事件は続く
ジペットの処刑が内々に行われたとはいえ、側妃の1人が居なくなったことが、王宮に知れ渡るのを止めることはできない。まさかジペットがそんなことを、いやいや、そもそもリーリアが原因では、とざわつく王宮は、日を追うごとに、その声を増していく。部屋から1歩でも出れば、翠は噂の的になった。ジペットがもういないので仕方がない。
翠は溜息をつきながら今日も部屋に閉じこもる。もっとも、相変わらず食事はギルバートと共にしているのだが。
ジペットが処刑されて間もなく、ルーカリアナがつきっきりだった翠の護衛が、やっと通常体制に戻った。
ここ10日ほどはドアの外に胡散臭さを感じなくなって、部屋でお茶を楽しむのが、より楽しくなった気がする。
「……気になんてしてないくせに」
ジナオラはそういうが、そもそも、翠は耳元で囀られるのが好きではないのだ。遥か昔、祈りの声を煩わしいと感じた自分の残酷さを思い出さされるようだから。
だから、小声で話すなんてことも好きではない。ルーカリアナさえいなければ、主語を抜いて、隠喩をつかったような会話をすれば、大声で話していたところで、どこに漏れるともないのだから。
「今日の眠りの前のお茶は何にしましょうか」
「すっきりしたものがいいわ」
「では、柑橘の香りがするものにしましょう」
表向きには敬語を使うジナオラに頷いて、彼がお茶の準備を進めるのを何とはなしに見つめる。
「明日は赤の日ですが、今週も外出はされませんか?」
仕事が終わった後で、いつもどおり翠の様子を見に来ていたフィオルナルの言葉に、翠は彼を振り返って静かに頷いた。
翠の引きこもりは、日課の散歩にも当てはまっていた。
「そうですか」
何か言いたそうではあるが、外の噂はフィオルナルも耳にも入っている。むしろ、部屋にこもりきりの翠より余程、よく知っているに違いない。結局、何も言えないままで、夜の挨拶をして部屋を出て行く。
ついで、ジナオラも膝を折って、部屋を出て行こうとして、ドアを開けたところで、ばったりとギルバートに出くわしていた。
「……失礼しました」
道を譲り、ギルバートが部屋に入った後で、いつかのように最敬礼でジナオラが出て行く。
「犬が欲しいと言っていたが、アレは猫だな」
「分かっていても言わない約束でしょう」
ジナオラの本性を既に掴んでいるギルバートが揶揄するのに、翠は苦笑しながら彼の分のお茶も用意する。
「今日はお早いんですね」
「あぁ、少し話もあってな」
珍しい。わざわざ話があって、などと切り出さなくとも、いつもなにかと話をしていくのに。
「なんですか?」
お茶を差し出した後で、ギルバートの向かい側に腰かけた翠が水を向ける。
「しばらく国をあけることになった」
「遠征で?」
「あぁ、東の隣国との国境が煩わしい。隣国とはいえ、相当領土が広がっているのでな。結構な距離がある。領土が広いのはいいことだが、末端がまともに機能せんのは苛立たしい」
「この後に及んで噛みついてくる国があったのですか」
隣国であれば、ギルバートの脅威に相当晒されているだろうに、今さら反抗する気が起きるとは、と翠は首をかしげる。
「否、噛みつかんフリをしているのでな。東の隣国は国境付近からほとんどの兵を引いている。おかげで山賊が増長し、こちら側にもなだれ込んできた。……数が多いらしい」
「……わざわざアナタが行くことですか?」
「ついでに、隣国に文句をつけてくることにした」
たかが山賊討伐に王が出向いて、ついでに隣国の最高権力者まで脅してくる予定とは。相当暇なのだろうな、と考えて、そうですか、とただ頷く。
に、しても、毒殺未遂や殺人事件の真相は黙したくせに、こういう情報はぽん、と渡す。どういう意図かは知らないが……否、翠の周囲の他の人間はどうか知らないが、ギルバートにとっては単純に、翠が想像できそうな範囲の説明を省いているということだろうか。
で、あれば、ジペットがしたことについて、その動機について、翠がほとんど見抜いていたことはギルバートもよく知っているのだから、詳細を伝えられないのは当然である。
「ひと月ほどの予定だ。その間、食事には呼ばぬのでな」
わざわざ伝えに来るほど細かい男とは知らなかった。
翠は僅かに驚いたものの、気をとりなおして口を開く。
「出立は?」
「明朝。見送りなどはいらんぞ」
「もちろん、いたしませんわ」
人が集まっている場所になどすすんで行くものか。翠の言葉を聞いたギルバートが立ち上がった。まだ、彼に淹れたお茶は半分ほど残っている。出立前というのは、それほど忙しいのだろうか。無言でギルバートを見上げた翠に、彼は獣のように笑った。
「戦う前には、女が欲しくなるだろう?」
それとも、お前が相手をするか、と言外に告げられて。
「お気をつけて」
翠は口先だけで無事を願った。心中は、早く出て行け、といったところか。
そんな翠の様子に、ギルバートはくつくつと笑って、それでも手を出そうとはせずに、そのまま部屋を出て行った。
その翌朝。
「……ついていかなかったのね」
朝食の準備をするという仕事が戻ってきたフィオルナルが、翠の世話をし終え、満足そうに公務に向かおうとドアを開けた先に、赤色が見えた。
「ん? そりゃぁ、俺はただの衛士だからね」
嘘付け。さすがの翠も呆れた表情を浮かべる。赤毛の男。ルーカリアナがそこにいた。
昨日の内に分かっていれば、ギルバートに連れて行けと伝えたものを。
否、ルーカリアナを置いておき、翠と戯れさせることも含めて、ギルバートの楽しみの1つなのだろう。なるべく、揉めるような事態は避けたいものだ。
……そう願った翠をあざ笑うかのように、その2週間後、再び事件が起こったのだった。
第2章の完結です。
次の事件は次章へつづきます。