10:チュートリアル
「当真弁護士、今の話は真実ですか!?」
「ええ。文乃さんは犯人ではありません。あなたは犯人をかばっている、そうですね?」
「…」
「文乃さんは隠せたと思っているようですが、あなたの発言には矛盾している点がある。佐藤検事が隠してきた証拠、図工用の巨大なハサミ。これに、骨折しているあなたの左手の指紋がつくことはありません。この中で左利きの人物は二人…つまり、真犯人はあな」
時間が止まったように、男の人の動きが止まった。というか、実際に時間が止まっている。
同時に、真っ暗だった部屋の電気が点く。
「…あー?なんで止めたの?」
「時間」
テーブルに肘、および二の腕をつけていたシキさんが頭だけ動かしてサイさんの方を見た。リラックスどころか完全にダラけている状態だ。上体を起こすと思いきや、テーブルに背中をつくように身体を回転させた。
「あと十五分くらいで終わるんだしさー。こっからが面白いとこじゃん」
「レビューサイトの評価は五点中三点。うち七割は『伏線が回収されない』『原作に比べて最後のどんでん返しが薄い』『主人公より弁護士の方が顔が良い』が論点。全体総評は『おおむね不評』。ちなみに犯人は―――」
「消すわ」
シキさんは上体を起こし、UIを操作して映画を映していたモニターを消した。サイさんは僕が部屋に入った時からずっと無表情でキーボードを叩き続けている。実際にサイトを見ているのかと思えるくらい詳細な映画の説明をしている時ですら、手の動きは止まらなかった。どんな思考回路をしているんだろうか。
「っていうか、アイツ来てないじゃん。呼び出しといて遅れるってどういうことなの」
「…」
「アイツ」は間違いなくトオノさんのことだろう。かくいう僕もトオノさんに呼ばれて、指定の時間の少し前にこの部屋にアクセスした。
今いるのは、ナビボットに襲われて意識を失った後に目覚めた部屋だった。あの時と違うのは、空席だった椅子の一つにシキさんが座っていること。
「…座んなよ。立ってるままじゃ疲れるでしょ」
実際のところ、仮想世界なので立ち続けても疲れることはない。でも、僕に配慮して言ってくれたのは人付き合いの経験が少ない僕でも理解できる。
部屋の形は長方形になっていて、僕がワープしたのは部屋の隅にあるソファの反対側。中心に置かれたテーブルの手前側にサイさんとシキさんが座っている状態で、僕から見て左側にサイさん、右側にシキさんがいる。さっきまで映画を再生していたモニターは奥側の壁に張り付くように設置されていた。
有り難くシキさんに促された席に座る。シキさんの隣、サイさんの対角線の位置だ。前回この部屋に来た時にトオノさんが座っていた席の向かいにあたる。
「テーブルに置いてあるものも好きにしていいから」
「…はい」
僕が座った席だけ、他の席に比べて置いているものが格段に多い。大半は本が積み上げられているけど、ところどころにCDやボードゲーム、レトロゲーム機も置かれている。本、音楽、ゲーム、全てにおいてジャンルがバラバラだ。いわゆる雑食という好みの人なんだろうか。
NOWHERE内の店舗では音楽や映画、本を購入することができる。メディアの再生は当然NOWHEREのUIで行われるのだが、UI上に保存できるメディアの容量は限られているため、ディスクや本という形で実態化させることで容量問題を解決させている。例えるならば、ディスクや本はHDDやUSBメモリのような『外部記録媒体』であり、手に取ることで楽しむことができる。手に取るだけで誰でも使用できるので、実態化させることで誰かとのシェアも同時に実現している。
