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仮想世界の、もうひとつの裏世界  作者: 晴れ
バーチャルアイドルと裏カジノ
12/14

12:拒絶

「話聞いてる?」


シキさんの声が聞こえて、僕は俯いていた状態から顔を上げる。

会議室のソファで座っていて、シキさんに話しかけられている。理解しているのはそのくらいだ。何故シキさんの隣の席ではなくソファに座っているのかすらよく覚えていない。


「…すみません」


シキさんの話はほとんど聞けていなかった。正直に聞けていなかったことを謝罪する。

いつの間にかまた俯いていた。シキさんがどんな表情をしているのかも分からないが、ため息をついて落胆しているかもしれない。


「…今日はもう休みな。割といい時間だし、寝てリセットした方がいいかもね」


今日ちゃんと寝て、明日には気持ちが整理できているかと聞かれると怪しい。今はソファから腰を上げる気分にすらなれない。誰かに説教されて反省している時のような、腰が重いというよりも身体に力が入らないような感覚だった。


気付けば、会議室にトオノさんとサイさんはいなかった。どこに行ったのかも把握できていない。


「…で、アンタは何でここにいる訳?」


僕の隣にはHANAEさんがいた。怪訝そうな顔で僕を見ていたが、質問に反応してシキさんの方を見る。


「トーノさんが、奥使っていい、言ってました」


「ああ。今日だったんだ」


本来ハクのメンバーではないHANAEさんは許可がない限り会議室にアクセスできない。今回は特別に協力して貰っているだけで、今後の依頼は当然協力してもらう予定はないし、今回の依頼についてもココさんの事務所にだけ同行してもらう、という話だった筈だ。トオノさんとのやり取りで何かがあったようだが、僕は把握していなかった。


HANAEさんからの視線を感じるが、相変わらず僕は動く気力が無かった。絶対に良い方向に働かないという確信はあるが、いっそログアウトして一人になった方がいいのかもしれない。


「ナナシさんが使ってもいい、ですか?」


「いいんじゃない?ここの一員だしね」


シキさんが言い終わるが早いか、HANAEさんは僕の腕を取って立ち上がった。動く気力は出てこないが、強い力で引っ張られるとさすがに重い腰も上がる。足が重くて躓きそうになるが、HANAEさんが笑顔で支えてくれる。支えてくれているというよりは引っ張って立たせているような状態だ。いたずらっ子のように笑っているが、僕は愛想笑いも返せない。


会議室から出て、ホテルのような通路を歩いていく。時折HANAEさんがUIを開いて周りを確認しながら移動していたが、通路の一番端の部屋…会議室のドアから二十メートルくらい離れた部屋のドアを開けた。


「ワオ…」


部屋に入った瞬間、HANAEさんが感嘆の声を挙げた。ネガティブな反応ではなく、百パーセントポジティブな反応だ。カツ丼を見た時と同じくらい目が輝いている。

未だに腕を掴まれている僕も驚いている。部屋の詳しい情報までは貰っていなかったので、僕自身もこの部屋が何なのかは知らなかった。


十六畳くらいだろうか。広めの部屋にクイーンサイズくらいの大きいベッドが一つと、大きめのソファが一つ。さらに高級そうなマッサージチェアが一つ置かれていた。窓にあたる部分が水槽のようになっていて、種類の分からない小さな魚が泳いでいる。仮想世界の靴越しでもカーペットの柔らかさが分かるし、内装を見ても高級ホテルの一室のような雰囲気だった。


HANAEさんが掴んでいた僕の腕を離してUIを操作すると、水槽部分が隠れるようにしてカーテンが締まって部屋が急激に薄暗くなる。薄暗くても変なムードにならなさそうだと思うのは部屋のシックな雰囲気のおかげだろうか。


HANAEさんはニコニコしながら部屋の奥に進んでいくと、少し勢いをつけてベッドに腰掛けた。弾むのかと思いきや予想以上に沈んだようで、驚いたような顔をした。


「…ふふ」


それでも驚いていたのは一瞬だけで、すぐに堪えきれなかったように笑顔を浮かべる。対する僕は表情を変えることもできなかった。そもそも何故この部屋に連れて来られたのかもよく分からない。


