9:窮地
イツキさんの機械兵は既に活動を停止している。レンさんはローブの人を追って遠くにいる。
HANAEさんは、僕の後ろで倒れたまま動けない。もしかすると、今までの攻防で身体を強く打ったのかもしれない。
門番は既に壁の中に入っていた。レンさんとイツキさんが口論している辺りで、小柄な方の門番が大柄な門番を引きずって壁の中に入っていったのを見ていた。
だから、僕が考慮しなきゃいけないのはHANAEさんと機械兵の位置だけだ。機械兵の中にイツキさんが入っている可能性はあるが、装甲自体は頑丈なのでよほど距離が近くない限りは大丈夫だと思う。
HANAEさんを巻き込まないためには僕がHANAEさんから離れるのが一番簡単な対処法だが、僕を無視してHANAEさんを攻撃対象にされた場合、どうしようもなくなってしまう。
それに、理由は分からないがさっきからこの鳥は僕を攻撃対象にしていない。あのカラスもそうだったが、一度も僕に攻撃をしかけてくることはなかった。
案の定、僕がHANAEさんに接近しているとその場で羽ばたいているだけで全く攻撃しようとする素振りがない。HANAEさんを攻撃しようとして僕にも当たることを恐れているのだろう。
ローブの人が現れた時の発言を聞いても、明らかに僕が目的だ。僕に何を求めてる?
僕は誰かに必要とされるような人間じゃない。何も特別なことは起きない、何も歴史に残すことのない、普通に生きて普通に死んでいくタイプの人間だ。
「…」
かといって、魔法も使える距離じゃない。今使うと間違いなくHANAEさんごと吹き飛ばす。ダメージは入らなくても、HANAEさんと僕が離れてしまうような状況になるのが危ない。
レンさんが来るまで待つのか?それとも、建物からイツキさんが援軍を送ってくれるのを待つ?その前にローブの人の仲間が来たり、HANAEさんだけを狙えるような敵が来てしまうのでは?
答えはすぐに出た。
レンさんがいた方から爆発が起き、レンさんがこちらまで吹き飛ばされてくる。
吹き飛ばされている途中で体制を立て直し、片手と片膝をつくような状態で後ろ向きに滑れている辺り、レンさんの身体能力が高いのがよく分かる。
僕のすぐ傍まで移動してきたので、結構な威力で吹き飛ばされている。体力は問題ないのだろうか?
「くそ…相性悪いわ…!」
土煙が晴れると、かなり離れたところにローブの人。ローブの人との距離を見た瞬間に、すぐさまスマホの画面を押す。
「『ソロウ』!」
ローブの人の真上に、真っ青な色をした巨大な雫が現れる。そのまま落下すると、着弾した瞬間に大爆発した。
「うおぉ!?」
爆発に巻き込まれない位置で魔法を発動できたのが初めてなのだが、ちゃんと見知ったエフェクトで安心した。レンさんが驚いて声をあげたように、エフェクトの強大さに僕自身も驚いている。哀属性単体魔法である『ソロウ』は、本来バスケットボールを一回り大きくしたような大きさの雫が落ちて、着弾と同時に爆発する。それが、僕の場合は大型トラックくらいの大きさの雫になっている。
思い返せば、ボックスに向けて放った時は一瞬で視界が真っ青になった。至近距離で見れば何が起きたかすら理解できないレベルだ。
「今の、ナナシがやったんか?」
驚きながら聞いてくるレンさんを見て頷く。レンさんがニヤっと笑ったが、すぐさま真剣な顔で薙刀を構えた。金属がぶつかる音がした。突進してきたつぎはぎの鳥をレンさんが薙刀で受けようとするが、弾かれてバランスを崩す。普通なら転ぶところだが、レンさんは身体を回転させてすぐさま体勢を立て直していた。
「ちぃっ…やっぱり『物理無効』か」
『物理無効』。NOWHEREのMMOスペースにおいても、一部のモンスターが持つステータスだ。物理攻撃が一切通らず、特別なギミックや魔法攻撃を駆使して倒さなければならないケースが多い。
NOWHEREの攻撃はダメージが通らないとノックバックが発生しないのに加えて、防御力の差に応じてスーパーボールのように攻撃が弾かれる。僕の水風船は割れた瞬間に破裂するので分かりにくいが、HANAEさんのハンマーやイツキさんの機械兵の銃弾は弾かれていた。
「味方を巻き込む威力の魔法…つくづく、何故お前が必要なのか分からない」
晴れた土煙の中から、ローブの人が現れる。
顔は見えないが、僕を忌々しそうに見ているのが感覚で分かる。
レンさんが押しのけるようにしてつぎはぎの鳥と距離を取った。薙刀を構えたまま、ローブの人に問う。
「分からんなら、なんでナナシを狙う?わざわざアンダーワールドに連れて来てまでやることなんか?」
「…彼の能力が必要だと、導き出されたからだ」
導き出された?
