1:三位決定戦
歓声が聞こえる。
おそらくほとんどが僕と対峙している少女を応援しているだろう。
深呼吸をひとつ。緊張感はまだ消えないが、動きに影響が出る程ではない。
僕と少女の間に立っているサングラスをかけた審判が、観客の様子を確認しながらマイクを握りしめた。
「では、地区予選三位決定戦、始めましょう!」
歓声が一際大きくなる。少女の向こう側に設置された奥側モニターに、大きく『3』の文字が表示された。
深呼吸をもうひとつ。
「スリー!」
設定画面を開く。これまで何度も行ってきた動きなので、間違えたりはしない。
それに、禁止行動はプログラム上で制限されており、操作自体不可能なように調整されている。
だから設定画面の操作は普通に行えるし、禁止行為でもない。
「ツー!」
対戦相手の少女は何もせず、ただ身構えていた。
おそらく、僕とは違って設定する必要が無いんだろう。
「ワン!」
聴覚フィルター変更パッチと視覚フィルター変更パッチを有効状態にする。フィールドに見えていた観客と、鼓膜に響いていた歓声が消えた。
僕にはもう、実況とフィールド上以外の情報は届かない。歓声や野次に弱い僕には、このパッチは欠かせないものだ。
「ゴー!!!」
審判の叫びと同じタイミングで奥側モニターにも『GO』の文字が表示された。すかさずメニュー画面を開き、登録しておいたレンタルモンスターを召喚する。
召喚の短いエフェクトとともに、僕の右隣に膝の高さほどのネズミが現れた。ピンク色を基調とした身体に、やけにニコニコした表情を浮かべたネズミが、僕を見て喜ぶように跳ねた。
全く同じタイミングで、相手の少女の右隣に赤茶色の、やけに怒った表情の犬が現れた。
表情は怒ったままだが、彼女を見て鼓舞するように吠えた。
…?
見慣れた筈の光景なのだが、何か違和感を感じた。
普段ならすぐに違和感の正体に気付いたかもしれないが、試合特有の緊張、不安、恐怖、そして少しの期待が、試合以外の事に注意を向けないよう感覚を鈍らせている。
対戦相手の少女を見ると、既に動き出していた。
感じた違和感は、きっと気のせいだ。気の弱い僕が自分で用意した、負けた時の言い訳だ。
そう自分に言い聞かせて、メニュー画面を操作してレンタルモンスターに指示を出す。
「名無しA選手はセオリー通りに『コビー』を、HANAE選手は攻撃的に『カリー』を選択しています!」
セオリー通りも何も、僕には選択肢が無いだけだけど。
僕は左側へ、『コビー』は右側へ。試合前に考えていた作戦通り、二手に分かれる。
相手―――HANAEさんは、案の定僕の方に向かって『カリー』と一緒に突っ込んでくる。
◆
仮想世界『NOWHERE』は、数年前に運用を開始した仮想現実プラットフォームだ。
運用開始直後にできたのは、仮想世界を自由に歩き回ることと、他のプレイヤーと交流すること、それと、モンスターとの交流。
モンスターと言っても、基本的にはプレイヤーに対して攻撃的ではない。動物のような姿をしたものが多く、現実世界でペットを飼えない人達用に作られたのがモンスターとの交流機能だった。
最初は不気味なデザインのモンスターが多かったのだが、評判が悪かったのかそのうち可愛らしいデザインのモンスターが増えてきた。常にニコニコしている可愛らしいデザインで今や女性に大人気な鼠モデルの『コビー』や、怒った表情をしつつも忠義な振る舞いで老若男女問わず人気の高い犬モデルの『カリー』も最近出てきたモンスターだ。
今ではNOWHERE自体のアップデートが進み、モンスターでできることが増えた。
動物園や水族館は今やNOWHERE内のデートの定番となっている。生物の種類も多い上、人に危害を加えないので触れ合うのも安心。背中に乗ったり、肩に乗せて散歩するのも簡単。何よりデザインが良いので、空想上の生き物と冒険しているような気分になれるのだから、子供でも大人でも人気が出るのも当たり前だろう。
鑑賞だけでなく、ゲームとしても技術が進んだ。
