専属従者の行く末とは
「やぁ、魔法師長。同僚として、これからよろしく頼むよ」
ルーカリアナが翠のアーガルになった日の夜。ルーカリアナが翠のアーガルとして与えられた部屋へ向かえば、その扉の前に渋面を浮かべたフィオルナルが立っていた。似たような立場だからこそ、今の、目が回りそうな忙しさを知っている。
それでも、自分を待ち構えるように佇んでいるからして、目の前の男は、余程自分に言いたいことがあるようだ、とルーカリアナは苦笑いを噛み殺した。
ルーカリアナはもちろん、近衛隊長として立派な部屋を持っているが、翠の傍に控えるための部屋が新たに与えられ、ルーカリアナ自身、アーガルとして翠に仕えるために引っ越しをしていた。その部屋の付近にはもちろん、同じくアーガルであるフィオルナルとジナオラの部屋も誂えられているため、ルーカリアナを待ち伏せるのは簡単である。
「許されたのか、シスイに」
「何を今さら。そうでなくては、部屋は与えられないだろう?」
フィオルナルの脇の扉を指せば、ぐっ、と唸るような声がフィオルナルから漏れた。
「そんなに俺の同僚は嫌?」
「……同僚などではない」
「酷いな。事実くらいは認めてくれよ」
これ見よがしに息を吐いて見せたルーカリアナにフィオルナルは唸った。
「違う。私が、違うのだ。私は王任命のアーガルで、シスイから追認を受けていない」
フィオルナルの言葉が予想外だったルーカリアナが僅かに目を見開く。そして笑った。
「なんだ、待ち構えて文句を言われるのかと思ったら、嫉妬か。でも、意外だな。リーリアはアンタに頼りきっているようなのに」
「シスイが私を? 嘘にしたって気分が悪い。あの方は、私に何もおっしゃらない。御自分のお気持ちはもちろん、王のことも、侍女のことも、ジナオラのことも、君のことも。真実、何も言うことがないのなら、それでいい。だが、あの方は、いろいろなことを考えた上で、何も言わないことを意図している」
「それは、確かに。……リーリアの口がもう少し緩ければ、俺はこれほどあの人を疑わずに済んだのかも」
ルーカリアナは翠を思い浮かべて溜息をついた。
翠は言うならば凪である。感情をが読みにくく、文句も口に出さない。否、表面上の感情は読みやすい。フィオルナルへ向ける笑顔だとか、ルーカリアナへ向ける呆れだとか。
しかし、その奥で何を考えているのか、それがとても読みにくかった。
そんな人間が警戒対象になった暁には、情報が足らなくなって当然なのである。また、傍に仕えるにしたって、そんな主人の機嫌を伺うのは大変に違いない。
なんとも不服そうなフィオルナルを見て、自分もそちら側の人間になってしまったことに、早まったかとすら思ってしまう。警戒しすぎるということはないのかもしれないが、それでも、ほとんどの懸念点は翠が異世界人だというだけで瓦解してしまった。
けれども、翠は見逃すといったが、ルーカリアナは1度言葉に出したことを撤回できるほど明快な性格をしていなかったし、国の法を蔑ろにもできなかった。
「あの方がお許しになったのなら、私自身にどんなに思うところがあろうと、君はシスイのアーガルだ。ただし、君がアーガルになった理由は、君だけのものだ。例え、それをシスイ自身が認めていたとしても、アーガルとして振舞うことすらできないというのなら、アーガルの任を降りることになると思え」
アーガルの任を降りることになる、とは、要するに死ぬということだ。フィオルナルは分かっているのだ。翠を見定めるためにルーカリアナがアーガルになったことを。それを知っていて、翠が頷いたことも。だから、釘をさしにきた。
「……怖いな」
明確な脅迫の意図を正しく読みとって、ルーカリアナは笑顔を浮かべる。
「君にとっての陛下が、私にとってのあの方だということだ」
フィオルナルに告げられて、それならば仕方がないと思ってしまう。翠が、否、彼女だけではない、どれほどの貴人であっても、その人間が王の敵に回るのなら、例えどんな罰を受けようとも、ルーカリアナは何の躊躇いもなく、相手を殺せるのだから。
例えばただの痴話喧嘩であれば、アーガルが王ではなく、その妃の肩を持つのは当然のことである。アーガルだけではなく、ほとんどの侍女だって、同じ女としてそうするかもしれない。
しかし、例え妃が国そのものの敵に回ったとしても、妃とともに王の、国の、敵に回るのがアーガルという存在である。当然、それは罪である。有るべき姿でいえば、王の臣下として、妃を手にかけてでも、その凶行を止めるべきなのかもしれない。
それでも、妃が罪を犯した時点で、例え自らの手で妃を止めたとしても、アーガルはその連座での死罪を免れないのだ。そのリスクを背負ってアーガルになった以上、どれほど過酷な運命でも、妃が進む道を共に歩むことを選ぶのがアーガルである。だからこそ、ほとんどのアーガルが妃と一緒に、王を、国を裏切ることになるのだろう。
それは、王と臣下以上の絆で結ばれた関係。
そんな、国すら揺るがすほどの歪な関係を認めるのが、アーガルの制度なのである。
だが、きっと。否、必ず。翠が王を、国を裏切るのならば、彼女もろとも死を選ぶのがルーカリアナのあり方であった。それは、この先も変わることはないだろう。
だからこそ、シスイの敵に回れば、ルーカリアナの前にはフィオルナルが立ちふさがる。魔法のフィオルナルと、武力のルーカリアナ。国の武を支える2人が全面衝突する。
それはきっと、国を揺るがすことになる。
だから、ルーカリアナは心底から、その言葉を紡いでみせた。
「陛下とシスイが、この先も同じ道を歩むことを願っているよ」