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黒ねこのボスとホームレスおじさん

作者: 和田喬助

    1 


 そのおじさんを初めて見たのは、一か月ほど前のことだった。おれが昼ごろに橋の上を散歩していた時、下から焦げ臭いにおいがしてきたので、火事かと思い、土手から下りてみた。すると、一人のおじさんがたき火をしているのが見えた。おれは毎日この橋を通るが、ここでたき火をしているのを見たのは初めてだった。

 ここで言っておくが、おれは別に、仕事をせずにブラブラしている若者でも、定年退職して第二の人生をのんびり過ごしているおじいさんでもない。そもそも周りから、人間として見られたことは一度もない。

 十人が十人、おれのことを「まっ黒なねこ」だと言うだろう。おれを見て人間だ、という人がいたら、そいつの頭を正気が戻るまでぶったたいてほしい。

 話がそれてしまったが、おれはその後、大きな石に座ってたき火をしているおじさんに近づいてみた。彼は、作業着を着ていて、つば付き帽子をかぶっていた(作業着という言葉は、最近覚えた)。人間の歳はよくわからないが、五十歳から六十歳の間だろうか。

 こげ臭いにおいがきつい。しかしそれに、うまそうな魚のにおいがかすかに混じっている。

 たき火から一メートルほどまで近づくと、その魚はシシャモだと分かった。

 おれは、思わず舌なめずりをした。シシャモは、おれが一番好きな魚だ。特に、腹にギュッとつまった卵をかみしめた時の食感が、もう~たまらない!

 気がつくとおれは、おじさんの足もとまで来ていた。

 おじさんが、さほど驚きもせずにおれを見ている。

「シシャモ、食うかい?」

 そういうとおじさんは、たき火の前に刺さっているシシャモの串を一本取り、それを串から外し、おれの前に置いた。

 おれはすぐさまシシャモにかぶりついた。そのとたん、真夏に鉄板をさわってしまったような感覚が舌をおそい、あわててシシャモを吐き出した。熱い、というより痛さに近い。

 おれは「本家」の猫舌を持っているので、熱いものはぜぇぇっったいに食べられない、というか食べたくもない。

 犬みたいに舌を出して熱を冷ましているとおじさんが、

「あぁ、ごめん。お前はこっちでないと食えないのか」

 と言うと、そばにおいてあるレジ袋から新たなシシャモを出して、おれに放った。今度はちゃんとにおいをかいでたしかめる。クンクン、これはまだ焼かれていないようだ。

 おれは安心して食した。残念ながらまだ舌の感覚がマヒしているので、味はほとんどわからなかった。

「おいしいかい?」

 おじさんがほほ笑みながら尋ねる。

 あんたのせいで舌が取れるところだったぞ、と文句を言ったが、おじさんがおれの言葉を理解できるわけがないので、

「ニャ~」

 としか聞こえなかっただろう。しかも、

「そうか、良かったなぁ」

 などとふざけたことを言うので、おれはさっき吐いたシシャモに怒りをぶつけるようにしてそれを踏みつけると、歯を食いしばって全力で土手をかけ上がり、その場を去った。


   2


「まったく、なんだよあいつは。冗談じゃねぇよ!」

 ここは、この地域のねこがよく集まる神社だ。

 おれは、その日の夕方に集会場へ行き、周りにいる十匹ほどのねこを集め、さい銭箱の上から熱弁をふるっていた。話題はもちろん、あのたき火おじさんについてだ。

「焼きたての魚をそのままくれるやつがあるかよ。せめて水で冷やせ!」

「そうですよ。焼かれたシシャモが食べられないことくらい、気付くべきです」

 黒い体に白い斑点があちこちについているおすねこが、さい銭箱の下に座りなおして同情するようにうなずいた。

 おれは、この辺ではボスと呼ばれている……ってちょっと待て!