HANAEさんの視線を正面から受け止められなくなった僕が部屋の入口に立ったまま目線だけで部屋内を物色していると、HANAEさんが立ち上がってもう一度僕の腕を掴む。僕が敢えて目を逸らしたことに対してムッとしているようにも見えたが、僕は僕で今の表情を見られたくない気持ちがあった。


されるがままに引っ張られ、両肩を押さえられるようにしてベッドに座らされた。女性と二人きりというのは過去何度かあったが、女性とベッドの上で二人きりなんておそらく家族を含めても今までの人生で一度もない。


「…」


だとしても、緊張もしなければ当然変な気も起きない。今の僕の頭は自分の事を客観的に見ることができる状況ではなかった。心の中にあるのは何もしたくないという気持ちと、少しの混乱と…一人になりたいという気持ちからくるHANAEさんを邪魔に思う気持ち。僕に対して優しくしてくれているのは理解しているので、余計に自己嫌悪感を加速させる。


ベッドに腰掛けながら俯いたままの僕に対して、HANAEさんは僕の様子を疑うこともせずに僕を押し倒そうとする。今までとは違ってそこまで強い力でもないので、ベッドに手をついて簡単に抵抗することができる。


「あの…」


さすがに口を開いた。ここまでされて初めて、ちゃんとHANAEさんの顔を正面から見た気がする。今までは盗み見るように一瞬しかHANAEさんの方を見ていなかったし、目が合ってもすぐに僕の方から逸らしていた。選手としてのリスペクトがあるHANAEさんだからという訳ではなく、トオノさんでも、レンさんでも、誰に対しても同じだった。顔を掴まれたり、押し倒されかけたり、強引な手法を取られないと人と目を合わせて会話もできない。


ようやくこっちを向いたね、と言わんばかりにHANAEさんが微笑んだ。僕が続きを言う前に、HANAEさんが微笑みながら言った。


「寝ましょ、今日は」


「…」


言葉が出なかった。何を言われてるんだろうという混乱の気持ちと、今一番したいことの核心を突かれて否定すらできなかった。


「トーノさんが、仮眠室使っていい、言ってました。設備がspecialなので、よく眠れる、思います」


確かに何もせずにすぐ眠りたいし、設備的にはよく眠れるのだと思う。でも、今の僕の状態で眠りにつけるかと言われると絶対に眠ることができないだろう。

HANAEさんの今までの強引な行動が、僕が自分の力では動けないことを察しての行動だったことを理解して申し訳ない気持ちになる。HANAEさんも僕と同じく対戦カテゴリに顔を出す人だから、自分達が普段何気なくゲーム感覚で行っている対戦が、下手をすると相手の命を奪いかねない代物だったことに気付いたことが過去にあったのかもしれない。


もちろん今の対戦カテゴリが安全であることや、アンダーワールド内で体力が尽きても条件が揃っていればリスポーンできるということはココさんとトオノさんの会話で聞いていた。トオノさんとサイさんがどこに行ったのかまでは聞いていなかったが、リザさんを探して蘇生させようとしてどこかに行ったことは辛うじて把握していた。


だとしても、条件が揃っていたかどうかもわからない状況下で安易に味方を巻き込む威力の魔法を放ったことは間違いないし、HANAEさんは僕の魔法によってダメージを受けた事実もある。


そして、僕が何故か誰かに狙われていることによってHANAEさんやレンさん、イツキさんにねねこさんと多くの人が巻き込まれ、ローブの人に殺されかけたことになる。それは僕がいる限りこれからも続くだろう。

HANAEさんはそれを理解しているんだろうか?僕のせいで巻き込まれているのはウイルス騒動の時も同じだけど、危険度があまりにも違いすぎる。


「ココさんの所、行く代わりに、お礼と言われました。拒否しましたが、色々あって仮眠室(ここ)を借りたです」


「…」


「トーノさんと初めて会った時、眠れないって言ったのを覚えてたです。トーノさんはとっても眠れないので、設備はpremiumらしいです」


HANAEさんは今回の依頼の手伝いをする代わりに仮眠室を使う許可を貰ったらしい。僕の状態を見て、今のままでは眠れないと思って無理矢理設備のある仮眠室に連れてきて寝かせようとしている。そんな簡単に眠りにつけるとは思えないし、仮に眠ったところで目覚めたら気持ちの整理がついているかと聞かれるとそうもいかない気はする。


