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ミュージック・スミス  作者: あーる
二対のノクターン
6/6

「“苦しさ”は紛れないものだ」

――過程を追うと、俺は今日居眠りに忙しくて、モップで必殺な一撃を食らって、迷子になって、化け物に襲われた。


理由を探すと、俺は数学が大の苦手だし、真剣白羽取りができるほど運動神経は良くないし、それなりに地理感はあるつもりなんだけど、化け物の倒し方は知らない。


結論から言うと、俺は今東雲に殺されかけている。

でも俺は死んでない、スイーツ(笑)。



余談を交えると、俺が「スイーツ(笑)」という言葉を好んで使い始めたのは、“ケータイ小説”が妙に話題になってた頃の事だ。


お菓子のことを「スイーツ」と呼び換えるだけで、何故だかありがたがってオシャレを気取ってみせる年上のお姉さま方。

彼女らのような層にバカウケしたケータイ小説があった。

でも売り上げとは反比例して内容は随分と酷いものだったという、もっぱらの噂だ。


何でこんな曖昧な物言いかって、俺は件のケータイ小説を自体読んだことがないからだ。



ともあれ、そこまでの駄作を容易に持ち上げる彼女らの気質や感性をおちょくって、彼女らの好物を彼女ら自身の蔑称とした言葉、それが「スイーツ(笑)」って話。

昔の映画にもあったような「イェンタウン」と同じ原理か。


誰がいつ作ったのかわからないけど、ともかくその言葉の成り立ちが凄く好きで、俺はよく使うようになったのさ。

別にマイナスな意味じゃなく、言葉の背景と、語呂がまたよかったからってだけの話だ。



――さて、俺は目の前の東雲に殺されようとしているんだが、困ったことにこいつの“直刀”はまだ振り抜かれない。

腰を抜かしてる俺の左上方から放たれているのに、まだ刃は俺の首筋直前で止まっている。

また、俺もここから微動だにできない。

目線も変えられないし、まばたきもできないし、多分だけど、呼吸もできていない。


何が言いたいかって?


言いたいことは三つあるね。

まず一つ、俺は四歳の頃に車にはねられて、今と同じような状況を味わったことがあるってこと。

もう一つは、あれが走馬灯だったんだって今理解したってこと。

とりあえずはこの二つだ。


要するに俺は今、間違いなく死の淵にいる。

本能が死を悟ってる。

走馬灯ってのはどうやらそんな時に流れるらしい。


さっきの宇宙人みたいな姿の化け物に襲われた時、あまりの事に頭が真っ白だった。

夢でも見てるんじゃないかと思う部分もあった。

だが今回のこれは、あの化け物を切り捨てた東雲の“直刀”を見ている分、圧倒的に状況の運びが分かりやすい。


斬られりゃ死ぬ。

うん、分かりやすい。


走馬灯が真っ白な頭を整理する時間を与えてくれた、そのお陰で今は至って冷静だ。

と言っても時間は俺の頭の中だけで高速化してるようなもんだから、時間が“与えられる”ってのはどうかと思うがね、国語の成績が「2」の俺としてはさ。

大概の科目が常に「5」の東雲としては、そこん所、文章表現的に正しいのかどうか、ちょっと訊いてみたいもんだ。


でもそれも叶わない訳で、俺は素直にここで昔の記憶をフラッシュバックさせるべきなのかどうか、それとも体が動くまで本気出してみるか、どうにも分からないって話。

これが三つめの言いたいことだ。



四つ目の言いたいこと、そういうのもあるかな? なんて思い始めた頃、止まりきった世界がぶるぶると震え出した。

唐突なことに驚きはあるし、こんな異常な状況だったらうろたえるべきだってのはあったが、それよか思ったのは「やっと解放されるのかよ」っていう見も蓋もロマンもないこと。


またまた国語的にちょいと難しい話になるが、走馬灯が始まってから体感で六時間は経っているんだから。



「――シロ」



突然のそれは“声”だった。



「シニタクナイ」



あの化け物と同じ、風穴を吹き抜ける突風のような声が、聴こえたんだ。

俺の、耳元で。


全てが動き出す。

閃く“直刀”。

直後に俺の視界は白く白く染められ上げ、それが強い光によるものだと認識できた瞬間、甲高い音が俺の鼓膜をぶっ叩いた。


俺の体が二転、三転、肩や膝をしこたま地面にぶつけながら吹き飛ばされた。


首筋を通り抜け、俺の脳みそが詰まった頭部と内蔵が詰まった胴体を切り分け、きっとそのままラッピングでもされれば「見事な切り口」だとか絶賛されるはずだった、一振りの太刀筋。

