好き嫌いの行方
「お前、バレットは好かんのか?」
「優秀な衛士をつけてくださり、感謝しますわ」
やはりお前だったか、と分かりきった感想を胸に、笑顔で礼を言う。
今日も今日とて当然のように部屋にやってきたギルバートに、翠は呆れた視線を隠さず向けた。
ハタから見れば、翠は立派に王の愛妾だろうが、翠が殴られた日以降、ギルバートがコトを起こそうとするような素振りは見せず、寝台に視線すら向けないで、ただ椅子に座って茶や酒を嗜んだり、喋ったり。ようするに、グダグダと過ごして帰っていくだけである。
とはいえ、実体はそうであったとしても、ギルバートが翠の部屋に通うのは紛れもない事実であり、だからこそ、彼もルーカリアナを衛士につけたのだろう。ルーカリアナの能力は相当高いと見える。その能力よりも口先の方が、翠にとっては問題であるのだが。
とはいえ、ギルバートが遠まわしに、自分がルーカリアナを選出したことを認めたのだがら、多少のボロは構わないだろう。筒抜けるとしたら、相手は王だ。
翠自身は、ルーカリアナはもちろん、ギルバートにも用などないし、関わり合いたいとも思っていない。できれば、そっとしておいてくれ、というのが本音である。
が、今日も今日とて、ギルバートは椅子の腰を落ち着かせてしまった。翠が今まで飲んでいたお茶を一口飲んで、自分にも淹れろと催促してくる。どうやら、またしばらく居座るつもりらしい。
「エリツァとは上手くやっているのだろう?」
「アーガルと衛士では扱いが違いましょう? なにより、フィンは私の事情もよく知ってくれています。ギルこそ、ルカには何もお教えになっていないようではないですか」
だから、痛くもない腹を探られているんだぞ、と言外に告げる。ギルバートは、その真意を正しく読み取って、喉を鳴らした。
「アレには言うなよ。言わぬままが面白い」
自分で選んだ臣下にすら、真実を隠したまま泳がして楽しむとは。相変わらず、性格の悪い遊びをするものだ。そんなことを考えていると、ふと、ギルバートが不機嫌そうな顔で翠を見ていた。
「なにか」
「お前を一番に世話してやっているのがエリツァのような言い回しだったな」
「あら、感謝はしていますわよ、飼い主さま。ですけれど、過去にいつまでも縛られていては、国が滅びると思いません?」
翠の認識の範囲では、王に受けた世話といえば、妃の座を押しつけられたことと、フィオルナルをアーガルとして指名してもらったことくらいだ。後者は感謝の対象にもなろうが、前者に至っては迷惑以外の何物でもない。
リーリアとしての部屋や、衛士、侍女などは、肩書にセットになっているものであるし、そもそも、望まぬ喚び出しさえなければ、そんな世話も要らなかった。
「お前は可愛いな。……可愛げのないところがいい。それでは、嫁のもらい手もなかっただろう。もらってやっただけでも感謝してみてはどうだ」
盛大に矛盾したことを言いながら、机についた手に顎を乗せて、ギルバートはじっ、と翠を見つめてくる。その表情は酷く楽しそうだ。
「生憎、私の世界では女は1人で生きていけましたから」
特に翠に至っては、大学生ながら研究の内容やその成果から、教授陣にも覚えがめでたく、院への進学やその後の研究所への配属まで、このままいけばほぼ安泰だと自他ともに認めていたくらいである。
「ふん。それこそ国が滅びるではないか」
相変わらず聡い人だ。日本ではもはや、少子高齢化なんてワードは、小学生でも知っているだろう、よく聞く言葉になってしまった。
こういう反応をされる度、目の前の人間がただの好色家ではなく、傀儡でもなく、武力にしか頼れない独裁者でもなく、国をまとめるだけの手腕と恐怖以外で人を引き付けるだけのカリスマを持った、紛うこと無き王なのだと、再確認する。彼が敷くのは、一種の恐怖政治に他ならないが、王たる素質は十分にあるのだ。
翠の身に降りかかった迷惑を水に流すことなどできはしないが、その事実についてはこの世界に居ついて間もない身でも理解していた。
ギルバートは、自らを王としか見ない周囲の人間に辟易してはいるが、それは自らを王として見せる力量があってのことなのである。
「どうした?」
気付けばギルバートの瞳を見返していたようで、ギルバートが尋ねて来た。
「いいえ」
「俺は、言葉を飲みこまれるのは好かんのだが?」
「……アナタを王たらしめるのは、決して才能だけではないのでしょうね。そこに至らせる何かがあったのだろうと、そしてそれは、私には想像もつかないようなことなのだろうと、そう、思っただけですわ」
「ふん。俺の覇道が終わったように言うではないか。俺が飲みこもうとする国はまだまだ残っておるのだがな」
「武力のことではなく、王の資質のことですわ。それはもう、十二分に……、いえ、私自身もよく分からずに口にしました。忘れてくださらない?」
今、覇道を貫く彼の視線の先には、まだ統治下にない周辺諸国があるのかもしれない。
しかし、翠が指すなにか、とはそんな国々との小競り合いではない。このヴァルモンドという国で起こった、政争のことである。しかし、その詳細はもちろん、翠には分からない。だから、話を打ち切ろうとして……。
「俺は先代の王を……父を、それに仕えた兄を、弟を、姉を、妹を。すべて殺した」
ギルバートは、視線を翠から外し、どこか遠くを見ながら呟いた。
そうでしょうね、とは口にしない。
後宮を誂える王家で、王の血筋がギルバート1人なのだ。誰に聞いたわけではなかったが、誰かれなく口に上る権力者は、王、宰相、近衛隊長、魔法師長、師父を除けば、もういない。そこから考えれば、翠は自分の想像が正しいことを半ば察していた。
他は死に絶えている、よくて、臣籍降嫁しているのだろう。そして、そうであるならば、それを為したのはギルバート以外にあり得ない。
想像はついていながら、聞いてしまった。
これでは、自分がギルバートに口を開かせたようなものではないか。
……自分が、ギルバートを知ろうとしているようではないか。
ギルバートは翠に、ルーカリアナを好かないのか、と聞いた。翠はそれに答えなかったが、それはギルバートの言葉が正しいが故にお茶を濁したのではない。
真実、返す言葉を持たなかったからである。
否、ルーカリアナだけではない。アシュレイも、ギルバートも、そのギルバートが仲がいいと揶揄したフィオルナルでさえも。
翠は一切の執着も、興味も関心も、湧いてはいなかった。湧いてはいけないのだ。
無言のままに話を切り上げようと、王すら見ないままで、空いたカップを片し始める。
「なんだ、つまらんな」
「あら、どんな反応がお好みでした?」
翠の反応が気に入らなかったのだろう。つまらなさそうに呟いたギルバートを漸く振り返る。少し考え込むようにして、ギルバートは口の端を吊り上げて笑った。
「……ふむ。そうだな……お前は、それでよいのかもしれぬ」