第29話 〝イドラ『減速』〟
「――ナギサ」
背後から、そう名前を呼びかけられる。
聞き覚えのある声だった。
忘れられない/忘れてはいけない声だった。
反射的に、後ろを向く。
「クシェラさん。お久しぶりです」
久しぶりに会ったからか、彼女の鮮烈な赤い髪の毛が目に焼き付いた。
「何か、いいことあったんですか?」
「……もしかして、笑っていたかしら」
「いえ……」
ただ、なんとなく、両の瞳が喜びの色を滲ませているような気がして。
「会って早々、変なこと言ってすみません」
「別に謝らなくていいわよ。それでナギサ、今から時間作れる?」
「今から、ですか? 俺……依頼終えてきたんですけど」
魔力があまり残っていないんですけど。
「そんなの見ればわかるわよ。アタシ、これから外せない用事があるの。だから、頼まれてもらえないかしら」
黄土色の瞳で懇願される。
……まあ、別に用事があるわけじゃないし、無理に断る理由もないし、クシェラには色々と恩もあるし。
「……わかりました。俺は、何をすればいいんですか?」
「実は、物を落としてしまってね」
今から言う場所に行って、拾ってきてほしいのよ――妖しく瞳を光らせながら、クシェラはそう言葉を続けた。
§
「落とし物探し、か」
森の中を進みながら、一人ごちる。
クシェラに指定された場所まで、もう少しで着きそうだ。それにしても、
「引き受けてしまった以上、見つからなかったら気まずいよなー」
指輪なんて小さいもの、俺が見つけられかどうか。クシェラの指の円周が五十メートルくらいあったら、簡単に見つけられるのに。
そんなバカなことを考えていると、開けた場所に出た。さんさんと照る太陽の眩しさに思わず目を細め、
「なんだ……あれ」
遠くの方に何か、ある。
目を凝らしてみると、それは明らかに人の体で。
「――ッ!」
勢いよく走り出す。
人が倒れている。
しかも一人じゃない。三人だ。
一刻も早く助けなければ、手遅れになるかもしれない。魔物に襲われたのか、それとも別の何かが――
「おい、大丈夫――か」
近づいて、はっきりと体が見えて、血塗れで倒れている人物が、自分の見知った人間であることに気づく。
そう、最近出会った――
「マルコス……なんで」
体を揺さぶりたくなる衝動を抑え、俺はゆっくりとマルコスの手首に三本の指を当てた。指から、マルコスの確かな脈拍を感じる。
良かった、とりあえずは生きている。
ああ、
「なにがッ、とりあえずだよ……!」
自分の思ったことに、虫唾が走った。
拳を固く、握り締める。
他の倒れている二人――恐らくカルフとアンバーの状態も確認しようと、マルコスから目を離した時だった。
「ナギサっ、さんですか……?」
そんな声が聞こえたのは。
「――カルフ」
「なぎさ、さんッ……」
少し離れた場所から、全身血だらけのカルフがこちらに向かって歩いてくる。歩かせまいと、俺はカルフに走り寄った。
「――あっ」
「無理、すんなよ」
前のめりに倒れそうになったカルフの体を抱き留める。濃密な、血の臭いがした。
「いったい、何があった」
「一刃の風の、ユアン・グラネルドに……団長が、体を斬られてっ!」
「――――」
「それで……助けようって思ったのに――助け、られなぐで……!」
「――――」
「僕の、ぼくのせいなんです――ッ!! 僕がもっとあの男を警戒していれば……! こんな……こんなごとには、ならながった!!」
服の胸元を、カルフにきつく握り締められる。手が、ぶるぶると震えていた。