「おい、おれをバカにしてるのか?」

「え、いや……え?」

 白斑点が、驚いたように目を見開いている。

 次の瞬間、おれはそいつに襲いかかった。二度と口をきけないようにのどにかみつこうとした時、

「こら、やめんか若造!」

 そう言っておれの前に割り込んできたのは、この地域で一番年寄りであるおすの三毛ねこだった。とても物知りであることで有名だ。

「怒りを他のヤツにぶつけるなんてこと、やってはいかんぞ」

「でもよじいさん、こいつおれのことバカにしやがったんだぜ?」

 おれは白斑点をにらみつけながら言った。

「アホ! ちゃんと食べられるか確認せんのがいかんのじゃ」

 おれののどに、その言葉がつまったようだった。それ以上反論できなかった。

体を使ったケンカならだれにも負けない自信があるが、口げんかでこのじいさんに勝ったことは一度もない。

「ところで、なぜその男は橋の下でたき火なんかしているのでしょうか」

 白斑点が、おれに尋ねる。

「キャンプでもやりたいんじゃねぇの?」

 おれは面白半分でこたえる。

「まじめに考えろ。そいつはホームレスかもしれないんじゃぞ」

 じいさんが厳しい顔をして言った。

「「ホームレス?」」

 おれと白斑点がハモった。

「あのおじさんがホームレスか?」

 おれは首をかしげた。

「そうじゃ。最近人間のあいだで問題になっていると聞くぞ。しかもホームレスはよく橋の下を寝床にしているらしい」

 昼間会ったおじさんの横にも、中に入って寝られそうなものが建っていた。あれはテントというやつだったか?

