1-2. 落ちこぼれの朝
まだ霜が残る寮の中庭で、僕――リオ・アーデンは木剣を握ったまま固まっていた。朝練の号令が鳴っても肩の力は抜けず、指先は冷たさと緊張で痺れている。対面に立つガルド・ストームは貴族らしい金髪を無造作に束ね、雷属性の魔刀を肩に担いでいた。彼が剣を振るうたびに稲妻の尾が芝を焼き、周囲の生徒たちがどよめく。
「また外したぞ、落ちこぼれ」
背後から笑う声が降り注ぎ、僕は否定も出来ずに黙礼した。
リナ・フォルテは同じ学年で最年少首席候補だ。整えられた栗色の髪と鋭い眼差しで、教師陣の難解な質問にも論理的に答える。彼女はいつも
「努力すれば誰だって変われる」
と言うが、僕の足取りの重さはその言葉に追いつけない。訓練を終えて教室へ向かう廊下で、リナは僕の木剣を見て眉を寄せた。
「握りが緩んでる。手の甲に力を乗せて」
と淡々と助言する。短い言葉に優しさが滲んでいるのに、僕は
「ありがとう」
と囁くのが精一杯だった。
午前の座学は戦術史。マスター・クロウは銀灰の髪を後ろで束ね、厳格な横顔を崩さないまま黒板に古戦場の陣形を描いていく。
「魔刀は速さだけが武器ではない。判断を誤れば、どれほど輝かしい刃でも無力だ」
クロウはそう言いながら、僕の席の前で一瞬足を止めた。彼の視線は叱責でも失望でもなく、何か確かめるように柔らかい。
「リオ、前回のレポートを添削しておいた。余裕があれば読み返せ」
机の上に置かれた紙には、丁寧な赤字で
「状況描写は良い。あとは自分の役割を決めろ」
と書いてあった。劣等生の自分に時間を割いてくれる人がいる──その事実だけで胸が熱くなる。
昼休みになると、僕は図書塔の片隅へ逃げ込む。そこには、いつも羊皮紙を抱えたシルヴァ・ウィスパーがいる。細い指で古い文字をなぞりながら、彼女は
「詠唱無しでも発動する魔法があったみたい」
と目を輝かせた。魔刀を扱えない彼女は学院内で異端視されているが、知識の深さでは誰にも負けない。
「リオは何か感じたことない?」
と問われ、僕は曖昧に笑う。感じるどころか、魔法の発動感覚すら掴めていない。それでもシルヴァは
「君は観察眼がある。剣の動きより、周囲の空気を読むのが上手い」
と真っ直ぐな声で肯定してくれる。世界中で彼女だけが僕を落ちこぼれと呼ばない。
夕刻、寮へ戻る階段で父ケインからの手紙を受け取った。封を切ると、不器用な筆跡で
「無理をするな、でも自分を信じろ」
とだけ綴られている。父は前線勤務でほとんど家に戻らない。息子の成績表を見て落胆しているはずなのに、手紙からは焦りよりも温かさが伝わった。小さな紙片を握りしめると、幼い日の記憶が蘇る。母アリアが膝に座らせてくれて、
「この力を使ってはだめ」
と言った時の真剣な眼差し。何の力かも知らないまま、僕はその言葉だけを錆びた釘のように心に刺したまま生きている。
夜になると、窓の外では風が塔の角を叩き、寮全体がきしむ。ベッドに横たわっても眠気は訪れず、天井の木目をなぞりながら
「せめて誰かの役に立てるなら」
と呟いた。学院では、才能ある者ほど早く戦場へ送られ、名誉を手にする。僕にはどの列にも属せない居場所の無さが重くのしかかる。だが、クロウが書いてくれた
「自分の役割を決めろ」
という言葉が、薄明かりの中で静かに輝いていた。役割が決まれば、遅れている身体にも意味が宿るのだろうか。眠れぬ夜を抱えたまま、次の朝も木剣を握る自分を想像する。落ちこぼれの日々は続くが、その継続こそが、いつか誰かを救う一歩になると信じたかった。