モンスターを使って仮想世界を冒険するMMORPGのようなサービスも、キャリアは浅いものの既に人気コンテンツとしてNOWHEREユーザーのほとんどが利用している。ゲームにあまり興味を示さないユーザーですら、戦闘ではなく癒しとしてモンスターを育成し、ペット枠で触れ合っている。
モンスターの育成にも様々な考察が生まれており、どうすればどのモンスターに成長するのか、どうすれば仲良くなりやすいのか、どうすれば強いモンスターに育つのか…等、有志による研究が進んでいる。
そのくらい技術と発展が進めば、当然ユーザー同士の対戦というカテゴリも発足し、進化してくる。
対戦カテゴリとして発足したのはつい一年ほど前だが、ほとんどのユーザーがモンスター育成経験があるので既に競技人口は十分な人数がいる。
対戦のカテゴリは大きく分けて三つ。
OM…Only Monster、つまりモンスターのみで戦うカテゴリ。
OP…Only Player、プレイヤーのみで戦うカテゴリ。
WM…With Monster、プレイヤーとモンスターで戦うカテゴリ。
僕がエントリーしているのは、WMカテゴリの中で、自分で育てていない小型モンスターを一匹だけ使用するレギュレーション。
自分で育てたモンスターで戦うレギュレーションもあるけれど、僕はモンスターの育成が得意ではなかったので、事前に決められた小型モンスターの中から一匹を選び、レンタルして戦うレギュレーションのみエントリーした。もちろん中型モンスターや大型モンスターの部門も存在する。
事前に決められたモンスター、いわゆる『レンタルモンスター』は四匹。すべて同じくらいの強さではあるけど、何を基準に選ぶのか。
もちろんモンスターの種類が違う以上、覚えるスキルや特性の違いはある。だけど、その中でも一番大きな要素は属性だ。
全てのプレイヤーは、NOWHEREに利用登録した時点で属性が決められている。自分で自分の属性を決定することは誰にもできない。
属性は全部で四つ。喜怒哀楽のうち、どれか一つが自動的に決められている。
喜属性は怒属性に強く、怒属性は哀属性に強い。哀属性は楽属性に強く、楽属性は喜属性に強い。
属性が有利な方は、攻撃した時により多くのダメージが入り、攻撃を受けるときにダメージがより少なくなる。
同じ属性同士の場合は、特に有利不利はない。同じく、喜属性と哀属性など、四すくみの対面に位置する属性でも有利不利はない。
◆
「名無しA選手、必死に距離を取って攻撃範囲から離れています!」
距離を詰めてくるHANAEさんとカリーから、ひたすら距離を取って逃げ回る。
僕の属性は哀属性。対するHANAEさんは、僕に有利な怒属性だった。そうなってくると、僕の選ぶレンタルモンスターは必然的にHANAEさんに強い喜属性の『コビー』になる。
対してHANAEさんのレンタルモンスターの選択肢は二つある。一つは、僕が喜属性のレンタルモンスターを選ぶことを想定して、楽属性の『クラック』を選ぶこと。もう一つは、レンタルモンスターを無視して、ただただ僕に強い怒属性の『カリー』を選ぶこと。
WMカテゴリでの勝利条件は、「相手プレイヤーを戦闘不能にすること」。レンタルモンスターがまだ戦える状態だったとしても、プレイヤー自身が戦闘不能であればそこで試合終了となる。逆に、レンタルモンスターが倒れたとしても、プレイヤー自身が戦闘可能なら試合は続行となる。
だからこそ、HANAEさんはコビーを無視して、僕の早期撃破を狙っている。
レンタルモンスターのステータス自体はプレイヤーと大体同じだけど、プレイヤーの指示を必要とする。だからこそ、プレイヤーに指示を出す余裕も隙も与えなければいい。
HANAEさんは僕の身体の何倍も大きなハンマーを僕に向かって振り下ろしてくる。それを見て、僕は前に出る。
「名無しA選手に攻撃がヒッート!しかし、HANAE選手の攻撃は当たっていません!」
僕が前に出たのは、ハンマーは避けられないと判断して、カリーの攻撃に当たりに行ったからだ。
