かめ、燃え尽きる
「はぁ……」
いつも落ち着いている亀田浩平が珍しくため息をついた。
公園のベンチ。仕事帰りの翔太は、その音に気づいて缶コーヒーを差し出す。
「お前がため息とか珍しいな。何があったんだよ、かめ」
亀田は静かにカフェオレを受け取った。
「……仕事」
「また、あの地味で無風な市役所勤務で何かあったのか?」
「無風じゃないんだ、これが。最近、人事異動で福祉担当になってさ」
翔太は吹き出した。
「お前みたいな静かなやつが福祉課? 絶対向いてねぇ! ギャグだろ!」
亀田は無表情で言った。
「……俺もそう思う」
それから亀田は語り出した。
高齢者の相談、生活保護の申請、家庭問題――
電話はひっきりなしに鳴り、休憩はろくに取れない。
帰る頃には心も体もズタボロだという。
「昨日なんて、利用者に『あんたみたいな暗い男に相談できるか!』って怒鳴られてさ」
「……そりゃキツいな」
亀田は肩を落とした。
「俺はコツコツやるのは得意だけど、感情の嵐に巻き込まれるのは苦手なんだ」
翔太は黙って聞いた。
普段は地味でブレない“かめ”。
しかし今は、甲羅を外された素の自分が、むき出しで傷ついていた。
「最近、朝起きるとね、心臓がドキドキして、会社に行くのが怖いんだ」
翔太は初めて見る、かめの弱音に戸惑った。
「お前……燃え尽きてんじゃね?」
「……かもな」
沈黙。
ベンチの隣で蝉の声だけがやたら元気に鳴いている。
翔太は、そっと言った。
「なぁかめ。お前、いつも俺に言ってただろ。“地味は裏切らない”“続けるやつが勝つ”って」
「……あぁ」
「でもな。続けすぎても、壊れる時はくるんだよ。特に真面目なやつほど」
亀田は目を丸くした。
うさぎのくせに、珍しくまともなことを言うじゃないか、という顔だ。
「お前、仕事休めよ。一日じゃなくて……思い切って、有給全部使う勢いで」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃねぇから休むんだよ。お前、頑張りすぎなんだよ。マジで」
翔太は真剣だった。
いつもはバカみたいに勢い任せで失敗してきた男なのに、この時ばかりは妙に大人びていた。
「俺さ、第1話からずっと言われっぱなしじゃん? 走り方が下手だの、休むなだの。
でもさ……かめ、お前だってペース配分、間違うときあるんだよ」
亀田は視線を落とした。
「……怖いんだ。休んだら、もっと迷惑かける気がして」
「迷惑? かけとけ。みんなかけてるって。お前だけ我慢してたら、そりゃ折れるわ」
静かに夜風が吹いた。
しばらくして、亀田が小さく呟いた。
「……ちょっとだけ休んでみるよ」
「おう。それでいい」
亀田はゆっくりと立ち上がり、柔らかい声で言った。
「ありがとう、翔太」
「おう。俺にできんの、このくらいだからな」
亀田は苦笑した。
「いや、十分すぎるよ」
その後、亀田は本当に有給を使い、一週間休んだ。
散歩をし、図書館に行き、ゆっくり風呂に入り、久しぶりに日向ぼっこをした。
一週間後。
亀田は、少しだけ顔色が戻っていた。
「休んだら、ちょっとだけ楽になったよ」
翔太は笑った。
「だろ? 俺を見習え。休むプロだぞ」
「それは違う意味で問題なんだよ……」
二人は同時に吹き出した。
――うさぎとかめ。
速いだけでもダメ、地味なだけでもダメ。
どちらもどこかで転ぶ。
だから支え合ったら、ちゃんと前に進める。
そんな気がした。




