2-2. 偶然の一撃
初陣から数日が経ち、僕は少しずつ戦場に慣れ始めていた。とはいえ、慣れるというよりは、恐怖に麻痺してきただけだった。毎日、血と死を見続けるうちに、最初の衝撃は薄れていく。それでも、夜になると悪夢にうなされる。戦場の光景が、頭から離れない。
補助部隊として、僕は物資の運搬や負傷兵の後送を続けていた。前線と後方の間を何度も往復し、担架を運び、弾薬箱を届ける。僕の役割は、戦闘を避けることだった。だが、戦場では何が起こるか分からない。
その日も、僕は前線と後方の間を往復していた。朝から霧が立ち込め、視界は悪かった。白い霧が地面を這い、五メートル先も見えない。遠くから聞こえる戦闘の音が、霧に吸い込まれて歪んで聞こえる。剣がぶつかり合う音、魔法が炸裂する音、それらが霧の中で反響し、どこから来ているのか分からなくなる。
「リオ、気をつけろ。霧の中に敵が潜んでいるかもしれない」
ゼロが警告を発した。彼は僕の前に立ち、剣を抜いている。ゼロの背中は緊張で硬直し、周囲を警戒する姿勢を取っている。僕は剣を握りしめ、周囲を警戒した。だが、霧が濃すぎて、何も見えない。自分の手すら、かすんで見えるほどだ。
霧の中を歩きながら、僕は自分の心臓の音を聞いていた。ドクンドクンと、まるで太鼓のように響く。息を吸うたびに、霧の冷たい空気が肺を満たす。地面は湿っていて、足元が滑りやすい。
そのとき、霧の中から敵兵が現れた。
突然のことで、僕は反応できなかった。霧の中から、まるで幽霊のように現れた敵兵。彼は剣を構え、僕に襲いかかってくる。その動きは速く、僕の目にはほとんど見えなかった。敵兵の剣が霧を切り裂き、僕の顔面を狙ってくる。僕は咄嗟に体を後ろに反らし、剣をかわした。しかし、敵兵の次の攻撃がすぐに来る。左から右へ、剣が弧を描いて振り下ろされる。
「うわっ!」
僕は必死に剣を振り上げ、敵兵の攻撃を受け止めようとした。だが、剣技は未熟で、敵兵の剣が僕の剣を弾き飛ばす。次の瞬間、敵兵の剣が僕の肩をかすめた。
「くっ!」
痛みが走る。肩の鎧が裂け、皮膚が切れた。血が滲み出てくるが、致命傷ではない。それでも、痛みは激しく、僕の体が震える。
「リオ!」
ゼロが叫ぶ。だが、彼は別の敵兵と戦っている。僕は一人で、この敵兵と戦わなければならない。
僕は反撃しようと剣を振るった。混乱の中で、僕の剣が敵兵の腕に当たった。それは偶然の一撃だった。僕は敵兵を殺そうとしたわけではない。ただ、必死に剣を振っただけだ。剣の切っ先が敵兵の左腕を掠め、浅い切り傷をつけた。血が滲み出てくるが、致命傷ではない。敵兵は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに後ずさりする。
「ぐあっ!」
敵兵が叫ぶ。僕の剣は敵兵の左腕に浅い切り傷をつけた。血が流れ出し、敵兵は剣を落とした。彼は傷を押さえながら、後ずさりする。その目には、驚きと恐怖が浮かんでいる。
「これで終わりだ」
僕はそう思い、その場を離れた。敵兵は傷を押さえながら、霧の中へ消えていった。僕は「普通の傷だ。すぐに治るだろう」と思い込んでいた。浅い切り傷だから、数日もすれば塞がる。そう信じていた。
ゼロが駆け寄ってきた。彼は別の敵兵を倒したようで、剣に血がついている。
「大丈夫か?」
「はい。敵兵を追い払いました」
僕は肩の傷を押さえながら、そう答えた。痛みはまだ残っているが、命に別状はない。
「傷は?」
「浅い切り傷です。問題ないと思います」
ゼロは少し眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。彼は僕の肩の傷を見て、何か考えているようだった。だが、僕は気にしなかった。僕は自分の剣が敵兵に当たったことを覚えている。だが、その傷が「治らない」とは、まだ知らない。
霧が晴れ、戦場は静かになった。敵兵たちは撤退したようで、遠くから聞こえる戦闘の音も、次第に遠のいていく。僕は後方へ戻り、負傷兵の手当てを手伝った。
指揮所の前でリナとすれ違った。彼女は資料を抱えながら歩いており、僕の肩の傷に気づいて足を止めた。
「リオ、大丈夫?」
「ただの浅い傷だよ」
と答えると、リナは少し眉を寄せたが、すぐに頷いた。
「後で診療所で見てもらって。指揮班でも手が足りないけど、無理はしないで」
その言葉に、少しだけ心が軽くなった。学院時代の優しさは、戦場でも変わっていない。リナは資料を抱えたまま、少し立ち止まった。
「リオ、デルンの傷のことも気にしないで」
その言葉に、僕の胸が締めつけられた。デルンの傷──あれは、治らなかった。でも、今の傷は違う。普通の傷だ。そう信じようとした。
野戦病院のテントの中では、多くの負傷兵が横たわっている。医師たちが忙しく動き回り、治癒魔法をかける。緑色の光が傷口を包み、傷が塞がっていく。その光景を見ながら、僕は自分が切った敵兵のことを思い出した。
あの傷は浅かったから、すぐに治るだろう。敵軍にも医師がいるはずだ。治癒魔法をかければ、数日で完治する。そう信じていた。
だが、現実は違っていた。その傷は、決して治らない。そして、その事実が明らかになるのは、数日後のことだった。




