抱擁をあなたに
夜になるまでに、一応の方針が固まったのだろう。翠が就寝するまでの時間に、フィオルナルがアシュレイに関して、翠が知れるところまでの情報を伝えにきてくれた。
翠の耳には、彼女が死んでいたことしか伝えられなかった。死因はもちろん、自然死なのか、自死なのか、殺されたのか、さえ。
「陛下とシスイに毒が盛られたことも伏せられています。その犯人も分からないままですので、彼女の死も内々に葬られるようです」
アシュレイは、急な家の事情で宮仕えを辞すことになったのだろう。尤も、そんなありきたりの理由など、王宮の中では隠語にすらなっていない。
リーリアの侍女が死んだのだと、陰では素早く伝わっていくだろう。もはや、誰もその後釜には納まらないだろうな、と内心で苦笑した
「そう。落ち着いたらでいいから、私の代わりに花を手向けてきてくれる?」
「かしこまりました」
「それから、私からの見舞金は出さなくていいわ。王宮から義務的に出されるもので十分でしょう」
「えぇ、彼女の育った環境を考えれば、問題ないかと」
翠がいつもどおりなのに対して、フィオルナルは努めて事務的に喋ろうとしている。翠よりも、よほど、アシュレイの死を嘆いているのだろう。それは、彼の主の身の回りすら、守れなかった自分に対して、である。
「次の侍女なのですが……陛下の使いから、『アーガルが2人も居れば、十分だろう』との伝達がありました。正式な抗議をお許しください」
「いえ、抗議はしないわ。……それでいいから」
ギルバートは、翠の内心の望みをしっかりと気取っていたのだろう。
立て続けに迫られた選択に、いくらか翠も平静を欠いた。間違えて地雷を踏み、しょうがなく逆鱗に触れたように。そんな翠の様子を受けて、ギルバートも譲ったということだ。
恩を売りたいのか、彼の関心のためかは分からない。それでも、翠の望みどおり、王の命令として、侍女も女官もつかないことを決めてくれた。
「ですが、私は……」
公務がある、といいかけたフィオルナルに翠が頷いた。
「アナタは今までどおりでいいわよ。全て、ジナオラに頼むから」
「っ……、それでも、湯浴みや着替え、髪結いまでは……」
「湯浴みと着替えは自分でできるし、髪結いはジナオラができるそうよ。彼、器用みたい」
どうせ、影として身に付けた変装技術なのだろうが。
そこまで言ってしまえば、フィオルナルは何も言えなくなって黙り込んでしまう。
フィオルナルにとっては、彼よりもジナオラを重用しているような言葉に、複雑な思いを巡らせているのだろう。苦悶の表情を隠しもしない。
「シスイ。私には、アナタのお世話をすることすら、許されないのでしょうか」
「アナタはよく尽くしてくれている。私はそれに感謝しているわよ」
「お許しくださるならば、アナタのお傍に控えるため、今ある地位を捨てることもできます」
王宮魔法師長の地位を捨てると言うのか。……否、捨てられるだろう。翠を召喚したことで、すでに心を病ませている彼にならば。それが分かって、翠は首を横にふる。
「こういう言い方は嫌いだけれど。……アナタの立場を忘れないでね」
「……申し訳、ございません」
翠は、残酷にもつきつける。フィオルナルがまだ、仮初のアーガルであると。
翠にとっては、彼の命を背負えないが故の選択であるが、フィオルナルにしてみれば、それは翠に許されていないが故に思えるだろう。
フィオルナルは泣きそうな顔で謝罪を落として、それから部屋を辞していった。
「ジナオラ、改めて、明日からよろしくね。アナタも、部屋へ戻っていいわよ」
翠の寝る前の日課であるお茶の準備をしながら、翠とフィオルナルとのやりとりを見守っていたジナオラは、彼女に水を向けられて膝を折った。
「かしこまりました」
「……リーリア。陛下がお越しだよ」
その直後、ドアの外から聞こえた声に、翠は自らドアに出向いてギルバートを出迎える。
ギルバートはルーカリアナに目をやりながら、部屋に入ってきた。最敬礼をしてから入れ替わりに部屋を出て行ったジナオラには見向きもしない。
