11:傍若無人
改稿のため、一度投稿しましたが削除していました。お騒がせしました。
「トオノさんが来ると思ってたんだけど、新人さんかー」
目の前の『依頼主』は体勢を崩しており、ソファに仰向けに倒れていた。ソファから出ている足をブラブラと振っており、話を聞く前から既にやる気がない。
高級そうなテーブルを間に、向かい合わせに設置されたこれまた高級そうなソファに座っている状況。NOWHEREなのにバーチャルアイドルの写真が所々に並べられているのは、この部屋が普段から商談に使われているからだろう。何かの案件に事務所のタレントを推薦するなら、実際に写真があった方がPRになる。
目の前で溶けている彼女の写真もあるのだが、態度どころか表情から既に別人だ。
「そもそも、私が何度も立候補してるのに別の新人採ったってこと?『ココ』の方が知名度的に価値あるでしょー」
李村ココ。ベテランの女性バーチャルアイドルで、今年で活動六周年を迎えた人だ。
ゲーム、歌、ドッキリ、動画リアクション、雑談等、活動内容も幅広いが、大体どの分野でも動画投稿直後はNOWHEREの動画投稿サイトのランキング一位に躍り出る。自身の持つチャンネル『Cocoriko』のチャンネル登録者数も、バーチャルアイドルの中では一位から三位を競い続けている。
NOWHEREは誰でも好きに見た目を変えられる上に、動画投稿のサポートも非常に手厚い。おかげでバーチャルアイドルは男女問わず数えきれないくらい存在するので、容姿や声の魅力はもはやあって当然で、今では何か個性や特徴があったとしても簡単に埋もれていく時代だ。その中でもトップを走り続ける彼女は、単なるキャリアの長さや見た目の良さだけで人気を得てきた訳ではない。
度々話題になるのは彼女の人間らしい性格で、ゲームで負けた時には音割れするくらい叫んだり、視聴者に煽られて本気で言い合いをしたり、企業案件で新商品のリアクションをする際に正直に「ゴミ」と言い放って色んな所から怒られたり、誰かとコラボする時に人によって態度がハッキリと違ったりする。
そんな性格なので、彼女の起こした『先輩雑魚煽り』『ゴミ商品』『人気女優の破局に歓喜』『尊敬する先輩への歪んだ愛情』『迷惑行為を繰り返す視聴者の個人情報公開』『事務所の人間関係暴露』等、良い意味でも悪い意味でも真似できないスタイルで注目を集めている。
彼女の性格を快く思わない人間も多く存在する筈なのだが、彼女には性格に目を瞑れる程の長所がある。
というのも彼女が過去に一番バズったのは歌で、事務所に所属せず個人勢として活動していた際に投稿した楽曲『rhythm』が一週間で三千万回再生され、現在では投稿から六年弱経過して五億回再生されている。未だにバーチャルアイドルの中でも群を抜いた再生回数であり、音楽面では異論の余地なく彼女がバーチャルアイドルの頂点にいる。
しかも、バズったのは『rhythm』だけでなく、二曲目、三曲目も外れることなくバズり続け、ちょうど一か月前、投稿している楽曲のうち四曲で億再生を達成した。
但し楽曲の投稿頻度は非常に遅く、活動六年目にしてCDアルバムが制作できないくらい楽曲数が少ない。彼女より遅くデビューしたバーチャルアイドルの方が彼女の二倍か三倍は楽曲を持っていたりする。
僕は彼女のファンではないが、楽曲自体は何度も聞いた。その後に動画や生放送で性格を知り、楽曲以外は好きになれないと素直に思った。ちなみに楽曲以外で僕が彼女の投稿動画の中で一番好きな動画は、彼女が調子に乗った結果痛い目に遭う系の動画である。そんな僕みたいに、彼女自身を好きではなくても楽しめる動画を投稿しているので、ファンの数以上に動画再生が回ることも彼女のチャンネルの特徴だ。
「…」
そういう訳で、僕の隣で不機嫌そうな表情を浮かべているHANAEさんと似たような気持ちで傍若無人さ加減を黙って眺めている。
