EP 6
紅蓮の地獄龍
『豚神屋』の外では、ナンバー1(ヴォルフ)率いる戦闘部隊が、殺意の魔力を極限まで高めていた。
「やっちまえ! 店ごとミンチにしてやる!」
1の号令で、数十人が一斉に攻撃魔法やスキルを放とうとした。
大気が悲鳴を上げ、ビリビリとした振動が店のガラス戸を激しく揺さぶる。
――だが、彼らは知らなかった。
この店の中には、決して食事を邪魔してはいけない『魔神』が二人(一人は焼肉の恨みを持つ竜、もう一人は今まさにキレかけたハイエルフ)もいることを。
店内。カウンター席。
「……ん」
ルナが箸を止めた。
彼女の目の前には、まだ半分ほど残った『小ラーメン(野菜マシ)』がある。
彼女は、スープの熱でトロトロになった極厚チャーシューを、まさに口に運ぼうとしていた瞬間だった。
ガタガタガタッ!
外からの振動で、箸がわずかにズレた。
チャーシューがプルンと揺れ、スープの中にボチャンと落ちてしまった。
跳ねた脂が、ルナの頬にポツンと付着する。
ピキッ。
ルナの完璧な美貌に、青筋が浮かんだ。
彼女はナプキンで頬の脂を拭うと、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳から、いつもの能天気な光が消え、代わりに底なしの暗闇が渦を巻き始めた。
「……うるちゃい」
彼女の声は小さかった。
だが、その一言は、店内の喧騒も、換気扇の轟音も、外の戦闘員たちの掛け声も、全てを凍りつかせる絶対的な『静止命令』として響いた。
「今……食事中なの。せっかくのお肉が……落ちちゃったじゃない」
ルナは右手に持っていた『割り箸』を、まるで聖なる杖のように構えた。
ただの木の棒。
だが、彼女の規格外の魔力が注ぎ込まれた瞬間、それは禍々しい赤黒い光を放ち始めた。
「静かにできない悪い子には……お仕置きが必要ですね~」
ルナの周囲の空間が歪む。
店内の温度が一気に上昇し、スープの湯気が赤く染まる。
「えっ、ルナさん!? ちょっ、ここでそれはマズいんじゃ……!?」
隣で麺をすすっていた竜が、危険を察知して声を上げる。
「大丈夫ですよ~。お店は壊しませんから」
ルナはニッコリと笑った。その笑顔は、天使のように愛らしく、そして悪魔のように残酷だった。
彼女は割り箸を天井に向け――いや、その遥か上空、『天』に向けて突き出した。
「来なさい。……『深淵より出でよ、紅蓮の地獄龍』」
ズゴゴゴゴゴゴゴォォォォッ……!!
世界が反転した。
昼間のはずの空が、一瞬にしてどす黒い闇に覆われた。
そして、その闇を引き裂くように、巨大な真紅の魔法陣が『豚神屋』の上空に展開された。
「な、なんだ!? 空が……燃えている!?」
外にいた1たちが、間抜けな顔で空を見上げる。
魔法陣の中心から、灼熱のマグマが滴り落ちる。
そして、鼓膜を破らんばかりの咆哮が、街全体を震わせた。
『グォォォォォォォォォォォォォッ!!!!』
顕現したのは、絶望そのものだった。
全身が燃え盛る溶岩のような鱗で覆われた、全長百メートルを超える巨龍。
その背中からは、山火事のような炎の翼が生えている。
伝説級の魔物、『紅蓮の地獄龍』。本来なら一国を滅ぼすために呼び出される厄災が、たかがラーメン屋の騒音トラブルのために降臨したのだ。
龍はその巨大な首をもたげ、眼下にある豆粒のような存在――ナンバーズの戦闘員たちを、燃える瞳で睨み下ろした。
『……我ガ主ノ食事ヲ妨ゲル、愚カ者ドモハ、貴様ラカ?』
龍が言葉を発するだけで、熱波が嵐となって吹き荒れる。
アスファルトが溶け、街路樹が発火する。
だが、奇跡的な魔力制御により、『豚神屋』の建物だけは無傷だった。
店内では、ルナが満足げに再び箸をチャーシューに伸ばしていた。
「ん、これで静かに食べられますね。……いただきまーす」
外の地獄絵図などどこ吹く風。彼女はトロトロの肉を口に運び、幸せそうに頬を緩ませた。
最強のハイエルフにとって、ドラゴンの召喚など、ハエ叩きを取り出すのと変わらない日常動作に過ぎなかったのだ。