「あいつがホームレスとかいうのだったら、ちょっと問題だな」

 ホームレスは、おれたちがよく使うえさ場のようなところをよくあさるらしいので、食料が減ってしまう恐れがある。

「わしらのえさ場を、その男が使うかどうか調べたらどうじゃ?」

「もし使っていたらどうするのですか?」

 白斑点がじいさんに聞いた。

「その時はそいつを痛い目にあわせてやる」

 おれは二匹のあいだに割り込んだ。その時、すばらしいアイディアを思いついた。

「よし、おれがあいつについて調べるぜ」

 おれは、いまにも笑いだしそうだった。

「どうせ、昼間の屈辱を晴らすためじゃろう?」

「やっぱりじいさんにはばれるか。まぁ、いい。これはいい機会だから、だれにもじゃまさせねぇ」

 おれはさっきのムカムカが吹き飛び、すがすがしい気分になっていた。

 おれは夢中で神社を飛び出し、階段をかけ下りた。


   3


 神社のふもとに走っている大きな道路を、交差点で右に曲がり、十五分くらいまっすぐ歩くと、昼間見た橋が姿をあらわす。

 この橋は、人間には「みどり橋」と呼ばれているらしい。

 理由はわからないが、橋の柵がみどり色であるのと何か関係があるかもしれない。

 おれは、一旦橋の入り口で立ち止まり、辺りを見まわした。もうすっかり日は落ちていて、明かりをつけた車が次々と、おれのほうへ向かってきては通りすぎていく。

 車が起こした風が顔にあたって、痛いと感じるほどだ。

 おれは顔をそむけ、土手を下りようと歩き始めた。そのとき、

「あ、黒いねこがいる!」

 という人間の女の子の声が、おれが来た道のほうから聞こえた。

 おれが声の主のほうへ向くと、二人の女の子がパタパタと走ってくるところで、そして一人が目の前にしゃがみこんだ。二人ともジャージ姿だ、ということは中学生だろうか。

「ほら、美穂見て! これが昼間話してた黒ねこだよ。かわいいでしょ?」

「うん……でも目が光っていてちょっと怖いわ」

 最初にしゃべった女の子がおれの頭をなではじめた。彼女の手の甘い匂いが、鼻をくすぐり、おれの心を快感で満たした。

 おれは、頭やあごをなでられるのと同じくらい、女の子の匂いが好きだ。この匂いをかいでいると、まるでマタタビから発せられるにおいをかいで酔っぱらったようになる。

 気持ちよくて、思わす体が震える。

 彼女の手がおれのあごへ移動した。さらに気持ち良くなって、最高の気分だ。もしおれが人間のように表情豊かだったら、鼻の下が伸びまくっていることだろう。

 一~二分その状態が続き、やがて彼女がおれから手を離して立ち上がった。もう少しなでてほしかった。

「さぁ、美穂もなでてみて。このねこにさわると良いことがきっとあるよ」

 なぜかこの町には、おれにさわると幸運が訪れる、という話が広まっている。まぁ、そのおかげでよく人間がエサをくれるので、食うには困らないが。

「――大丈夫? かみついたりしない?」

 美穂と呼ばれた少女が、こわばった顔でこちらを見下ろしている。

 どうやらこの美穂という子、けっこうビビっているようだ。

「大丈夫だって。こんなにおとなしいんだよ」

 そう言ってまたしゃがみ、頭をなでた。おれは思わず声が漏れる。

「ほら、こんなに気持ちよさそうにしてるでしょ。今がチャンスだよ」

「う、うん……」

 美穂はしゃがんでゆっくりと手を伸ばし、背中をなではじめた。手が震えていて、汗でぐっしょりだった。

 十秒ぐらいでおれから手を離してしまった。できれば、頭もなでてほしかったなぁ。

「あれ、もういいの?」

 最初になでてくれた子が、美穂に尋ねる。

「うん。これで十分かな」

 美穂は、少しほほ笑んだ。

「そっか。じゃあ、もう遅いし早く帰ろう」

 美穂が返事をし、二人とも立ち上がった。

「バイバイ、ねこさん!」

 手を振りそういうと、橋の上を歩き始めた。美穂も手を振っている。

 おれは一声返事をして、歩いて行く二人を見送った。

 二人が見えなくなると、おれはなぜここにいるのかを考え始めた。

「あぁ! おじさんを見張るんだった!」

 大事な任務をすっかり忘れていた。自分で言い始めたことなのに。

 おれは全速力で走り、おじさんがそこにいますようにと祈りながら、土手をかけ下りた。


 この地域は、毎年十月ごろになると急に寒くなり、夜になると冷蔵庫に入ったように冷える。

 人間の家に行った時、好奇心から一度だけ冷蔵庫の中に入ったことがあるのだが、出て三十分くらい体の震えが止まらなかった。

 だから、もしまだおじさんがたき火をしているのなら、早く温まりたかった。

 期待通り、たき火はまだ燃えていた。そして昼間と同じようにして、おじさんが座っている。