「いつも、いづも、そうなんです……! ぼくはいつも……! 誰かに庇われて、ばっかりだ……」
「――――」
「ぼくはっ……! 弱いぃ……!!」
カルフの手を、上から力強く握り込む。
「話してくれてありがとうな、カルフ」
所詮、他人だ。
俺にはカルフの気持ちはわからない。
だから、俺の薄っぺらい励ましなど、カルフは聞きたくないだろう。
「マルコスは生きてるから安心しろ。俺はちょっとアンバーの様子を見てくるよ」
ゆっくりと、服からカルフの手を引き剥がす。
そして、俺はカルフを地面へと座らせた。
「……っ……ぅ……うぅ……ぐふっ……」
嗚咽を漏らしながら、カルフが地面にうずくまる。その姿を一瞥すると、俺は地面に倒れているアンバーの元へ向かった。
その、途中で。
黒いローブを着た少女と目が合った。
黒色の髪と、大きな紫色の瞳。
見覚えがある。
「――えっと、その……ナギサさんですよね」
「はい、合ってます。あなたは――」
名前が思い出せない。
不彁視の砲弾、じゃねえ。
それは彼女のイドラの名前だ。
「俺の傷を治してくれた人ですよね?」
「はい、リレ・ネルウェスです。――その、ナギサさんもクシェラさんに言われてここに?」
「――え?」
「違いましたか? 私は治療してほしい人がいるって、頼まれて来たんですけど」
「そう、ですか」
溢れ出る疑念を抑え込み、俺はそこで会話を切った。リレがアンバー、カルフ、マルコスの順で傷の状態を確認していく。
「治せそうですか?」
「はい。私の魔術でも問題ないと思います」
「すみません。こいつらのこと頼めますか?」
「はい、大丈夫ですけど――」
「ありがとうございます」
もう平静を装うのは、限界だった。
§
屋敷にて。
ユアンは自分の体に包帯を巻くと、ラナの部屋へと向かった。ノックをし、許可を得て中に入る。
部屋には、寝台に寝かせられている銀髪の少女と、その傍らの椅子に腰掛けている桃色の髪をした少女の姿があった。
「――アリス、ラナの調子はどうだ?」
「眠ってるわ。傷もないから、そのうち起きると思う」
「そうか……」
「それよりユアン、あなたの体は大丈夫なの?」
「ああ、痛むだけで死にはしねぇよ」
「……そう」
空気が重い。
アリスに何が起きたか打ち明けたのは、間違いだったろうか。
「あのね、あたしはユアンがやったこと……正しくはないけど、間違ってもいないと思う」
「……ありがとう、アリス。――でもな」
仲間のためとは言え、無関係の人間を襲ったことは紛れもない事実だ。
それを間違っていないだなんて、オレは到底思えない。何のためであろうと、
「罪は、罪だ」
そう言った直後だった。
屋敷のすぐ外から、轟音が響いたのは。
「……なんだ?」
急いで窓の外に目を向けると、屋敷の鉄門がぶち破られていた。そして、それを行なったのは、明らかに銀色の髪をした少年で。
「なんで……ナギサが」
同じ光景を見たアリスが、そんな声を上げる。ナギサが庭に侵入する。
「――アリス、ラナを頼んだ」
「嫌よ! あたしが行く!」
「ダメだ」
「なんでよ!! 明らかにユアンは重症じゃない!」
「大丈夫だ、安心しろ。もし戦闘になったとして、オレがナギサに負けると思うか?」
「それは……でも」
「アリス」
「わ、わかったわよ!」
アリスから言質を取り、オレは廊下を走り抜け、階段を駆け下りる。
……いくら老朽化していたとはいえ、ナギサに鉄製の門を破壊することは可能なのだろうか。
オレの知るナギサでは、魔術と身体強化を駆使したとしても、あのように門をぶち破ることなどできないはずだ。
まさか、減速?