攻撃には一部を除いてノックバック…つまり、当たった時に吹き飛ばし効果が発生する。僕自身の前に出る動きと、僕の背後にいたカリーの体当たりによる吹き飛ばし効果で、HANAEさんとすれ違うようにしてハンマーの攻撃位置から脱出した。
HANAEさんの大きなハンマーは判定も大きいが攻撃力も高いので、HANAEさんのハンマーの攻撃を貰うよりはカリーの攻撃を受ける方がまだマシだ。おそらくこの地区大会の中でもHANAE選手のハンマーが一番威力が高い。この攻撃だけは今は貰えない。
ハンマーを振り下ろしたまま、まだ持ち上げられない状態のHANAEさんを横目に、メニュー画面を開いてコビーに指示を出す。
HANAEさんの後ろに回っていたコビーが嬉しそうに喜びながら鳴くと、HANAEさんの周りにピンク色をした円錐型の図形が現れた。
HANAEさんは反射的にバックステップするが、バックステップした先で、円錐型の図形が突き刺さるようにHANAEさんを襲う。
「名無しA選手も負けじとコビーの『グラド』をHANAE選手にヒットさせます!」
喜属性単体魔法、『グラド』。威力としては魔法攻撃の中でも最低クラスの魔法だけれど、僕のコビーのステータスは魔法力が高い。無視できない威力の筈だ。
それに、NOWHEREでの魔法攻撃は基本的に必中だ。今の状況なら、コビーが魔法を唱えさえすればHANAEさんに確実にダメージが入る。
「名無しA選手、自身は回避に手一杯のようですが、コビーの魔法に攻撃を任せるのでしょうか!?」
必中の魔法攻撃だけで倒せてしまうようなら、どのプレイヤーも魔法攻撃しか使わなくなる。
僕だって、魔法攻撃だけで倒せるレギュレーションではないことくらいは理解しているつもりだ。
NOWHEREの対戦において、プレイヤーのステータスは試合開始前に自分自身で決定することができる。物理攻撃主体で戦うのか、魔法攻撃主体で戦うのか等、対戦相手やお互いのレンタルモンスターの選択を事前に予想した上で、自分で決定する。
レンタルモンスターのステータスもほぼ同じだ。プレイヤーとは違い、モンスターの種類で基礎ステータスは決められているが、結局は自分で戦闘スタイルを変えられる。
要するに、物理攻撃主体のコビーにカスタマイズする人もいれば、魔法攻撃主体のコビーにカスタマイズする人もいる。
先程からカリーに何度か攻撃を仕掛けられているが、カリーはデフォルト攻撃の噛みつきと体当たりしかしてこない。おそらく、スキルや魔法の類は取得させていない。
ステータス同様、スキルも試合開始前にプレイヤーの好きに設定できる。但し、スキルを取得するにはステータスを犠牲にしなければならない。
例えば、ボーナスポイントが十点分あるなら、三点分をスキルの取得に回さなければならない。その代償に、ステータスの総量はスキルを取得しない時より三点分低くなる。
HANAEさんのカリーは、スキルを取得していない代わりにステータスが高いってことだ。
「ここまでは名無しA選手が優勢かー!?しかし、名無しA選手のコビーは魔力が尽きかけています!」
『魔力』とは、魔法を使う際に消費する数値、つまりはMPのことだ。魔力を消費して魔法やスキルを使うため、魔力がなくなってしまうと魔法を撃てなくなる。コビーの魔法だけで倒せないのは、この魔力切れが理由だった。
ちなみに、魔法攻撃力に関しては『魔法力』と呼ぶ。ややこしいが、既にこの呼び方で定着してしまっているので仕方ない。
…話を戻して、魔力を回復する手段はもちろんある。けれど、現在のレギュレーションではアイテムによる魔力の回復は禁止されている。ならどうやって魔力を回復するのかというと、『防御状態』を保てば、少しずつ回復していく。
『防御状態』は、自身が受けるダメージを軽減することができる。しかし、攻撃はおろか移動もできず、他の行動が一切できなくなる。回避行動も取れないため、受けるダメージは軽減されるが無防備になる。
従来のHANAEさんのコンセプトは、コビーを無視してカリーと一緒に僕をひたすら攻撃する戦法。要するに、このまま僕は回避に専念して、コビーには防御状態を維持させたまま、コビーの魔力が回復したら魔法を撃てば、時間はかかるが勝つことはできる。
