2-4. リオの無知
あの敵兵が死んでから、さらに数日が経った。僕は補助部隊としての任務を続けていたが、心のどこかで罪悪感を抱えていた。あの兵士を切ったのは自分だ。そして、その兵士は死んだ。
毎日、前線と後方の間を往復しながら、僕はあの敵兵のことを思い出す。彼の顔、彼の声、そして彼が苦しみながら死んだという事実。それは、僕の心を重くする。任務をこなしていても、どこかで気が散る。担架を運んでいても、包帯を巻いていても、あの敵兵のことが頭から離れない。
だが、僕はまだ真実を知らない。
「リオ、元気ないな」
ゼロが声をかけてきた。彼は物資の箱を運びながら、僕の様子を気にかけている。僕は振り返り、無理に笑顔を作った。だが、その笑顔はすぐに崩れる。
その時、リナが指揮所から出てきた。彼女は僕とゼロの様子を見て、近づいてきた。
「リオ、大丈夫?最近、顔色が悪いわ」
リナの声には心配が滲んでいた。学院時代から、彼女は僕のことを気にかけてくれている。だが、今の僕には、その優しさに応える言葉も見つからない。
「大丈夫。ただ、少し疲れているだけ……」
「あの敵兵のことが気になっているのか?」
ゼロの言葉に、僕は驚いた。彼は僕の心を見透かしていた。ゼロは物資の箱を置き、僕の前に立った。その目は、優しくも厳しかった。
「……はい。あの兵士を切ったのは、僕です。そして、その兵士は死にました」
僕は声を震わせながら、そう答えた。ゼロは少し考えてから、僕の肩に手を置いた。
「戦場では、敵を殺すのは当然だ。お前が悪いわけじゃない」
「でも、あの傷は浅かったはずです。なぜ死んだのか……」
僕の声は、疑問に満ちていた。あの傷は、本当に浅かった。数センチの切り傷に過ぎない。それが、なぜ死に繋がったのか。僕には理解できなかった。
ゼロは少し考えてから、言った。
「戦場では、何が起こるか分からない。感染症かもしれないし、別の原因かもしれない。お前が気にしすぎだ」
リナは黙って聞いていたが、最後に小さく言った。
「でも、治癒魔法が効かないのは確かよね。学院で見たデルンの傷と同じ……」
その言葉に、僕は少し吐き気がした。リナも、何かおかしいと感じている。だが、彼女はそれ以上何も言わず、ただ僕の肩に手を置いた。
「でも、リオが悪いわけじゃない。戦場では、何が起こるか分からないもの」
その言葉に、僕は少し安心した。ゼロの言う通り、戦場では何が起こるか分からない。あの傷が直接の死因だったとは限らない。もしかしたら、別の傷があったのかもしれない。あるいは、体調不良だったのかもしれない。そう信じようとした。
だが、心の奥では、まだ疑問が残っていた。なぜ治癒魔法が効かなかったのか。なぜ傷口が黒ずんだのか。なぜ結晶のような粉が滲み出たのか。僕には分からなかった。その疑問は、僕の心の中で、まるで棘のように刺さっていた。
その日の夜、僕は負傷兵の名簿を見ていた。テントの中で、ろうそくの明かりを頼りに、名簿をめくる。そこには、多くの名前が記されている。王国軍の兵士もいれば、敵軍の捕虜もいる。その中に、あの敵兵の名前も記されていた。
名前の横には、死因が書かれている。「原因不明の傷による死亡」。その文字を見つめながら、僕は自分の手を見た。あのとき、この手で剣を握り、敵兵の腕を切った。浅い傷だった。だが、その傷は治らなかった。
「普通の傷だったはずだ……」
僕はそう思い込もうとした。自分の剣は、普通の剣だ。学校で支給された、ごくありふれた剣だ。特別な力など、持っていない。あの傷が治らなかったのは、何か別の原因があるはずだ。感染症だったのかもしれない。あるいは、敵兵の体質の問題だったのかもしれない。そう信じるしかなかった。
僕は名簿を閉じ、ろうそくの火を見つめた。炎が揺らめき、影が壁に踊る。その影を見ながら、僕は考えた。もし、あの傷が本当に普通の傷だったなら、なぜ治癒魔法が効かなかったのか。なぜ傷口が黒ずんだのか。なぜ、あの兵士は苦しみながら死んだのか。
だが、僕は答えを見つけられなかった。ただ、自分を納得させるために、「普通の傷だった」と信じるしかなかった。
だが、現実は違っていた。僕の剣は、普通の剣ではなかった。その傷は、決して治らない。そして、その事実が明らかになるのは、まだ先のことだった。
僕はまだ知らない。自分の力が、どれほど恐ろしいものなのかを。そして、その力が、やがて自分を「兵器」として使われる存在へと変えていくことを。
その夜、僕は眠れなかった。テントの中で横になりながら、天井を見つめる。外では、負傷兵の呻き声が聞こえる。その中に、あの敵兵の声が混じっているような気がした。僕は目を閉じたが、すぐに開けた。眠れない。
その時、テントの入口からシルヴァからの手紙が届いた。僕は急いで開封し、彼女の文字を読んだ。
「リオ、あなたは一人じゃない。私は図書館で調べ続けている。もし何か分かったらすぐに知らせるわ」
その言葉に、凍えるような孤独が少しだけ溶けた。遠く離れていても、僕を支えてくれる人がいる。その事実が、暗闇の中で小さな光となって輝いていた。
霧が深い夜、遠くから鐘の音が聞こえた。それは、死者を弔う鐘の音だった。その音は、ゆっくりと、静かに響く。まるで、死者たちの魂を慰めるように。僕はその音を聞きながら眠りについた。