 たき火の近くに座ると、おれはおじさんをまじまじとみた。

 ジャンパーを着ていること以外、昼間と変わらない格好をしている。

 おれの視線に気づいたのか、おじさんがこちらを向いた。

「あれ、昼間の黒ねこか?」

静かな声で言った。

「もしかして、シシャモがほしくて来たのかい? だったらごめんな。今はもうないんだ」

 別にシシャモがほしくて来たんじゃない。おれたちのえさ場を荒らしたそのときに、思いっきりひっかいてやるために見張っているのさ。

「そうだ、代わりにこれをあげるよ」

 そう言っておじさんは、物がたくさん入っているレジ袋をまさぐり始め、そしておれの前に何かを一つかみほど置いた。

 おれはにおいをかいでみた。よい魚のにおいがする。これは煮干しだ。

 はらがへっていたので、あっという間にたいらげた。

 おじさんはほほ笑むと、自分も煮干しを一つかみほどとって食べ、そのまま立ち上がった。

 今からえさ場に行くのかと思って身構えると、彼は隣に立っているテントの中に入り、右手に一つの箱を持って戻ってきた。

 彼はもとの場所に座ると、箱についている出っ張ったものをクルクルと回し始めた。

 やがて、その箱から人間の声が聞こえてきた。『だいいっきゅう、なげました!』とか『うったー!』という、静かなこの場にはまったく合わない言葉だった。

 おじさんはその箱を足元に置くと、レジ袋から何かを取り出して飲んでいる。あれは人間がよく飲んでいるから知っている。確か「びーる」とかいうものだったはずだ。

 おじさんはしばらくそうして過ごしていた。そして左腕にしている時計を、たき火にかざしてのぞきこんだ。

「あ、もう九時か。そろそろ寝るか」

 そうつぶやくと彼は、箱をいじって音を消し、近くに置いてあるバケツを持って、川へと歩いて行った。

 この川は、おれがジャンプで軽く超えられるほど細い川だ。

 おじさんがバケツを持って帰ってきた。そしてそれを傾け、たき火に水をかけた。

 じゅう、という音を立てて、火はあっという間に消えた。

 火が消えたことを確かめると、おじさんはあくびを一つして、バケツを放り出し、箱を持ってテントの中へはいって行った。

 今日はもう出かけるつもりはないらしい。おれは安心すると、テントの横へまわりこんでそこで丸くなった。

 ここなら冷たい風を防げて、おじさんが出かけるのに気づくことができるだろう。


   4


 みどり橋を渡りきった所のすぐ近くに、一軒のラーメン屋が建っている。

 ここの主人は、ねこにとても優しく、休みの日以外は毎日、夜になると裏口に食べ物を置いてくれる。

 今日もいつものメンバーでゆっくり肉にかぶりついていると、突然あのホームレスおじさんがやってきて、おれたちを追いはらい、レジ袋に次々と食べ物を入れ始めた。

 おれたちは全員で威嚇しているが、立ち去る気配はない。

 おれはみんなを見まわしながら、

「よし、こいつを捕まえるぞ。みんな、かかれ!」

 と叫んだ。

 そのとたん、みんなは体当たりをして、手や顔をひっかき始めた。おれも気が済むまで、おもいっきり腕にかみつき、あちこちひっかいた。

 おじさんは女みたいな声を出し、持っていたレジ袋を投げ捨てて、一目散とにげて行った。

 おじさんが見えなくなると、おれたちは騒ぎ、お互いをたたえあった。

「ざまぁみろ!」「おれたちをなめるなよ!」などという声があちこちから聞こえてくる。

 もう二度と、おじさんはここへ来ることはないだろう。

 そう安心していると、突然目の前がぼやけてきた。目をこすってみるが、視界は良くならず、そのまま何も見えなくなってしまった。


 おれは目を開けた。まぶしすぎる光に一回目を閉じ、おそるおそる目を開けてみる。

 ここは、テントの横だった。きのうは神社に帰らず、おじさんのところで夜を明かしたのだった。どうやら、さっきの出来事は夢だったらしい。

 がっかりしながら、おれは周りを見てみた。おれとテントの間に、後ろに小さいリアカーをつけた自転車が止まっている。

 おれはおじさんの在宅を確認するためテントの入口へまわり、中をのぞいた。中に人はいなかった。

 あわてて辺りを探した。すると、おじさんが川岸にしゃがみこんでいるのを見つけた。どうやら顔を洗っているようだ。

 安心すると、おれはきのうたき火をしていたあたりに座った。

 おじさんが川から戻ってきた。そしてテントに入ると、すぐに出てきた。右手にレジ袋を持っている。

 彼はきのう座っていた石に座ると、レジ袋から袋を取り出し、大きな音を立てて開けた。そして中身を少し出して食べ始めた。あれはパンだ。しかもあの形からして、クリームパンに間違いない。