HANAEさんもそれをわかっているから、コビーの魔力を回復させないよう、カリーをコビーの元に向かわせて対応する。コビーに防御状態を取らせたままだとカリーに倒されてしまうので、防御状態を解除してカリーと一対一をさせることになる。これで、実質僕とHANAEさんの一対一になる。HANAEさんの方が攻撃力が高いのはわかっているので、普通に戦えばダメージレースで僕の負けが決定する。僕の方が素早さは早いので攻撃を避けやすいけれど、HANAEさんの攻撃を完全に避けきれる訳ではない。このままだと、僕の方が分が悪い。
もちろん、そんなことは最初から分かっている。
振り下ろされるハンマーを、左腕を盾にして受けた。当然、僕に大きなダメージが入る。
攻撃直後の硬直でハンマーを持ち上げられないHANAEさんに向かって、僕は右手に持っていた水風船を下手投げで投げつけた。
「!?」
「名無しA選手の通常攻撃がヒット!おーっと、これは無視できないダメージ!」
僕はこの試合までずっと、魔法主体で戦うスタイルを取っていた。レンタルモンスターのステータスは素早さと攻撃力に振って、基本的には僕自身のサポートを、余裕があれば攻撃を。僕自身は魔法を使いながら逃げ回ることで、魔法を撃ちながらヒットアンドアウェイで相手の体力を削りきるスタイルを取っていた。
理由は単純。僕の武器が通常攻撃に向いていないからだ。
NOWHEREでの武器は、属性と同じく利用登録した時点で自動的に決められている。剣、ハンマー、銃、弓のような『いかにも』な武器に加えて、ヨーヨー、楽器、本など、武器に見えないものまである。ちなみに、ひとえに剣と言っても、両手剣や片手剣などの大きさやデザインまでもが勝手に決められることになるので、人によって細部のディテールは異なる。
僕に与えられた武器は水風船だった。
この水風船は典型的なハズレ武器で、NOWHEREの掲示板でも最弱武器の話題なれば必ず最初に挙げられるほど酷い性能だった。
遠隔武器はその名の通り遠隔から攻撃が可能で、近接武器よりも相手に攻撃を当てやすいことが利点だ。その分攻撃力には下降補正がかかるが、それを差し引いても近接武器より有利という声もあるくらいだ。
水風船は遠隔武器に分類されるのだが、武器としての性能はほとんど破綻している。
まず、攻撃判定が酷い。水風船が当たったと判定されるのは、外側のゴム素材が当たった瞬間のみ。つまりは、水風船が割れた後の水には攻撃判定がない。狙いを誤ったり、防がれたりして相手の武器にヒットした場合、攻撃がミスしたと判定される。ちなみに、相手を濡らしたり、目くらましに水を使うことは可能。
次に、速度。遠隔武器といえば弓や銃のような回避の難しい速度を持っていることが多いが、水風船の速度なんて高が知れている。野球ボールやドッジボールのような遠隔武器と比べても速度は明らかに劣る。飛距離の視点で見ても、弓や銃に比べれば悲惨さが伝わるだろう。
最後に、装備自体の耐久度。無駄にリアルを求めたからなのか、現実世界同様に水風船自体が壊れやすい。地面に落とすのはもちろんのこと、握力が強い人なら投げる時に握りつぶしてしまうことすらある。その程度の耐久力しかないのだから、相手に向かって投げる時も割れるのが怖くて全力投球ができない。
最初に説明した通り、この悲惨な性能を抱えた上で、攻撃力に下降補正がかかる遠隔武器に分類される。
遠隔武器としての優位性がほとんどないのに、攻撃力も低い水風船が僕の武器だった。
そんな貧弱な性能の武器しか使えなかったので、僕は当然魔法主体の戦闘スタイルを取るしかなかった。今までは対戦相手も距離を取るタイプが多かったので、水風船の射程距離よりも対戦相手の射程距離の方が長かったことも理由の一つだ。
しかし、HANAEさんが相手なら、この水風船は使える武器になる。
…使えるとは言っても、もちろん他の遠隔武器の方がもっと使える武器なのだが。