盗み見るように他の席を見てみると、シキさんの席には洋画が数本と雑誌がいくつか置かれている。トオノさんの席はCD八割、本二割。サイさんの席は綺麗に整頓されているが、大きなサイコロが一つだけ乗っている。
一番手前にあるCDを手に取ってみた。デフォルメされた五匹の猫がマントを身に着けて、水鉄砲やブラシを武器のように構えているパッケージ。アルバム名は『ジブンセンキ』だった。
「早いな」
ちょうどトオノさんの席の傍にあるドアからトオノさんが入ってきた。なんとなく眠そうな気がする。
「アンタが遅刻してんの。何してた訳?」
「…そっちで寝てた」
トオノさんが親指を立てて、自分が入ってきたドアを示す。シキさんはため息をついた。
VR睡眠というワードも過去に存在した。まだVRゴーグルで仮想世界を運用していた頃、睡眠時の孤独感を消すために人と一緒に寝るように錯覚できる、というのがVR睡眠だった。しかし、脳に接続するNOWHEREではVR睡眠よりも効果の高い『NOWHERE睡眠』という新たなワードが出てきている。
具体的な内容は、抱き枕も含めた寝具のサイズ・柔らかさを調整して寝やすくする、好みの香りを設定してリラックス効果を上昇させる等の機能で寝つきを向上させるというものだ。寝ている間にログアウトして現実世界で目覚めるように設定することもできるので、今では利用しているユーザー割合も高い。
一応、NOWHERE内の店に『添い寝屋』という店もある。オープンスペース以外は見た目の変更が自由なので、自分の好みに相手の見た目を変更して芸能人や知り合いを相手に…ということもあるようだ。僕は利用したことはないので詳しい内情は分からない。
おそらく、トオノさんは寝具や香りの設定を使って寝ていたのだと思う。以前この部屋で目覚めた時に柑橘系の香りがしたのも、直近で一番寝覚めが良いと感じたのも、僕に気を遣って設定してくれたからだろう。NOWHERE睡眠の良さは噂で聞いていたが、値段が高くて僕には手が出せなかった。数日間はあの時この部屋で目覚めた時の感覚をもう一度味わいたいと思ったくらいにはNOWHERE睡眠の効果を実感した。
そう思うと、寝心地が良すぎて寝坊するのも分からなくはないような気がしてきた。
「はぁ…。じゃあ説明始めるか。まずは俺達のことからだな」
トオノさんが席に座り、僕の方を見て言った。目の前に色々な物が積まれているので視界は悪いが、トオノさんの顔が見えなくなるほどではない。
サイさんは僕が来た時と全く変わらずキーボードを打ちながら、シキさんも肘をつきながら片手でUIをスクロールしていた。おかげで緊張感は全くない。
「レンから多少聞いたと思うが…俺達は世間から『ハク』って呼ばれてる。NOWHEREで起きた事件について、金を受け取って調査したり解決したりしてる」
昨日の事件の時にレンさんも『ハク』について話していたが、ほとんど知らないようだった。だから、僕も噂を鵜呑みにして先入観を持たない方がいい。
そもそも、「世間から『ハク』って呼ばれてる」ってことは、トオノさん達は違う呼び方をしてるってことだ。その時点で世間からの認識と内部からの認識が違うことを察することができる。
トオノさんがサイさんを見る。
「俺の隣が『サイ』。主に技術担当。ウイルスとかハッキングとかインフラ構築とか技術系、情報系はとにかく彼女に聞いてくれ」
サイさんは見向きもせず、キーボードを叩いたままだった。昨日、僕の所属するコミュニティ『ゲーム部屋』のメンバーであるねねこさんに仕込まれたウイルスを対処したのもこの人だった。呼び出されてからものの数分でウイルスを除去完了するほど技術に強く、その場で解析を始めてしまうくらいには熱中してしまう性格のようだ。話し方やシキさんとのやり取りを見ても、非常に博識且つ論理的な印象を受ける。
