなんだ。そうしてネコの上には、やっぱりクレヨンで大きく、こう書いてあった。
うちのネコをさがしています。
名前はキララです。
「ありえないよ!」
「でも見て。ちゃんと下に住所まで書いてあるわ」
なるほど、雨にぬれて消えかかっているけれど、あしたば町四丁目十五番三号、木下ゆり子。と、たしかに読めた。電話番号は書いてないようだ。
「四丁目といったら、ずっと上のほうだね」
ケイが住んでいるあしたば町は、町ごとそっくり丘に面している。だからとうぜん、坂道だらけ。たとえば、小学校がある一丁目なら、丘のふもと。ケイの家は二丁目で、坂道のまん中あたり。四丁目まで行くと、ほとんど丘のてっぺんだ。
そうして三丁目はというと、お化けやしきがあるらしいんだ。
それにしても、こんなに変な迷いネコのポスターを見たのは、はじめてだ。羽のはえたミケネコなんて、見たことも聞いたこともない。きっといたずらにちがいない。と、考えてみたけれど、もしそうだとしたら、きちんと自分の住所を書いたりするだろうか。
右に左に、首をかしげながら朝ごはんを食べているケイを見て、おかあさんは、くすくす。
「これを描いたのは、ケイと同じくらいの子だと思うな」
「わたしたち、クレヨンなんか使わないよ」
「でも、一、二年生が、こんなにじょうずに描けるかしら」
言われてみれば、小さな子の絵とはとても思えない。
だけど、あしたば小学校の四年生に、木下ゆり子なんて生徒がいただろうか。クラスは二つしかないし、さすがに四年生になると、ほとんどの子と顔見知りになっている。なのにどうしても、そんな女の子の顔は浮かびそうになかった。
「行ってきます」
家を出るときには、ケイのランドセルのふたから、丸めた画用紙がはみ出していた。ていねいにボール紙からはがし、かわかしてから丸めたものだ。学校には、とてもたよりになる友だちがいるから、何かわかるかもしれない。
教室に入ると、ちょうどその友だちもやって来たところ。
「おはよう、トンちゃん。台風、すごかったね」
「そうだね。わたし、家が空を飛ぶゆめを、五回見ちゃった」
「なんで五回も?」
四回落っこちて、そのたびに目がさめて、五回めでやっと気もちよく飛んだまま、朝までぐっすり眠れたのだとか。ケイは感心した。
「トンちゃんって、根性あるよね」
本当はトウコという名前の、この女の子を見ていると、ケイはよくゾウを思い出す。女子の中で二番めに背が高くて、のんびりしていて、やさしそうな目をしているから。
「あれ? 図工の宿題なんてあったっけ」
画用紙に気がつき、トウコはメガネをちょっと、ずり上げた。ちがうちがうと手をふりながら、ケイは顔を近づけた。ないしょ話をするつもりはなかったのに、なぜかひそひそ声になって、
「今朝、おかあさんが家の前でひろったの。ゆうべの風で飛ばされたみたい。迷いネコのポスターなんだけど、とっても変なんだ」
男子がいっせいに入ってきたのは、そのとき。台風が忘れていったみたいに、大さわぎしながら、
「あしたば小学校、四年二組ぃーっ。四年二組ぃーっ。大魔界ツアー、終点でーす!」
と、なんだかよくわからない。
これは近ごろ男子の間ではやっている、変なあそびなんだ。
一列になって、前の子のランドセルを両手でつかんで行進する。まるで電車ごっこだけど、止まる駅というのが、通学路のとちゅうにある、いかにもお化けが出そうなところばかり。
メンバーはその時々で、ちょっとずつちがう。三、四人しかいないときもあれば、二十人近い行列を見たこともある。ほかのクラスの男子や、上級生に下級生までまじっていて、
「次はー、お化けイチョウー、お化けイチョウー!」
なんて、大声を出しながら進んでくる様子は、お化けのほうが逃げだしそうな勢い。近くで遊んでいた小さな子たちは、キャッ! と、木のうしろにかくれたものだ。
「四年生にもなって。ようちだよね」
トウコにそうささやいたとき、先頭の男子が、じろりとこっちをにらんだ。
大魔界ツアーを考えたのは、この男の子。運転手なのか車掌なのか知らないけど、いつも先頭に立って大声を張り上げていた。
シノブという、女の子っぽい名前をいやがって、男子には竹尾くんと呼ばせていた。体は二番めに小さいのに、足の速さは学年一。だれよりも日焼けしているのは、夏休みに一日も欠かさずプールに通ったからだと大いばり。男子のリーダー格で、六年生にも「顔がきく」らしい。
「竹本。おまえ、おれのもんくを言っただろう」
机をたおしそうな勢いで、のっしのっしとあるいていくる。小さいのに、すごい迫力だ。言葉が出なくなって、思わず後ずさりするケイのかわりに、トウコがゆっくりと席を立った。
「学級委員はどいてろよ。おれは竹本に話があるんだ」
「そんな怖い顔されて、楽しいお話ができると思う?」
「べつに、話なんかしたくねえよ」
「あれ? 話があるって言ったのは、たった今じゃなかったかしら。それとも本当は、何も用事なかった?」
女子の間から、くすくすと笑い声がもれた。シノブはこぶしをにぎりしめ、トウコをにらんでいたけれど、さっと背中を向けて、自分の席にもどった。
「助かったよ、トンちゃん。おかげで、ライオンにかみつかれずにすんだ」
