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2:仮想世界『NOWHERE』

目を開けると、僕は選手控室のベッドで横になっていた。

少し低い天井についている、やけに明るいライトの光に目をすぼめながら、身体を起こしてベッドに腰掛けた。


「HANAE選手、手に汗握るような接戦でしたが、如何だったでしょうか!」


壁のモニターから、HANAEさんに実況の男の人がインタビューしている様子が目に入った。

HANAEさんは特に喜びを見せることもなく、身に着けている眼鏡を上げながら淡々と応対していた。

普段は表情豊かな人なので、インタビューしている実況の人も戸惑っている。


体力だけ見れば接戦だったかもしれないが、結果的には僕の初歩的なミスで決着になった。だから、HANAEさんが拍子抜けしてしまうのも無理はない。最後の一撃を貰う前にしていた表情からも、動揺と一緒に落胆の感情は見て取れた。


「…」


僕の控室にはもう一人だけ人がいた。スーツを着ているからたぶんスタッフの人なんだろうけど、モニターで行われているインタビューに釘付けで、僕に背を向けているためわからない。


熱心にモニターを見入っている男の人とは違い、僕はほとんど放心状態でボーっと眺めていたけれど、視界にチラつきを感じて設定画面を起動する。聴覚フィルター変更パッチと視覚フィルター変更パッチをオフにした。戦闘フィールド内では特に問題ないけれど、戦闘フィールド外に出ると挙動が悪くなる。もちろん戦闘フィールド内推奨の機能なのだから当たり前ではある。


「あ、気付きましたか。…身体に別状はありませんか?」


設定を色々弄っていると、ようやく僕に気付いた男の人が僕に話しかけてきていた。スーツ姿で、首から『STAFF』の文字が書かれた名札を首から提げている。


「…はい」


僕は短く答えると、男の人と無事確認のための軽い問答をする。

一通りの短い問答を終えると、男の人は少し困ったような表情をした。


「あの…インタビュー等はないとのことなので、このままお帰りいただいて問題ないそうです」


僕は頷くと、ベッドから腰を上げて立ち上がった。

今まで行っていたのは地区予選の三位決定戦だった。準決勝で負けた者同士の対戦、メダルでいえば銅メダル決定戦。しかも、僕は負けたのでメダルすら貰えない。確かに注目すらされないだろう。それをそのまま伝えるのも気が引けたから、困ったような表情をしていたのだろうか。


HANAEさんへのインタビューは続いていたけど、特に見ようとも思わなかった。メニュー画面を開いて、ファストトラベルを選択する。『オープンスペース』を移動先に選択し、僕は光に包まれた。















ワープのエフェクトが終わると、先ほどの小さな部屋とは違い、広大なフィールドに立っていた。

背景一面真っ白なのだが、現実世界の空のようにどこまで進んでも近付いた感覚にならず、密閉感も感じない。

雲の代わりのように所々にパステルカラーの図形が遠くに浮かんでいて、ゆっくりと移動したり回転したりしている。三角形、四角形、直線…中には図形というよりもシンボルに近い形のものもある。


上空には球体があり、太陽のように光っている。太陽程ではないが、直視すると眩しい。常に自分たちの真上にあるので、無理に見上げること自体がほとんどない。背景が白いので暗いと思ったことはないが、この球体の光があるおかげで影ができ、周りの風景に多少の彩りができている。


オープンスペース。NOWHERE最大にして、全ユーザー共有のエリアだ。エリア内にスタジアムや各種店舗、水族館や動物園等の建物が存在し、公園やテニスコート、バスケットゴール等いくつもの施設も存在する。当然訪れたことが無いというユーザーも存在しない。


辺りを見回すと、そこそこの人数がオープンスペースにいた。正直、かなり珍しい。


NOWHEREはサービスを開始した時に結構な反響があった。当然、仮想世界上で自分の身体を動かし、現実世界では自分の身体は動かなくなるという構造上、何かしらの批判があるのは間違いない。

事実、少なからず問題が起きているケースもあるし、防犯観点でも危険だという声はあった。


NOWHERE運営自体も安全対策を最優先で進めていっているので、今では防犯観点での対策をいくつも打ち出し、NOWHERE自体の批判はかなり少なくなっていった。現在では、ユーザー自体が変なサーバーやURLにアクセスしたり、非公式なパッチやアプリをインストールしない限りは安全、つまり「規則を破らなければ安全」という認識が世間全体にある。


