宴の裏側で
その日、アシュレイは張り切っていた。
アシュレイは末端貴族の妾腹の娘であった。貴族である父親の顔に泥を塗ることがないよう、マナーは厳しく躾けられていたが、しかしそれは形だけのものであった。
アシュレイの家において、彼女は娘ではなく使用人であったし、彼女の父や異母兄弟たちは、彼女にとって家族ではなく主人であった。
それでも、彼女の母親のおかげで、自分の身の上を悲劇と思ったことはなかったし、その母親が死んだ後、王の好色のおかげで、若い女たちからはすっかり人気がなくなった後宮の女官として、半ば売られるように召されたことも、血の繋がっているとは思えない家族たちに仕えるのと比べて、それほど不遇であるとも感じなかった。
そんな彼女が仕事にもなれ、ただの女官ではなく侍女として使えることになったのが、今の主である、スイ・ヴァルフォス・リーリア、その人であった。
他の側室たちと違い、苛烈さや侍女の扱いへの批判などは聞いていなかったが、出身が異国の奴隷ということで、女官として彼女に付いた女たちさえ、周りから馬鹿にされるような様子であったので、最初はアシュレイといえど、気のりはしなかった。
とはいえ、そんな主への印象は、初対面でガラリと変わる。
焦ったアシュレイの失態を、笑顔で見なかったことにしてくれ、あくまで侍女に感謝を述べる姿に、それが最下層の出身故であるのだとしたら、侍女たちが真に不遇を感じる相手はいっそ、カポネやトゥジェなのではないか、とすら思ったほどであった。
侍女は彼女1人であったが、無茶な要望をされることもなく、アシュレイができる範囲の世話を行うだけで、彼女の主はアシュレイに感謝を述べてくれる。そんな人柄に、彼女はアシュレイにとって自慢の主となっていった。
そして、色のない日、3日目の今日。祭典において、彼女の自慢の主が初めて衆目に姿を見せるのである。
努めて平静を装って、いつも通りに着付けとヘアメイクをしたつもりであるが、自然と高鳴る鼓動を感じて張り切る自分に、部屋を出る間際、リーリアが優しく微笑んだのを見て、己の心中がバレていることを悟った。
とはいえ、リーリアもアシュレイの仕事ぶりに感謝を述べたのは真実で、アシュレイはそれを自分の自慢にしながら、自身も仕事に向けて部屋を出たのである。
公の場で側室の側に控えることができるのはアーガルのみとなっている。女手が欲しければ、アーガルに女を加えればいいし、護衛としての役目を望むのであれば、アーガルは自然と男が増える。そのあたりの采配は側妃たちに任せられているのである。
とはいえ、アーガルを男で固めるのはともかく、よほど腕のたつ女騎士でもいない限りは、女で固めることが望ましくないことくらい、アシュレイにも分かっていた。
遠目に、己の主と向かい合う真っ赤な妃。その後ろに控える3人の女たちを写しながら、アシュレイは裏方に回った。
後宮において、側妃につく侍女たちは、他の女官とは区別された上位階級に属する。それだけ、王の信頼が厚いと認識されるからだ。そうでなければ、国母になる可能性のある側妃の世話など任せられるハズもないのだから、もっともである。
それは、他になり手がおらず、押し付け合いの末、一応は出自が明らかだということだけでお鉢が回ってきた、リーリアの侍女であっても、同じことであった。そんなわけで、アシュレイも、女官たちをむしろ使う形で裏方の仕事へ配置されている。
とはいえ、肩身が狭いのも、他の侍女たちから蔑むような視線を向けられることも事実であり、自然と動き回る仕事をかって出る中で、つい、溜息をついてしまう。
こんなことではいけない、と顔をあげた先で、見慣れない侍女服の女を見つけた。
「え、と……?」
「あ……」
思わず疑問の声を出してしまったアシュレイに、女は驚いたように声を漏らす。
そこは、祭典が行われている広場から、厨房の入り口へと抜けられる隠れ小道であった。とはいえ、あまり手入れが行き届いておらず、服などを小枝にひっかける可能性などもあって、あまり使用することを褒められないような道だ。
アシュレイは好奇の目に晒されることなく仕事をしたかったので使用していたが、他に使用している人間がいるとは思わなかった。
