執務室にて
「王、お茶です」
「あぁ」
「机の下に落ちている紙はごみですか? 片付けてもいいので?」
「あぁ」
「王、これは……」
「おい」
翠が執務室に戻ると、ギルバートは仕事の机の前で書類を読んでいた。……と、いうより、それしか仕事ができないのだろう。利き手が動かないのだから、サインすらできない。
とはいえ、それでもあれこれと世話を焼く必要はある。ちょこちょこと女官服で部屋を動き回る翠をギルバートが呼びとめた。
執務の世話まで翠がしなくともよいのかもしれないが、ギルバートがとめないので、翠も邪魔をしない程度に、暇つぶしがてら手を出していた。
「なんですか、王」
「お前、王と呼ぶのをやめろといっただろう」
「ここ、他に人がいますし」
食事時は1対1の会話だったから、王と呼ぶ機会も滅多になかった。アナタ、でこと足りたからだ。それが、執務室であれこれする内に目立ったのだろう。
「名で呼べ。お前のアーガルたちと同様で構わん」
「では、シギル」
「あぁ、それでいい」
ギルバートは険しい表情を浮かべていた顔を僅かに和らげ、翠を呼ぶ。
「この右側の書類は俺が確かめ、認めてもいいと思ったものだ。この山はエリツァへ、こちらの山はガルディアに渡して、それぞれ代決させろ」
「はい」
翠は書類を抱えて、臨時で王の横に誂えられた執務机で仕事をするフィオルナルの元へと運ぶ。
「あぁ、シスイにこのようなことを……」
相変わらず苦悩しているようだが、フィオルナルにギルバートの机と行ったり来たりさせれば、それだけ時間がロスするのである。ただでさえ、ギルバートの仕事は、遠征中に滞った分がある。
「ありがとうございます、リーリア」
もう1つの山を、ギルバートがガルディアと呼んだ男へ渡す。こちらは、王の執務室に元から誂えられている机で仕事をしている、宰相、ユーリウス・ガルディアであった。フィオルナルに、ユーリウス、それから護衛中のルーカリアナが揃い、翠はとうとう国で3人のナンバー2の全てと面識を持ってしまったことになる。
なお、ガルディアは50手前の温和そうな男で、翠がギルバートと再会した現場もしっかりと見ていたため、翠のことを温かく見守っている……フリをしている。
もちろん、翠としても、宰相へ上りつめたユーリウスがそこまで単純な思考回路だとは思っていない。
「フィンも宰相もお茶はいかがですか?」
「お前は俺に淹れればいい。あとは侍従にさせろ」
「……なるほど」
翠が茶器に手をかけたのを見て、ギルバートが遮った。
オモチャをひとり占めしたい子どもか。と思わないでもないが、素直に自分の分の茶だけ淹れる。それが終わった後、女官が恐縮したように茶器を持って行った。
「スイ、そこの本棚の、上から2段目、青い背表紙の本をとれ」
「はい」
翠は返事をして本棚へ向かうものの、少しばかり手が届かない。
「……ルカ、とって」
「はいはい」
さっさと諦めてルーカリアナを呼ぶと、彼は相変わらずの機嫌で本をとって翠に渡してくれた。
「はい、どうぞ」
「この書類のタイトルと同じ名前の章があるから、探して開け」
「は……い?」
ギルバートに差し出された書類を見て、素直に頷きかけた翠は停止した。
「これ、私が見てもいい書類ですか」
タイトルを読もうと、ぱっと書類を見ただけであるが、明らかに、軍事機密の書類である。
「お前がエリツァから学んでいる大陸の文字とはまた別だ。政治用の言語だ。……読めぬだろう?」
「えぇ、まぁ、はい」
気付かれた。翠は内心で歯噛みした。気付いて、気付かなかったことにしてくれた。
ギルバートと同じように、気付いた人間が他にもいるかもしれないが、ギルバートが気付かなかったフリをしてくれたことで、翠が直接追及されることはなくなった。
やられた、と内心思う。もしかしたら、ギルバートはわざと、そういう書類を見せたのかもしれない。確かめたかったのだろう。ルーカリアナから伝わっているはずなのだ。翠が神語を読んだことを。その能力が、他にも通ずるか、調べたに違いない。
相変わらず、怖い人だと思う。鋭い人だと。
でも、その上でこの国が成り立っているのだから、その鋭さは必要なのだろう。
翠が、いろいろなことに気付き、いろいろなことを飲みこんだことにも気付いたのだろう。
「早く調べろ」
「はい」
翠の頭をペンでつつきながら、ギルバートはイタズラが成功した子どものように、ニヤリと笑った。
愛がなくとも、ただのいちゃラブに変わりはないですよね。
正直、更新速度が覚束なくなる予感しかしません。
この章までしか書けてません……。