結果、NOWHEREの利用率は日本の人口の九割を超えた。

僕は主にゲーム関連の利用をしているけれど、NOWHERE内で一番多い利用はコミュニティエリアでの情報交換だ。過去、スマホのメッセージアプリやSNSを使って他人と交流することが標準で、企業でのコミュニケーションツールでも使用されていた時代があった。結果、某メッセージツールの利用率は九割に届き、このまま普及すると思われた。


しかし、NOWHEREという新たなプラットフォームが突如現れ、コミュニケーションツールとしてとんでもない速度で発展していった。メッセージアプリを使用せずに離れていても顔を見て普通に会話できるし、モニターを使用して動画を見たり、電子文房具を用いて勉強や仕事をしたり、誰にも聞かれない空間で会議をしたり。今や『バーチャルオフィス』という現実世界にオフィスを持たず、NOWHERE内でしかオフィスを持たない企業も数多く存在する。

コミュニケーション面以外でも仮想空間で手に取って品物を見たり、ボタン一つで手軽に試着でき、サイズを自分で調節してそのまま注文できる服やアクセサリー類。

学校での教材や企業のプレゼンテーションにも活用され、今では過去の出来事や未来の予測を体験できる映像を作成する職業も需要が高く、株価が激増…という記事を見たこともある。

過去の時代の出来事を文章や絵だけでなく仮想空間で追体験できれば、当然理解が深まるのも早い。あくまで予測なので誇張はあるのだろうが、僕も授業で本能寺の変を体験した時は泣きそうになった。


もちろん仮想世界なので、高齢者や身体の不自由な人でも五体満足な状態でNOWHEREを利用できる。

そんな訳で現実世界と同様どころか、現実世界を上回る作業・体験ができるようになったおかげで、今や安全面に文句を言い続けている人以外はほとんどがNOWHEREを利用している。



利用人口は多い筈なのだが、現在僕のいる『オープンスペース』は通常、人が多くない。

その名の通りすべてのユーザーに対して開かれている、誰でもアクセスできるスペースなのだが、それゆえに色んな勧誘やノーマナー行為、ナンパ行為等も多く、普段はそこまで人がいないのがオープンスペースだ。


しかし、今はオープンスペースに結構な人がいる。皆オープンスペースの上空に浮遊しているモニターか、自分のモバイルモニターで対戦を観戦しているようだった。


モバイルモニターはメニュー画面から起動できる、自分の前方に空中展開されるモニターのことだ。

オープンスペースには誰もが確認できるような巨大なモニターが浮遊しているが、位置が固定されている分、見やすい位置を確保できないと見づらかったり、リアルタイム放送しか対応しておらずリプレイ再生ができない等、細部の確認は難しい。その分大勢で観戦できるので臨場感はある。

対するモバイルモニターは自分専用のモニターで、手元で好きに視聴することができる。オープンスペースでは周りに迷惑が掛からないよう画面の拡張制限があるものの、数人で見る分には十分な大きさが確保できる。


スタジアムで対戦を生で見ることもできるけれど、集まって騒ぎながら観戦することができるのもオープンスペースの良さだと思う。盛り上がっている周りの反応を見ながら個人モニターで観戦する人も多い。

今日は全地区が一斉に対戦を行っているし、地区優勝・準優勝、本選出場・予選敗退が決まる大事な試合が多いので、その分熱心に観戦している人が多いのだろう。


僕はオープンスペースでも人が集まらない、スペースのエリア範囲ギリギリに移動する。


オープンスペースはエリア的には非常に広大になっている。地区ごとにオープンスペースがあるのでさすがに町一個分の大きさくらいだけど、大体は目ぼしい施設にファストトラベル(ワープ)できるので、距離はさほど気にならない。

そんな広大なエリアだけど、僕は人が集まりにくいエリア端の近くにファストトラベルしたので、エリア端まではさほど距離がない。


案の定数分でエリア端までたどり着く。見上げるほどの高さのコンクリートのさらに内側に金網が敷かれていて、オープンスペースの限界を示している。僕はそれに背を向けてもたれかかり、モバイルモニターを起動した。















「やっぱり、ここにいたんですね」


モニターに夢中になっているところに急に話しかけられて、モバイルモニターをスライドして前方から右側に移動させる。声には聞き覚えがあったので、多少驚きはしたものの挙動不審にはならずに済んだ。


