EP 8
涙の生ビール
シェアハウスでの契約(という名の建物修繕)を終えた俺たちは、歓迎会と称して街へ繰り出した。
向かった先は、大通りに面したファミリーレストラン『タロウキング』。
オレンジ色の看板が夜の街に輝いている。
「いらっしゃいませ! 5名様ですか? 喫煙席と禁煙席、どちらになさいますか?」
制服を着た人間の店員がマニュアル通りの笑顔で迎えてくれる。
俺は一瞬、ここが異世界であることを忘れかけた。
店内の喧騒、食器がぶつかる音、ドリンクバーの氷が落ちる音。
前世で幾度となく見た光景だ。
「喫煙席で頼む」
「かしこまりました。奥のボックス席へどうぞー」
案内された席に座るなり、リベラがメニュー表を広げて宣言した。
「今夜は私の奢りですわ。新入居祝いと、ドアを直してくれたお礼です。遠慮なく好きなものを頼みなさい」
「ゴチになります! オーナー!」
イグニスが待ってましたとばかりにメニューに食いつく。
俺も遠慮はしない。ブラック企業の社畜時代、他人の金で飯を食う機会など皆無だった。
「じゃあ俺様は、この『メガ盛りハンバーグ』と『ロックバイソンのステーキ』、あと『山盛りポテト』だ!」
「私は『日替わりスープランチ(パン食べ放題)』で! あ、ドリンクバーもつけていいですか!? いいですよね!?」
「私は……このパフェが食べたいです~」
イグニス、リーザ、ルナが次々と注文していく。
俺はメニューの隅にある、ある一点を見つめていた。
喉が鳴る。
震える指で、店員に告げる。
「……とりあえず、生中。あと枝豆」
***
料理が運ばれてくると、テーブルの上は戦場と化した。
「うめぇぇ! なんだこの肉汁は! ソースが絶品だぜ!」
イグニスがフォークを握りしめ(力が強すぎて曲がりそうだ)、ハンバーグを丸呑みにしていく。
「あぁ……コーンスープが温かい……クルトンも入れ放題……幸せ……」
リーザはスープバーの前から動かず、ひたすら液体とパンで腹を膨らませている。悲しいアイドルだ。
「見てくださいキャルルさん、このスプーン、曲げると面白いですよ~」
「やめてルナちゃん! 備品破損で出禁になるから!」
ルナが無意識に『物質変形』の魔法を使いかけ、キャルルが必死に止めている。
そんな喧騒の中、俺の目の前に「それ」が置かれた。
ドンッ。
重厚なガラスのジョッキ。
表面にはうっすらと霜が張り、水滴が垂れている。
黄金色の液体と、その上に乗ったクリーミーな泡の比率は、完璧な7対3。
『プレミアム・モルツ(太郎国醸造)』。
「…………」
俺は無言でジョッキの取っ手を掴んだ。
ずしりとした重み。
冷たさが手のひらに伝わる。
ゆっくりと持ち上げ、口をつける。
冷たい泡が唇に触れ――次の瞬間、冷徹なまでの黄金の奔流が喉を駆け抜けた。
キュァァァァァッ!!
炭酸の刺激。ホップの苦味。麦の香り。
そして何より、暴力的なまでの「冷たさ」。
ゴクッ、ゴクッ、ゴクッ……プハァッ!!
ジョッキの半分を一息に飲み干し、俺は息を吐いた。
その瞬間、視界が歪んだ。
「……っ」
鼻の奥がツンと熱くなり、目から熱いものが溢れ出した。
「えっ? り、竜さん!?」
キャルルが驚いて声を上げる。
俺は慌てて手で拭ったが、涙は止まらなかった。
前世の記憶がフラッシュバックする。
深夜二時。散らかったワンルームのアパート。
コンビニで買った発泡酒は、帰宅する頃には温くなっていた。
味なんてしなかった。ただ、泥のように眠るためのアルコール摂取。
「お疲れ様」なんて、誰にも言われなかった。
――だか、今は違う。
「あ、あの……お口に合いませんでしたか?」
リベラが心配そうに覗き込んでくる。
「いや……美味い……。美味すぎて、ちょっと……」
俺は掠れた声で答えた。
目の前には、美味そうに肉を食う相棒。
騒がしいが、裏表のない住人たち。
そして、キンキンに冷えた本物のビール。
俺は今、生きている。
過労死して、異世界に来て、ようやく「人間らしい生活」を取り戻したんだ。
「……あらあら。殿方が泣くなんて、よほど苦労されたのね」
リベラが優しく微笑み、俺のグラスに瓶ビールを追加で注いでくれた。
「飲みなさい。今日は忘れて、楽しみましょう」
「……ううっ、わかりますよ竜さん! 空腹に染みると泣けてきますよね!」
リーザが勘違いした同意を求めてくる。
「兄貴! 泣くほど美味いのか!? 俺様もそれ飲む!」
イグニスが俺のジョッキを奪おうとして、キャルルに叩かれる。
俺は涙を拭い、照れ隠しに枝豆を口に放り込んだ。
塩気が、涙の味と混ざって、やっぱり美味かった。
***
宴は深夜まで続いた。
シェアハウスに帰った頃には、日付が変わっていた。
あてがわれた部屋は、六畳ほどの洋室。
家具はまだないが、リベラが用意してくれた敷布団が一組ある。
「……布団だ」
俺は倒れ込むようにダイブした。
ふかふかの感触。
森の土の上でも、会社の固いパイプ椅子でもない。
足を伸ばして眠れる場所。
「……明日は、何時に起きてもいいんだな」
スマホのアラームをセットする必要はない。
早朝出勤も、棚卸しの準備もない。
俺は天井を見上げ、深く深呼吸をした。
満腹感と、程よい酔い。
瞼が重くなる。
おやすみ、俺。
本当の人生は、ここからだ。
意識は泥のような眠りへと落ちていった。
……その眠りの先に、とんでもない悪夢が待っているとも知らずに。