ドアを開けた時に満面の笑みで迎えたのは、ドアを開けたのが僕ではなくトオノさんだと思っていたからだろう。彼女にとってトオノさんは良い顔で出迎えるような相手であるということになる。逆に、僕とHANAEさんには取り繕う必要がないと判断しているようだ。
「やっぱり依頼するなら実績ある人がいいなー知ってる人の方が話しやすいしなー」
どうにかしてトオノさんを引っ張り出したいようだが、生憎その本人は「行きたくない」と言いかけていたのでたぶん希望を出しても出てこない。依頼自体をなかったことにされるのがオチだろう。
「ねえ、どうやったらトオノさんと連絡が取れるの?」
「…分かりません」
ココさんもトオノさんとは直接連絡が取れないようだ。レンさんが「一番情報を持ってるが、いつも無視されている」と言っていたのもトオノさんらしい。もしかしたらココさんも連絡はしていても無視されているのかもしれない。それはそれでいいと思う。
ココさんは不満そうに、そして面倒そうに僕を見た。
「君が伝えてくれればいい話だよね?」
「最初から『伝えて欲しい』と言ってください」
僕ではなく、HANAEさんが答えた。ココさんがソファに横になった時点で驚いてはいたが、ココさんが話すにつれてどんどん不満そうな表情になっていった。もう少しでレンさんにも似た殺気を出しそうだが、HANAEさんには物騒になって欲しくない。
「…彼女?」
「違います」
僕が即答すると、何故かHANAEさん側からの視線を感じる。間違ったことは一つも言っていないが、また翻訳が変なニュアンスで翻訳されたんだろうか。「ガールフレンド」という単語が使われそうなので、友達であることを否定するような意味になってしまったのかもしれない。それか僕の返事が早すぎて聞き取れなかったか。
ココさんは身体を起こして、HANAEさんをじっくり見る。
「うーん、素材はすごく良いんだけどなー…表情が男の子受けしなさそう」
シキさんが「手が出る」と言ってたのが良く分かった。むしろわざとやってるのかもしれない。トオノさんも「依頼主の性格上乱暴な展開にはならない」と説明していたが、依頼主次第では依頼を受ける側の性格も加味した方がいいんじゃないだろうか。HANAEさんは乱暴な人ではないので問題ないとは思うが。
「…」
確認するように僕がHANAEさんをチラっと見ると、引きつった笑顔を向けられた。今更取り繕わなくても、僕はHANAEさんの魅力は十分に理解している。世間としてはココさんの方が圧倒的に有名人だけど、僕にとってはHANAEさんの方が緊張する対象である。例えるならば、自分がサッカー部に所属していている状態で野球のスーパースター選手と対面するよりも、応援している地元のサッカー選手がいる時の方が緊張する、というような状態だ。
現実世界やウイルス騒動の時は疑問や動揺の方が強すぎてまともに考える時間がなかったが、HANAEさんと関わりができていることを現実世界に戻ってから思い出し、一人きりの部屋で奇行に走りそうになった。対戦相手として対峙した時も直前に何度も深呼吸したくらい緊張していたが、何気ない会話ができる今の関係性の方が数倍緊張する。
「…それで、依頼の内容は?」
今やらなきゃいけないのは、『ハク』としての依頼。余計な事を考えすぎて精神が乱される前に依頼の話を進めるべきだ。HANAEさんを意識しすぎると動揺しそうだし、ココさんの話に付き合いすぎると冷静になれないかもしれない。
ココさんはHANAEさんから視線を外し、僕を見る。今までとはうってかわって真剣な顔つきだった。
「…君が解決してくれることになるの?」
僕は首を振る。
「話を聞くだけだと思います。…内容次第ですが」
ココさんは僕を見下ろすように見ていたが、やがてため息をついて対面のソファに座った。体勢を崩してはいるものの、さっきのように横になってはおらず足を組んで浅く座っている。女性ファッションに詳しい訳ではないが、ココさんの現在の服装はモノクロのオーバーサイズのパーカーと、これまたモノクロのスニーカー以外は身に着けていないように見える。NOWHEREでも普通に下着は見えるので目線を上げられない。