「大会、お疲れ様でした」


黒髪の女の子が僕に向かって会釈しながら言った。毛量が多めなストレートの黒髪に、目が隠れるくらいの長めの前髪。少しふくよかなその女性の表情は確認しにくいけれど、何度も会っていたので見なくても微笑みを向けてくれているのがわかった。


「…うん」


僕が軽く頷くと、女の子は僕の隣に座り込んだ。


「…隣にいて、大丈夫ですか?」


地区予選で負けてしまった僕を気遣う言葉なのはわかっているが、僕は別に落ち込んでいたからここにいた訳では無かった。

躊躇いなく頷くと、女の子は笑顔を見せた。


僕はこの子に話しかけられるまで、ずっと自分のリプレイを見ていた。戦闘中は深く考える余裕はなかったけど、やっぱりカリーの消滅エフェクトは見間違いではなく、確実に僕には見えていたと思う。それでも、何度もリプレイを見返して該当のシーンを確認しても、どの角度から見ても、消滅エフェクトは発生していなかった。もしかするとバグの類なのかもしれない。

しかし、僕にしか見えていなかったのであればバグだと主張してもただの屁理屈にしか聞こえない。証明できる証拠すらない。


考えられるのは視覚情報変更パッチの影響だけど、使用者も多いパッチで症状が出ているのが僕だけだとすると、それも他者から見た信憑性は薄い。あの時の光景が「僕の気のせい」の一言で済ませられるならそれでいいのだけど、僕の目にはハッキリと見えていた分、簡単に割り切ることもできなかった。


別に勝敗が覆って欲しいわけじゃない。元々勝ち上がれるとは思ってもいなかったし、準決勝まで進めたのも運によるところが大きい。でも、努力した分、負けた原因くらいはハッキリさせたかった。落ち込むことよりも、原因解明の探求心の方が勝っていた。


「…良ければ、少し寄り道していきません?」


…それに、本選出場を逃した僕がコミュニティに顔を出したことで、コミュニティの空気が重くなるのを嫌ったのもある。

だから、寄り道の提案は魅力的でもあった。


「…うん」


僕は先ほどと同じ言葉を返すと、女の子は微笑んで立ち上がった。目的地が決まっているかのようにスタスタと歩いていき、僕は黙ってそれについていく。


オープンスペースは相変わらず賑わっていた。さっきまで三位決定戦をやっていたのだから、そろそろ決勝戦が始まる頃だろうか。それか、別地区の三位決定戦がまだ長引いているか。

時折歓声が上がったり、ハイタッチする人達もいた。僕らはそれと正反対に、黙ってその脇を通り過ぎていく。


少し奥まったところにある、皆が騒いでいる所からは一段下に続く階段を降りていく。NOWHEREのオープンスペースは縦にも広がっているが、地面は透過していないので基本的には別の階層の様子は見えない。もちろん、見栄えを考慮してエリアを見渡せる高台があったりもするのだが、地面は基本透過していない。理由は簡単、透過していることで落ちてしまうと錯覚し恐怖を感じるプレイヤーがいるからだ。


階段を降りると、そこは公園になっていた。現実世界で見慣れた滑り台とブランコ、仮想空間では汚れることのない砂場。ベンチが二つ、離れた間隔で設置されていて、片方には男女が一組座っていた。僕らがもう片方のベンチに座ると、何やら短く会話してワープエフェクトと共に消えた。


「お邪魔しちゃいましたかね?」


別にそんなことはないと思う。二人で話すだけであれば相応の場所があるし、聞かれたくないような話ならわざわざオープンスペースで話す必要はない。これは僕達にも当てはまるが、僕達は二人で話すことが目的というよりは、気分転換がてらどこかで時間を潰すのが目的に近い。


「…」


女の子は僕の方を見ることなく、俯いたまま黙っていた。何か話しかけようとしているけど、何も出てこなくて困っているのだろうか。確かに僕が彼女の立場だとしても、かける言葉はあまり見当たらない。つい先ほど地区大会で本戦出場を逃した人間に、どう労いの言葉をかけても悪い空気にしかならないだろう。


「…」


対する僕も、特に言葉は出てこない。本来は労いの言葉をかけにくい状況な分、僕の方から話を振るべきなんだろうけど、生憎何も出てこない。落ち込んでいるからとかではなく、たとえ僕の調子が絶好調でも今この状態になるだろう。元々僕は、こういう人間だ。