それだけの速度と切れ味のよさを持っていながらも、東雲の腕は未来賞賛されることなく一太刀を終える。


十メートルばかり距離が離れたか。

夜のしみったれた闇の向こうで、東雲が息を呑む音がした。


俺の方は動悸が激しい、目眩もひどい。

さっきまでの“走馬灯”の反動なのか。

それに体が重くてしかたない、まるで自分の物じゃないような、もしかすると本当はもう俺の首は切断されちまってて、あの、やたら剣を振り回す漫画とかド派手な剣戟映画のワンシーンみたいに、切れ味が良すぎて斬られた事に気が付かない状態なんじゃないのか?

時間差で神経やら何やらが息を引き取っていってるんじゃないか? と、思わず不安になり首筋を指でなぞってみる。


ああ、どうやら無事らしい。

念のため頭を手で揺らしてみたが、ずるり……と頭が転がり落ちるようなどんでん返しもなく、ありがたくも頭と体は繋がっていらっしゃる。

一命は取り留められたらしい。

気がかりなのは、依然として自分の体なのに違和感があるってこと。

まるで自分の手じゃないみたいだ。


しかし何故助かった?

この言いようのない違和感と気だるさは何だ?



「早すぎる、こんなに早くに潜伏期間が終わるなんてありえない……」



東雲がのたまう。

何を言っているのか聞き取り辛い、潜伏、何だって?