「人を探して欲しいんだよね」
僕はUIを起動してメモを取る。NOWHEREで人探し…というのも珍しい気がするのだが、彼女の過去の行動から視聴者を特定しようとでもしているのだろうか。誹謗中傷への対処なら普通に警察に開示請求でもいいと思うが。
「…名前は分かりますか?」
「…」
ココさんは自身の髪を指先でクルクルと遊ばせる。ベースが黒で毛先が白という色合いなので、真っ白な毛先が人差し指を撫でるように動く。
名前を知らないというより、言うのを躊躇っているような反応だ。口に出しにくい理由があるのだろうか。
「…も…ざ」
「え?」
「藻南、リザ!」
聞き取れなかったので聞き返すと、不機嫌そうな表情でもう一度言った。
僕はバーチャルアイドル界隈には詳しくない。ココさんのような世間的に超バズりした動画を見ることはあるが、自分から進んでバーチャルアイドルの動画を検索することはない。なので、藻南リザというバーチャルアイドルに関しての知識は正直薄い。知っているのはココさんと同じ事務所の女性で、すごく性格が良いということ。…あとは、ココさんが一方的に敵対視していることくらいだ。
でも、知り合いを探すってどういうことなんだろう。自分のライバルの情報を入手したいってことだろうか。
「活動休止…」
UIを操作していたHANAEさんが呟いた。検索サイトでリザさんについて調べていたようだ。わざわざ検索しているということは、HANAEさんもバーチャルアイドル関連の知識はあまりないようだ。
…活動休止?
「一週間前から連絡が一切取れなくなって、失踪状態。マネージャーに聞いたら、事務所も連絡が取れないって言ってた。一昨日、仕方なく事務所から活動休止を発表して、今のところ親含め誰一人連絡がつかない状態」
ココさんが僕達を見ないまま言った。NOWHEREで誰も連絡がつかなくなったというのはなんとなく理解できる。バーチャルアイドルという職業柄、精神負担は大きいだろうし人付き合いが嫌になってNOWHEREにログインできなくなったのかもしれない。理解はできるが、不可解な点はある。
「…現実世界でも失踪中ですか?」
親も連絡が取れないとなると、現実世界で警察の力を借りるのが一般的の筈だ。事務所として活動休止を発表したなら先に警察に相談はしているだろうけど、ココさんの言う「今も誰も連絡がつかない」状態ということは、現実世界でも見つかっていないことが予想できる。
そうなると、そもそも何故ココさんが『ハク』に依頼したのかが分からない。主にNOWHERE上の問題を解決する組織の筈なので、現実世界での人探しには明らかに向いていない。アクセス履歴や連絡を取っていた人物を調べるのは可能だと思うが、それならNOWHERE運営でも対処できる。対応速度に問題があるが人命に関わる問題の場合は優先調査で多少早くなるし、事務所としてお金を出して有料機関に調査してもらう方法もある。
「現実世界では見つかったよ。…ほぼ植物状態で」
ずっと目線を落としていたココさんが天井を見上げながら言った。遠い目をしていて、天井に焦点が合っていない。脳内の映像を思い出しているかのような表情だった。
「診断結果は、異常無し。意識が無いだけで、脳も身体も全く問題無し。普段NOWHEREにログインしてる時と同じ状態だってさ」
NOWHEREにログインしている間に現実世界の身体に何かしらの影響があった場合、基本的には利用者の自己責任になる。その代わりにNOWHERE運営からは現実世界の様子を確認できるカメラや部屋の状況を分析するセンサーが提供され、異変があるとNOWHERE内で通知が来て緊急ログアウトができる…というように、現実世界の対策がいくつも存在する。現在ではほとんどあらゆる状況に対応できるように対策されている。