「…今日は『ゲーム部屋』の皆さんもほとんどいるみたいなんです。といっても、スタジアムで現地観戦している方もいるそうですが」


僕は曖昧に頷く。人が集まるのは良いことなのだろうが、人付き合いがあまり得意では無いこと、今行っても余計に気を遣わせてしまうことから、正直足を運びにくい。盛り上がっている空気を一瞬で壊すことになりかねない。


僕達が話しているのは、僕達の参加しているコミュニティスペース『ゲーム部屋』についての話だった。


NOWHEREのコミュニティスペースは、その名の通り特定の人間が集まって交流ができる空間だ。コミュニティスペースはアクセスURLとパスワードを知っていて、且つ出入り禁止ユーザーに設定されていなければ誰でも参加することができる。同じ学校のグループを作ったり、企業や社会人サークルのグループだったり、企業の商談やイベント用のスペースだったり、同じ趣味を持つ人達のグループだったり。今ではNOWHEREの利用となると真っ先に挙げられるようなメインコンテンツだった。


僕が唯一所属する『ゲーム部屋』は、その名の通りゲームが好きな人達が集まって交流しているコミュニティスペースだ。とはいっても大規模なものではなく、全員集まっても十数人しかいない、小さなコミュニティだ。


もちろんお互いのことはほとんど知らないし、年齢はおろか職業や、挙げ句の果てには性別まで知らない人もいる。


普段は特定のゲームや業界について話したり、NOWHERE内でボードゲーム、すごろく、TRPG等のゲームで楽しんだりしている。仮想空間内ならすごろくは止まったマスの内容のアトラクションが体験できるし、TRPGは状況を完全に再現できる。脱出ゲームなんて完全密室だし、ゾンビゲームは本当にリアルなゾンビに追われることになる。


過去のゲームをVR化して経営を持ち直したゲーム会社も存在するし、当然一人用ゲームも人気がある。

NOWHERE公式が管理しているMMORPGでも十分な魅力はあるが、オンラインショップでゲームを購入することも多い。

ゲーム業界はNOWHEREの登場で明らかに順調に業績を伸ばしている。今ではNOWHEREと提携できただけで安泰と言われるレベルだ。

コミュニティツールがメインのNOWHEREだけど、こういう背景があると僕達のようなゲーム好きが集まるコミュニティが作られる。


僕たちのコミュニティ『ゲーム部屋』は規模は小さいけど、たくさん人が集まればコミュニティ内でちょっとした大会を行ったりと、小規模特有の身内感のあるコミュニティだ。


参加しているほとんどのメンバーがMMOによるモンスター育成を通じて知り合った仲なので、今日のように大規模な大会があると皆集まって盛り上がる。僕のように大会に参加しているメンバーもいるけど、今日まで残ったのは僕ともう一人だけだ。そのもう一人も、僕の三位決定戦の前に敗退していたのを順位表で確認していた。


「…」


僕の隣にいる女の子も、その『ゲーム部屋』のメンバーだった。僕がコミュニティに参加した時は既にコミュニティ内にいたので、僕よりコミュニティ歴は長い。対戦は観戦のみでプレイヤーとしての活動はしておらず、育成面で情報集めしている時にコミュニティに誘われて参加したらしい。


僕の中では、『ゲーム部屋』で一番仲が良いのがこの人だ。年齢が近いのか話も合うし、コンテンツの好みも合うから世間話がしやすい。ログイン時間も大体同じで、一緒にいる時間も長い。

相手がどう思っているかはわからないけれど、僕と似たような認識であるとは思っている。


「…実は私も現地観戦してたんです」


「…一人で?」


思わず聞き返した。『ゲーム部屋』の誰かといたなら、コミュニティに戻ってこないのを不思議に思っているかもしれない。

…あとは単純に、あの熱気のあるスタジアムに一人で入ることに抵抗がなかったのだろうかと疑問が湧いた。僕なら一人で入るのは精神的に難しい。


女の子は少し驚いた顔をして僕を見た。表情の意図は僕にはいまいちわからない。


「一人ですよ。ナナシさん以外は()()姿()()()()()()ので」


「そうなの?」


彼女の発言からすると、僕以外のコミュニティメンバーとはオープンスペースでは会ったことがないということになる。僕はコミュニティの中では新参者だし、他メンバーには女性もいるので僕より仲が良さそうな人もいそうだけど…。

驚いていた表情をしていた女の子は、少し不機嫌そうに僕を見た。


「…私がナナシさん以外の方と仲良くしている所なんて、見たことありますか?」


そう言われて思い返す。言われてみれば見たことはないけど、それは普段僕がコミュニティでも孤立しがちだから、気を遣って近くにいるのだと思っていた。僕がコミュニティにいない時は、それはそれで仲が良い人たちと一緒に過ごしているのだろうと勝手に思い込んでしまっていた。


