タイトル未定2026/09/16 00:49
その日、王宮に奇跡が起きた。
召喚された少女が、光に包まれて現れたのだ。
「あなたが……聖女様?」
王太子レオンハルトが、少女の前に跪く。
少女は戸惑いながら頷いた。
「私……聖女なんですか?」
「そうだ」
王宮中が歓喜に包まれた。
異世界から召喚された少女。
名前は、ユナ。
彼女の手のひらには、聖女の証であると言われる白い紋章が浮かんでいた。
私は少し離れたところから、それを眺めていた。
「……綺麗」
思わず呟く。
「お嬢様?」
侍女のミラが振り返った。
「なんでもないわ」
私は笑った。
けれど。
胸の奥が、ひどくざわついていた。
ユナが現れた瞬間から。
なぜか私の手首が熱を持っていた。
*
私はアリアナ・フォン・ローゼンベルク。
公爵令嬢。
そして王太子レオンハルトの婚約者。
幼い頃から王妃になるための教育を受けてきた。
レオンハルトとは十年以上一緒にいた。
だから。
彼が私よりユナを見るようになったことにも、すぐ気づいた。
「ユナはすごいんだ」
夕食の席で、彼は何度も彼女の話をした。
「彼女が触れた花が咲いた」
「そうですか」
「しかも神殿の司祭たちも、彼女を聖女だと認めている」
「よかったですね」
「……君は嬉しくないのか?」
私はナイフを置いた。
「嬉しいですよ」
「なら、なぜそんな顔をする?」
「どんな顔ですか?」
「……冷たい顔だ」
私は笑った。
「殿下」
「なんだ?」
「私に、どういう顔をしてほしいのですか?」
彼は答えなかった。
*
それから、レオンハルトはユナと過ごす時間が増えた。
神殿。
王宮。
庭園。
祝賀会。
どこへ行っても二人は一緒。
そして私は、いつの間にか「邪魔な婚約者」になっていた。
「アリアナ様」
ある日、ユナが私の前で頭を下げた。
「私、あなたからレオンハルト様を奪うつもりなんてありません」
「そう」
「でも……好きになってしまいました」
「そう」
「ごめんなさい」
私は彼女を見つめた。
悪意はない。
本当に、そう思っているのだろう。
「謝らなくていいわ」
「アリアナ様……」
「人を好きになることは罪ではないもの」
私は笑った。
その夜。
私は自分の手首を見た。
薄い銀色の紋様。
幼い頃からそこにある、小さな痣。
私は昔から、この痣を隠していた。
母から言われていたから。
『決して人に見せてはいけません』
理由は教えてくれなかった。
*
そして。
レオンハルトが私に言った。
「婚約を破棄したい」
予想していた。
だから、泣かなかった。
「ユナを愛している」
「……そうですか」
「彼女は聖女だ」
「ええ」
「国のためにも、彼女を王太子妃にしたい」
私は笑った。
「どうぞ」
「……え?」
「婚約破棄を受け入れます」
レオンハルトは驚いた顔をした。
「怒らないのか?」
「怒る理由がありませんもの」
「アリアナ……」
「ただ、一つだけ」
「なんだ?」
「私を捨てたことを、いつか後悔しないでくださいね」
彼は苦笑した。
「そんなことはない」
「そう」
私は婚約指輪を外した。
「では、さようなら」
*
王都を離れた私は、母の故郷である小さな領地へ向かった。
そこで出会ったのが、隣国の騎士団長の息子――カイルだった。
「君がアリアナ?」
「そうだけど」
「聞いていたより普通だな」
「失礼ね」
「悪役令嬢だと聞いていた」
「誰がそんなことを?」
「王都では有名らしい」
私は笑った。
「なら、あなたも私を嫌う?」
「いや」
「どうして?」
「会ったこともない人間の噂を信じるほど、馬鹿じゃない」
その言葉が、なぜか嬉しかった。
*
カイルと過ごす時間が増えた。
彼は私の過去を聞かなかった。
王太子に捨てられた理由も。
聖女に負けたことも。
私が泣いた夜も。
ただ隣にいた。
「アリアナ」
「なに?」
「君はもっと、自分のために笑えばいい」
「……難しいことを言うのね」