「君の隣が『シキ』。武力要員。暴力を受けたらすぐに相談してくれ」
「はぁ?」
シキさんがたまらず反応するが、笑って流せない。昨日の戦闘を見ても、僕が今まで見てきた誰よりも強いのがハッキリわかる。正直、競技シーンのトップクラスの人達ですら足元にも及ばないような気がしている。レンさんで既に世界クラスの実力の筈なのに、それよりも強いとなると基準がもう分からなくなる。
ついでに言うと、振る舞いから感じる雰囲気が学校生活で言う『不良』や『ヤンキー』に近い。僕が絡まれやすく、そして苦手な部類だ。
「俺が『トオノ』。えー…。一般人だ」
「アンタが一般人なら世の中全員聖人だよ」
シキさんが呆れるように言うが、トオノさんは肩をすくめて流した。正直、この人が一番得体が知れない。僕と年齢が近いようにも見えるが、妙に落ち着いていて達観しているような印象を受ける。
「これで全員じゃないが、しばらくはここに来るのはこの三人だけだ。他は覚えなくていい」
少なくとも僕が座っている席の主はいる筈だ。でも、何か理由があってここには来ないみたいだ。僕を預かるのも期限付きだし、組織の情報全てを渡す必要はないと判断しているかもしれない。
「…ま、あの人は関わらない方が幸せだしね」
…シキさんが真剣な表所で言ったところを見ると、もしかしたら本当に親切心で覚えなくていいと言っているかもしれない。しばらく来れないのではなく、しばらく来るなと『その人』に伝えているまで考えられる。
微妙な空気になったところで、トオノさんが席を立った。
「レンのアンダーワールドの説明も大筋だけだったみたいだし、戦闘面の説明をサラッとしようか」
◆
「ここは『訓練場』。君に戦闘力を身に着けてもらうことが目的だから、ここには何度も来るだろう」
さっきの部屋から出るとまるでホテルの通路のような構造になっていて、少し歩くとエレベーターがあった。そのエレベーターで『B3F』を押し、直通したのが今いる『訓練場』だった。
学校の体育館と同じか、それより一回り大きいくらいの広さと高さだ。体育館と違うのは、入ってきたエレベーター以外に扉も何も無く、正方形のタイルで地面も壁も埋め尽くされていること。
トオノさんに促されてシキさんもこの場にいる。サイさんだけはあの部屋から動く素振りを見せず、トオノさんもサイさんに何も言わなかった。
「任意のモンスターを召喚して戦闘訓練をしたり、障害物や地面を好きに変更できるように設定してある。…こんな感じに」
「っ!?」
トオノさんがUIを操作すると、僕が乗っていたタイル…立方体が上空二メートルくらいの高さに浮きあがる。周りを見ると、僕が乗っている立方体以外にも様々な高さで浮遊しているがものある。中には立方体ではなく球体や三角柱の形のものもあった。
僕が驚いていると、ワープエフェクトとともにカラスが三体、少し離れた所に現れた。
「試しに攻撃できる?」
下の方でトオノさんが言っているのが聞こえた。カラスがこちらに近付いてくる前に、僕は素早くスマホを取り出してボタンを押し、手を前に出す。
「『ソロウ』!」
一番奥にいたカラスに雫が落ち、爆発が起きる。距離は取れていたので、爆発による風を正面から受けるものの吹き飛ばされはしない。
同時に、僕を乗せた立方体が降下して、地面に着いた。
「ちなみに、ここで体力が尽きてもエレベーターの扉付近にリスポーンするように設定してある。扉付近は攻撃不可区域になってるからリスポーン狩りの心配もない」
急に戦闘が始まって動揺したものの、安全地帯だと分かると安心できる。僕はこの場所で訓練を繰り返すことになりそうだ。
