いち増えて、いち減る
「昨日はよく眠れたか」
「えぇ、ステキな贈り物をありがとう」
「唸ることしかしらなかった猫が、猫撫で声を出したのだ。記念品くらいは贈るだろうよ」
朝食の席、いつもと変わらない態度を見せたギルバートに、翠も同様に返す。
贖罪のピアス穴が少し痛んだ。
「おはようございます、シスイ」
再びルーカリアナの先導で朝食から戻ると、フィオルナルが複雑な表情で出迎えた。
既に仕事の時間であるのに待っていたのだろう。代わりに、アシュレイの姿がない。
フィオルナルが来るより早く部屋を出たのが気に入らなのか、フィオルナルの後ろで礼をとる、新しいアーガルに思うところがあるのか。
「ありがとう、ルカ」
なにか言葉を交わす前に、ルーカリアナを追いだそうとして後ろを振り返って、ハッとした。
今、部屋の前に護衛が居ただろうか。そう思ってルーカリアナを見る。
「そうそう、しばらく、専属で護衛することになったんだ。よろしくね、リーリア」
「そう……お願いね」
ぱたん、とルーカリアナとの間にできた、扉という壁に、ほっと息を吐き出して、フィオルナルを振り返る。
「アナタに助けられてばかりなのに、私はアナタに無断でいろいろとコトを起こすわね」
謝罪の言葉は付けないが、混じる感情には気付いたフィオルナルが首を横に振る。ついでに、詳細を説明する気がないということにも気付いたのだろう。僅かに陰った瞳に内心で苦笑した。
翠を普通の異世界の娘だと思い、その贖罪のため、文字通り命を削っている目の前の存在は、この世界で今のところ一番安心できる男である。
だからこそ、自分の異常性をあまり知られたくはなかった。その思いこそ、自分の1番の甘えなのかもしれない。それ以上は、執着になる。それは、許されない。
ゆるり、と首を振ってフィオルナルを見上げた。
「ジナオラに新しい部屋が与えられるハズなの。お仕事の合間でいいから、最低限、人が暮らせるように整えるのを手伝ってあげて欲しいわ」
「仰せのままに。……それでは、これで」
苦い顔を隠しもせずに頷いて、仕事の為に部屋を出る。それを視線で見送っていたジナオラが、礼をやめて立ち上がった。
「いろいろな葛藤があるのは分かるわ。でも、それをゆっくりと聞いてあげる余裕は、今の私にはないの。ただ世間知らずで、アナタを助けたかった側室の暴走と取ってもいいし、私が何かを狙ってアナタを側に置いたのだと取ってもいい。でも、それを決めるのは、これから先でもいいのじゃないかしら……?」
翠の真意。それを調べるためにも、彼の立場は有利なはずだ。
「ただ1つ言えることは……。私、アナタから最初に言われた言葉を忘れてないわ。あぁ、それから、私のことは名前で呼んで。これは、最初の命令だから」
『キミと違って、僕はいつでも逃げ出せる』
ジナオラも思いだし、そして、目を見開いた。逃げ出してもいいのか、と、ジナオラが視線で問う。
「私、この国出身じゃないから、アナタにも苦労かけるかもしれないけれど、よろしくね」
国の出身ではなから、アーガルの制度など知ったことではない。アーガルは、まさしく法だ。規律だ。だが、魔法ではない。
だから、いつでも破れる。翠は、それを、許容する。
王と共に昼食を済ませて部屋に戻ったところで、昼休憩中のフィオルナルが翠の部屋へやってきた。そして、その部屋を一瞥して、首をかしげる。
「……アシュレイは、来ていないんですか?」
部屋では、ジナオラが翠に命じられてお茶の準備をしていた。
朝、フィオルナルが仕事へ向かった後も、結局、アシュレイは姿をみせなかった。
「えぇ。疲れているのかしら」
「体調を崩しているのであれば、侍従長から連絡が入るはずですが」
「そう。不思議ね」
口からスラスラと嘘をつきながら、翠は首をかしげる。
「様子を見てきます。お茶の準備はそのままジナオラに任せましょう。昼休憩が終われば仕事に戻らねばなりませんので、彼の部屋の準備は夕刻以降で構いませんか?」
「えぇ、大丈夫よ」
翠の返事にフィオルナルは一礼して部屋を出て行く。
「心配だね、リーリア」
扉が閉まる直前、空いた隙間からルーカリアナが口の端を吊り上げて笑うのが見えた。
果たして、アシュレイの部屋は無人であった。病に伏して寝ていたわけではない。
しかし、結局、その後もアシュレイが翠の前に姿を現すことはなかった。
短かめです