ライオンもゾウには勝てない。ふだんは、のんびりしゃべるのに、いざとなるとトウコはものすごく強くて、頭が回る。
それにしても、男子がそろって、こんなに早く登校するなんて、めずらしい。そうじをサボったり、わざと遅刻ぎりぎりに来るのが「男らしい」と、かんちがいしているくせに。見れば、みんなシノブの席に集まって、一冊の本を熱心にのぞきこんでいる様子。
「何を読んでるのかしら」
べつにきょうみはないけどさ。そうつけ加えながら、ケイはトウコに耳打ちした。
「いつも妖怪の本でしょう」
また? と、ケイはあきれてしまう。ふだんは図書室になんか見向きもしない男子が、一冊だけ、あらそって借りてゆく本があった。
それは『妖怪大百科』という本で、もともと、たいして読まれないまま、何年も図書室の片すみでほこりをかぶっていたらしい。ところが、今年になって、急に男子の間で話題になり、今では順番まちになるほどの人気なんだ。
あんな怖い本のどこが面白いのか、ケイにはさっぱりわからないけれど。
「竹尾くんたちね、あの本をまねて、自分たちで大百科を作ってるみたい。そのために、電車ごっこしながら、あしたば町の妖怪を調べているんでしょう」
ふぅーん。
と、ちょっとだけ感心した。ケイのおかあさんは、本を作る仕事をしていた。編集者というのかな。おとなになったら、ケイもそんな仕事がしたいと考えていたから、シノブがいったいどんな図鑑を作ろうとしているのか、気にならないこともない。
「それで、画用紙の話なんだけど。迷いネコのポスターだとか言ってた」
「そうそう。わすれてた」
さっきはちょうどトウコに見せようとして、電車ごっこにじゃまされたんだ。まったくもう。と、つぶやきながら、ケイは画用紙を広げた。
「わあ。おもしろい絵だね!」
トウコはまるで、どこかにこんなネコがいても、おかしくないような言いぐさだ。
「まさかトンちゃん、信じてる? わたしなら、たとえアフリカ探検しても、いないと言いきれる自信あるよ」
「でも、きのうまでは、これが町のどこかにはられていたんだよね。連絡先もちゃんと書いてあるし。ただのいたずらなら、ここまで手のこんだことしないと思うな」
おかあさんも、同じようなことを言っていたっけ。でも、どう考えても羽のはえたネコなんてありえない。そんなものが屋根の上にぷかぷか浮いていたりしら、ぜたいに変。南極と北極が入れかわったくらい、たいへんな事件じゃないか。
トウコはかるく腕を組み、人さし指で、ちょっとメガネをずり上げた。なんだか、名探偵っぽいポーズで、
「ほら、ネコってさ、ときどき、びっくりするような所にいるじゃない。ものすごく高い塀の上とか、二階のベランダの手すりとか。いったい、どうやって登ったのやら、首をかしげたくなるくらい」
「まるで、空を飛ばないのがふしぎなくらい‥‥あっ、そうか」
「ね! そんなふうに身がるなところを、絵にしようとしたんじゃないかしら。だから、ついつい羽まで描いちゃったのね」
「なるほど。さすがは、シャーロック・トンちゃん!」
名探偵みたいなのは、ポーズだけじゃなかった。たとえば学校の帰り道、こんなミケが、ふわふわと塀の上をあるいているところなら、そうぞうできる。
「でも、木下ゆり子という名前は、わたしも聞いたことないなあ」
丘の上に住んでいるのなら、必ず、あしたば小に通ってくるはずだ。おかあさんも言っていたけど、絵や字からそうぞうすれば、三、四年生にまちがいなさそう。
名前のとおり、その子はとても色が白いのかもしれない。ふんわりとした絵を描くような、おとなしい感じ。きっと髪が長くて、ほっそりとして、ふしぎの国のアリスみたいな、童話の本が大好きなのだろう‥‥ただ、そんな女の子を思い出そうとしても、さっぱり見当がつかなかった。
「ちょうど今日の放課後、児童会で集まるの。三年生以上の学級委員はみんなそろうから、クラスに同じ名前の子がいるかどうか、たずねてみるわ」
「そうだね。もし木下さんが、あしたば小の生徒なら、これは返してあげたほうがいいもんね‥‥あれ?」
何気なく画用紙をながめていたケイは、びっくりしたように顔を近づけた。横にして、逆さにして、また縦にもどして、今度はじぶんが首をかしげた。
「ひみつの暗号でも書いてあった?」
おかしそうにたずねられても、ケイは首をかたむけたまま。机の上に画用紙をぺったりと広げると、
「見て」
指さしたところは、ちょうど、ピンと立てた耳と耳の間のあたり。
「ほら、ここだよ。白いクレヨンで描いてあるから、気づかなかったけど」
二つのおでこがくっつきそうなほど、トウコも顔を近づけた。風に飛ばされ、ずぶぬれになったせいで、画用紙はうっすらとよごれている。もしも、まっ白いままだったら、気づかなかったにちがいない。
羽のはえたミケネコの頭の上には、ぽっかりと、白い輪が描かれているんだ。
「これは‥‥!?」
二人は声をそろえた。
大天使ミケネコ!
クラスじゅうの視線が集まり、二人ともあわてて口をおさえた。ケイは急いで画用紙を丸め、背中にかくした。シノブがこっちを見てニヤリと笑い、次に男子のほうへ向き直ると、大げさに両手をひろげて言った。
「天使がいるとかいないとか。四年生にもなって、ようちなやつらだ!」