「訓練場を操作するアプリについてはメッセージに送っておくから、後でインストールしとくように」
僕は頷いた。こういうことができる技術力に驚きと尊敬を覚えつつも、これから自分が操作できるワクワク感を覚えてしまう。実験や計算が好きな人間の性分だろう。
「じゃ、『デバイス』の説明をしようか。レンからはどんな説明を受けた?」
「…アンダーワールドで、スキルを使用可能にする拡張プラグイン?」
記憶を辿りながら答えると、シキさんが顔をしかめた。
「…アイツ、随分適当な説明してんね」
「間違ってはいないが、核心を捉えてもいないかな」
トオノさんがUIを操作すると、サンドバッグに顔がついたモンスターが空中に現れる。NOWHEREでもよく見るモンスター、『レンシューダイ』だった。
このモンスターは空中に浮いているが、見えない上に触れない糸で吊り下げられている。よって攻撃行動が自分からは取れず、攻撃された反動で勢いをつけて体当たりすることしかできない。遠距離攻撃にはどうしようもない。
主にユーザーのダメージチェックで使われる悲しいモンスターなので、警戒の必要もない。
「スマホを持たないで、魔法を撃ってみて」
「…スキル選択はどうするんですか?」
NOWHEREのMMOスペースや対戦中にスキルを使う場合、UIからスキルを選択した後、対象を選びながらスキル名を口に出すことでスキルが発動するようになっている。要するに、UIでスキルが選択できない今の状況ではスキルは使えない。
しかし、トオノさんは必要ないと僕に伝えるかように首を振った。疑心暗鬼になりながらも、手を前に出す。
対象を選ぶのは、左右どちらかの手を対象に向けるだけだ。使用するスキルの射程よりも距離が離れすぎている場合はスキルが発動せず、何かが遮ったりした場合は対象が自動的に変わってしまう。
「…『アグリ』」
「…」
「…」
沈黙が流れた。何も起きず、誰も何も言わない。トオノさんは不思議そうな顔を、シキさんに至っては首を傾げていた。
「…」
さすがに僕が発言しようとした時、何かに気付いたトオノさんが口を開いた。
「ああ、自分の属性の魔法で頼む」
先に言って欲しい。いや、自分の属性の魔法にしなかった僕も悪いのかもしれない。これまでスマホに表示されていた魔法が『グラド』『アグリ』『ソロウ』『エンジ』の各属性初期魔法だったので、全ての属性が使えると勘違いしていた。ついでに言うと、喜属性『グラド』と哀属性『ソロウ』は使ったことがあったので、他の魔法を見てみるつもりで怒属性『アグリ』を選んでしまった。
気を取り直して、レンシューダイに向かって手を伸ばす。
「『ソロウ』」
僕が呟くと、レンシューダイに向かって雫が落ちる。
「…え?」
着弾した瞬間に爆発が起きる。しかし、今までの規格外の爆発ではなく、程良い威力…というよりは平均以下だった。ハッキリ言って爆竹を少し派手にした程度。
でも、何故スキルが発動した?スキルを選択してもいないし、スマホに触ってもいない。当然、他の『デバイス』も持っていない。
トオノさんを見ると、「ほらな」と言わんばかりの表情で僕を見ていた。
「NOWHEREでは本来、UIによるスキル選択は必要ない。対象を選ぶのと、スキル名を口に出すだけ。自分が本来使えないスキルは使えないから、君は『ソロウ』は使えるけど『アグリ』は使えない」
レンさんの話だと、運営ではなくNOWHEREの仕組み上、自分の属性や武器が決められている。使えるスキルも同じで、元々決まっているということか。
だとすると、『デバイス』である僕のスマホやレンさんの刀は?