いや、一年もの間イドラを使えなかった男が、この二週間足らずで使えるようになるはずがない。
仮に使えたとして、それが門の破壊にどう繋がる? 減速を攻撃に利用するのはどう考えても不可能だろう。
……わからねぇな。
疑問を放置しておくのは怖いが、状況が状況だ。そう割り切り、オレは玄関を出た。
正面には、右の拳からぽたぽたと血を垂らしているナギサと……グルトの姿があった。一階にいて、オレより先に庭に出ていたのだろう。
「何の用だ、ナギサ。門をぶち壊すなんて、てめえらしくないじゃねえか」
そう言って、グルトがナギサに近づく。
何か嫌な予感がする。
今すぐにグルトを呼び止めるべきだ。
それなのに、声が出なかった。
思ってしまったのだ。
結果的にとはいえ、グルトの夢を否定した自分に、あいつの身を案じる資格があるのかと。
「――邪魔だ」
「あ? 口の聞き方に気をつけろよ。もうてめえにこの屋敷に入る資格は――」
「――土」
ナギサが拳をグルトに向ける。
それに気づき、グルトが避けようとするが、間に合わない。ナギサの拳が土に覆われ――、
「籠手――ッ!!」
グルトの左頬に、強烈な打撃が打ち込まれる。呻き声を上げて、グルトが地面に倒れ込んだ。
「……弱いな」
「んだと……てめええええええええ!!」
グルトが立ち上がり、ナギサに殴りかかる。だが、魔力枯渇の影響が残っているのか、動きに機敏さが見られない。
「うるさいよ」
拳を避け、ナギサがグルトの腹に膝蹴りを叩き込んだ。「が――ッ」と声を漏らし、動かなくなるグルトをナギサは地面に放り投げる。
そして、視線と視線がぶつかった。
水のように透き通った青の瞳には憤怒の色が浮かんでいて、ナギサが何をしに屋敷に来たのかわかってしまった。
「――ナギサ、お前の用件は報復で合ってるか?」
「ああ、カルフの敵を討ちに来た」
「カルフという名前は知らねぇが……死人はいるか?」
「いねぇよ……!」
そうか。
それは良かった。
これで、心置きなく戦える。
「それでナギサ。オレは罰を受け入れる前提で罪は犯さねぇ。この意味、わかるか?」
「――愚問だな」
瞬間、オレは全身に魔力を流し、ナギサへ肉薄した。
§
ユアンが俺に鋭く迫る。
だが、事前の想定よりも大幅に速度が遅い。
神速は速度調整の自由があまり効かないイドラだ。最大まで速度を落として使ったとしても、目では追えない速さだったはず。それなのに、いま俺の目はユアンの姿を正確に捉えることができている。
間違いなく、これは神速ではない。
ただの身体強化だ。
なんだ、俺のことを軽く見ているのか?
それとも魔力不足?
いや、ユアンに限ってそんなことはあり得ないだろう。つまり前者で確定か。
別にいい。
というか、そちらの方が好都合だ。
土を蹴り、俺もユアンへ肉薄する。
距離が縮まる。
拳が、届く――!
「ハ――ッ!」
ユアンが俺の右頬に狙いを定め、拳を振るう。その動きを目で捉え、避ける。
放たれる二撃目。
目で追うことはできるが、腐ってもユアンは身体強化を常時発動しているのだ。俺の身体能力では到底、避けることができない。
そう、避けることができないのなら、逆にそれを利用すればいい――!
体の動きを極限まで遅くするために、俺は魔術紋にありったけの魔力を注ぎ込んだ。体に刻まれた紋章が、唸りを上げる。
そして、俺はイドラ『減速』を発動した。
「ハァ――!」
魔力で強化された打撃が俺の左頬に炸裂する。空を舞う血飛沫。それらは全て、ユアンの右拳から発生したものだ。
鋼鉄の如き俺の左頬を全力で殴ったのだ。拳が割れないわけがない。握られた指があらぬ方向に折れ曲がっていることから、骨も折ることができたらしい。
「づうぅう――っ!」
あまりの痛みにユアンが声を漏らし、後ずさる。流れ出る血液が地面を赤色に汚していた。
「まさか、これは――減速」
使えるようになったのかと、ユアンの目が続きの言葉を示していた。その問いに俺は沈黙で応じると、拳を強く握り締めた。
――戦闘が始まってから十四秒。
ナギサ・グローティーはイドラ『減速』によって、ユアン・グラネルドの利き手を破壊することに成功していた。




