2-1. 初陣の恐怖
徴兵の通知から数週間後、僕は国境付近の最前線に配属された。補助部隊として、物資の運搬や負傷兵の後送を担うはずだった。だが、現実は違った。
戦場は地獄だった。
馬車から降り立った瞬間、僕の鼻を血の匂いが襲った。鉄の錆びたような、生臭い、それでいて甘ったるい異様な臭いが空気を満たしている。遠くから聞こえる叫び声が耳に刺さり、鼓膜を震わせる。それは人間の声とは思えない、獣のような絶叫だった。
地面には倒れた兵士たちが横たわっている。王国軍の兵士もいれば、敵国連合の兵士もいる。その中にはまだ息のある者もいて、助けを求める手を伸ばしている。しかし、僕は何もできない。担架を運ぶ手が震え、足が前に進まない。
「動け、新兵。ここで立ち止まってたら、お前も死ぬぞ」
声の主は、先輩兵士のゼロ・ナイトだった。彼は北境前哨基地で隣のベッドだった先輩兵士で、今度は同じ戦場に配属されていた。ゼロは僕の肩を強く叩き、短く言った。彼の顔には疲労の色が濃く、鎧には血が染みついている。
遠くの指揮所では、リナ・フォルテが地図を広げながら指示を出している。彼女は指揮班要員として後方で戦況を分析し、部隊の配置を決めている。僕が担架を運ぶ姿を見て、彼女は一瞬こちらに目を向けたが、すぐに任務に戻った。学院で共に過ごした日々は、もう遠い過去のように感じられる。
「初陣は誰でも怖い。だけど、怖がってる暇はない。敵が来る」
その言葉通り、遠くから敵兵の雄叫びが聞こえてきた。地面が微かに震え、馬の蹄音が近づいてくる。僕は剣を抜こうとしたが、手が震えてうまく握れない。剣の柄が手の汗で滑り、何度も握り直す。
ゼロは僕の剣を押し戻し、低く囁いた。
「お前は補助部隊だ。戦闘は避けろ。でも、避けられないときもある。そのときは、俺の後ろに隠れろ」
僕は頷いたが、心の中では「逃げ場がない」と感じていた。戦場は広いようで狭く、どこへ行っても血と死が待っている。後方の野戦病院へ向かう道すら、敵の襲撃に晒されている。僕は戦闘を避けようとしたが、混乱の中で逃げ場を失っていく。
戦場の中央では、王国軍と敵国連合が激突していた。魔刀使いたちが炎や雷の魔法を放ち、剣士たちが刃を交える。炎の刃が空を切り裂き、雷が地面を焦がす。その光景を見ているだけで、僕の体は凍りついた。学校で見た訓練とは、まるで次元が違う。ここでは、死が日常だ。
「リオ、動け」
ゼロの声で我に返る。僕は担架を担ぎ、負傷兵を後方へ運び始めた。担架の上で横たわる兵士は、左腕を失っていた。血がまだ滴り落ち、担架の布が真っ赤に染まっている。彼は苦しそうに呻きながら、何かを呟いている。聞き取れないが、おそらく家族の名前だろう。
僕は必死に走った。足元は血で滑りやすく、何度も転びそうになった。後方の野戦病院までは、まだ数百メートルある。その距離が、今は無限に遠く感じられる。
だが、その途中で敵兵の小隊が現れた。彼らは補給線を断つために、後方部隊を襲撃していた。敵兵は五人ほどで、剣を構えてこちらに向かってくる。彼らの目には、殺意が宿っている。
「逃げろ!」
ゼロが叫ぶ。僕は担架を置き、必死に走った。担架の上の兵士が何か叫んでいるが、もう聞こえない。僕の耳には、自分の心臓の音だけが響いている。ドクンドクンと、まるで破裂しそうなほど激しく。
だが、敵兵の一人が僕を追いかけてくる。振り返ると、剣を構えた敵兵が迫っていた。彼は若い兵士で、僕と同じくらいの年齢に見える。しかし、その目には戦場で鍛えられた冷たさがあった。
僕は剣を抜き、必死に振るった。だが、剣技は下手で、敵兵の攻撃をかわすのが精一杯だった。敵兵の剣が僕の鎧をかすめ、火花が散る。次の瞬間、ゼロが敵兵を倒し、僕を引っ張る。
「大丈夫か?」
「……はい」
声が震えていた。僕は自分の無力さを痛感し、ただゼロの後ろについて行くしかなかった。僕は何もできない。剣技も下手、魔法も使えない。ただ、逃げるだけ。それすら、ゼロの助けがなければできなかった。
初陣の恐怖は、僕の心を支配していた。戦場の残酷さに圧倒され、自分が何もできないことを思い知らされた。だが、この恐怖が、やがて訪れる「偶然の一撃」へと繋がっていく。僕はまだ知らない。自分の剣が、どれほど恐ろしい力を秘めているのかを。