そんな状況で医師の診断を受けているということは、本人の意思でログアウトしていないか、理由があってログアウトができない状況にあることが考えられる。ただ、本人の承諾無しに医師の診断を受けるには親族への種類関連等の手順を踏む必要があるし、セキュリティの整えられた施設の予約や現実世界の身体サポート等の準備が色々必要になる。
さらに、健康上の問題でNOWHEREに連続で二十四時間ログインしていると警告が表示され、三十六時間経過すると強制的にログアウトさせられる。
時間のかかる医師の診断を受けているということは、確実に発見から三十六時間は経過している筈だ。なのに現実世界で目覚めていないということになる。しかも診断結果は『異常無し』。
全ての状況を加味すると、NOWHEREにログインはしているがログアウトはできず、NOWHERE内で連絡も取れないまま、三十六時間が経過している状況になる。
「…NOWHERE運営からは何も?」
「位置情報調査もしたけど、どこにもいないからリザに非があるってことになってる」
NOWHEREは「規則を破らなければ安全」という認識が世間全体にある。その言葉の通り、NOWHERE公式が提供しているサービスについては手厚くサポートを行っているが、公式が提供していない、違法行為や非公式ページへのアクセスについてはほぼ完全自己責任になる。ウイルスが見つかり次第すぐにユーザーに通知が送信される仕組みだし、非公式なURLにアクセスしようとすると警告も出る。それで問題が起きたとなると、悪いのは確かにユーザーになるのかもしれない。
僕がアンダーワールドにアクセスする場合も警告が出ていた。ハクの拠点に関しても同様だ。
でも、僕みたいに巧妙な手順で、ワープを介さずにアンダーワールドに連れ出されたり、公式でも感知できないマルウェアを仕込まれる可能性もある。それに、アンダーワールドでログアウトできなくなる事象は僕も体験した。
そうなると、『リザさんはアンダーワールドにいる』ということが簡単に連想できる。アンダーワールドを知っている人ならすぐに到達する答えだ。
「アンダーワールドの事は知ってる奴だったけど、アンダーワールドに自分から行くような頭のおかしい奴じゃない。…だから、たぶん何かに巻き込まれてる」
アンダーワールド自体は、レンさんの言っていた通りスラム街のような無法地帯の認識で間違ってない。それこそシキさんの言っていた裏カジノがあるような、違法な娯楽施設が蔓延っているイメージだ。普通の人なら、確かにそういう場所には寄り付こうともしないだろう。僕の隣で真剣な表情をしながら考え込んでいるHANAEさんもアンダーワールドにはほとんど出入りしないらしく、ウイルス騒動の時のようにどうしてもアンダーワールドでしか情報が手に入らない時にしか行かないと言っていた。どこかに所属しようとしないのも、アンダーワールドとの関わりをあまり持ちたくないからなのだろう。
リザさんもアンダーワールドを嫌っていたのだとすると、何か退っ引きならない事情があったと考える方が自然だ。でも、NOWHERE運営の調査は既に入っている。おそらくリザさんが送信したメッセージやアクセス履歴は分かっているのに、見つけられていない。
俯いて考えていると、急に視界が暗くなった。顔を上げる前に、右側に引っ張られるようにして倒れた。
「…本当に、解決してくれるんだよね?」
ココさんがソファの背もたれに足を乗せていた。僕に対して、俗にいう『壁ドン』を脚でしようとしたらしい。それに気付いたHANAEさんが僕を引っ張って避けさせた。ただでさえパーカーしか身に着けていないような服装なのに足を上げるあたり、僕を全く意識していないのだろう。
HANAEさんに膝枕されるような形になっているので急いで身体を起こそうとするが、HANAEさん自身が僕をガッシリ掴んで離さないので身体を起こせない。コミュニティスペースでは特別に設定しない限り筋力は現実世界と同じの筈だが、HANAEさんの力が強すぎる。