「MMOも結構やってるみたいだから気付いてそうだが、スキルには『使用条件』があるのは知ってるよな?」
『使用条件』。NOWHEREのMMOスペースでは最重要となる要素だ。MMOスペースでは本来自分が決められている武器の他に、敵からドロップしたり店で購入することで使える武器がある。剣や槍、銃などのいかにもな武器たちだ。
スキルに関しても武器に元々ついているスキルを使ったり、ゲーム内マネーや課金によって『スキルの書』を大量購入し、非常に沢山のスキルを取得しているユーザーもいる。
但し、スキルには使用条件がある。『剣を装備しないと使えない』、『盾を装備しないと使えない』、『弓か銃を装備しないと使えない』という、装備している武器の種類に依存する使用条件だ。
魔法スキルにも使用条件があるものがいくつかあるが、基本魔法である『グラド』『アグリ』『ソロウ』『エンジ』には使用条件はない。どの武器を持っていても使用できる。
ということは、アンダーワールドでも…。
「気付いたみたいだな。もちろん君も魔法以外に何かしらのスキルを持ってる。でも、使用条件を満たしてないから使えない」
理解できた。デバイスは、『自分の持っているスキルを発動するための武器』ってことになる。
僕のスマホはおそらく、使用条件を満たすための武器ではない。自分がスキルを取得していなくても、武器を装備している間だけ一時的に使えるようになる『武器スキル』の付いている武器だ。
僕の魔法の異常な威力も、スマホ自体に魔法力を上昇させる効果があるのだろう。ということは、このスマホがあれば誰でも超威力の魔法が使えるようになる。
…しかし、そうだとするとあの人の発言に違和感を感じる。
「デバイスの種類は確かに多くて、『それ』みたいにぶっ飛んだ性能の物はある。でも、大抵はただの武器でしかない」
「要するに、使える武器が増えただけって考えればいいってこと」
僕は初期武器である水風船しか使えないが、剣型のデバイスを手に入れれば剣が使えるようになる。運が良ければ、剣スキルが使えるかもしれない。そのくらいのものってことか。
だとすると、魔法能力を上げる僕のスマホや物理無効の的を両断できたレンさんの刀は、特別なデバイスなんだろうか?
「しばらくは自分が使えるスキルの確認がメインになるだろうな。実践的なところは追々でいい。WMカテゴリ四位だし、ある程度知識はあるだろ」
「四位?見かけによんないね」
僕の四位は戦法によるところが大きい。知識は多少あるとは思うが、実力自体は並以下だと思う。
「…退屈かと思ってたけど、思ったより楽しめそうだね」
シキさんが不敵に笑いながら指の関節を鳴らす。無表情・無気力なサバサバ系の人かと思っていたが、武力要員だけあって戦闘狂のようだ。それにしては大会で見たことはないが、より強い人と戦いたいという気持ちは出てこないのだろうか。
そんな戦闘狂を相手にしたくはないので、助けを求めるように目線だけでトオノさんを見る。こうなることを予想していたかのように、トオノさんが話し始めた。
「実践は明日からだ。時間もそろそろだしな」
「オッケー。…明日、待ってるから」
シキさんが僕を指差して言った。どうにか逃げる方法を明日までに考えなければいけない。
◆
訓練所を出て、大きなテーブルのある部屋に戻ってきた。この場所の名称はどうやら『会議室』らしい。
戻る際に建物についても説明してくれたが、この建物には会議室と訓練所の他にそれぞれ個人の部屋と作業場があるらしい。何の作業をするのかは説明されなかった。
「次。さっき俺達は金を貰って色んな依頼を受けてると言ったが、君にも協力してもらおうと思う」
「え…」
突然言われて困惑するが、トオノさんは淡々と続けた。
「協力と言っても、基本的には依頼人の話を聞いてもらうだけだ。依頼の中には文章だけだと具体的な内容が分からないものもあるから、実際に話を聞かないといけないものがたまにあるんだよ」
なんとなく言ってることは分かる。ウイルスの除去ならサイさんが直接出向いて除去すればいいが、バグの調査が依頼の場合はどういうバグが起きているのか実際に見たり、起きた現象について本人に事情聴取しないと理解できない時もあるだろう。