ふ、と、向かい合う女の胸元に視線をさまよわせてみるが、そこに目当てのものはなく、アシュレイは首をかしげる。
誰が発端か、否、自己主張の激しいどこかの赤の側妃が発端に違いないが、現在の側妃のうち上位3人に付く侍女らは、それぞれ数が多いことから、各自の主を表す色のついた組み紐で胸元を彩ることになっていた。
カポネならピンク、トゥジェノなら赤、トゥジェディなら薄青、というような感じだ。
しかし、目の前の女の胸元に彩を添えるものはなく、とはいえ、どう見ても侍女服は本物であるので、アシュレイはますます分からなくなる。アシュレイには現在、色が付いていないが、それは侍女がアシュレイただ1人であるためだ。自分の他にリーリア付きの侍女がいるとは聞いたこともない。と、なれば。
アシュレイは残る1つの可能性にたどり着いて目を見開いた。
「ジペットに御付きの方ですか?」
かくして、目の前の女は小さくうなづいたのである。
ドゥノ、と彼女は名乗った。
「ジペットが祭典の様子を気にされて……」
小さな声でぼそぼそと話す彼女の言葉は聞きづらかったが、ドゥノの言葉が本当ならば、ジペットは毎年、自らが欠席する祭典の様子を、気にはしていたという。
「それで、彼女に使わされて、様子を……?」
アシュレイの言葉に、またしてもドウノが小さく頷いた。
そんなに気にするなら出席すればいいのに、と思わないでもなかったが、アシュレイも祭典の様子を思い出して内心で首を振る。
彼女が様子を知るのは今年の祭典のみであるが、そこにジペットの椅子は当然のように見当たらなかった。彼女が後宮入りした年ならばともかく、今さらになって参加すると言いだすのは、アシュレイが彼女の立場ならできない。
トゥジェノのような性格であればできるのかもしれないが、それならば、そもそも側妃の集まる場から逃げ出したりしていないだろう。
「それから、その、食事も……」
「あぁ、そうですよね……。え、あれ? そういえば、ジペットの食事はどうなっているんですか? 厨房では見なかった気が……」
もしかして、それすら用意されていないというのだろうか。だとすれば、あんまりなようにも思う。もちろん、だからといってアシュレイにはどうすることもできないのだが。
「だから、その、使用人用の厨房に……」
「まさか、アナタの分をジペットに? 用意されていないなら仕方ありませんし、まさか作ってもらうようにも言えないと思いますが……それじゃぁアナタの分は? そんな状態で何年も放っておくなんて、ジペットのアーガルの方は何をして……あ、いいえ。ジペットにはアーガルはいらっしゃらないのですっけ?」
アシュレイが噂話の1つに聞いたそれを思い出し、首をかしげる。
「でしたら、アナタがアーガルになればいいのに。それなら、食事の用意を頼むことくらい簡単ですのに……。ジペットがお部屋にいらっしゃるのを好まれるなら、尚更、彼女の代わりに、彼女の権力を使える方が、外に出なければならないでしょうにね……」
「……アナタは?」
小さく尋ねられてアシュレイは首をかしげた。どういうことだろう。
「リーリアもお部屋が好きでらっしゃいますよ。でも、リーリアには魔法師長さまがお付きですもの。私だって、あんなにすばらしい方のアーガルになれれば幸せだと思いますけれど……今は、ただ自分の仕事をしているだけですわ。フィ・ドゥノ、ジペットにお食事をお持ちになるなら、早くそうなさって。その後、私の食事を一緒に食べましょう?」
リーリアのアーガルに自分がなる。まるで夢物語のようだが、夢を見るにはそのくらい幸せなものがいいかもしれない。アシュレイはそんな日を夢みて、自らの仕事を頑張ろうと意気込んだ。例え、嘲るような視線や嘲笑を向けられたとしても、彼女の主は素晴らしい人なのだから。
「リーリアは素晴らしい方なのね。魔法師長さまにも、アナタのような侍女にも囲まれて。そしてトゥジェディとも親しくて。なにより陛下のご寵愛もある……。地位なんて関係ない。不遇の側妃なんかじゃぁ、ないのね」
ドゥノの呟きが、アシュレイにとって自慢の主をたたえる、かけがえのない賞賛の言葉に思えたのだった。
アシュレイは素直でいい子です。