「壁ドンで動揺するとか、やっぱり彼女なんじゃん?そんな浮ついてる人に解決できるとは思えないんだけど」
「カベドン…?」
おそらくだが、HANAEさんは海外圏の人間なのでそもそも壁ドンを知らないのだと思う。単純に僕が攻撃されそうになったと勘違いして回避させている。護衛要員として真面目に責務を果たそうとした結果がこれだと思う。ココさんが想像するような浮ついた意味での行動ではない。
僕達に対して態度が悪かったのも、絶対に解決してほしい依頼に対して頼りなさそうな見た目の人間が来たからだろう。自分と犬猿の仲だとしても、犬猿の仲なりの友情があるのだろう。そもそも人命に関わる内容なので、どうしたって解決したいのは間違いない。HANAEさんは存在さえ知っていれば信頼できるが、知らない人からしてみれば日本人の中でもさらに小柄なただの女の子だ。僕の方は言うまでもない。
HANAEさんとしては今の行動でココさんを危険人物扱いしていそうだし、ココさんとしては僕らに不満がある状況。弁明したいがお互いの勘違いで一触即発な空気になっている関係で、一歩間違うと火に油を注ぎかねない。
ココさんが足を降ろして何かを言おうとした時、僕に着信が来る。
「トオノさんから着信が」
「出て。今すぐ」
タイミングが良すぎる。でも、確かにこの上なく良いタイミングではあった。すぐにトオノさんと通話を開始する。
「救援信号が来たから半信半疑でかけたが…体勢大丈夫か?」
ビデオ通話だったらしい。ギブアップする格闘家のようにHANAEさんをタップしてすぐに身体を起こす。
HANAEさんが攻撃されたと思ってトオノさんに救援信号を出したらしい。だからこんなにタイミングが良いのか。
「乱暴な事にはならないと思ってたが…何があった?」
「壁ドンを、HANAEさんが攻撃されたと勘違いしたみたいです」
「…依頼主にも非がありそうだな」
NOWHEREで通話をする場合、特別に設定をした人物以外は通話内容が聞こえない。なので、僕とトオノさんの会話はこの場にいる誰にも聞こえていない。HANAEさんとココさんには僕が口パクで画面に向かって話しているように見えているだろう。
「…」
HANAEさんは変わらずココさんを警戒したままだ。対するココさんはUIを開いて何かを操作している。
「ひとまずはそのまま話を―――」
「大切な話って言ったのに、トオノさん本人じゃなくてこの子をよこした訳?」
「!?」
何も操作していないのに、トオノさんが表示されていたウィンドウが横に移動し、すぐ右に並ぶようにしてにココさんが映っているウィンドウが現れた。グループ通話中に誰かが通話に加わると同じ現象が起きるが、トオノさんと個人通話中の筈なのに何故通話に参加できたんだろう。トオノさんが呼んだ…とは思えないが、動作上それ以外に考えられない。
「…通話回線をハッキングね。少しは成長したね」
「トオノさんが目の前で実演してくれたしね」
トオノさんも予想外だったようだ。というか、通話回線をハッキングする技術があること自体知らなかった。トオノさん自身も過去にハッキングした経験があるという事実はもはや驚かない。この人にとっては普通のことだろう。
「…それよりも、依頼の話。なんでトオノさんが来ないの?」
「アンタがいつも猫被った文章でおんなじ依頼を二十個くらい送ってくるからでしょ」
ココさん同様、さらに画面が左に移動して新たにシキさんが映っている画面が現れた。同じようにハッキングしたのか、トオノさんが呼んだのか。
「…」
ココさんはムッとしたまま何も言わなかった。シキさんの言葉が図星のようだった。
黙ったままのココさんに対して、トオノさんが眉をひそめながら口を開く。
「ということは、今回は曲提供の依頼じゃないってこと?」
…曲提供?