選択肢に入らなかった状態から、ようやく選択肢に入ることができるようになった、くらいだろうか。
それは置いといて、この水風船は武器の性質上、遠隔武器にもかかわらず近付かないと当てることが難しくなる。HANAEさんの武器は巨大なハンマーであり、同じく僕に近付かないと当てられない。
それに、HANAEさんはステータス『腕力』にはほとんど振っていない。だから、一度ハンマーを振り下ろせば持ち上げるまでに隙ができる。
『腕力』は、武器に対してプレイヤーが感じる重さのことだ。腕力のステータスに振れば振るほど、攻撃の動作は早くなるし後隙も少なくなる。水風船など、そもそもの重量が軽い武器は、重量のある武器よりも元々の攻撃力を下げられていることで武器間のバランスが保たれている。…おかげで水風船はさらに威力が低い。
HANAEさんは腕力にほとんどステータスを割り振っておらず、その代わり攻撃力により多くのステータスを振っている。両手ハンマーの中でもサイズの大きい形状のため、腕力に振らなくても普通のハンマーよりは当てやすい。だけど、その分攻撃の後隙も非常に大きい。
それなら、HANAEさんがハンマーを振り下ろした後、ガラ空きの状態に水風船を当てればいい。それだけの話だ。
だから僕は、この試合のためだけにステータスを振り直した。
魔法攻撃主体だったステータスを、物理攻撃主体のステータスへ。取得していたスキルを全て破棄して、HANAEさんに勝つためだけのステータスに変更した。
NOWHEREの対戦カテゴリで、レンタルモンスターのステータスの変更はあれど、プレイヤー自身のステータスの変更を行うケースは少ない。『腕力』『素早さ』等のステータスの変更は自分の身体の動きに直接影響を及ぼすので、感覚が少しでも変わると攻撃をろくに当てることができなくなったり、相手の攻撃を避けることができなくなったり、むしろいつもより大きく動きすぎてバランスを崩すことも多々ある。
それだけに、HANAEさんに与えた動揺は大きい。
水風船による予想外のダメージ量を見て困惑するHANAEさんに、続けて二発目の水風船をお見舞いする。
困惑しながら距離を取るHANAEさんを見て、僕はコビーの状況を確認する。カリーの方がステータスは高いが、属性の相性上はコビーの方が有利だ。体力状況を見ると、ほぼ互角…若干コビーの方が押されている。それでも、お互いに半分以上体力が残っていた。
すかさず振り下ろされるハンマーを、先ほどと同様に左手を盾にして受ける。右手の水風船を二発当てて、お互いに距離を取る。
「お互いに通常攻撃がヒットしています!これはどちらが勝つのか分からなくなってきました!」
ちゃんと計算すればわかるけれど、この状態なら僕が勝つ。
HANAEさんが通常攻撃を一回行うたびに、僕は通常攻撃二発を返している。お互いに物理攻撃力にステータスを振っているが、素早さに振っている分と遠隔攻撃である分、僕の方がステータス上の攻撃力は低い。そのうえ、属性の相性上はHANAEさんの方が有利なので、僕の通常攻撃二発はHANAEさんの通常攻撃一発に及ばない。
しかし、これまでの戦闘で僕達はお互いにダメージを負っている。僕は捌ききれなかったカリーの攻撃を数回、HANAEさんはコビーの魔法を数回。現時点でHANAEさんの方が体力が減っている。パッと見はかなり際どく見えるが、このままなら少し余裕を持って僕が勝つ。
相変わらず振り下ろされるハンマーを片手で受けて、その隙に水風船を一発。続けざまにもう一発を投げつけると、カリーが横から飛び出してきて代わりに水風船を受けた。どうやらコビーを一度放置して、僕の通常攻撃を受ける回数を減らしにきたようだ。
でも、それも僕の想定内だ。
コビーを放置したままにすると魔力を回復してしまうので、カリーはコビーの元へ全力疾走で戻っていった。
これを繰り返して、水風船の合計の被弾数を減らすつもりらしい。