「アンダーワールドにも来たことない人間やぞ?そないな虚言誰が言うとんねん」
「…『世界』だ」
沈黙が流れる。突拍子もない事を言っているのは分かっているが、何故か正しいことを言っている感覚がある。レンさんも同じことを感じ取っているのか、無言のまま真剣な表情で見つめている。
正しいことを言っているとしても、意味は分からない。NOWHEREやアンダーワールドでもなく、『世界』?
「…喋りすぎたな。関係のないお前には消えてもらおうか」
言い終わるが早いか、つぎはぎの鳥がレンさんに突進する。物理無効なら魔法攻撃をするか、回避するしか手段はない。
しかし、レンさんは避ける素振りすら見せなかった。代わりに持っていた薙刀を消すと、少し腰を落とした。
「『一閃』」
レンさんが呟くように言いながら、右手を左の腰に添えた。瞬き一つしただけで、レンさんの姿が風と共に消える。次の瞬間、少し離れた所にいたつぎはぎの鳥が頭と右翼、脚と左翼の二つに分かれて地面に落ちた。
「…『デバイス』か」
「もうちょい喋って貰お思たんやけどな。内容も意味わからんし、手抜いてる意味もないわ」
落ちた鳥の向こうで、レンさんが刀を納刀していた。物理無効のつぎはぎの鳥を両断できる原理は僕にも分からない。これが『デバイス』の力なんだろうか?
続けざまに、青白いビームがローブの人に向かって飛ぶ。レンさんの近くに、今までより小柄な機械兵が着地した。
「遅いわ。様子見でもしてたんか?」
「お前だけでも何とかなると思っていたが、無理そうだから来た」
イツキさんの言葉に、レンさんが舌打ちした。
「『ソロウ』」
レンさんが何かを言おうとした瞬間、ローブの人の声が聞こえた。直後、レンさんに向かって濃い青色の雫が落ち、爆発が起こる。僕とHANAEさんは距離があるので強風を感じる程度しか巻き込まれていないが、レンさんとイツキさんは間違いなく攻撃範囲に入っている。
僕の魔法の威力の方が格段に上だが、余計なものを巻き込まない分使い勝手がいい。魔法は基本的に必中なので対人戦においても強力な攻撃手段なのだが、自分も巻き込まれるリスクが出てくるのでおいそれと威力は上げられない。
土煙の中からレンさんが飛び出し、ジャンプ斬りの要領で刀を男の人に振り下ろす。しかし、男の人が手を伸ばすと、見えない壁のようなものに阻まれて刀が空中で受け止められた。
レンさんが見えない壁を蹴り、僕達のいる位置まで下がってくる。同時にイツキさんの機械兵がビームを数発撃ちながら殴りかかるが、それも見えない壁に阻まれる。
レンさんはローブの人から視線を外さないまま、真剣な表情で言う。
「ナナシ、HANAE連れて下がりぃ。ナナシが逃げきれれば目的失って引くかもしれん」
レンさんの言うことも一理ある。だが、レンさんはさっきの魔法を受けて疲弊しているようにも見える。威力も結構なものだったし、もしも相性が悪ければあと数発耐えられるかどうかだろう。
「大丈夫や。イツキと二人ならなんとかなるわ」
心配する僕を安心させるようにレンさんはこちらを見て笑った。言葉の真偽は、考えてはいけない気がした。
「そうはいかない」
僕らのすぐ傍で声がしたかと思うと、ローブの人がレンさんの目の前に移動してくる。レンさんがすぐさま反応して振り払うように刀を振るが、それも難なく受け止められた。
同時に、僕らの周りに無数のワープエフェクトが現れる。ボックスが召喚された時と同じ状況だった。
「嘘やろ…!」
しかし、出てきたのはボックスではなく、つぎはぎの鳥だった。一体でも厄介だったのに、数十体出てきている。いくらレンさんが対処できるといっても、数で押し切られるとさすがにどうしようもない。
集団戦に有効なのは僕の魔法なのだが、囲まれている状況では使えない上に、味方を巻き込まない状況を作り出さない限り気軽には放てない。
イツキさんの機械兵が鳥に向かってビームを撃つ。魔法攻撃判定なのか弾かれることはなかったが、致命傷にはなっていない。あくまで体力を削っただけのようだった。
「…」
HANAEさんがフラフラになりながらも立ち上がり、ハンマーを構えた。それでも、この状況を打破できるとは思えない。
一か八か、味方を巻き込む覚悟で僕が魔法を放つしかないだろうか。一番遠くの鳥に魔法を放って、混乱したところをなんとか脱出…できるのか?