おそらく非公式な所からの依頼が多いだろうから、丁寧な文章で送られてくるイメージもあまりない。もしかしたら「とにかく来て」という投げやりな依頼もあるのかもしれない。
「見ての通り、俺達は会話が成り立たないメンバーが多いから、話を聞く依頼は俺が直接出向かなきゃならない。技術はあってもさすがに分身はできないからな」
シキさん、サイさんは反論もせず、見向きもしない。元々静かな二人だが、それよりももっと静かだ。サイさんは全く気にしていないようだが、シキさんは敢えて無視しているのが雰囲気で伝わる。
「もちろん、手伝って貰う分報酬は出すよ。金額面は不満が起きないように後で相談しよう」
僕は年齢的には高校三年生ではあるが、現実世界や仮想世界で日雇いのバイトをたまにしている。だから、収入が生まれるこの話は魅力的でもある。僕の事は調べているだろうから、僕がどういう生活をしているのか理解していて言っているのかもしれない。
「依頼の話を聞いてくことで得られる知識もあるし、そこから出てくる疑問もある筈。『訓練所で戦闘能力を高める』『アンダーワールドの知識をつける』を同時並行できるから、理に適ってると思ってな」
ついでにトオノさん達としても依頼効率が上がって助かるので、win-winの関係ができる。確かに理に適っている。話を聞くだけなら、内容的に僕でもできる気はする。
「もちろん一人で行かせる訳にはいかないから、最初の方は誰かと二人で行動してもらう予定。…一緒についてくる奴は話を聞いてないと思うけど、トラブルが起きた時は対処してくれるから」
確かに、依頼主がレンさんの部下のような人達だったとしても、隣にシキさんがいれば安心できる。
一人拘束してしまうことになるが、依頼効率自体は上がる。それだけ人手が足りていないということにもなるが…。
「確かに、私達ができない依頼もできるしね。裏カジノのやつとか任せれば?アンタ出禁なんだし、丁度いいでしょ」
どうやったらカジノを出禁になるんだろう。稼ぎすぎたら出禁になるんだろうか。そもそも裏カジノなんて建物の存在を知らないのだが、アンダーワールドにも娯楽施設があるのだろうか。公園がアンダーワールドにもあったから多少存在するのはなんとなく察するが。
「一応、もう最初の依頼は決まってる。今日、バーチャルアイドルの事務所で話を聞いてもらう予定だ」
「アイドルぅ~?」
今まで机に頭をつける勢いでダラけた体勢を取っていたシキさんが起き上がった。今までほとんど無表情だったシキさんが、アイドルを嫌悪しているような表情を見せた。
「…あの子?」
シキさんの質問に、トオノさんが頷く。どうやら二人は知っている人のようだ。反応を見るに良くない印象があるようだった。
「私、同行無理だかんね。ぶりっ子見たら手出るし」
まだ出会って一日だが、シキさんにウザ絡みした人物が無表情のままビンタされる画が容易に想像できる。本人も言う通り、シキさんはすぐ手が出そうだ。
「俺も行きた…行けないから、今回は代役を用意した」
今、完全に「行きたくない」って言おうとした。さらに、二人の中ではサイさんは元々勘定に入っていない。win-winの関係かと思っていたが、もしかして厄介事を押し付けられたんだろうか。
「代役?心当たり無いけど」
もしかしたら僕が座っている席の人が出てくるかと思ったが、「今いる三人以外は覚えなくていい」と言われた通り『ハク』の人間ではないようだ。とはいえ、僕も『代役』に心当たりはない。『ハク』として行動できるような人がいるんだろうか?
「昨日もあの場にいただろ。赤毛のポニーテールのあの子だよ」
「ハナエ…カナエ?いたね、そういや」
HANAEさんも結構な実力者の筈だが、二人は特に認識していないらしい。僕が今いる『ハク』の拠点も札幌地区と呼ばれる場所にあるが、自分の地区の有名人を認識していないことになる。
とはいえ、HANAEさんが札幌地区のユーザーになったのはつい二週間前のことではあるので、知らなくてもあり得ないという程ではないだろうか。ユーザー対戦を利用するユーザーなら絶対に知っているだろうけど、利用しないユーザーなら知らなくてもおかしくはない。
というか、HANAEさんが同行してくれるのか。『ハク』としてはいいんだろうか?