「部屋も三つあるらし…」


HANAEさんが何かに気付いたような顔をした。そのまま言葉を失う。

何に引っ掛かっているのかは分からないが、部屋が三つあるなら僕が使ってもいいんだろうか。話の流れ的にトオノさんは使うだろうし、僕とHANAEさんで残り二つを埋めてしまうと他の人が使えなくなる。シキさんは使って良いと言っていたが、本当に大丈夫なんだろうか?


HANAEさんは少し慌てたような様子で僕を見た。さっきまでの笑顔はもうない。


「…password、この部屋しか知らないです」


「…」


NOWHEREで特定の場所にアクセスする時、アクセスURLの他にパスワードを求められる時がある。主にコミュニティスペースや対戦カテゴリの選手控室等の限られた人間しか入れないようにするための機能だ。それに加えて、()()()()()()()()()()()に部屋を作成してそこにパスワードを設定するという機能もある。


分かりやすく言うと、お店の中にある事務所のようなものだ。従業員だけがパスワードを知っていて扉を開けられるという仕組み。これなら別のコミュニティスペースを作成した方がセキュリティ的に良いのではと思うかもしれないが、同一スペースを扉で区切る方にも利点はある。

まず一つが、外の声が聞こえること。店内で問題が起きた場合に店員をすぐに呼ぶことができたりするので、外の声が聞こえることによるメリットがある。もちろん聞こえないことがメリットの場合があるので使い分けするのも大事だ。

もう一つが、URLの発行と配布に手間がかかること。別のスペースを作成してしまうと、アクセスURLを発行した上で、URLを全員に配布する必要がある。それこそセキュリティの関係でアクセスURLを会議毎に変更するケースも多いので、いちいちURLを参加者に配布して…というのは時間と手間がかかる。なので、企業の会議では最高機密レベルの会議でない限りは『扉』が採用されるケースも多いらしい。

最後に、別のスペースを作成すること自体に手間とかなりのお金がかかること。企業でも自前でスペースを作成する技術はないので、実際にスペースを作成できるのはNOWHERE運営かNOWHERE運営に委託された企業だけである。対する扉はお金自体は必要なもののスペースほど高価なものではなく、作成にかかる時間も少ない。


長くなってしまったが、トオノさん達が使っているこの仮眠室も扉式の場所になっている。そもそもハクの拠点とされているこの場所自体が一つの建物となっており、会議室や訓練所も含めてすべてが扉で区切られただけの建物だ。もちろん訓練所や会議室にはパスワードは設定されていないが、仮眠室や個人の部屋にはパスワードが必要な設定になっているのだろう。


「…」


当然パスワードは各部屋で違う筈なので、この部屋のパスワードしか知らないということはこの一部屋しか使うことはできない。元々HANAEさんしか使う予定ではなかったので当然と言えば当然だ。


「…じゃあ」


「ダメです」


腰を上げようとした僕を、HANAEさんが腕を掴んで止めた。

僕を気遣ってくれるのは分かるが、さすがにHANAEさんが使うべきだと思う。シキさんが言っていた「今日だったんだ」の意味を考えると、おそらくHANAEさんは今日一日だけこの部屋を使えるのだろう。HANAEさんが何故会議室にいるのか聞いていたくらいだし、本来HANAEさんはここには来れない筈だ。それを僕が使う訳にはいかない。


「…」


正直、口を開く気力もない。僕が俯いたまま短くため息をつくと、HANAEさんがこれまでとは違う、震える声で言った。


「…死ぬ前の顔、してます」


「―――」


思わずHANAEさんの方を見た。言葉の意味が曖昧ではあるが、完全に否定もできない言葉だった。

ここ数年間、何十回かは頭を過った内容でもあった。自分でも不安定だと分かっていた上で、さらにショックを受けるような出来事があったことで、HANAEさんにも心配されるような表情になっていたのか。