「来い」
ギルバートは何も言わずに部屋を突っ切ると、その奥、最初の夜以降、彼が見向きもしていなかった寝台へ、翠を誘った。翠も、ギルバートの言葉に素直に従う。
翠がギルバートを察しがよいと思っているように、ギルバートも翠を同じように思っているのだろう。だから、真意を隠した言葉が成り立つのだ。
目の前の苛烈な男に思考回路が似ているのだろうか、と翠は内心で溜息をついた。
寝台の上に腰をおろして立て膝をつき、壁に背を預けるように座ったギルバートは、近づいてきた翠の腕をとると、その体を引き寄せて、自らの足の間に座らせた。向かい合うようにギルバートの中に納まった、翠の体を両腕で囲むように拘束する。
息がかかるような近さで、翠とギルバートは向かい合っていた。
「こんなことをされるなら、交代させればよろしいのに。防音の魔法だって、アナタはお使いになるのでしょう?」
「あからさまに隠し事をしているのだと伝えるようではないか」
それではつまらん、とギルバートが呟く。互いに声をひそめて、耳元に囁き合うような会話。……ようするに、2人してドアの外のルーカリアナを警戒しているのだ。
「それよりも、お前。……喋ったな?」
「雨曝しにしろとおっしゃるの? 10代半ばの年若い娘を?」
「ふん。表向きにはともかく、お前にはそのような思いやりなどないと思っていたが」
「……あの調子じゃぁ、腐り落ちるまで見つからないと思ったのですよ。アナタの手の内の者が本腰をいれないんですもの。……そうなっては、身元の判別が大変でしょう」
翠の言葉にギルバートはくつくつと喉をならした。
翠を抱く腕に力がこもる。
「痛いです。私、アナタを怒らせるようなことを言った覚えはありません」
「罰を与えた覚えはないが? これは抱擁というのだ。知らぬのか?」
「……そうですか。加減もお分かりにならないのでは仕方がありませんわね」
相変わらずの慇懃無礼にギルバートは少しだけ腕の力を緩めた。
「お前の願いを聞いてやったぞ」
「犬のことですか?」
「それは、お前の我儘だったのだろう? 侍女と女官のことだ」
「……そうですね。それについては、礼をとらなければ」
例え、ギルバートが勝手に気を回したのだとしても、翠の願いどおりに違いない。
「願いを叶えれば、愛嬌を返すのだったか」
「アナタに願った覚えはありませんが、お望みですか? 先日はお怒りになったのに」
「あぁ、そうだとも。……スイ、俺に触れろ」
「……」
「それで、全て赦してやろう」
言いたいことはいっぱいあった。それでも、此度の礼も、いつかの借りも確かにあるのだ。ギルバートには、先日、翠が彼の逆鱗に触れたことがわざとであると、分かっているだろう。意図的に王を怒らせたことを赦すのだと言われれば、翠にはそれに従うほかない。
ようするに、脅迫なのだ。実際に翠が応えなかったところで、ギルバートは翠を切ったりしないだろうが、それでも翠には分かっていた。自ら、彼に執着を示さない翠に、ギルバートがあえて理由を与えたことを。
執着から逃げるように振舞う翠から、それほど受け取りたい何かがあるのだろうか。
「……どこに触れれば?」
「このまま、俺に手を回せ」
翠は、ギルバートの要望に答えた。
やっと翠の手が回りきるほど、がっちりと筋肉で覆われた体は分厚く、彼が覇王であることを改めて実感する。腕を回したことで、より、彼に近づいた翠を、ギルバートの腕が更に締めつけた。翠の体がそのまま、ぺたり、と彼の胸板にくっついた。彼に翠の胸なども押しあたっているだろうが、それを気にする翠ではない。
どくどくと、ギルバートの心臓が脈打つ音が聞こえた。
「……早くなりました?」
「お前は憎らしいほど、ゆっくりだな」
「……ねぇ、ギル」
「なんだ」
「お茶を飲みません?」
「……そうだな。淹れろ」
抱きついたまま、翠がギルバートを見上げる。翠の声が彼の首筋をくすぐる。ギルバートは諦めたように苦笑して、翠の体を解放した。
現段階での甘さの限界です