「…」


僕が何も言えないでいると、今度は不安そうに聞いてくる。


「…ナナシさん、私より仲が良い人っています?」


「いや…」


『ゲーム部屋』で一番仲が良いのはこの人だし、そもそも僕は他のコミュニティに属してもいないので、NOWHERE内でもこの人が一番仲が良いだろう。


しかし、僕もそうだが別にコミュニティの人たちと仲が悪いわけではない。もちろん普段からコミュニティの色んな人と楽しく会話はするし、僕達はお互いがログインしていなくてもコミュニティに顔を出す。

でも、何も常に十数人で話す訳ではないから、コミュニティに顔を出した時に既に会話グループがいくつかに分かれていたりすると初動に困ってしまう。そういう時、僕らはお互いがログインしていれば必ず二人グループになって話している。


僕の思考を理解したのか、女の子は笑顔でため息をついた。


「ナナシさん、たまに酷いこと言いますよね」


言葉は僕を悪く言うものだが、表情は柔らかいので悪意がある訳ではないのが理解できる。

僕は相変わらず何も言えず、女の子から目を逸らして前を向いた。


「じゃあ、私も今日の試合のこと聞いていいですか?」


僕がデリカシーの無い言葉を言ったから、同じように今日の試合のことについて聞く、ということだろう。

でも、やっぱり僕は今日の試合についてはそこまで落ち込んでいるわけではなかった。元々あんなに勝ち上がることができるとは思わなかったし、HANAE選手といい勝負ができただけでも満足していた。僕がコミュニティに顔を出さなかった原因の大半は、コミュニティの空気を悪くしてしまうことを恐れたのと、自分が負けた原因を調べることで埋まっていた。

そもそも今日だけで何試合かしているので、負けた準々決勝の試合のことだけではない。勝った試合の話もある。

だから、人に話すことくらい、それも仲の良い人に話すことくらい、何の問題もなかった。


「じゃあ、まずは―――」


女の子が期待した表情で僕を見て、僕もそれに答えるように女の子の方を見た。















オープンスペースから移動する頃には、今日の地区予選が完全に終了し、感想戦も既に落ち着き始めている頃だった。


コミュニティスペース『ゲーム部屋』に飛ぶと、数人が集まっていた。さすがに時間も遅いので、今コミュニティエリアにいる人たちも限られている。


「お疲れ、ナナシさん!」


僕の膝程度の大きさしかない、黄色の蛍光色でできた球体が僕の方に転がって…いや、跳ねてきていた。この黄色の球体には目がついていて、僕に話しかけている。つまり、この球体は『ユーザー』だ。


「さすがにもう数人しかいないけど、話聞きたいって人が残ってるんだ」


僕の目の前にいる球体が、くるりと回って皆が集まってる方を見た。…とはいえ見た目が球体なので回っているのか目だけが移動しているのかは分からないが。


「あ、ケンジさんこんにちは」


僕の隣に出現エフェクトが出たかと思うと、三毛猫の頭だけのアバターが現れた。頭だけとは言っても、頭から尻尾が生えている。黄色い球体同様、跳ねて移動している。


「ねねこさんもこんちゃー!現地観戦してたんだよね?」


「はい、友人と話してたら遅くなっちゃいました」


大モニターで動画を見ている二人と、少し離れたところに僕と、猫の頭と、黄色い球体。オープンスペースであれば不思議な光景だが、コミュニティスペースではこれが普通の光景だ。


コミュニティスペースでは、プライバシーの秘匿のために自分のアバターを変更することができる。その際、顔や髪、体型も変えた人間のアバターにもできるし、今僕の目の前にいる猫や犬等の動物の頭部分のアバターや、球体…『カラフルボール』のような架空生物のアバターも設定できる。


「じゃ、行こっか」


但し、オープンスペースでは自分の姿を変えることができない。つまり、オープンスペースでの姿は現実世界と同じ姿になっている。変えられないのはあくまで自分の身体だけであり、服装は変更できるためオープンスペースでも簡易的なプライバシーの秘匿は可能だ。

僕のすぐ後にここに来た三毛猫の頭のアバター…『ねねこ』さんは、先ほどオープンスペースで僕と話していた女の子と同一人物だ。コミュニティスペースでは、身バレ防止のために猫のアバターを使用している。

