EP 9
黒いスーツの交渉人(リベラ編)
ルナの虫歯騒動から数日後。
シェアハウスのリビングで、オーナーのリベラが俺に声をかけてきた。
「竜さん。今夜、少しお時間はありますか?」
彼女はいつも通り優雅に紅茶を飲んでいたが、その眉間には僅かな皺が刻まれている。
「時間はありますが……また何かが壊れましたか? 水道管なら昨日直しましたが」
「いいえ、設備の修繕ではありません。……個人的な『依頼』です」
リベラはカップを置き、真剣な眼差しを俺に向けた。
「私の本職は弁護士なのですが……今夜、少々厄介な相手との交渉がありまして。ボディガードをお願いしたいのです」
聞けば、相手は下町で強引な立ち退きを迫っている悪徳不動産屋『ゴブリン・エステート』。
バックに暴力団(武闘派の冒険者崩れ)がついているらしく、リベラ一人では身の危険があるという。
「なるほど。クレーム対応および、VIPの警護業務ですね」
「ふふ、頼もしい解釈ですわね。……報酬は弾みますわよ?」
「引き受けましょう。イグニスも連れて行きます」
***
夜。
俺とイグニスは、リベラが用意した「正装」に袖を通していた。
「うぐぐ……兄貴、これ窮屈だぞ……! 肩が弾けそうだ!」
「我慢しろ。TPO(時と場合)をわきまえるのも仕事のうちだ」
鏡に映っていたのは、黒のスーツに身を包んだ俺たちの姿だった。
俺は元サラリーマンだけあって着こなしは慣れたものだが、目つきが悪すぎてカタギには見えない。
一方、イグニスは特注のXXLサイズでもパツパツで、まるでマフィアの用心棒か、プロレスラーの正装だ。
「……あら。予想以上にお似合いですわ」
リベラが満足げに微笑む。
俺はネクタイを締め直し、部屋の隅に立てかけてあった「それ」を手に取った。
分厚い布でグルグル巻きにした、全長二メートルの鉄塊。
『バスターソード』だ。
「行くぞ。交渉の時間だ」
***
『ゴブリン・エステート』の事務所は、繁華街の裏路地にあった。
紫煙が漂う薄暗い室内。
ソファには、金貨のネックレスをした小太りの男――社長がふんぞり返っている。
その背後には、強面の人間の男たちと、二メートル近いオークの用心棒が二体、腕を組んで立っていた。
「へぇ、女弁護士先生がノコノコやってくるとはな。……で、後ろの黒服はなんだ? 彼氏かぁ?」
社長が下卑た笑いを浮かべる。
リベラは表情一つ変えず、対面のソファに座った。
俺とイグニスは、無言でその背後に立つ。
「単刀直入に申し上げます。あの区画の再開発計画、および住民への不当な立ち退き要求は違法です。即刻中止してください」
「違法? ハッ! ここは俺の庭だ。俺のルールが法律なんだよ!」
社長が卓を叩くと、背後のオークたちが威圧するように一歩前に出た。
「ブモォッ!」と鼻息を荒げ、腰の剣に手をかける。
典型的な恫喝だ。
「嬢ちゃん、綺麗な顔に傷がつく前に判子を押しな。……後ろの兄ちゃんたちも、怪我したくなきゃ失せろ」
社長がニヤニヤと俺たちを見上げる。
リベラがチラリと俺を見た。
『お願いします』という合図だ。
俺は無言のまま、背負っていた布巻きの『荷物』を下ろした。
ズドンッ。
重厚な音が響き、応接セットのテーブルが悲鳴を上げた。
テーブルの上に置かれたのは、ただの棒状の荷物ではない。
超質量の鉄塊だ。
ミシッ……メキメキッ……!
テーブルの脚が重みに耐えきれずひしゃげ、床のタイルに亀裂が走る。
「あ……?」
社長の目が点になる。
俺はその『荷物』に手を置いたまま、低く冷徹な「業務ボイス」で告げた。
「社長。……当方のクライアントに対し、随分と威勢が良いようですが」
俺が一歩踏み出すと、オークたちがビクリと肩を震わせた。
彼らは本能で悟ったのだ。
目の前の男が置いた「それ」が、自分たちを一撃で肉塊に変える凶器であることを。
「……ッ!」
さらに、隣のイグニスが動いた。
彼は吸っていた極太の葉巻を口から離すと、それを自分の手の甲に押し当てた。
ジュッ……。
肉の焼ける音はしない。
火竜の眷属である彼にとって、タバコの火など温風にも満たない。
彼は平然と火種を指先で揉み消し、獰猛な笑みを浮かべた。
「おい豚共。俺様は今、腹が減ってるんだ。……丸焼きにしてもいいんだぜ?」
その全身から立ち上る、隠しきれない殺気と熱気。
オークたちが「ヒッ」と短い悲鳴を上げて後ずさる。
俺は社長の顔を覗き込み、ニッコリと――あくまで営業スマイルで――笑いかけた。
「どうやら、そちらの警備体制には重大な欠陥があるようです。……こちらで『解体処理』いたしましょうか?」
俺がバスターソードの布を少しだけ捲る。
黒鉄の輝きが見えた瞬間、社長の顔色が土気色に変わった。
「ヒッ……! わ、わかった! わかったから!」
社長は震える手で書類を掴むと、リベラの前に差し出した。
「撤回する! 立ち退きも中止だ! だからその物騒なモンをしまってくれぇぇ!」
「賢明なご判断、感謝いたします」
リベラが優雅に書類を確認し、サインさせる。
その間、オークたちも、人間の用心棒も、誰一人として動けなかった。
蛇に睨まれたカエルならぬ、重機に睨まれた羽虫のようなものだ。
***
事務所を出て、夜風に当たる。
リベラがほう、と息をついた。
「助かりましたわ、竜さん、イグニスさん。あそこまでスムーズに話が進むとは」
「暴力には、より大きな暴力(の予感)を提示するのが一番の交渉術ですから」
「へへっ、あの豚共のビビり顔、傑作だったぜ!」
俺はネクタイを緩め、大きく首を回した。
ポキポキと骨が鳴る。
「……にしても、やっぱりスーツは肩が凝るな」
「あら、とても素敵でしたわよ? また着ていただきたいくらい」
リベラが楽しそうに笑う。
俺は苦笑しながら、ポケットの赤マルに火をつけた。
「勘弁してください。俺は作業着の方が性に合ってる」
夜の街を、スーツ姿の二人とドレスの美女が歩く。
その光景は、どこかの映画のラストシーンのようだった。
こうして、シェアハウスの平和(とリベラの仕事)は守られたのだった。