聞き返したかったが上手く発声ができず、俺の喉は変わりに「ああうう」と声を漏らすばかりだ。



「いや、だからこそそうか、“成り損ない”は浅い潜伏期間でこそ生まれる……?」



目眩が激しくなる。内臓が大釜でグツグツ煮られてる気がしてきた、体が焼けるように熱い。

痛い。関節の全てが砕けそうに痛い。



「フォkめfぐヴぃzなfpぐじぇgじゃ」



東雲の言葉が理解できない、何をいっているんだこいつは、わからない、わからないがききかえせない。

くるしい、たすけてくれ、いたい、あつい、からだがおれのものじゃなくなる。いしきがはなれていく。

たすけてくれ。

たすけてくれ……。




***




輪郭がちょうど黒夜にぼかされていて、象徴的にこれから起こる事を表している気がした。


私の目の前で儚辺君の体が振るえ、跳ねるようにビクンと胸を動かす。

内臓が“菌”に組みかえられているのだ。

ということはもう神経回路は侵された後、彼を救う手立ては、もう、無い。


肉体の組成が再構築される前に、せめて一思いに葬ってあげなければ。



「痛みは無いと言ったけれど、ごめんね儚辺君、もう難しいかも知れない」



もう届かないことを分かっているのに、私は誕生しつつある“成り損ない”に言葉をかけた。

許しを乞いたいのかも知れない。

また一人、人間であった人を殺めてしまうことを、それも知人であった儚辺君を、この“手”で。



「できるだけ君が苦しまないように、二度と再生もしないように、できるだけ綺麗にバラバラにするから」



私は何を言っているんだろう、時々分からなくなる。

特に“変化”させている時はおかしいんだ、こんな、何で残酷なことを言えるんだろう。

おかしいな。



「だから許して」



おかしいよ。

頬が熱いのがまた、分からない、おかしいよ……。



「グオオオオオオオオオオン!!」



ふと我に返る。

せっかくの機を逃してしまう前に、新たに生まれた“成り損ない”が私を現実に引き戻してくれた。

現実、そうだ、これが現実なのだ。

儚辺君はこの世界から消え化け物として、ただの破壊本能の塊として成り果てた。

迷う暇なんてなくて、私はこいつに手を下さなければいけない。


人間に害を成す前に、未来を捻じ曲げんとする行為を阻止しなければならない。

私は何も間違っていないんだ、これが現実なんだから。



「オオオオオオオオオオ!」



生まれ変わりの痛みが“成り損ない”に残る人間の感覚を通じ、全身を駆け巡っているようだった。

本来“成り損ない”は、何故だか分からないが苦痛を感じないらしいから。


体表の各所がぼこぼこと盛り上がり、骨格から筋肉、表皮までをも、その“材質”も含めて組み変えていく。

“菌”はたった一代での進化を“感染者”に強制し、適応できないものはこうして“成り損ない”へと化すのだ。


肉体の変態が一段落つく前に、私は右手に宿る“直刀”に力を込め、また解き放つ。

一瞬、だった。

完全に変貌する前の生き物というのは、こういうものだ。

“成り損ない”特有の金属質な肌も持ち合わせず、まして体内は自らの進化に手がいっぱいとなり、目前の敵に備えることもできない。

手術中の患体の息の根を止めるほど容易い。



「グゴ…ガ……?」



胴から赤と銀の混じった液体を噴出しながら、かつて人間であった怪物が膝を突いた。

ぬめりが“直刀”伝いに感じられる。

まだ人間の部分をいくらか残したままだったらしく、柔らかく脆い筋繊維が“直刀”にまとわりついていた。

……あまり気持ちのいい感触ではない。


でも気に留めるまでもない。

私は介錯するように“成り損ない”の首を落とした。

我ながら慣れたものだと、小さな満足感と自己嫌悪を刃に込めて“成り損ない”を解体していく。


腕、胴、脚と、民報の料理番組さながら肉をコマ切れに変えていく私は、宣言通り痛みを感じさせる間もなく“彼”をバラバラにした。

思うことは、これで許されるのかな? という、どうしようもない疑問だった。


私の足元に血溜まりと賽の目に切られた肉片ができあがる。



「……ごめんね、儚辺君」



人間の天敵を放っておくわけにはいかない、未来をめちゃくちゃにするわけにはいかない、これが最善なんだと分かっているのに、分かっているのに、頬を伝う涙が熱くて。

ただ熱くて。

“成り損ない”と同じ異形の両腕に守られる私の中で、この涙以外に正常な部分が残っているのか分からない、でも今はただこうして泣くことしかできなくて。



「生まれ変わったら、今度はまた同じクラスになれるかな」



腕の“変化”を解き、ふと、血溜まりに両手を触れた。

まだ温かさを残したままのそれは、奇しくも頬に流れる一筋と全く同じ温度だった。


顎まで垂れた涙が私から離れ、ぽつりと血溜まりに落ちる。

その時、光が私の視界を侵食した。



「これは、“変化”……!?」



直後に鋭い痛みが両手を突き刺した。

反射的に血溜まりから手を離すと、軌跡に合わせて芋蔓のように引き上げられる“それら”、線虫に似た数本の肉の糸がついて来る。

“成り損ない”が両腕を伝い宿主の鞍替えを試みているのだ、私自身を乗っ取ろうと。



「させるわけないでしょう!」



私は嫌悪をみなぎらせ両腕に光を灯す、そして“変化”。

私の持つ“菌”の活動に巻き込み、逆にこの“成り損ない”の残滓を支配しなければ。

しかし私が予想した結末は見事に裏切られることになる。

“変化”に共鳴しながら“成り損ない”は光を強く放ち始めて、私の神経に強く接触してくる。


声を上げる暇もなかった。

“成り損ない”の肉片は私の“変化”に乗じ、あっと言う間に私の両腕を侵食していく、まるでありえない感染力で。


菌糸の集合体である肉の線虫がおぞおぞと私の腕を這いずり上がって、私の痛覚を絶え間なく刺激しながら心臓を目がけていく。

腕ごと切り捨てたくても、その為に必要な“直刀”に私の意思は届かない。



もう抗う手段は残されていなかった。

じきに侵食されるであろう声帯が、本能のままに絶望を叫んだ。



「いや……いやぁぁぁぁ!」




***




僕が“ベータ”という存在と出会ったのは、中学三年生の春だったか。


当時の僕は、双子の弟・リツを事故死させてしまった悔恨の念にとらわれて、日々を苦しく辛いものだとしてすごしていたのを覚えている。


今はもう後悔も苦悩もないのか? と尋ねられたならば、それはNOだ。

僕の中には今もリツの笑顔が残っているし、それを永遠に失わせた僕の罪は償えるものじゃあない、そこのところだけは絶対に譲れないだろう。


ただいつかの時よりも、日々に対する心構えが変わったという点もまた確かなことだ。

皮肉なことにそのきっかけは、永劫敵対することになるであろう“ベータ”―かつての呼び名であればそう、“成り損ない”だったのだ。




――黒鉄色の腕、大振りの刃物の形のそれが閃き、同色である夜の空間に一閃を点す。

両腕を開いた僕に抗う術もなく、逆説的に、抗う必要性も感じなかった。


何故なら僕は、この手でリツを……。



さあ楽にしてくれ。

君は、僕を裁きに帰って来た異形のリツなんだろう?