「じゃあ練習しろ」
「何それ」
私は笑った。
心から。
初めてだった。
*
その頃、王都では異変が起きていた。
「聖女様の力が弱まっています!」
神殿が騒然となった。
ユナの治癒能力が、突然失われたのだ。
病人を治せない。
枯れた花を蘇らせられない。
そして。
魔物の侵攻が始まった。
「聖女様なら、魔王を封印できるはずでは?」
「なぜ力が使えない!」
ユナは泣き崩れた。
「私、本当に聖女なんですよね……?」
誰も答えられなかった。
その夜。
王宮の古文書庫で、神官が一冊の古い書物を見つけた。
そこには、こう書かれていた。
――異界より来た者は、聖女を導く者。
――真の聖女は、この国の血を受け継ぐ者。
神官は顔色を変えた。
「……まさか」
さらにページをめくる。
そこには、真の聖女の特徴が記されていた。
――銀の髪。
――紫の瞳。
――左手首に、月の形をした紋章。
「……アリアナ・フォン・ローゼンベルク」
その名前が王宮中に響いた。
*
「嘘だ……」
レオンハルトは古文書を握りしめていた。
「アリアナが……聖女?」
「はい」
「そんな……」
彼は思い出した。
幼い頃。
怪我をした自分に触れたアリアナの手。
その瞬間だけ、傷が消えたこと。
庭の枯れた薔薇に、彼女が触れた翌日に花が咲いたこと。
彼女が熱を出した翌日、王宮の噴水が突然光ったこと。
全部。
ずっと前から起きていた。
ただ、誰も気づかなかった。
聖女の力は、本人が望まない限り目覚めない。
そして。
真の聖女を傷つけた者は――
その加護を失う。
「……俺は」
レオンハルトは呟いた。
「俺は、本物の聖女を捨てたのか?」
*
数日後。
私はカイルと湖のほとりにいた。
「アリアナ」
「なに?」
「王都から使者が来ている」
「……何の用?」
「戻ってきてほしいそうだ」
私は黙った。
「聖女として?」
「ああ」
私は湖を見る。
「嫌よ」
「……即答だな」
「私はもう、あの場所に戻る理由がないもの」
そのとき。
遠くから馬の音が聞こえた。
レオンハルトだった。
「アリアナ!」
彼は馬から降りると、私の前まで走ってきた。
「戻ってきてくれ」
「嫌です」
「君が必要なんだ」
「聖女として?」
「違う!」
彼は苦しそうに首を振った。
「君自身が必要なんだ」
私は静かに彼を見た。
「遅いわ」
「……」
「私があなたを必要としていたとき、あなたは誰を選んだ?」
彼は答えられなかった。
「ユナを愛していたでしょう?」
「……間違っていた」
「そう」
「君を愛していたことに気づいた」
私は少しだけ笑った。
「それも遅いわ」
「アリアナ……」
「私、もう好きな人がいるの」
レオンハルトの視線が、私の隣に立つカイルへ向く。
「……こいつか?」
「ええ」
カイルは何も言わなかった。
ただ私の手を握った。
その瞬間。
私の左手首に、銀色の光が宿った。
月の紋章が輝く。
湖の水面が一斉に光った。
遠くの枯れた木々に、花が咲いていく。
レオンハルトは立ち尽くした。
私はその光景を見ながら思った。
私はずっと、自分には何の力もないと思っていた。
王太子にも選ばれなかった。
聖女にもなれなかった。
だから、自分には価値がないと思っていた。
でも違った。
私は最初から。
誰かに選ばれる必要なんてなかった。
私は――
この国が探し続けていた、本物の聖女だった。
そして今。
私が選ぶのは。
王太子でも。
王妃という地位でもない。
「カイル」
「ん?」
「私、あなたが好き」
彼は少し驚いて。
それから笑った。
「知ってる」
「……何それ」
「俺も同じだから」
私は笑った。
かつて私を捨てた王太子は、ようやく気づいた。
本当に価値があったものが、何だったのか。
けれど。
気づくのが遅すぎた。
聖女はもう、彼の隣には戻らない。
私の手を握るのは――
私を選び続けてくれた、この人だから。
Fin.