 彼はパンをあっという間に食べてしまうと、レジ袋をのぞきこんだ。

「あぁ、もうあんまり入ってないな。そろそろ買ってこないと」

 そうつぶやくと、おじさんはペットボトルを出し、中身を一口飲んだ。透明なので、水だろう。

 しばらくすると、おじさんは例の箱を持ってきてひざの上に置いた。テレビのニュース番組のような音声が聞こえてきた。


 日が真上から照ってきたころ、おじさんは箱をテントの中へ戻すと、テントの横から自転車をひいてやってきた。

 どうやら出かけるらしい。おれはおじさんについて行くため、リアカーの上に飛び乗った。

「あれ、おまえも行くのか? ずいぶん人懐っこいねこだな」

 おじさんがこちらを不思議そうに見ている。

「それじゃ、動かすからしっかりつかまれよ」

 そう言うと、おじさんは自転車にまたがり、ペダルをこぎ始めた。

 この自転車は後ろにリアカーが付いていて重たいはずなのだが、あっという間に速くなった。

 おじさんは近くの坂を立ちこぎせずに登りきると、土手をものすごいスピードで走り、みどり橋もすぐに渡りきった。

 まっすぐ伸びる道をひたすら進んでいると、向かい側に大きな建物が見えてきた。

 おじさんは交差点の信号を渡り、そしてその建物の入口の近くに自転車を止めた。

 彼は少し息をついただけで、それほど疲れてはいないようだった。

 彼は後ろを向き、

「おまえ、大丈夫か?」

 とおれに声をかけてきた。

 おれは、ぜえぜえと息をはいていた。リアカーが揺れるたびに、持ち前の運動神経でへばりついているのに必死だったからだ。

「店の中には連れて行けないから、ここで待っているんだぞ」

 おじさんはそう言い残すと、建物の中に入って行った。

 言われなくても、ついて行くつもりはなかった。休息が必要だからだ。

 休んでいる間、何人かがリアカーに乗っているおれを珍しそうに眺めていた。

 五分くらいして、おれはリアカーから飛びおりた。この建物がなんなのか知りたかったからだ。

 おれはこの建物を反時計周りで歩くことにした。

角を曲がると、ものすごい数の車が止まっているのが見えた。こちら側には、おじさんが入った所よりも大きい出入り口があり、たくさんの人が出たり入ったりしている。出てきた人は皆大きなレジ袋を持っていた。

 どうやらここは、買い物をすることができる場所のようだ。

 さらに角を曲がると、とてもさびしい場所にでた。トラックが大きなドアの前に止められていて、男が一人、段ボールを抱えて中へ消え、手ぶらで戻ってくるという動作をくり返している。

 おれはさらに歩き、やがて元の場所にたどりついた。リアカーの上の飛び乗り、少し休んでいると、おじさんが戻ってきた。両手に大きなレジ袋を持っているが、そんなに重そうにはしていない。