心の中で呟いた問いかけが、目の前に居る化け物とあまりにかけ離れた内容だったと思い、僕は苦笑してしまった。


次の瞬間、鼻から出た小さな笑いが両断され、同時に焼け付く痛みが僕の胸に刻み込まれた。

単純に化け物の腕が僕の胸を貫いている。

分かりやすい。



「あ、ぐ……」



刃がズルリと引き抜かれた途端、あまりの痛みに声が漏れてしまう。

同時に鉄砲水に近い勢いで噴出した血液が僕の顔面に降り注ぎ、その真紅と比例してありとあらゆる感情が僕の中からあふれ出していった。


でも大半を占めていたのは、安らぎというやつだった。

やっと楽になれるんだという確信が、止めどない血液に混じり、神々しささえ感じるほどの圧倒的な存在感をもって空に弾けていくのだ。


もう父さんからの厳しい目も気にせず済むし、母さんにいたたまれないような顔をさせずに済むし、父さんにリツとの相対的な評価をされずに済むし、いたたまれない顔をあっけなく隠してしまう母さんを見ずにも済むし、リツの太陽みたいな笑顔を思い出さずにも済む。

もうリツに対する僕の自己中心的な兄弟愛ともおさらばできる。

勝手に殺して、勝手に後悔して、そんな下らない僕自身とお別れできる。


やっと楽になれるんだ、これを喜ばずして何を喜べというんだ。



「ふふ、ふふふ……」



笑いがこみ上げたのは僕がおかしくなったからじゃない、僕がどこまでも正常だからだ。

ああでも、この目の前の怪物を「愛しい」だなんて感じ始めてる点は、少しおかしいのかも知れないな、ごく世間一般的に言えば。


僕は開いた両腕をそのままに、流れ行く血と共に化け物へ歩み寄っていく。

化け物は身をこわばらせ、しかし至って冷静に見える様子で再び僕の体を貫き刺した。


最初よりもずっと痛くない、むしろこの痛みがいとおしくてたまらない、この、僕を解放してくれる刃の感触が。

そう、リツが死んでからというものの、僕ときたらずっと生きているのか死んでいるのか分からないままここまで来ていた。


いつぞやは、母さんが塩と砂糖を間違えたシュークリームを違和感なく平らげたし、また学校の屋上へ続く長い階段から転げ落ちたけど何も感じなかったし、林間学校でよその学校の生徒が首吊り自殺していた時も、阿鼻叫喚の中僕一人だけが浮いていたのを覚えている。

最後のものに付け加えるなら、ただ「羨ましい」と感じたぐらいだろうか。

僕はリツを殺した罪にこそ、生きなければならなかったから。


それがどうだろう、僕は今、抗うことの叶わない化け物に命の危機というやつをもたらされた。

不可抗力、そう、どうあがいても僕はここで死ぬだろう。

僕に非はない、死が許されたのだ。



「ふふふ……」



笑う度に気道に入った血液でむせかえり、ごぷっ、という液体と気体の混じる音が何度も僕の胸を叩いた。


この黒鉄色の化け物は唯一僕に何かを感じさせた。

それが嬉しくて、愛しくて、たまらないんだ僕は。


にじり寄る僕の足取りに合わせて後ずさる化け物、その濁った白目には大層なものなど映ってはおらず、きっとただ獲物の不可解な行動に首をかしげるような心持なのだろうか、ただ僕から目を離そうとしない……それだけに留まっている。


そうだ、そうして僕を見つめてくれ。

僕に痛みを与えてくれ。

何かを感じるのも煩わしくなった僕に、唯一お前だけが干渉してくれる、僕の止まった頭の中をノックしてくれる、それが嬉しいんだ、僕の望みなんだから。


こめかみの当たりに銃撃さながらの痛みが走り、打ち抜かれた平衡感覚は僕の膝を突き崩した。


しなだれかかる形で僕は化け物に抱きついた。

ありがとう。

言いたかった言葉は血のあぶくに消え、化け物は僕の胸から勢い良く刃を引き抜く、腕に力が入らず、重力に肩を捕まれ僕は倒れこんだ。


視界が霞んでいく。

耳鳴りがした。

あの世への甘美な誘い。


リツにもこの素晴らしき瞬間を味わうことができただろうか?



「シンカシロ」



耳鳴りに混じって誰かが呟いた――

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