…それに、このままログアウトして一人になった時にもおそらく頭の片隅に出てくるだろう。


でも、僕はできた人間ではない。今までの僕の事を気遣っての行動に感謝する気持ちはもちろんあるが、強引なやり方に多少苛立つ感情もあった。その上に図星を突かれて、気付いた時には自虐気味に言葉を発していた。


「…怖くないんですか」


普段自分からは話さない筈の僕が質問したことに驚いたのか、HANAEさんは何も言えないでいた。構わず僕は続ける。


「僕のせいで怖い目に遭って、変な人達に狙われて、巨大なモンスターに襲われて、気を失って動けなくなって、挙句に殺されかけて…。何の関係も無いんだから、僕なんて放っておけば嫌いなアンダーワールドにも来なくて済むし、表舞台で周りに認められる生活を続けられる筈なんだ。僕は…」


思わず見上げたHANAEさんの表情が泣きそうなものになっていて、止めどなく溢れそうだった僕の言葉が止まる。


僕はベッドに腰掛けたまま、太腿に右肘をつけて片手で頭を抱えた。HANAEさんの表情を見て、抱えていた苛つきも急激に冷めていく。


HANAEさんに一言言いたい気持ちはあったけど、別に口に出す必要はなかった。僕が勝手に心の中で抱えていれば良くて、HANAEさんを傷つける必要は全くない。僕が口に出した通りHANAEさんは一連の事件に巻き込まれただけで、実際には全く関係の無い人間だ。わざわざ僕に協力する理由もなければ必要もない。

逆に言えば、全く関係ないのに善意だけで協力してくれている。本来それに感謝するべきなんじゃないのか。僕の事を考えてくれているのに、こんな言葉を言うべきではない。


「…私と初めて出会った時、覚えてる、ですか?」


何を急に、と顔を上げるが、HANAEさんからはさっきまでの泣きそうな表情は消えて、微笑みながら僕を見ていた。

僕は状況を理解できないまま、言われるがままに思い出す。


「三位決定戦で…」


対戦相手として対峙した時が初めてだ、と言おうとしたが、その前にHANAEさんが首を横に振った。


「もっと前、です」


言われて、混乱する。僕がHANAEさんを知ったのは、対戦カテゴリが発足してから二番目の大規模な大会が行われた時だった。まだ人数もさほど多くなかった第二回大会ではあったものの、そこで準優勝したのがHANAEさんだった。僕も大会にはエントリーしていたが、当時のHANAEさんとは地域も違うし、何より僕自身が結果を残していない。僕が準優勝のHANAEさんを知っているのはおかしくないが、当時の環境では対戦状況が公開されなかった僕を知っている筈がない。

そんな状況で、僕とHANAEさんが出会っている筈がなかった。


「…人違いじゃ?」


HANAEさんはもう一度首を振る。


「覚えてなくていいです。良い思い出じゃない、です。でも、私は知ってるです。どういう人なのか、ちゃんと。だから、助けたい、です」


HANAEさんの表情が崩れて僕の右肩に額を押し当てるまで、僕は何も言えないでいた。背中に回された腕の力が強くて痛いが、振り払おうとも思わなかった。


「拒否、しないでください」


HANAEさんがすがるように言った。彼女の瞳から出ている筈の涙は、仮想世界上の僕に届くことはない。


僕は過去に何をしたんだろう。HANAEさんに認められるような何かができる人間じゃない筈だ。誰かに認めてもらえるような人間じゃない。だからこそ、()()()()()()筈だった。


それでも、僕が殺しかけたこの人は、僕の事を何故か慕ってくれている。それが勘違いだったとしても、僕はこの人に恩を返さなきゃいけない。この人のために何かがしたい。


右耳の少し下の方から聞こえてくる小さな嗚咽を聴きながら、僕は目を閉じた。















「『ソロウ』」


バランスボールくらいの大きさの雫が落ちる。エフェクト自体は控えめに見えるが、それでもNOWHEREではかなりの威力の魔法に分類される。MMOスペースなら、レベル六十くらいの魔法特化プレイヤーが放った魔法と同じくらいだろうか。