「…違います。メールに書いてたでしょ」
「雰囲気が違う程度で、具体的な内容はゼロだったけど?」
トオノさんは呆れたように言った。話の流れを察するに、いつもはココさんがトオノさんに対して迷惑メールのように同じ内容の依頼を数十通送っていたが、今回の依頼に関しては今までとは異なる内容だった…という所だろうか。
僕が微妙な表情をしていたからか、シキさんが僕に向けて言った。
「コイツ、本業は音楽なんだよね。ココの伸びてる曲は全部トオノが作ってる」
シキさんが画面の中からトオノさんを指差す。自分がどのウィンドウに映っていて、トオノさんのウィンドウがどこにあるのか理解している動きだ。
「副業、な」
パンダ呼ばわりも気になるが、それよりもトオノさんが楽曲提供していることに驚く。ココさんと関わりがあるのはそういう理由だったのか。確かに、そういう関係性であればココさんがトオノさん相手に取り繕う理由も納得できる。トオノさんには恩があるから無下にはできないし、大先輩並に媚びる相手だ。
ココさんの曲全てを同じ人が作っている訳ではないが、伸びている曲…つまり億再生を達成している四曲は全てトオノさんが作っているのだろう。
ココさんがトオノさんにしつこくメールを送っていたのも納得できる。ココさんの楽曲数が少ないのはトオノさんが曲提供をしないからで、早く曲提供をしてほしいから何度も曲提供をして欲しい旨メールを送っていた。トオノさんはそれを無視して、同じ内容だと思って中身も見ていなかった。ココさんの所に行きたくないと言っていたのもきっとこれが理由だ。
メールを読んでいないトオノさんも悪いがメールをしつこく送っていたココさんも悪い気がする。どちらが悪いとは一概には言えない。
「知り合いの命がかかってるって言ってんの!」
ココさんが我慢できなくなったように声を荒げた。シキさんが眉をひそめ、トオノさんは無表情のまま考えたように黙る。
「今まで『今日何食べた』とか聞いてもないのに私に連絡してきてたし、無視してんのに三日に一回はご飯に誘ってきてたし、こっちから連絡したら絶対返してたし、連絡が無いとかありえないの!絶対アンダーワールドで殺されてんの!!」
「…?」
アンダーワールドで、殺される?
僕も聞きそびれていた部分だ。アンダーワールドで体力がゼロになった場合にどうなるのか。勝手にどこかにリスポーンするものだと決めつけていたが、実際は違うのだろうか?
リザさんが見つからない理由が、既にNOWHERE上に存在していないからだとしたら?NOWHEREで体力がゼロになってアバターが消滅した場合、精神はどこに行く?NOWHERE運営の手が加えられていない部分だから、強制ログアウトができるとは限らない。身体は現実世界のまま、精神は、NOWHEREに留まったまま…。
現実世界で目が覚めていないリザさんの今の状態が、NOWHERE内で死んだ状態だとしたら?
急に怖くなってきた。夜、布団の中で自分が死んだ後のことを考える時のような感覚。恐怖を消すかのように、組んでいた手を強く握る。それでも恐怖が消えないのは僕自身が一番よく分かってる。
「―――てるか、もしくは―――」
思い返してみれば、ナビボットに囲まれて、何かできないかと魔法を唱えてみた時。味方を巻き込むことを考えもせず、適当に放っていなかったか。
そして、イツキさんの拠点近くでつぎはぎの鳥に囲まれた時。味方を巻き込むのを許容して、状況の打開のためだけに魔法を放とうとしなかったか。
「なら、私達が―――」
目の前で行われている筈の会話が頭に入らない。辿り着いた事実を、僕の頭の中が必死に隠そうと試みているのが自分自身で分かる。つまり、僕は―――
強く握っていた僕の手に、小さくて細い手が重ねられる。
「ナナシさん?」
僕は、隣に座っているこの少女を、殺していたのかもしれない。