怒り方教育改革
突然ですが、私は怒られるのが嫌いです。どうしてかなんてわざわざ説明するまでもなく、過ぎたことをとやかく言われ責任を詰められることは不快だからであります。また、怒られるのが好きだという人も聞いたことがありません。もしいるのであれば、それは常に人をバカにしていて、相手の怒る姿が面白いと感じるような変わった趣味の持ち主ということになるでしょう。
皆さんはどうでしょうか。怒られるのは好きですか? それとも怒るのが好きですか?
一般的に怒ることはあまりほめられたものではないのかもしれませんが、人間だからつい怒ってしまうのも仕方ないことと思います。ついかっとなって怒りたくなって、そこでグッと我慢できるかがとても大事なことです。怒ることは人を傷付けます。怒っている人は近寄りがく、印象も悪いものです。
国によって怒っている人への評価の仕方は様々で、感情のコントロールが出来ない子供だ、と見なす国もあれば、人前で怒られたために恥をかかせられたとして報復で殺さることもあります。一方日本では怒っている人に対して冷笑を浴びせる人が増えたように思われます。火事と喧嘩は江戸の華と言う日本人はもういなくなって、こっそり動画を撮ってSNSにアップしてコメントで喧嘩するというのが日本の怒りに対する調理法であります。話が逸れましたが、怒っている人や怒られている人は自分に関係なくとも見ていてなんとなく気分が悪いもので、怒鳴り声などはデシベル以上の不快感があります。これはおそらく世界共通なのではないでしょうか。
怒りとは凶器であります。それだけに扱いには気を付けなくてはいけません。
とはいえ怒らないと言うのは無理な話で、アンガーマネジメントなんて言葉がありますが、これも怒らないための訓練というよりは、怒りに対する防衛術のようなものであります。大事なのは、マネジメントすること、怒りを制御することで、上手に怒ることが出来ればいくらでも怒っても良いというのが私の意見であります。
さて、良い怒り方とはどんなものか。最低でもその怒りが正当性のあるものと言えることが条件であります。怒りの正当性とは、多くの人が「それはキレていい」と賛同するようなものや、怒るという行動が何かを変えるような生産性のあるものと私は考えます。弱いものいじめに義憤を感じるのは後者の好例であります。
そこで私は相手を叱ることが、一番上手で正当性のある怒り方と考えます。
人を叱るとき、弱々しく、相手をたしなめるようなものでは効果は薄いでしょう。国民的アニメの髪の毛一本のお父さんが「ばかもん!」と怒気を込めて叱りつけなくては、刈り上げの少年は反省しないでしょう。怒りと叱責は紙一重であり、これを上手く扱えることが良い怒り方であります。
しかし、現代では怒りは暴力的なものと見なされ、叱ることと怒ることの区別はなく、少しでも怒気の匂いがすれば糾弾されてしまいます。こうした過敏性の現代では、悪いことをした相手を叱ることが出来ません。叱れば叱った側が叱責を受ける世の中だからです。教育において叱らなくて済むのはものわかりの良い子供だけであり、あとの子供は悪いことをした時に罰がなければ一向理解できません。
私が当選した暁には、怒ることを推奨した教育改革を行います。勿論、上手な怒り方を用いた改革であります。
まず、私が見てきた下手な怒り方をする先生方を例にあげましょう。
ある先生はあまりに生徒が言うことを聞かないので職員室に戻ってしまいました。これは幼稚です。教育から逃げたと言われても仕方ありません。我々は授業時間が終わるのを待つか、代表者が先生を呼びに行くかで意見を出しあい、結果呼びに行くことになり、授業は再開されました。先生の怒りには正当性があります。再三注意をしても聞かない生徒が悪いのですから。では、その場で怒っても良いのに怒らなかったのはなぜでありましょうか。
またある先生は果敢にも宿題をやらずに開き直っている生徒を叱りました。ここまでは良かったのですが、そのまま先生は生徒の人格を否定しだしました。その生徒の素行が悪いのは我々子供たちから見ても確かでしたが、少々行き過ぎた怒りだったと思います。そうして生徒は流石に堪えられなくなり泣き出しました。すると先生はこう言いました。「君の将来のために先生は怒っているのです」と。うーん、これが心の底からの本音であれば素晴らしいのですが。
この二人にはある共通点があります。それは叱る技術がないという点です。
一人目の先生は叱ることから逃げました。上手に叱ることが出来ないから、それがバレるのを恐れたのでしょう。
二人目は責任から逃げました。つい我慢できずに怒ってしまったのを、相手のために怒ったと責任の所在をすり替えたのです。
彼らがもし上手に怒ることが出来るのなら、毅然と教育の使命を果たすことが出来たでしょう。上手な怒り方を身に付け、叱責の中に怒りを発散する方法を実践していれば、生徒たちは自らの過ちに気付き、先生は将来の自分のために怒ってくれたのだ、と気付けたでしょう。
先生方が批判に萎縮せず、のびのびと叱ることが出来るように教育現場を改革していく。そうして良い怒りをぶつけられた子供たちが大人になったとき、良い怒り方で次の世代に叱責と教育を与えていく。
怒り無き教育に成長はありません。怒り無き叱責は愛無き叱責に同じであります。教育委員会は全国の先生方に上手な叱り方を教えるべきなのです。




