第32話 〝Mezzo Forte〟
次の瞬間、ナギサの首から左頬にかけて、緑色の紋章が浮かび上がった。唐草模様と、そう表現するのが適切だろうか。
「魔術、紋……」
天の宝玉によって人体に刻まれるもの。
それが、目に見えるように浮き出たということは、ナギサが減速のチカラを極限まで引き出したということに他ならない。
だが、その話はあくまで御伽話の範疇に過ぎなかったはずだ。魔術紋が実際に浮き出るなんて話……聞いたことがない。
でも、オレは今その実例を目にしている。
否定など、できるわけがない。
それに、
「それが……お前の奥の手か」
ここ一年は鳴りを潜めていたので忘れていたが、こいつは元よりめちゃくちゃな奴だった。魔術紋が浮き出るぐらいなんだ……ナギサならあり得るだろう。
「ああ、本気で全力で――何をしてでも、お前に勝つ」
「何をしてでも、か。お前が言うと洒落にならねぇな……」
実際、あいつは今何をしてるんだ?
攻撃も受けていないこの状況で、減速を発動して何の意味がある……?
ただの魔力の無駄遣いにしか思えない。
しかし、ナギサはそんなバカなことをしないだろう。
魔術紋を出すこと自体が目的か?
それでオレの調子を崩す作戦……?
……しっくりこねぇな。
情報が足りなすぎる。
この話は、置いておくしかなさそうだ。
「――疾風」
今の魔力量だと、もう神速は使えない。
つまり、オレに減速を破る手段はなくなったのだ。
だが、勝機はまだある。
ナギサの魔力はそう多くない。
減速を使えなくなるまで、風魔術で徹底的に追い詰める……!
「刃――ッ!」
左の手の平から、風属性中級魔術を放つ。
ナギサはそれを軽々と避けると、
「……は?」
さっきまでオレとナギサの間には、三メートル近くの距離があったはず。それなのに、なんでいま目の前にナギサの拳が――
「ごふ――ッ!?」
顔に強烈な打撃が打ち込まれる。
倒され、後ろに転がる体。
「な――にが」
理解が追いつかない。
なんだ、何が起きている……!?
その、身体能力はいったい――
「――ッ」
ナギサが大きく上に跳ぶ。
そして、倒れているオレの体に踵を落とそうと――
「――――ッ!」
瞬時に風魔術を行使し、自分の体を吹き飛ばす。刹那、ナギサの踵落としが地面に炸裂した。地面が抉れ、土が吹き飛ぶ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
手を突いて、立ち上がる。
鼻から流れ出る熱くて赤い液体を、袖で乱暴に拭う。
「――ッ」
地面を派手に転がったからか、割れた右拳が強い痛みを訴える。その痛みに奥歯を噛んで耐え、オレはナギサを注視した。
――明らかに、ナギサの身体能力が上がっている。それも、オレの身体強化を上回るほどのパワー。
これは、魔力による身体強化ではない。
第一、ナギサは零術を使えないし、身体強化を持続できるほどの魔力を持っていない。
どういうからくりなのか見当もつかないが、恐らくナギサは減速を使って身体能力を強化している……!
減速を打ち消し、凌駕するほどのパワーを、減速を使って生み出している……!
ナギサのやることだ。
十中八九、頭のイカれたやり方だろう。
原理なんて考えても、きっと答えは一生出ない。ならば、
「オレも本気で全力で――何をしてでも勝たせてもらう」