「お、ずっとここにいたのか? もうどこかへ行ってしまったかと思っていたのに」

 そんなことないさ、ちょっとした探検を楽しんでいたんだよ、という意味で一声鳴いたが、

「そうか、そうか。えらいな、おまえ」

 と、またわけのわからない事を言った。言葉が通じないと、本当にやっかいだ。

 おじさんは再び自転車に乗って、荷物を前にあるかごに入れると、ペダルをこぎ、もと来た道を通り、橋の下へ帰った。


 その日の夕食も、おじさんにごちそうになった。出てきたのはなんと、おれの大好きなシシャモだった。

「きのう、おまえがうまそうに食ってたから、今日もやるよ」

 そのとたん、おれにきのうの出来事が頭をよぎった。今日は焼かれたほうを食べないように気をつけなくてはならない。

 おれの気持ちが通じたのか、彼はまだ焼いていないほうをおれの前に置いた。

 おれは夢中で食べ、結局三匹たいらげてしまった。

 おじさんはシシャモをガツガツ食ったおれを、笑顔を浮かべて見ていたが、少しすると真顔になり、おれから視線をそらした。

 そしておじさんは、何か考え事をしているのか、しばらくの間たき火を見つめていた。


   5


 おじさんと出会ってから一週間たった日の夕方、おれはひさしぶりに集会に出席した。

 皆、勝手にえさ場の存亡の危機が迫っている、と考えていたらしく、おれは今のところはそのような心配はないことを説明した。

「では、もうそのおじさんを見張る必要はないわけですね?」

 と白斑点がうれしそうに言う。

 おれがうつむいて考えていると、ねこじいさんが前のほうへ出てきて、

「いや、安心するのはまだ早いぞ。そのうちお金が無くなって買い物ができなくなると、わしらのえさ場に手を出すかもしれんからのう」

 確かにその通りだ。これからいつおれたちのレストランへやってくるかもわからない。

「でも、ボスだけでそのおじさんを見張るのは申し訳ないです。おれたちにも手伝わせてください」

 前のほうにいるねこがそう言うと、おれたちもやります、お願いします、という声があちこちから聞こえてきた。そいつらは、いつも同じえさ場へ来ているねこだ。

「そ、そうだな。明日から交代で見張ろう。そのほうがおれも楽だしな」

「えさ場の近くにも何匹かいたほうがよいじゃろう。その男以外にもやってくる人間がいるかもしれん」

「よし、えさ場にも見張りを置くことにしよう。みんな、絶対えさ場を死守しようぜ!」

 おれは皆を見まわしながら叫んだ。あちこちから、オー!という声が上がる。

 さい銭箱を飛びおりると、いつも寝床にしている神社の床下へはいり、座りこんだ。

 おれは、おじさんに食べ物をもらってとても助かっている。だが、その優しさには何か裏がありそうな気がする。

 おれは前足に顔をうずめ、しばらくそのことを考えていた。


 翌日、おれは数匹を引きつれて、おじさんの所へ行った。

 いきなりねこが増えて、おじさんは少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になった。

 彼はテントのほうへ歩いて行くと、その隣においてある大きな鍋を持って戻ってきた。そしておれたちの前に、肉のかけらをばらまいた。

 おれたちは一斉ににおいをかいだ。

「ボス、これは何の肉なんですか?」

 おれのすぐ左で鼻を動かしていたやつが尋ねた。

「これは、たぶんブタだろうな」

 おれは自信たっぷりでこたえた。ラーメン屋の主人がいつもくれる肉と同じにおいだからまちがいない。

 おれたちは争うように肉をたいらげている。

 食べられるときに多く食べておくのが、外の世界で生きる術だ。

 おじさんがおれの前にしゃがみこんだ。

「やっぱりねこは、肉が好きなんだなぁ。近くのラーメン屋から肉をもらってきて正解だったかもしれん」

 おじさんは笑っていた。彼はかなりのねこ好きなのかもしれない。

 肉がすべて腹におさまると、急にねむくなってきた。そもそもこんなに日が高いうちは、だいたいを寝て過ごしている。

 おれは、いつもおじさんが座っている大きな石の上に飛び乗ると、感触をたしかめた。

 あたたかくて、とても寝やすそうだ。

 辺りを見わたすと、ほとんどのねこがひるねのポーズをとっている。

 おれもその場に座りこんだが、完全には寝ないようにしていた。


 夕方になり、おれたちは集会にでるために、おじさんのもとを離れた。おれの一週間の調査で、彼は夕方以降出かけないとわかっていたので、全員いなくなっても平気だろう。

 集会で、おれはおじさんに変わったことはなかったことを話した。えさ場でも、カラスとケンカになっただけで、人間は誰も来なかったことが、報告された。


   6


 交代でおじさんの所へ行くと、いつも彼はおれたちのことを歓迎してくれた。

 彼は毎回必ずおいしい食い物をくれた。そして、よく木の枝をおれたちの前で振って見せて、ねこの本能を刺激しようとする。

 おれはそれがエモノでないと分かっているのに、ついつい枝先を追いかけてしまう。

 他のやつらも、木の枝に振り回されている。

 おじさんはそんなおれたちを見て、楽しそうに笑っていた。まるで小さい子供のように。


 おじさんと出会って三週間くらいたったある日、おれは仲間といつものように、彼のもとへ出かけた。