僕の疑問に応えるように、トオノさんが話を続ける。
「彼女は過去の経験からどこかに所属するのは嫌がってるが、君個人には協力すると言ってた。一連の事件の関係者でもあるし、こまめに状況を知れるから俺達としても丁度いい」
確かにローブの人は僕を狙っているようだったが、ある程度状況を知った人間を口封じがてら襲撃する可能性はあるから、HANAEさんの状況は知っておいた方がいい。依頼に同行してもらえるのであればその時に状況を知ることができる。
ちなみに、ローブの人に関しての情報は『ハク』としてもほとんどないらしい。心当たりのある部分から調査を進めると言っていた。トオノさん達が調査を進めている間に僕が依頼を進めることができれば助け合いの形になる。僕としてもこれからお世話になる分、できることは返したい。
「…っていう訳で、そろそろ依頼の時間になる。URL送るから、用意が出来たらアクセスしてくれ。HANAEさんは既に着いてるらしいし」
「うわ、断れないように急ピッチで進めるじゃん」
シキさんの言葉が的確だった。でも、僕はイエスマンなので反論はしない。
深呼吸を一つして、メッセージを確認するためにUIを起動した。
◆
URLにアクセスすると、通路のような場所に出た。目の前にドアがあるので、おそらくこのドアの先に依頼主がいる。
肩を叩かれて右を見ると、HANAEさんが微笑みながら手を挙げていた。最後に別れてから一日も経っていないが、さっきまで会っていた人達の癖が強すぎてHANAEさんに安心感すら感じる。
トオノさんから送られてきたメッセージには、URLと多少の説明文があった。今僕らがいるのは依頼主が居る楽屋に繋がる通路で、指定された時間ぴったりになるまで待機して、時間になったら部屋に入る、という流れになる。
主に話を聞くのは僕で、HANAEさんは何かあった時の護衛要員とのことだった。HANAEさんの実力自体は『ハク』も認めていることと、依頼主の性格上乱暴な展開になることも考えられないとのことでHANAEさんが代理で問題ないらしい。
「…本選が控えてるのに、邪魔になってませんか?」
僕は選手としてHANAEさんを応援しているので、本選の妨げにならないかということだけが気になっている。予選の僕ですら対戦相手の研究でかなりの時間を費やしたので、本選ともなるともっと準備期間が必要になる気がする。これでHANAEさんの結果が揮わなかったら僕の責任だし、僕自身もHANAEさんに勝ち進んで欲しい。
「…私と一緒じゃ嫌ですか?」
直視できないくらいに眩しさを感じる笑顔を見せていたHANAEさんが、途端にむすっとした表情になった。予想外の返しをされて慌てて首を振る。そういう意味で言った訳ではないのだが、NOWHEREの翻訳で変なニュアンスで翻訳されたのかもしれない。
ちなみに今いる場所はコミュニティスペースの扱いになる。バーチャルアイドル事務所なので、企業が作成したコミュニティスペースだ。だから、HANAEさんの言語関係も問題ない…筈だ。
「ナナシさんが練習に付き合ってくれれば解決です」
どうもHANAEさんは僕を買い被りすぎている気がする。アンダーワールド以外であればステータス配分は好きに設定できるので、練習相手さえいれば対戦予定のユーザーのステータスを模倣して仮想敵を作ること自体は簡単にできる。但し、ステータス配分を変えると操作感覚が劇的に変わるのでかなりの慣れが必要になる。
練習相手としては当然、プレイヤースキルが高い相手の方が練習になる。HANAEさんクラスの人なら僕よりもプレイヤースキルの高い知り合いがいそうだが…。
僕が了承すると、HANAEさんは露骨に嬉しそうな顔をする。相変わらずの真っすぐな感情表現に僕も嬉しくはなるが、買い被られていることへの罪悪感とこれから行われるであろう練習に気分が重くなる。
「…そろそろ時間です」
空気を変えるように言い、ドアの前に立つ。指定された時間の十五秒前くらい。ぴったりに入るように言われてはいるが、ノックはしておいた方が良いと思う。
中指の第二関節で扉を三回ノックする。
「はーい♪」
すぐさまドアが開けられ、満面の笑みを浮かべた美少女が現れた。思わずほんの少し仰け反るが、すぐさま少女の表情が変わった。
「…って、誰?」