爆風もそれなりの大きさだ。数秒の目くらましに使えるくらいの煙。この魔法が対戦で使えるなら非常に有用だろう。


しかし、爆風が晴れた場所にはタイルでできた四角形の箱があった。


「っ!」


真横から飛んでくる拳を仰け反るようにしてなんとか回避した。後ろ向きに倒れるが、右肩を軸にして身体を回転させた。膝をついて顔を上げた時には、もう『相手』の姿はなかった。


「『エンジ』」


抑揚のない声が聞こえると同時に、僕の周りをキラキラと光る黄色の菱形が囲む。立ち上がるよりも先に爆風が発生し、もう一度後ろ向きに倒れる。

休む間もなく僕に向かってくる相手に向かって、倒れたまま左手を伸ばして叫ぶ。


「『ソロウ』!」


爆発が起こる。まだ爆風は残っているが、さっきと同じくタイルの壁で防がれているだろう。

体勢を立て直し、爆風全体を見ることができるように距離を取る。案の定、爆風が晴れる前に飛び出してきた相手を見て、僕は背中を向けて走り出す。


「…」


逃げるのか、という声が聞こえる気がする。大会でも敵に背中を向けることなんてほとんどない。背中を向けて逃げ回るメリット自体が時間稼ぎくらいしかないからだ。


もちろん、それを理解した上で逃げている。()()()()ポイントまで誘導するのが目的だからだ。


「!」


足を止めて後ろを向く。急に向き直った僕を見て相手も何かに気付いたようだ。僕に向かって殴りかかろうと右手を振りかぶっているが、右側の眉を上げて疑問を持ったような表情をしている。


でも、もう遅い。


UIを起動して、画面を見ないまま右手だけでコマンドを打ち込む。


「…!」


僕の前方に、高さ三メートルくらいの壁が地面から飛び出てくる。僕に拳を振り下ろそうと飛び上がっている状態ではこの壁は避けられない。

壁との激突によるダメージもあるし、このまま追撃すれば僕が有利だ。


「よッ」


『相手』は飛び出てきた壁に対して、両手をついてハンドスプリングの要領で回転した。そのまま着地するかと思いきや、両手を組んだ状態で僕に振り下ろす。


「…」


全く予想外の動きに、僕は動くこともできずに両手で殴りつけられた。





「初めてにしては悪くないね」


次に目を開けると、訓練所のドア付近で仰向けに倒れていた。隣には右足だけを立てた状態でシキさんが座っていた。今まで戦っていたのもシキさんで、僕の訓練の相手になってくれていた。さっきまで着けていたガントレットも既に外して素手だった。


僕は身体を起こし、軽く頭を振る。


「『ウォール』を設置して時間差で使うアイデアは良かったけど、起動が早いね。もうワンテンポ遅く起動してれば攻撃には繋げられなかったかもね」


…攻撃に繋げられないだけで、回避はできるのか。


対戦カテゴリの上位プレイヤーでも対応できないと確信していたからこそ、次への攻撃に繋げるために回避できないギリギリのタイミングを見て起動したつもりだった。起動が遅すぎると次の攻撃に繋げられない不安もあったからだ。おそらく上位プレイヤーのHANAEさんでも回避はできない…と思う。


「『ウォール』を設置で使ったのは時間的な問題?」


僕は首を振って否定する。


「設置の方が意表をつけると思ったので…」


シキさんは納得したように頷いた。


「『ウォール』はハッキングスキルの中でも簡単な部類だから、これに時間がかかってるようじゃ実戦では他のも使えないと思った方がいいね」


ハッキングスキル。アンダーワールドでは基本中の基本となるスキルで、戦闘以外でも使う機会の多いスキルらしい。


簡単に言うと、何かをハッキングして都合の良いように改変したり、想定外の動作をさせるスキルをまとめてこう呼ぶと教えられた。今みたいに『地面』をハッキングして即席で壁を作ったり、ココさんがやって見せた通話回線をハッキングして通話に乱入したり。アラームボットに捕まりそうになったときにHANAEさんが僕とねねこさんを離脱させた『エスケープ』もハッキングスキルのひとつらしい。


