従者に冷たい側妃の理由
食事が終わり、翠が手ずから入れた茶を飲んでいたギルバートが、ふと、思い出したように呟いた。
「今日1日見ておったが、相変わらず、アレに冷たいな」
アレ、が指すものを確かに理解して、翠は苦笑を浮かべる。
「相変わらず……? いつか、アナタが言ったんですよ? 彼には懐いているのに、バレットは嫌いなのか、と」
フィオルナルのことだろう。翠が、彼を扱いかねているのを見抜いているのだ。相変わらず、ということは、ギルバートが遠征へ行く前から、気付いていたということだろう。
……そのとおりである。翠には、端からフィオルナルの命を背負う選択などなかった。
元より彼を選び、彼に頼りきりになっていたとすれば、フィオルナルが魔法師長の座を辞したいと言ったのを止めずに、さっさと彼を翠だけのアーガルにしていただろう。
そうなっていれば、ジナオラはアーガルになっていないかもしれない。
話を逸らそうとした翠に対して、ギルバートはそれを許してくれなかった。
「だが、今となっては、お前は犬やバレットを、エリツァよりも重用している。まぁ、バレットのことは苦手なままなのだろうが」
「本人の前でいいます? それ」
「間違っているか?」
「別に、嫌いではないですよ」
「そんなことは分かっている」
執着していない翠だから、好きでも嫌いでもない。だが、苦手というのはそうかもしれない。相変わらず、ギルバートにすべてを懸けている彼とは相容れないから。
そんな翠の気持ちも読みとっているのだろう、ギルバートは当たり前のことを言われたように頷いた。
「知っているぞ。追認していないと」
「……その理由もご存知でしょう?」
「お前にも、恐れるものがあるのだな」
アシュレイの命を結局背負えずに、彼女自身に責任転嫁した翠の過去を、ギルバートはよく知っている。だからこそ、ただ命を懸けたいだけのフィオルナルを受け入れられないのだと、気付かれているだろう。
「まぁ、俺にはそちらの方がよいのかもしれん。新しい魔法師長を探す手間がなくなる」
「追認したとしても、魔法師長を続けるかもしれないじゃないですか」
「なんでだろうな。……お前はそれを許さんような気がするのだ」
「アナタの反対を押し切れるほどの立場は、私は持ち合わせがありませんよ」
しかし、ギルバートの予想はそのとおりだ。彼が認める、認めないに拘わらず、翠自身はそうしたいと思っている。
翠は、フィオルナルが彼女を召喚した陣に、その命さえ注ぎ込んでいたことを知っている。
既に、翠のために彼の命が削られているのだ。
もしも、フィオルナルが、真に翠のアーガルになることがあれば。翠が、彼の主として、その生き方に口を出せるとしたら。
翠は、彼に職を辞すことを命じたい、と思っている。
既に減った命を返すことはできないが、これ以上減るようなことがないようにする程度のことは、既に彼の命を減らした翠だから、さすがに許されてもよいだろう。
だから、もしもフィオルナルが翠のアーガルになるのだとすれば、翠は魔法師としての彼を望まない。何の能力もないただの傍仕えとして、彼を置きたいと思っている。
そして、それは、フィオルナルが目指している、翠への仕え方とは、今のところ、決して相容れないのだろうとも、分かっていた。
「アレは、いつ気付くのだろうな。否、あれほど頭の回る男が気付かないはずがないのだ。お前のことになれば、それほど目が曇るのか」
翠が彼の命を背負いたくなくて、彼がアーガルになるのを認めていないということに。
ギルバートはもちろん、ルーカリアナも、ジナオラもとっくに気付いている。気付いていないのはフィオルナルだけなのだ。
だからこそ、いつでもこの国を逃げ出せるといったジナオラを、自分の選択に命を懸けるといったルーカリアナを、翠はアーガルとして認めたのだから
「……もう1つ、方法はあるのですけれど、ね」
翠が、彼の命を背負う、という、どうしようもなく難しい方法が。
ギルバートも、決して翠がその選択をとらないと分かっているのだろう。何も言わずに、ただ、意識を手元のお茶へと戻していった。