「一撃なら大丈夫だろう」
僕が考える前に、ローブの人がHANAEさんに向かって手を前に出した。僕はまだ攻撃を受けていない。だから、HANAEさんに向けて魔法を放って僕が巻き込まれたとしても、僕の体力が尽きることはないと踏んでいるのだろう。
しかし、HANAEさんは耐えられる状況ではない。
ローブの人に向かって水風船を投げる。少しでも動きを止めたかったが、案の定見えない壁に阻まれる。破裂した水がかかることもなかった。
イツキさんのビームも見えない壁に弾かれた。物理も魔法も防げる壁なんて、どうしようもない。
万事休す、か―――
直後、僕達の目を覚ますかのように破裂音がした。
同時に、僕達を囲むように黒い線が現れる。見たことのある光景だった。
焦ったように周りを見ていたローブの人に向かって、上空から何かが落ちてきた。ローブの人も見えない壁を展開するが止められたのは一瞬だけで、ガラスの割れるような音とともに壁が砕けた。
「最近よく会うな」
僕の背後から現れたのはトオノさんだった。さっき聞こえた破裂音も、つぎはぎの鳥を吸い込んでいる黒い線も、ナビボットに襲われた時と同じ現象だ。
「…!」
レンさんの表情が変わる。明らかにトオノさんのことを知っている様子だった。でも、その表情に安堵の感情はない。状況が悪くなったと思っているような表情だ。
もう一度、ガラスが割れるような音がした。ローブの人が黒い線に向かって吹っ飛ぶが、上空で体勢を立て直して動きを止めた。
それに向かって何かが飛ぶ。速度が早すぎて、それが人だと理解できたのは見えない壁によって動きを一瞬止められた時だった。
それでも一瞬止められるだけで、すぐに壁が破壊される。着地した瞬間、ローブの人は焦ったような素早い動きでUIを操作し、姿を消した。同時に、黒い線も消える。
「レンさん!」
HANAEさんが叫んだ。残っていたつぎはぎの鳥がレンさんに向かって突進する。レンさんと衝突する直前、何かがつぎはぎの鳥にぶつかり、金属音とともに鳥が吹き飛んだ。
「レン、アンタ腕落ちた?」
「シキ…」
肘まである巨大なガントレットを身に着けた金髪の女性が無表情のままこちらに歩いてきた。この人に吹き飛ばされていた鳥が地面に落ち、バラバラに崩れる。
もう他の敵はいないが、レンさんは険しい表情のまま警戒を解かない。イツキさんの機械兵は離れた所でこちらの様子を伺っていた。
「…今回は味方でええんやな?」
「今まで通りどっちでもない。少なくとも今は争う気はないな」
トオノさんの言葉にレンさんが警戒を緩める。シキと呼ばれた女性もガントレットを消した。
レンさんより少し長いミディアムウルフの金髪に、濃い緑の緩めのカーゴパンツ。黒のインナーの上から、ボタンで留めるタイプの青いベストを着ている。腕が出ているのでインナーはタンクトップなんだろうか。
近くに来て分かったが、シキさんはこの場にいる誰よりも背が高い。イツキさんの機械兵を除くと、シキさん、僕、トオノさん、レンさん、HANAEさんの順だ。僕が百七十センチだが、それよりも二、三センチ高い気がする。
その割にはレンさんよりも細い。物理無効のつぎはぎの鳥を殴り飛ばした人と同一人物とは思えない。でも、その割に実力者のオーラのようなものを感じる。MMOスペースでランカーの人達を見た時や、HANAEさんを始めて見た時よりも強者だという感覚が強い。レンさんとはまた違った種類の威圧感がある。
「まずは状況整理するか。あれから色々あったんだろ?」
僕が頷くと、レンさんは何かに気付いたような顔をした。
「ナナシを助けたのって、トオノだったんか…!」
レンさんに事情を説明した時、個人情報を出さないためにトオノさんの名前は出さなかった。レンさんとトオノさんが知り合いだとは思ってもみなかった。
