飼い犬のつとめ
「……なにかあったのね」
ギルバートが国境へ向けて出立してから約2週間。その日、朝食の準備に訪れたフィオルナルの顔を見て、翠は眉を寄せた。
フィオルナルは苦い顔をして1つ頷く。
「昨夜遅く、トゥジェノと、そのアーガルたちが、亡くなりました」
「衛士は?」
「死んではおりませんが、近くに昏倒していたようです」
トゥジェノのアーガルに用事があり、その姿を探していた女官が発見したという。
「4人一緒……と、いうことは自然死じゃないのね。心中するほど仲がよかったのかしら」
「シスイ」
「ごめんなさい。不謹慎だったわね。でも、これくらい愚痴らないと、さすがの私もやっていられないわ。ジペットを処刑に追い込んだ次は、トゥジェノに死なれた。さながら私は死神のように言われるんでしょうね。それとも、もっと直接的に疑われている? ライバルを消したんじゃないか、なんて」
ライバルなどと、思ったこともないけれど。内心で呟いてフィオルナルを見上げる。
「アナタの他に疑われている方もいます」
「トゥジェディかしら。位階が同じだから、邪魔だったとでも? 本当に城の人間というのは、妄想が好きね」
「4人が発見されたのは、トゥジェノの私室でした。入れる方は限られます」
「……発見、ね。実際にそこで殺されたか、までは分からないのね。これ以上は、また教えてもらえないのでしょうね」
「陛下が不在のため、どこまでお教えできるかは……」
フィオルナルが静かに首を振ったのに、いいのよ、と翠が返す。
「知らないのはいいことだわ。私が犯人でなければ知りようがないことだもの。さすがに王が不在とはいえ、犯人探しはするのでしょう?」
「それは、はい」
「私が昨夜、部屋を出ていないことは、扉の向こうの衛士が証明してくれるわよ。トゥジェディも同じ。噂は噂と置いておきましょう。私はまた、部屋に籠るとするわ」
同じ日の昼食時、フィオルナルは現れなかった。
「疑われているよ」
背後に控えたジナオラが、すっ、と近寄って耳に囁く。
「……衛士が嘘でもついた?」
「覚えていないと言ったそうだ。間もなく、それが嘘ではないことが、魔法で証明された。キミがハメられたのか、それとも、キミが魔法でもつかったのか。……或いは、キミに命じられた誰か、が」
「……さすがに拘束まではしていないでしょうね」
「そうだね。地位があってよかったね。でも、しばらくはキミと会えない」
ジナオラが指す誰か、とはもちろん魔法に長けた翠のアーガルのことである。フィオルナルまで込みで疑われるとは。翠は大きな溜息をつく。
「トゥジェディの衛士はどうしたの」
「みんな覚えているみたいだね」
あぁ、そう。聞いてみたものの、彼女まで疑われればいい、と思っていたわけではない。
「どこかの自称衛士さんが、かなり不機嫌だから気をつけてね。とりあえずは、部屋の外から見張られる程度だけど」
「……そんなの、今に始まったことじゃないわ」
幸い、無茶な取り調べを行うには、証拠が足りていないのだろう。衛士が覚えていなかったところで、翠以外にも件の部屋を出入りできる人間はいる。
また、翠とフィオルナルの肩書も効いていた。王が不在の今、残った者の勝手な判断で、一応の寵妃と思われる翠と、王に次ぐ権力者である王宮魔法師長に対して無茶をして、後になって冤罪と分かれば、物理的に首が飛ぶ。
今のところは、翠以外の容疑者の選別と、翠が犯人だった場合の裏付けを、同時捜査している、といったところだろうか。
翠とフィオルナルは会えないものの、ジナオラからの情報では、互いに軟禁生活を送っているだけらしい。そもそもが、元から軟禁状態にあった翠のことだ。フィオルナルも、王の不在の穴を埋めるため、ほとんど執務室に籠りっぱなしだったというし、状況としては特に変わっていない。ジナオラは自由であるし、ついでに外の情報も持ってきてくれる。
壁は薄いが、小声さえ通す薄さでもない。
ジナオラが淹れるお茶もあるので、翠にとっては特に不満はなかった。
と、いえば、フィオルナルが、また複雑な顔をするかもしれないが。
「そういえば、知りたかったんでしょ。死因」