「他の人はこの姿を知らない」と言っていたのは、コミュニティスペースでは三毛猫の姿で交流しているからだった。オープンスペースでのあの姿は、僕しか知らないらしい。

ちなみに僕は姿を変更していない。姿を変更した場合はどういう挙動をするのか気になるところではあるけど、特に変更する必要を感じなかったからだ。

というか、大会で既に見た目が知られている以上、姿を変更しても意味がない。


僕は軽く頷くと、ねねこさん、ケンジさんと一緒にモニターを囲んでいる集団に向かって歩き出した。















「やっぱ惜しかったよねー、ナナシさん四位でしょ?準決勝まで進んだ時は予選突破いけると思ったんだけどな」


皆が集まっている場所に行くと、感想戦が始まった。コミュニティスペース『ゲーム部屋』にいるのは僕を含めて五人。


「相手がHANAEさんじゃなければなぁ。ぶっちぎりで優勝候補なんだし」


ケンジさんが跳ねながら言った。

僕と対戦していたHANAEさんは高い実力と見た目も相まって地区どころか全国に名前が通っているプレイヤーで、WMカテゴリ意外にもOMカテゴリでも上位入賞を果たしている。今回の地区予選でも圧倒的実力で勝ち続けていたが、準決勝では惜敗してしまい、界隈ではちょっとしたニュースになっていたくらいだった。


「でも、惜しかったですよね」


ねねこさんは跳ねず、静かに言った。元々落ち着いた人なので、移動以外で跳ねている姿を見たことはない。


「ねー。正直、ステータス振り直したのに気付いた辺りでHANAEさんにも勝てるんじゃね?と思ったし」


うさぎの着ぐるみを着ている『陽太郎』さんが言った。名前こそ男の人のようだが、声は完全に女性だ。中身は誰も見たことがないので、実際の性別は不明である。


「最後の方も、カリーに気付いてたら、私は勝ってたと思ったなぁ」


ウェーブのかかった青色のボブカットに八頭身のモデル体型、服装も薄着でやけに妖艶なお姉さん、『T』さんも同意した。この人はオープンスペースもこの姿であり、NOWHERE内でモデル業を行って生計を立てている。NOWHEREでの仕事がメインのため、ログイン率も非常に高い。

元々人との距離間の近い人だったが、最近僕に対しても距離が近い気がする。僕は人数の少ない、身内感のあるこのコミュニティでも、上手く集団コミュニティに混ざれずにいたのに、だ。


「…」


そんなTさんにも、質問の内容にもどう反応を返せばいいか分からず、曖昧に頷きを返した。


少し詳しい人なら、対戦中の僕の行動が不自然なことくらいすぐにわかる。カリーの有無が勝敗を分けたのではなく、カリーが消滅していないことは大前提で、カリーの攻撃を回避できるかどうかが論点だった。第三者から見れば、あの状況で回避する素振りすら見せなかったのはあまりにも初歩的で、あまりにも考えにくいミスだった。しかも、三位決定戦という上位試合で。

今考えると、試合中にHANAE選手が不可解な表情をしていたのも至極当然だ。


僕の視点では消滅エフェクトが見えていたという理由があるとはいえ、他プレイヤーの視点では消滅エフェクトは明らかに出ていなかった。リプレイを何度も、色んな角度で見てみたが、それでも出ていなかった。

試合直後は本当にエフェクトが出ていたと確信していたけど、時間が経ったこともあり、今となっては本当に僕の気のせいだったのかという気すらしてきた。

客観的に見れば、緊張やら何やらで動転してしまってミスをした、という見方になるだろう。かける言葉も見当たらないくらい酷い負け方だ。


「まあまあ、いいじゃん。俺達みたいな弱小コミュニティから四位になった人がいるだけでも大健闘だよ。明日から、ナナシさんに教えてもらいながらクエスト行こうよ」


僕が何も言えなかったからか、少し重い空気になってしまっていた。こういう時に笑って流せればいいのだろうか。


自業自得で少し居心地が悪くなってしまったところに、メッセージの着信音が鳴り響いた。着信音はメッセージを受領した本人にしか聞こえないので、僕に届いたことになる。

僕にメッセージを送ってくる人なんているだろうかと疑問に思いながら、メッセージ一覧画面、要するに詳細ではなく件名だけが表示されている画面をチラリと見た。


『戦闘中のバグによる敗者復活のお知らせ』

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