不思議だが、トオノさんからは逆に何も感じない。それが逆に不気味でもある。実力者なのは周りの反応を見ても今までを振り返っても明らかではあるが、それでも威圧感もオーラも全く何も感じない。
「とりあえず座んない?イツキんとこでいいでしょ」
「…」
シキさんの言葉に、イツキさんの機械兵は口も出さずに壁の方へ歩いて行った。
◆
「じゃあ、清算を始めますか」
あの後、僕達は皆壁の中の建物に入り、大きめの部屋でテーブルを囲んでいた。銃弾ですら弾き返しそうな頑丈な鋼鉄でできていて、椅子やテーブルも同じく鋼鉄だ。それでも座り心地は悪くない。
「…」
この場にいるのは六人。僕、右隣にHANAEさん、トオノさん、シキさん、イツキさん、一周して僕の左にレンさん。壁の中の建物にはイツキさんの部下と思える人たちが何人もいたのだが、誰にも聞かれないようにと当事者だけが部屋の中に入った。鋼鉄でできている部屋なものの、特別な技術で防音にしているとイツキさんが言っていた。
イツキさんは機械兵ではなく、軍服を着ている状態で席に座っている。驚いたのは、イツキさんが女性だったこと。壁の外で会話していた時は機械の合成音声のような声質だったので気付かなかった。
見た目は清楚で固いが一度話すと非常に明るい印象を受けるレンさんと対局で、おかっぱな髪型に髪色は外側がダークブラウン、インナーカラーは濃い目の青色という派手な見た目だった。しかし服は軍服なこと、表情は仏頂面なことがちぐはぐな印象を受ける。普通の服を着ていればかなり人目を惹くとは思うが。
「今までの流れは説明した通りや。ナナシの友人にウイルスが仕込まれたって聞いて、イツキに対処して貰お思てここに来たらアイツらが出てきたってとこやな」
「…お前が私の機械兵を四体ほど壊したがな」
レンさんの言葉を、イツキさんが目を閉じて腕組みしたまま返した。
「お前の部下がHANAEに鼻の下伸ばしてたからやろ。部下の管理ぐらいできひんのか?」
「お前に言われたくはない」
絶対に口に出せないが、僕も同じことを思った。僕がレンさんの部下に何か危害を加えたならまだしも、何もしていないのにあの取調室のような部屋に閉じ込められて脅されたらそこそこ長い期間根に持つだろう。味方ならそれはそれで心強いとは思うけれども。
「はいはい、時間の無駄だから後でやんな」
シキさんはテーブルに足を乗せ、二人には目もくれずUIを操作しながら言った。
二人は何か言いたそうにしていたが、特に反論はせずに黙り込む。これだけで力関係で分かるようだ。
「発言や行動を見ても、一連の事件はナナシアを引き入れる目的でほぼ確定と見ていい」
トオノさんはまだ僕の読み方を『ナナシア』だと思っているようだ。レンさんやHANAEさんもトオノさんの発音に引っかかったようだが、特に何も言わなかった。
「アンダーワールドに誘い込んで攻撃、ブラックアウトさせてから連れて行く。人攫いの常套手段だね」
シキさんが半笑いで言った。オープンスペースでは攻撃行動が取れないから、アンダーワールドに移動させてから攻撃して気絶させる目的、ということだろう。そんな常套手段は知りたくもなかった。
「ナナシのダチも被害者やで?ローブは世界がどうこう言うてたが、ナナシのコミュニティは無視できんやろ」
「いや、おそらくナナシアを本人を誘き出すために友人を狙ったんだ」
「…どういうことや?」
トオノさんは僕に目線を向ける。
「たとえば、友達と同じくオープンスペースでアラームボットに誤認捕縛されそうになったらどうする?」
僕は俯いて少し考えた。僕がねねこさんの立場になったら。アラームボットに捕まった後、仕込まれたウイルスの元が特定できず、僕が冤罪で誤認逮捕される可能性もある。