 土手の上に立った時、橋の下のほうから、聞きなれない人間の声が聞こえてきた。

 おれは後ろを歩くやつらに、ゆっくり土手を下りるように指示した。

 おれたちは、テントから二、三メートルの辺りまで近づき、生い茂った草むらの中にしゃがみこんだ。

 おじさんの前に、数人の男女が立っていて、皆、畑でよく見る格好をしている。

「私のじゃがいも、どうしてくれるのよ!」

 突然、右端の中年の女が叫んだ。

「倉庫から盗んだだけじゃなく、食べちゃうなんて! どれだけ苦労して育てたものなのか、あんた分かってるの?」

 おじさんは黙ってうつむいている。いつもの大きな背中が小さく見えた。

 女の隣にいる中年男がおじさんに近づき、右手をおじさんの胸のあたりへ持ってきて、ぐいっ、と持ち上げた。胸ぐらをつかんでいるようだ。

「おれたちは、商売でやってんだ。泥棒にタダであげるものなんか、育てちゃいないんだよ」

 おれの隣にいるやつが小声で話しかけてきた。

「ボス、おじさんが何かやらかしたんですか」

「あぁ、どうやら野菜を盗んで食っちまったみたいだぜ」

 ねこじいさんは、金が無くなったらおれたちのえさ場をあさるだろう、と言っていた。場所は違ったが、食べ物を買うお金がないことは当たっているだろう。

 おじさんは、なぜこんなところに住んでいるのかを、問いただされていた。

 彼は、言葉を詰まらせながら語った。

 おじさんは、若いうちに奥さんを亡くし、娘と二人で暮らしていたらしい。しかし去年、娘さんが車にひかれて死んでしまったという。それで仕事が手につかなくなり、とうとう「りすとら」され、それまでためていた借金を返したら家もなくなってしまい、とうとうここで野宿することを決めたようだ(りすとらという言葉の意味は、後でねこじいさんに聞いて知った)。

 それを聞いた男女はちょっとの間黙っていた。そして泥棒したことは見逃すと言ったが、一週間以内にここを出ていくことを要求した。 

 おじさんは、はい、と静かに言うと、テントの中へ入って行ってしまった。

 男女は、少し話をした後、土手を上がって帰って行った。

 おれは、立ちあがって一~二分テントを見つめていたが、そろそろ帰りましょう、という声が聞こえると、ゆっくりとした足取りで、神社へ帰る道に向かって歩き始めた。


   7


 退去通告がでた三日後の朝、おれは一匹でおじさんのもとを訪ねた。

 すでにテントは片づけられていて、荷物が一か所に固められている。

 おれの姿を見ると、おじさんは少しほほ笑み、いつものように煮干しを一つかみ地面に置いた。

 おれは、煮干しを食べながら、ちらちらと彼を見た。今まで見たことがない悲しそうな顔をしている。

 おじさんが手を伸ばしてきた。そしておれの頭をなでながら言った。

「おれは明日、ここを出ていかなくてはならなくなった。だから、もう二度と会えないかもしれん。でも、おまえと過ごすことができて、とても楽しかったよ。あぁ、ねこにこんなこと言ってもわからないか」

 おれが一声鳴くと、

「おぉ、もしかしておれのことをなぐさめてくれているのか。うれしいなぁ」

 そう言うと、おじさんの目から涙が出てきた。あわてたようにこすっているが、涙が止まる様子はない。おれがおじさんをのぞきこむと、震えた声で、

「あぁ、おまえを見ていたら、ねこが好きだった娘を思い出して――」

 それ以上はよく聞き取れなかった。

 おれはさよならを言うと、その場を立ち去った。

 途中振りかえると、おじさんが何回も腕で目をこすっているのが見えた。


 翌日、きのうと同じ時間に出かけた。おじさんは既にいなくなっていて、荷物がすべて消えていた。残っているものは、たき火の跡だけだ。おれは、ここでおじさんと出会ったのだ。

 おれはすぐに引き返して、いつものえさ場へと歩き始めた。

 仲間との別れなどというのは、ねこであれば何度も経験するものだ。だから、今は悲しい気持ちはない。

 ただ、おじさんが新たな居場所を見つけることができるか、ということは少し気がかりだ。

 しかし、今おれはえさの心配をしなくてはならない。もう、ほとんど他のやつらに食べられてしまっているかもしれない。

 おれは急いでえさ場へ向かった。

 おじさんと初めて出会ってから一カ月がたっていた。

 

 

 

 

 

 


 初めまして! このお話は、ぼくが人生で初めて書いた作品です。大げさに言っているわけではありません。本当です。

 このサイトに投稿なさっている先輩方と比べると、ぼくは文章力や描写力がまだまだ足りないな、と感じています。

 これからも、たくさんの人に読んでもらえるように努力していきます。応援よろしくお願いします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] とても面白かったです。 猫と聞いて可愛らしいお話かなと考えていたのですがおじさんの方の設定がリアルで少し切なさを感じました。 おじさんがこの後どうなったのかが気になりました。
[良い点] 難解なところがなく、物語に入りやすかったです。あと猫の知能以外、そこそこリアリティがあって良かったと思います。とにかくかなりいい感じの話だと思いました。
2012/01/21 02:16 退会済み
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