赤い男の選ぶもの
邪教徒が殲滅されたことをジナオラから聞いた3日後。
トントン、と翠の私室のドアがノックされた。
「どうぞ?」
フィオルナルかと思い、ドレスで首元が隠れているのを確認した後、声をかける。
ジナオラが開けたドアの向こうに見えたのは、ルーカリアナの姿であった。
その傍に衛士の姿がないのをみると、この時間の衛士として、彼がやってきたようだ。
「……どうしたの、珍しい」
ここ最近、彼も本職に追われていた所為で、翠の護衛はもっぱら代わりの者がついていた。邪教徒は壊滅したとはいえ、フィオルナルと同じく、彼もまた事後処理に追われていることだろうと思っていたのに、何の用事かと不思議に思い、翠も立ち上がって彼を迎えた。
ルーカリアナはしばらくの間、言葉も喋らずに難しそうな顔で翠を見つめ、そして、おもむろに懐から何かを取りだした。
「……なにこれ」
渡されたのは紙のようなもの。じっくりと見れば、魔法陣のようなものが読みとれた。
「回復アイテム……かしら?」
RPGでよく聞くそれだが、元の世界の知識で知っているものとは形態が違うので驚いた。もちろん、フィオルナルが居れば無用の長物であるし、なにより翠が怪我をすることもないため、これまで見たこともない代物である。
きょとん、とルーカリアナに差し出された紙を見つめたままの翠に、ルーカリアナが一層渋い顔をする。
「俺は治癒魔法を使えない。……が、傷でも残したら寝ざめが悪いんだ」
「あぁ、責任を感じているの? ……そんな必要ないのに」
「……お前が本当に犯人を追っているなんて思わなかったんだ」
ルーカリアナが溜息とともに吐き出す。翠としては、言葉どおり、気にしなくていいのに、というのが本音だ。自分が疑われていることを知った上であちこち動き回る行動が、怪しいものであったことは十分に理解できている。
「まぁ、でも、くれるというなら貰っておくわ」
それだけ言うと、紙を受け取って、首筋の瘡蓋へ張り付ける。少し患部が熱くなった後、紙を剥がして肌の様子を確かめてみれば、傷のない、つるりとした肌がそこにあった。
「ありがとう」
笑顔で礼を告げたにもかかわらず、ルーカリアナの渋い顔は変わらない。
「傷はもうないけど、……用事は終わった?」
傷の消えた首筋を晒してみても、ルーカリアナは1歩も動かない。どうしたものかと思案していれば、突然、ルーカリアナが膝をついた。初めて自分に対して向けられる敬礼に、一体なんのつもりだと視線で問う。
「……分からないんだ。リーリアがどういうつもりなのか。さっぱり分からない。分からなさ過ぎて暴走した。リーリアに本当になにの悪意もないのなら、俺はただ、陛下の最愛の妃に傷を負わせた愚か者だ」
最愛の妃。そう、自分が表現されてしまったことに、溜息をつきたくなる。どうして、そんな事態になっているのか。翠こそ、分からないといいたくなった。
「謝罪ならいいわ。私も悪いし、怒ってない。告げ口する気もないわ。なんなら、お互い忘れましょう。私もその方が楽でいいから。……膝をつくことなんてないわ」
立つように促した言葉は、しかし叶えられず、翠の言葉に耳も貸さずに、ルーカリアナが言葉を続ける。
「貴女を知りたい。貴女が陛下の隣に並び立つのに足る人なら、俺の忠誠は貴女にも向く。だから、貴女を見定めたい。その許しを得るために、俺は俺を縛る鎖を貴女に渡す。……俺を、貴女のアーガルにしてくれないか」
さすがの翠も予想外であった。ルーカリアナの言葉に面食らって思考がとまる。
「冗談でしょう?」
命を背負うのは嫌だというに。どうして、王のために死ぬことすら厭わない男をアーガルになどしなければならないのか。
もしも、この先、翠が国に害を為す存在になったとして処刑されるようなことがあれば。それをルーカリアナが自らの力で白日の下に晒したならば、ルーカリアナはその功労故に、死ぬことになるのだ。それが、罪を犯した妃の、アーガルの宿命なのだから。それが、アーガルになるということなのである。
それはもはや、鎖を渡すというレベルではない。心中の覚悟である。
国の、王のために何故そこまで、と思わなくもないが、ルーカリアナがそういう人間であることはもう分かっているのだ。だから、翠は何も言えない。
「アーガルである以上、俺は貴女に無体はできない。もちろん、口ではなんとでも言えるから、それが証拠になるとは言えないが」
確かにそうだ。アーガルになれば、背後から不意打つことすら容易になるのだから。
アーガルという地位に法的な拘束力はあれ、実際に魔法の力で行動の阻害を行えるものではない。とはいえ、アーガルという地位をないがしろにできないだけの歴史が、この国にはあるし、王に、国に、忠誠を誓うルーカリアナが、そのアーガル制度を利用して、翠を陥れるようなことはしないだろうとも思っている。
「私は、アナタの命を背負うのは嫌よ」
「……貴女に命は背負わせない。俺が自分で背負ったままだ。だから、俺が命を懸けるのは、俺がそう『選んだ』からだ。……これでいいか」
そんなことを言われたら。過去、アシュレイに選択を迫り、そしてその選択どおりに彼女を『選ばなかった』翠には何も言えなくなる。……認めるほか、なくなる。
「……いいわ」
胸の奥からわき上がるものを堪えるように、呻くようにして、翠は自分の前に膝をついたままのルーカリアナに言葉を落とした。
「ルーカリアナ・バレット。アナタを私のアーガルに任命します」
「ありがたき、幸せ」