顔を上げないまま、正直に答えた。
「…逃げると、思います」
トオノさんは予想していたかのように頷く。
「うん。そのままログインしなくなるか、新しいアカウントを作るか…だろうね。でも、それが友人に仕込まれたとしたら、君は自分の事もそっちのけで解決方法を探す」
おそらくトオノさんの言う通りだ。三位決定戦直後にアンダーワールドに誘き出された最初の事件がなかったとしても、僕はねねこさんに仕込まれたウイルスを解除するために奔走していたと思う。
でも、それは友達想いとかそういう綺麗な理由じゃない。コミュニティでの話相手がいなくなってしまうとか、単純な好奇心とか、他にやることがない僕が一時的に夢中になるゲームのような、そういう僕主体の醜い理由だ。
トオノさんはそれを見透かしたように僕を見ながら、無表情で続けた。
「本人に仕掛けても逃げられるだけで、他人に仕掛けた方が誘き出せる。そういう性格や行動を予測できてる人間だな」
今まで興味なさげUIを操作していたシキさんが目線だけで反応した。性格や行動を予測できる人間に心当たりがあるのだろうか。
レンさんは顔をしかめながら考えているようだが、特に思い当たることはなさそうだった。イツキさんは変わらず目を瞑って腕組みしたままだ。HANAEさんは…。
「?」
純粋な表情で僕を見て、首を傾げた。至近距離でこういう仕草をされるだけで、普通の男性ならこれだけで夜眠れなくなりそうだ。…かくいう僕もしばらくはこの景色が頭に残りそうだが。
話を理解できているのかは分からないが、時折相槌を打ちながら真剣な表情で聞いていたところを考えると大方理解できていそうではある。
「ここまで執拗にナナシアを狙うとなると、当然これからも狙われることになる。そこは犯人への対策が必要だな」
「犯人ったって、誰かも分からないんやで?どうやって対策すんねん」
「その子が狙われてんだから、狙われても対応できるように後ろ盾用意しとくってこと」
シキさんが当たり前の事を言うかのように言った。
これからも同じ目に遭うのは億劫だけど、確かに常に実力者の人と行動できれば心強い。上手く撃退できればそれ以降は被害に遭うこともなくなる筈だ。
「とにかく、経緯の確認が終わったところで話し合う必要があるのは二点。『ウイルスの対処』と『犯人への対応』だ」
トオノさんが仕切り直すように言った。席に着いてからレンさんが今までのいきさつを話し、時折僕が補足しながら、誰かが質問しながら、認識をすり合わせるように全体が同じ情報を共有した状態だった。
他に話し合う必要があるのはトオノさんが言っている通り、これからのことだ。
「被害にあったナナシアの友人については俺達が対応できる。この後連絡するから、見逃さないように」
トオノさんに言われて、僕は頷く。トオノさん達の技術はナビボット襲撃の際に十分理解できている。運営ですら見つけられなかったマルウェアを発見・解析・除去できる技術があるのだから、今回も問題ないだろう。トオノさんが対応できると断言できているのも安心する。
「犯人への対応はどうするんや?後ろ盾が必要なんやろ?」
ローブの人が僕を狙っているとわかった以上、これからも僕が狙われるのは間違いない。正直、今の僕には対応できる手段がないので、レンさんの言う通り誰かの協力が必要になる。
レンさんは自慢げに笑うと、胸を張りながら言う。
「なら、ウチで面倒見たるで。HANAE以外の誰よりもナナシと関係深いし、ウチの若いモンが迷惑かけたしな。ナナシもレンちゃんなら文句ないやろ」