今教えられている『ウォール』はハッキングスキルの中でも汎用性が高く、多くのユーザーが使うことのできるスキルとのことだった。正式名称は『ファイアウォール』らしいけど、もう『ウォール』で浸透しているみたいだ。

使い方は、発生させる座標を設定した後に起動コマンドを実行するだけ。座標を設定するためには自分が今いる場所、つまりは地面をハッキングしなければならないため、ハッキングのために解析が必要になる。レンさんやHANAEさんがウォールを使わなかったのは、イツキさんの拠点付近の解析ができていなかったからということになる。逆に、ナビボットに襲われた際にローブの人がウォールを起動できたのは、予めあの場所を解析しておいて準備していたからなのだろう。


解析にかかる時間に加えて、座標を設定するためにもUIを起動してコマンドプロンプトを起動して…とそこそこ時間がかかるのだが、ハッキング技術に多少知見のあるユーザーならさほど時間をかけずに使うことができるらしい。


壁を作って防御することができる単純なスキルではあるものの、基本的に必中である魔法を防ぐことができるという大きな利点がある。ローブの人に魔法を撃たれそうになった時、ナビボットにレーザーを撃たれた時、このスキルがあれば自分の身も、周りの人間の身も守ることができた筈だ。


威力の調整が効かない魔法を放つことしかできなかった僕だけど、もう見てるだけで何もできないという状況はなくなる。このハッキングスキルは絶対に身につけなければいけない。


それに、使い方も()()相性がいい。


「…って言っても、私も実戦で解析できるほどハッキングの腕前はないけどね。訓練所(ここ)限定」


ハクの訓練所は色々な設定ができる。自身が使うことのできる魔法を自分で設定したり、ステータスを好きに変更することができるので、今もシキさんと僕のステータスの合計ポイントを同じに設定して戦闘訓練をしていた。僕の魔法の威力が控えめだったのもこのルールの影響だった。


僕は魔法寄りに、シキさんは物理寄りにステータスを振って戦闘をしていたが、最後のウォールを飛び越える動きはステータスは関係ない。単純にシキさんのプレイヤースキル…というか運動能力によるものだ。あんな動きができる選手は対戦カテゴリでも今まで見たことないが。


「サイとかトオノくらいのスキルがあれば、他人が作ったウォールをさらにハッキングして消せたりもするね。ハッキングについてはあの二人に聞きな」


サイさんは技術担当と言われているくらいだから、ハッキングについても造詣が深いだろう。ココさんの通話ハッキングはトオノさんが過去に実践していたという話もあるし、トオノさんも詳しいのかもしれない。

発生させたウォールをすぐさま解析して消すには高い技術力が必要なことが今の状態でも分かる。魔法を多用するスタイルになるであろう僕にとっても、覚えておかなくてはならないスキルだろう。


「…じゃ、休憩ももう十分だね」


シキさんが立ち上がり、ガントレットを着けながら中央に向かって歩き出した。僕も立ち上がり、深呼吸しながらシキさんについていく。

昨日までの僕なら嫌がっていたかもしれないが、今は拒否する気持ちはなかった。相手が強すぎたとしても、戦うしかない状況に陥ることはこの先何度もある筈だ。


僕のせいで巻き込まれる人達もこの先必ず出てくる。そのためにも強くなりたい。

誰かを倒す強さじゃなくていい。誰かを守るための強さが、能力が、技術が必要だ。


「実戦ではステータスの変更なんてないからね。自分自身の決められたステータスで勝負することになる」


シキさんがUIを操作する。トオノさんに貰ったアプリを確認すると、さっきまで設定していたステータスが元に戻っていた。僕自身のステータスは見ることはできないが、訓練所のアプリによってステータス補正をすることができる。それを全くのゼロにして、元々のステータスだけの状態に設定されている。

実際にアンダーワールドで戦闘になった時と同じ状態だ。


ボクシングでグローブを合わせるかのように、シキさんが弾くようにガントレットの両拳を合わせた。


「来な。アンタに足りないものを教えてあげるよ」

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