花は散るもの
王の遊びに付き合わされることが確定した翌日。翠は重い溜息をつきながら、久方ぶりに自ら部屋のドアをあけた。
「やぁ、久しぶり」
咄嗟に、お前は犯人捜しをしなくていいのか、とは思ったものの、何のことはない。今、一番疑わしい人物が誰かを思い出す。その傍に居る方が、よっぽど確実なのだろう。そして、それは翠にだって利がないわけではない。残念ながら有能な、目の前の男を傍に置いておけば、間違っても再び『覚えていない』などと言われることはないだろう。そんなことは翠は許さないし、何より、彼が彼自身で許さないだろうから。
そこに立っていたのは、当然のようにルーカリアナだった。
「さすがに息がつまるのだけど、外に行っても?」
「いいよ」
翠の言葉に、ルーカリアナは裏の読めない笑みを浮かべて、庭園への先導を始める。
なお、翠の目的は殺害現場の発見である。屋内で大量の血を流したとあれば、さすがにこれだけの日にちが経って、見つかっていないとは思えない。
水場の近くや風呂場で殺し、洗い流したのかもしれないが、下女が多く働く水場に、あのトゥジェノが自ら行くとは思えないし、風呂場にだって服を着たまま行かないだろう。
と、あれば、妃が当然のように立ち入れる場所、それも屋外で、流血が隠しやすい場所が殺害現場かと思ったのだ。ただの素人の勘である。翠はその手の職業についたことなど無いのだから。
とはいえ、ジナオラには既に探させた後であり、その結果は残念ながら芳しくない。城の兵士にもジナオラにも探せないものを、翠が見つけられるとは思わないが、ギルバートに向けたポーズはとっておかなければ。犬と呼ばれた翠が、彼女自身も犬を使って犯人探しをしたとあれば、多分、あの男は気分を害すだろうから。
春が近いとはいえ、朝の時間はまだ肌寒い。羽織りを重ね着て庭園へ出た翠を、ルーカリアナが振り返った。
「四阿でいいの?」
「いえ、運動不足だから歩きたいわ。アナタの先導でいいから、歩き回ってちょうだい」
「ふぅん」
ルーカリアナもよく知る、翠のお気に入りの休憩スポットを通り過ぎて、相変わらずの胡散臭い笑顔のまま翠の先導を続ける。
「どこに行きたい? アーリヤでも見に行く?」
「……さすがに花は散ったでしょう」
「確かに、そうだね」
彼女が死んでから、もう、ひと月以上が過ぎている。とはいえ、アーリヤの近くには確か水場があると言っていた。
「……いえ、行ってもいいかもしれないわ」
「じゃ、案内してあげるよ」
水場の影の小道から裏門へ抜ける途中の奥まった場所にある、植え込み。彼女が教えてくれた花を目指して、ルーカリアナの後ろについて進む。
想像どおり、アーリヤの花は散っていた。
「残念だったね」
「そうね。……戻りましょうか」
祈りの仕草もしない翠を探るようにルーカリアナが見つめるが、彼は何も言わないし、翠も何も問いかけない。
翠が見たかった水場には、血を流した後は見られなかった。そも、こんな奥まったところには、赤の妃も来ないに違いない。
「この時期に咲いている花となると、この辺かな」
「詳しいのね」
「女の子は好きでしょう?」
「えぇ、そうね」
よく花を贈っているのね、と言外に揶揄した翠の言葉に、お前は花にも関心がないのだろう、とルーカリアナからも言外の揶揄が返る。
ギルバートと比べると少し惜しいが、ルーカリアナも会話の意図をよく読める人間なのだ。だから、おいそれと、漏れ聞こえることが分かっている部屋では話もできない。
ルーカリアナが、ギルバートに比べて翠の真意を推し量れないのは、ギルバートの人を見る直感が凄まじいことも理由であるが、ルーカリアナが翠の狙いを深読みしすぎているから、というのが大きい理由だろう。
異世界から喚び出され、ただ、流れに任せて、翠の今があるのだと知らないからだ。だから、翠に対して、間者ではないか、悪い企みがあるのではないか、王に魅了でもかけているのか、なんて疑うことを止められない。
そうして、から回るルーカリアナを面白可笑しく見ているのがギルバートなのだから、なるほど性質が悪いと思う。
ルーカリアナに案内された庭先では、もうすぐ冬も終わり、春がやってくるのを喜ぶように、桃色の花が咲いていた。足下には、その花が形を残したまま、ぽとりと落ちている。
ふと、椿のようだ、と思った。首が落ちるようだと言われることもある、花のようだ、と。
「満足した?」
「えぇ、そうね。……あぁ、部屋に飾るのにちょうどいいものはあるかしら」
「後でジナオラに伝えておくよ」
「お願いね」
庭園を歩き回った後、再びルーカリアナの先導で部屋へ戻る。
結局何も見つからない。……犯人は本当に城の人間なのだろうか。
「なにか、ないの? 魔法とか」
「どういう? 兵士の目を誤魔化すもの?」
「いえ、それはあるんでしょう? 私の衛士がやられたように」
「そうだね」
その日の夕刻、翠1人では行き詰ってしまって、背後のジナオラに助けを求めた。
魔法がある世界なのだ。どんな魔法があるのかすら分からない翠には、翠が知り得る方法以外での犯行を想像できるはずもない……のに、この場に国1番の魔法師はいない。
「そうね……血痕を消す魔法があれば、本当の殺害現場から血を消すことができるわよね」
「汚れを落とす魔法があるよ」
「……なるほど。じゃぁ、女性4人を、見つからずに運ぶ魔法は?」
「すぐに思い当たるのは、軽量化の魔法くらいかな。運べるけど、見つかると思う」
「姿を消す魔法とかないの?」
「なくはないけど、かなり難しいものだから使用者は限られると思う。なにより、そんな魔法は王宮内で使えない。……結界があるからね。姿の見えない人間が、王の近くを動きまわるなんて、許容されているわけないでしょ」
「……結界もあるのね」
「それでキミが助かっていることもあるんだよ。キミの魔法師は、能力的には透明になれるんだから」
なるほど。結界がなければ、それこそが証拠だと言われかねない。
にしても、結界か、と翠は内心で唸る。どんな魔法があるか分からない上、魔法があっても、城内では使えない可能性もあるなどと、これで犯人に予想がつくはずもない。
鼻をきかせるどころではないではないか、と今はいない男を思う。
「諦めたら? どうせ王だって、キミが本当に見つけられるとは思ってないよ。キミがリスクを負って探しまわった挙句、気付いたら牢屋にいた、なんて笑えない」
「そうよね」
「それに、どうせなんとも思ってないんでしょう?」
「……そうね」
犯人にこそ、面倒なことを、と思うところがないではないが、ここまで見つからないとなると話は別である。もとより、1度会ったきりの4人に何ら感傷を覚えることなど、ないのだから。