正直レンさんとの関係はそこまで関係は深くないと思う。一緒にいた時間は長いのだが、ハッキリ言って誤差の範囲内だ。ついでに言うと、レンさんの取り巻きの人が大抵怖い人ばかりな気がするので気は進まないのは確かだ。…絶対に口に出せないが、レンさんも少し怖い。
「異論ありだ」
今まで動かなかったイツキさんが顔を上げた。イツキさんが異論を唱える理由はない気がするが…。
「その少年は札幌地区の少年だろう。オープンスペースも札幌地区なのだから、動きやすい私の所に来るのが妥当だ」
言っていることは間違っていないような気がする。同じ地区であることで動きやすさがどのくらい変わるのかは分からないが、利便性が変わるというなら言っていることは間違っていないだろう。
でも、イツキさんがわざわざ声をあげた理由は何だろう?普通なら面倒が増えるからと敬遠しそうなのだが…。
「今日が初対面で印象最悪なんに、有望株見つけたら飛びつくんか?自分の地区の勢力伸ばすのに必死やな」
「同じ言葉をそのまま返そう」
レンさんとイツキさんが再び言い合いを始める。よく分からないが、それぞれの所属する地区で勢力争いでもしているのだろうか?それなら二人の仲が良くないのも納得はできる。イツキさんは札幌地区、レンさんは…関西のどこかなんだろうか。少なくとも札幌地区ではないのだろう。
シキさんは見慣れた光景を見るかのように無表情、トオノさんは大きくため息をついた。
「どっちも却下。ナナシアは俺達の所で預かる」
「…は?」
驚いた声を出したのはシキさんだった。レンさん、イツキさんも驚いた様子でトオノさんを見た。
というか、トオノさんは札幌地区の人間じゃないのだろうか?札幌地区のオープンスペースの周りに現れたこと、事件の前日にHANAEさんと出会っていたことを考えると札幌地区の人間に見える。
「アンタ、何言って―――」
「ナナシアがアイツに対抗できる力を身に着けるまでだ。どこに所属するもしないも、その後で自分で決めればいい」
シキさんの発言を遮ってトオノさんは続ける。シキさんはまだ納得がいっていない様子だが、本当に大丈夫なんだろうか?
イツキさんは驚きを隠せていない。レンさんも驚いているが、何かを思いついたかのようにニヤっと笑った。HANAEさんは僕と同じく、周りの人間の反応を不思議がっている。話は理解できているようだが、状況は僕と同じく理解できていないようだ。
「HANAEはどうするんや?」
「一定の実力はあるし、警戒は必要だけどナナシアと連絡が取れる状況にしておくだけで十分だと判断してる。本人次第かな」
トオノさんの言葉に、HANAEさんに注目が集まる。HANAEさんは狼狽えることもなく、迷わずに答える。
「このままでいい、です」
「このままって…HANAE、どこにも後ろ盾がないから今まで色々絡まれてたんやろ?」
HANAEさんは頷いた。詳しい話は僕は知らないが、表情を見るに本当に絡まれていたようだ。
HANAEさんが実力者だというのはレンさんも知っていたし、実力だけでなく見た目でも有名な人なので、色々な目的で自分達の勢力に勧誘しようとする人もいるだろう。
「そもそも、日本のユーザーじゃない、です。話す、簡単じゃないです。背負う、できないです」
トオノさんに言われるまで日本語で話せると思っていなかったのだから、日本語での会話も積極的にはしていない筈だ。それに、HANAEさんの言う通り地区ごとに勢力が分かれているのなら、日本出身じゃないHANAEさんは地区のために戦う義理もなければ理由もない。
「難しく考えんでもええんやで。そもそも地区ごとでいがみ合ってるのがおかしいんや。もっと見なきゃいけない相手おるやろ」
イツキさんも否定はしなかった。『見なきゃいけない相手』が何かは分からないが、共通する敵のような存在がいるのだろうか?