「あぁ、調べてくれたの。まぁ、知ったところで、私がどうにかできるものでもないけれどね。アナタも近寄り難いでしょうに。バレちゃだめよ」
あの4人に執着をした覚えもないし、哀れみすらも持ってはいないが、わざわざ人を疑わせるような真似をしてくれた犯人に、全く思うところがないとも言えない。
そういう心の機微を、ジナオラはしっかり掴んでくれたのだろう。
「大丈夫みたい。僕の隠密、どこかの赤毛にもバレないから」
「……アナタ、彼のこと嫌いなの?」
「僕が先に嫌われたんだよ」
それも致し方なかろう。隠密はバレずとも、ジナオラがただの毒見役でなかったことは、今となってはルーカリアナだって気付いているはずだ。
翠がアーガルに任命してしまったため、今はもう手が出せないというだけで。
「死因は刺殺、というより失血かな」
「どこを刺されてたの」
「いろいろ。胸元とか、背中とか、首元とか? めった刺しって感じ」
「……素人ってこと?」
心臓を一突き、とかだったら分かりやすかろうに、と翠は内心で呻く。
「城の連中の考えはそうみたい。僕はプロだと思うけど」
「どうして?」
「素人の犯行を装ってるように見えるから。城の連中も疑ってるヤツはいるんだろうけど……。プロだと犯人が分からなくなるからね、素人だと思っておきたいんでしょ」
城の連中は、それほど翠を犯人にしたいのだろうか。
「それだけ刺されて、部屋は血まみれ?」
「それも、僕は怪しんでる。相当、血まみれみたいだったけど、足りない気がする」
「アナタ、現場まで見て来たの。……まぁ、いいわ。運んだ可能性もあるのね」
「そうだね。それから、物盗りでもないみたい。まぁ、トゥジェノの部屋は派手だから、少しくらい減ってても、誰にも分からないと思うけどね。荒らした形跡がないから」
尤も、トゥジェノの私室があるような区画を歩いて咎められない程度の肩書をもつ人間ならば、窃盗などせずともとっくに裕福だろうから、誰もその線は疑っていないだろう。
物盗りでなければ、動機は怨恨。そういう方向で、翠を犯人に仕立て上げたいのか。とはいえ、死体をどこかから移動させたのだとすれば、翠にはどうやっても不可能なのだが。この調子では、部屋で殺したことにされるのだろうな。
翠は溜息をつきながら、ジナオラに無理はするな、とだけ告げて、会話を打ち切ることにした。
それから数日。翠以外の容疑者は挙がらないし、翠を犯人だと示す証拠も見つからない。地位が無ければ、物的証拠を待たず、状況証拠だけで有罪にされていただろうと思えるほどに、翠の周囲はピリピリとしている。呑気なのは、翠自身とジナオラくらいのものだ。
ギルバートのところへ走らせた早馬が戻ってきたようだが、翠の待遇は変わらない。ようするに、王はそれを望まなかったということだ。状況が悪くなるとしたら、決定的な証拠が見つかるか、ギルバートが帰ってきた後だろうと思われるので、翠は優雅な軟禁生活に浸ることにした。
目下の心配といえば、運動不足くらいのものである。
ジナオラの淹れたお茶を飲みながら、今日も今日とて、軟禁生活を謳歌していた時。翠の部屋の窓を、こつこつ、と叩く音がした。
「……なに?」
「幻獣だ」
窓を振り返ったジナオラが小声で、しかし驚きの声を出す。そこには光を纏った小さな鳥がいた。
「魔法を使った意思伝達方法。これを見られたら、軟禁以上の目にあうかも」
ジナオラが素早く窓を空けて鳥を中へ呼び込む。
小鳥はそのまま音もたてずに翠の前までやって来て、ひらり、舞ったかと思うと、淡い光を放って、その姿を紙切れに変えた。
「誰。と、いうか何? まさかキミの魔法師じゃないよね」
フィオルナルはさすがに、翠にリスクを負わせるような手は使わないだろう。城の外に、翠の知り合いの魔法師もいない……と思いかけて、目に入った紙切れの文字に呻いた。
『犬なら鼻をきかせてみろ』
そこには、そう書いてあった。
……居たじゃないか。面倒くさい、快楽主義者の、魔法師が。
男性はなかなか減りませんが、女性はなかなか減る物語です。
女性向けということでお許しください。
更新を、水・金・土の、週3回更新にさせていただきます。