EP 4
呪文詠唱
「ニンニク入れますか?」
店主の野太い声が、狭い店内に響いた。
それは単なる質問ではない。この『豚神屋』における、客と店主の真剣勝負の合図――通称『コール』だ。
まずは俺の番だ。
俺は姿勢を正し、一息でその呪文を詠唱した。
「ヤサイマシマシアブラカラメニンニクスコシ」
淀みなく、リズムよく。
店主の手が止まることなく、トングとお玉が舞う。
「うい」という短い返事と共に、俺のオーダーが確定した。
「す、すごい……! 今の言葉、一体何語なんですの……?」
隣でリベラが目を丸くしている。
「次の方、どうします?」
続いて指名されたのは、イグニスだ。
彼はニヤリと笑い、牙を剥き出しにして叫んだ。
「おうよ! 俺様は『全マシ』だ! ニンニクはガンガン入れろ!」
「へい、全マシ一丁」
次はリーザ。
彼女はプロの貧乏人としての矜持を見せた。
「ヤサイアブラマシマシで! あ、脂身の多い端っこ(端豚)があればそこでお願いしますぅ!」
「あいよ」
そして、最後。
もっとも危険な『大豚ダブル』の食券を買ってしまった少女、ルルシアの番だ。
「えっ……あ、えっと……」
ルルシアは動揺した。
前の三人が唱えた呪文の意味がわからない。
マシ? カラメ? アブラ?
貴族の社交界では一度も聞いたことのない単語だ。
「お客さん、ニンニクは?」
店主の眼光が鋭くなる。
厨房の熱気と、豚骨の圧力。
ルルシアの理性が飛びそうになる。
(わ、わからないわ! でも……本能が言ってる……! 『もっとよこせ』って!)
彼女の中に眠る『野生の飢餓感』が、彼女の喉を突き動かした。
彼女はカウンターに身を乗り出し、半ば叫ぶようにその言葉を吐き出した。
「ぜ……全マシマシでぇぇぇッ!!」
店内が一瞬静まり返った。
店主がニヤリと笑った。
「……いい度胸だ、お嬢ちゃん」
ドンッ!!
数分後、カウンターの上に重厚な音が響いた。
着丼。
それは、食事というよりは『地形』の出現だった。
「ひッ……!?」
ルルシアの目の前に置かれたのは、もはやラーメンと呼んでいいのか迷う物体。
丼の縁から天に向かってそびえ立つ、茹でモヤシとキャベツのエベレスト。
その山肌を覆う、雪崩のような背脂の塊。
麓に鎮座する、レンガブロックのような分厚いチャーシューの城壁。
そして、頂上に無造作に盛られた、刻みニンニクの冠。
「こ、これが……ラーメン……? 山じゃなくて……?」
ルルシアが戦慄する。
総重量、推定二キログラム。
カロリー、測定不能(計測したら負け)。
「ひるむな、新人」
俺は割り箸をパキンと割った。
「この山を制圧するには、スピードと勢いが全てだ。麺がスープを吸って膨張る前に、胃袋へ叩き込め。……残したら厳禁だぞ」
俺の言葉に、ルルシアはゴクリと喉を鳴らした。
逃げ場はない。
目の前には、圧倒的な暴力と、そして抗いがたい誘惑の香りが漂っている。
「い、いただきます……ッ!」
ルルシアは箸を突き立てた。
まずはスープを一口。
ドロリとした茶色い液体が、舌の上を転がる。
ガツンッ!!
(な……何これぇぇぇッ!?)
脳天をハンマーで殴られたような衝撃。
豚の旨味が凝縮されたスープに、醤油の塩気、化学調味料の旨味、そしてニンニクの刺激が、渾然一体となって襲いかかってくる。
上品さなど欠片もない。だが、とてつもなく美味い。
「う……うまい……! 何これ、止まらない……!」
ルルシアは山盛りのヤサイをかき分け、奥から極太の麺を引きずり出した。
ワシワシとした食感の剛麺。
それを啜り、肉を食らい、脂を飲む。
「はぐっ! むぐっ! んん~ッ!」
彼女の令嬢としての品位は、背脂と共に溶け去った。
あるのは、ただ一心不乱にカロリーを摂取する『獣』の姿だけ。
「いいぞルルシア! その調子だ!」
「負けてらんねぇ! 俺様も食うぜぇ!」
俺とイグニスも麺を啜る。
店内には、ズズズッ、ハフハフッという、男たちの(一部美少女の)咀嚼音だけが響き渡る。
それはまさに、聖なる食事だった。
だが、その店の外には、再びあの『悪夢』が迫っていた。
「……い、いるぞ。あの中だ」
店の前の通りに、数十人の黒服の男たちが集結していた。
先頭に立つのは、ツルツルの頭をニット帽で隠した男、ナンバー1(ヴォルフ)。
彼は店のガラス戸越しに見える俺たちの背中を睨みつけたが、その足は小刻みに震えていた。
前回のループで刻まれた『ハゲのトラウマ』が、彼の最強の闘志を蝕んでいたのだ。
「1様……やらないんですか?」
「う、うるせぇ! いきなり突入したら……ほら、他のお客さんに迷惑だろ!?」
1は震える声で言い訳をした。
本当は、あの店の中に入るのが怖くて仕方がないのだ。
だが、0からの命令は絶対。
「くそっ……! 出てこい! 出てきやがれ!」
1は意を決して、店に向かって叫んだ。
「オラァァァッ! ナンバーズだぞコラァ! で、でてこいやぁ!!」
しかし、その声は裏返り、あまりにも情けない響きとなって、換気扇の轟音にかき消されていった。