協力しなければいけない状況なのに、それぞれが対立しているのが現状なんだろうか。
「ま、確かに地区なんて飾りだしね。私も地元より待遇良いとこ行くわ」
シキさんも嘲笑うかのように言った。
今までの会話を踏まえると、状況は戦国時代のような状況なんだろうか。それぞれの地区をまとめる人物、つまり『大名』がいて、その下に『臣下』がいる。僕やHANAEさんは現状、主君のいない『浪人』状態だろうか。
つまりは誰にも仕えていないが実力のあるHANAEさんを臣下として勧誘したい地区がたくさんある、という状態か。
僕に関しては、期限付きでトオノさんの所に拾われている状態。実力が身に付けば、HANAEさんのような浪人状態になるのだろう。
それでもHANAEさんは首を振った。どこかに所属することは考えていないようだ。
「じゃ、ナナシアには後で連絡する。次は繋がるようにしとくから」
トオノさんが立ち上がり、不敵に笑った。やはり、僕がトオノさんに連絡しようとした時に存在しないユーザーになっていたのは作為的だったらしい。
シキさんも立ち上がる。UIを操作して移動しようとしていたが、トオノさんが思い出したかのように言った。
「レンの説明じゃ足りてなさそうだし、本当に一から説明するからシキも来るように」
「…了解」
シキさんは不満げにしていたが、反論はしなかった。レンさんもトオノさんの発言に何か言いたそうだが、何も言わない。そのままトオノさんとシキさんが同時に消えた。
一瞬の沈黙が流れた直後、レンさんが僕の傍まで移動してきてガバっと肩を組まれた。
「レンちゃんのとこで面倒見たろと思っとったが、まさか『ハク』に拾われるとは思わんかったで。これからも長い付き合いをよろしゅうな」
「『ハク』…!?」
僕ではなく、HANAEさんが反応した。おそらくトオノさんとシキさんが所属する集まりが『ハク』なんだろうが、事前知識のない僕には全く理解できない。
「なんやHANAE、気付かんかったんか?」
HANAEさんは信じられない様子で首を振った。
「実在する、ないです?really?」
あまりの困惑具合に言語が怪しい。おそらくは「実在すると思ってなかった」と言いたいのだろう。
レンさんはニヤニヤしながら肯定する。
「ホンマやで。アンダーワールドの秘密結社、存在自体が都市伝説、実力も技術も最強、金さえ積めば全ての願いを叶える…出鱈目な噂も多いが、レンちゃんが知ってる限りは噂通りの最強集団や。何度か会ったことはあるが、誰とも連絡先は交換せえへんし、探すこともできんかったんよ」
HANAEさん口をパクパクさせていた。何か言いたそうだが、言葉が出ないらしい。
レンさんは僕から離れると、改めて僕に手を差し出した。
「黙ってるつもりはなかったんやが、騙しとるみたいで気持ち悪いからもう一度自己紹介させてな」
僕もレンさんの手を握り返し、握手を返す。
「大阪地区代表、レンや。ウチの若いのがHANAEを勧誘しようとして迷惑かけたし、大阪地区来た時は何でも相談しぃ。力になったるわ」
レンさんが大阪地区代表らしい。HANAEさんをも凌ぐ高い実力を持っていたり、怖そうな人達を従えて「アネさん」と呼ばれていたのはこれが理由だったのか。
怖そうな人達が僕に声をかけてきたのも、どこにも所属していない筈のHANAEさんが誰かと一緒にいたのを見て、状況を知るために声をかけてきたのか。
「HANAEも、何かあったら連絡しぃ。あと、本選応援しとるで」
「ありがと、ございます」
HANAEさんはまだ動転しているようだったが、流されるままに握手に応じた。
レンさんは手を離すと、ニヤニヤしながらイツキさんを見る。
「ほれ、お前はええんか?『ハク』と繋がれるチャンスなんやで?」
「…」
イツキさんはレンさんを睨みつつ、渋々腰を上げた。
「…札幌代表、イツキだ。同じ地区同士、連絡先を交換しておこう」
「素直やないなぁ」
二人がどうしても連絡先を知りたいと思うほど価値があるものの、地区代表でも接触できないくらい表には出てこなかった部隊。トオノさんが悩みもせずに僕を預かると言った時、正体を知らなかったHANAEさん以外が驚いていたのはこういう理由だったのか。
僕を預かることで、『ハク』が今まで拒否していた繋がりができてしまう。それを許容してまで、僕を預かる必要があるのだろうか?
…ただの親切心だと、素直に思っていいのだろうか?
◆
「ちょっとアンタ、どういうつもり?」
薄暗い部屋に向かおうとするトオノを、シキが呼び止める。トオノは無表情で振り返る。
「何が?」
「さっきのことに決まってんじゃん。お荷物預かってどうすんの?」
トオノは無言でシキに背を向ける。シキは大きくため息をついた。
シキが文句を言おうとした時、トオノが口を開く。
「…あの子、『こっち側』だ」
トオノの発言に、今度はシキが無言になる。
シキは今までの出来事を思い出しながら、トオノの発言を反芻する。それから、懐疑的な表情でトオノを見る。
「『消す』ってこと?」
「状況次第。現段階ではそうなる可能性が濃厚」
「…」
半笑いで淡々と話しながら歩いていくトオノを、シキは険しい表情で見つめていた。
プロローグ終了です。
投げっぱなしの疑問は次章から回収していきます。