EP 10
世界のリセット
犯罪者集団『ナンバーズ』のアジト、司令室。
無機質な白い壁に囲まれたその部屋で、リーダーであるナンバー0(ギアン・アルバード)は、大型モニターに映し出された光景を呆然と見つめていた。
映っているのは、シェアハウス『メゾン・ド・キャロット』の惨状――ではない。
「ハゲた頭を抱えて逃走する最強の戦闘員1(ヴォルフ)」と、「破壊された玄関の奥で、呑気に焼肉を再開している竜たち」の姿だ。
「……ありえない」
0の手の中で、高級チョコレートがグチャリと握り潰された。
ドロリと溶けた黒い液体が、彼の白手袋を汚していく。
「僕の完璧な作戦が……。最強の能力者たちが……。あんな、ふざけた連中に敗北したというのか?」
2(ルルシア)は貧乏生活で心を折られ、戦わずして敗走。
1(ヴォルフ)は魔法でハゲにされ、プライドを折られて敗走。
これは悪夢だ。
あるいは、質の悪い喜劇だ。
選ばれし支配者である自分が、あんな薄汚い社畜風情に、こうも無様に手玉に取られるなど――。
「認めない……。断じて、認めないぞ……ッ!」
0はギリギリと歯噛みした。
彼のプライドは、敗北そのものよりも、その「勝ち方」のふざけ具合によってズタズタに引き裂かれていた。
「やり直しだ。……こんな結末、僕のシナリオには存在しない」
0はモニターの電源を乱暴に切り、デスク上の通信機へ手を伸ばした。
繋ぐ先は、アジトの最深部。
鉛の壁で覆われた、特別隔離牢だ。
「……5(イオン)。聞こえるか」
『…………』
スピーカーの向こうから、幼い子供の衣擦れの音だけが返ってくる。
ナンバー5。本名イオン。
わずか3歳の幼児でありながら、この組織の最大の「切り札」にして「安全装置」。
「『お片付け』の時間だ。……全てを、なかったことにしろ」
0は冷酷に告げた。
そこに慈悲や躊躇いはない。
ゲームで失敗した時に、リセットボタンを押すのと何ら変わらない感覚だ。
『……リセット?』
幼い声が問い返す。
「そうだ。1週間前……いや、あの男(竜)と出会う直前まで戻せ」
『……うん。わかった』
通信機の向こうで、小さな手が何かを叩く音がした。
直後、アジト全体が、いや、世界全体が「キーン」という耳鳴りのような音に包まれた。
***
一方、シェアハウスのリビング。
俺は、ようやく訪れた平和と、最高の焼き加減のカルビを前にしていた。
「やっと静かになったな」
俺は小皿のタレをたっぷりと絡め、肉を持ち上げた。
香ばしい匂い。滴る脂。
邪魔者は消えた。あとはこれを口に放り込み、咀嚼するだけだ。
「兄貴! 早く食わねぇと俺が食うぞ!」
「竜さん、あーんしてあげましょうか?」
イグニスとキャルルの声が遠くに聞こえる。
俺は口を開け、肉を運ぶ。
「いただきます――」
その瞬間だった。
ザザッ……。
視界がノイズのように歪んだ。
箸で摘まんだ肉が、空中でブレて、二重、三重に見える。
「……ん? めまいか?」
いや、違う。
肉だけじゃない。
テーブルも、イグニスの笑顔も、リベラのガウンも、全てが砂嵐のようにざらつき、色が抜けていく。
「な、なんだ……!? おい、お前ら……!」
俺が叫ぼうとした声は、空気の振動にならずに消えた。
音が消える。
色が消える。
感覚が消える。
世界が、白い光に飲み込まれていく。
焼肉の味も、コタツの温もりも、戦いの記憶も。
全てが強制的に「初期化」されていく感覚。
(――リセットだ)
誰かの声が脳裏を過った気がした。
そして、俺の意識はホワイトアウトした。
***
「……ッ!」
ふと、意識が浮上した。
目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
天井も、床も、壁もない。
視界の全てが純白で塗り潰された、無限の虚無。
俺はいつの間にか、その空間に浮かぶ一脚の白い椅子に座らされていた。
「(……あれ? デジャヴか?)」
俺は混乱する頭を振った。
さっきまで、俺は焼肉を食べていたはずだ。
いや、コタツで寝ていたのか?
俺の目の前には、同じく真っ白なテーブルと、対面の椅子があった。
そこに座っていたのは、奇妙な男だった。
純白のスーツに身を包み、顔には『0』という数字が刻まれた、無機質な白い仮面をつけている。
男の手元には、精巧な作りのチェス盤。
彼は優雅な手つきで、盤上のポーンを摘まみ上げながら、俺を見据えた。
「ようこそ、『職人』。君を私のティータイムに招待したかったんだ」
仮面の男――ナンバー0は、パキリとチョコレートを齧った。
その仕草も、漂うカカオの香りも、俺の記憶にあるものと寸分違わず同じだった。
ただ一つ、彼の仮面の奥の瞳が、以前よりも昏く、そして愉悦に満ちていることを除けば。
「……あんたは誰だ?」
俺は同じ問いを口にした。
世界は巻き戻った。
俺たちの勝利も、絆も、美味しい記憶も、全て無かったことになって。
だが、このリセットは終わりではない。
ここから始まるのは、記憶を持った『死に戻り(ループ)』との、本当の戦いだった。




