EP 9
極寒のチキチキレース
リビングの気温は、刻一刻と氷点下へと近づいていた。
コタツの熱源(残り火)は既に消え、布団の中の空気も生暖かさから、ただの冷気へと変わりつつある。
「……いいか、作戦を伝える」
俺はガチガチと歯を鳴らしながら、円陣を組むメンバーに指示を出した。
「目標は2メートル先のコンセントだ。布団から体を出さずに、全員でコタツを持ち上げ、尺取り虫のように少しずつ移動する。……名付けて『オペレーション・インチワーム』だ」
全員が悲壮な覚悟で頷く。
失敗すれば、布団の隙間から極寒の隙間風が入り込み、我々の命(快適さ)を奪うだろう。
「行くぞ。……せーのッ!」
俺の掛け声に合わせて、全員が背中と足に力を入れた。
ズズッ……。
コタツが数センチ動いた。
だが、すぐに異変が生じた。
「お、重いですぅ……! 全然持ち上がりません!」
「右側が……右側が動きませんわ!」
原因は明白だ。
右舷後方に位置するイグニスである。
彼は完全に冬眠モードに入っており、百キロを超える巨体がただの漬物石と化していた。
「グゥ……ムニャ……肉……」
幸せそうな寝言を漏らすトカゲ。
こいつを引きずりながら2メートル進むのは、エベレスト登頂に等しい難行だ。
「くそっ! 物理移動は無理だ! プランBに変更!」
俺は即座に指示を切り替えた。
「ルナ! 魔法だ! 『風魔法』か『念動力』で、あのプラグをこっちに引き寄せろ!」
「は、はいっ! お任せください!」
ルナがガバッと布団から手を出し(一瞬「ひゃっ」と悲鳴を上げたが)、杖を構えた。
「えっと、風よ……あの紐を運んで! 『ウィンド・プル』!」
ヒュオオオッ!
ルナの放った風が、プラグに向かって渦を巻く。
だが、彼女の魔法はいつだって「出力過剰」で「コントロール不足」だ。
風の渦はプラグを通り越し、その奥にあった巨大な物体――業務用の冷蔵庫を巻き込んだ。
ズズズ……ガガガガッ!!
「わあっ!? 冷蔵庫が来ちゃいますぅ!」
「馬鹿野郎! 冷気を増やしてどうする!」
冷蔵庫が扉を開けっ放しにしながら、ジリジリとコタツに迫ってくる。中からは冷気が漏れ出し、室温をさらに下げるという最悪の展開だ。
「失敗ですぅ~! ごめんなさぁい!」
「もうダメだ……。終わりだ……。ここで凍えて死ぬんだ……」
リーザが絶望して涙を流す。
コタツの中は完全に冷え切った。
俺たちの吐く息は白く、手足の感覚がなくなりかけている。
万事休すか。
誰もが諦めかけた、その時だった。
「……もう、我慢できないッ!!」
バンッ!!
コタツの天板が跳ねた。
叫んだのはキャルルだ。
彼女は耳を逆立て、決死の形相で叫んだ。
「ウサギは寂しいと死んじゃうけど、寒いともっと早く死んじゃうんです! こんなの嫌だぁぁぁッ!!」
彼女の足元、安全靴の『雷竜石』がバリバリと紫電を放つ。
「キャルル、まさか……!?」
「行って帰ってくるだけなら……熱が逃げるより速く動けばいいだけですッ!」
彼女はクラウチングスタートの姿勢をとった。
布団の隙間から、冷気が入り込む。
だが、それよりも速く――。
「音速突破!!」
ドォンッ!!
衝撃波がリビングを揺らした。
俺たちの目には、キャルルの姿が消えたように見えた。
実際には、こうだ。
0.01秒:布団を飛び出す。
0.03秒:プラグを掴む。
0.05秒:コンセントに突き刺す。火花が散る。
0.08秒:Uターン。
0.10秒:布団の中へ帰還。
パシュッ。
風が舞い、再び布団が閉じた。
キャルルは元の位置に座り、何事もなかったかのように荒い息を整えている。
「……ふぅ。ただいまです」
次の瞬間。
ブォォォォォン……。
コタツの魔導ユニットが再起動した。
赤いランプが灯り、石化した魔石に再び熱が宿る。
じんわりと広がる、命の温もり。
「つ、点いたぁぁぁぁ!!」
「あったかぁぁぁい……!」
「キャルルちゃん! あなたは英雄ですわ!」
俺たちは歓喜の声を上げ、キャルルを称えた。
彼女は鼻の下を指でこすり、エッヘンと胸を張った。
「へへっ、マッハ1なら寒さなんて置き去りですよ!」
人類(と亜人)は、寒さに打ち勝ったのだ。
俺たちの勝利だ。
「ん……? なんか騒がしいな……?」
その時、騒ぎで目を覚ましたイグニスが、のっそりと顔を上げた。
「おっ、あったけぇ。……兄貴、コーラまだか?」
俺たちは顔を見合わせ、そして一斉に笑った。
この鈍感な竜人が寝ている間に、世界を救う壮大なドラマがあったことを、彼は知る由もない。
「……ああ、今飲むところだ。乾杯するぞ、イグニス」
俺はコーラの栓を抜き、仲間たちと高らかに乾杯した。
さあ、温まったところで、次は腹ごしらえだ。