意を決したような表情で突っ込んでくるHANAEさんから、下がるようにして距離を取る。HANAEさんがハンマーを薙ぎ払おうと右側に構えたのを見て、僕は急激に方向転換してHANAEさんに突進する。
「っ!」
HANAEさんの左側に転がるようにして飛び込む。急に飛び込んできた相手に、ただでさえ重いハンマーを薙ぎ払いで当てるのは難しい。
ただ、薙ぎ払いを狙うこと自体は正しい。ハンマーのノックバック効果は非常に大きいので、当たりさえすれば僕は吹き飛ばされて反撃する体勢が取れない。振り下ろしの場合、ノックバック効果が下方向に加わるので、移動ができなくなる代わりに反撃は行いやすい。
だから、この薙ぎ払いは絶対に避けなくちゃならない。
当たり判定のギリギリでハンマーを避けた。僕もバランスを崩しているが、両手ハンマーの硬直隙の方が当然大きい。水風船を一発当てて、コビーとカリーの戦闘場所から距離を取るように離れる。
「名無しA選手の素早さの方が勝っている!ギリギリですが攻撃を避けることができています!」
僕の素早さのステータスはHANAEさんのハンマーをギリギリ避けられる数値になっている。
余裕があればもう少し素早さに振りたかったのだけど、これ以上振ると攻撃力が足りず、ダメージレースで負けてしまう可能性が高かった。
少しでもタイミングを間違うとダメージを負ってしまうので博打気味ではあるが、僕には回避の可能性もある。
それに、不遇武器とはいえど元々の射程距離は僕の方が長い。睨み合いをしてる段階で適当に投げても一発は当たる。
確実なリソースではないのが心配ではあるけれど、カリーを盾にしてある程度ダメージを逃がされても、十分僕に勝機はある。
「お互いに体力は僅かです!そろそろ決着が着くぞー!?」
薙ぎ払われたハンマーを、HANAEさんを追い越すようにして再度避ける。体勢を立て直してすぐさま水風船を投げつけると、カリーが代わりに水風船を受けた。
しかし、水風船のヒットと同時にカリーの姿が光りだす。戦闘不能になった時の消滅エフェクトだ。
想定よりかなり早いけど、クリティカルによってダメージが上振れただろうか。クリティカルももちろん計算していたが、想定よりも運が良かったのか。コビーとの一対一の状況まではさすがに余裕がなくて見れていなかったので原因は分からないが、何にせよ嬉しい誤算だ。
カリーの消滅エフェクトが消えると、その向こうに既に攻撃モーションに入っていたHANAEさんが見えた。
大丈夫。
直後にHANAEさんに『グラド』がヒットする。一発分の魔力を回復していたコビーによる魔法だ。
魔法の爆風による視界悪化とノックバックによって攻撃がキャンセルされたところに、水風船を一発。
体勢を立て直してハンマーを振り下ろすHANAEさんを見て、僕は勝利を確信する。この一発を受けて、返しの水風船を当てれば僕の勝ちだ。例えクリティカルが出たとしても、体力的にギリギリ耐えられる筈だ。
ハンマーを左腕で受ける。そのまま右手で水風船を投げようと、ガードした左腕の下からHANAEさんを見ると、不可解な物を見る目で僕を見ていた。
「!?」
その真意を考える間もなく、僕の左側から何かがぶつかってきた。通常攻撃のモーションに入る前だったので、僕の攻撃はリセットされる。そのまま右に転がるようにして吹き飛ばされた。
「ガウ!」
僕を吹き飛ばしたのは、HANAEさんのカリーだった。
僕の水風船によって体力がゼロになった筈なのに、体力が少しだけ残っていた。
このレギュレーションでは、プレイヤー及びモンスターの蘇生は禁止だ。レフェリーストップが入らないことからも、HANAEさんに反則はない。
まさか…まさか僕が見間違えたのだろうか?
いや、カリーの消滅エフェクトは明らかに見えていた。HANAEさんがそのエフェクトを目眩しに攻撃をしかけていたのも。それに、攻撃に移る時に聞こえるであろうカリーの咆哮も、僕には聞こえていない。
でも、僕がハンマーを左腕で受けた時、HANAEさんは何か困惑したような、不可解な表情をしていた。あれはカリーにではなく、明らかに僕に向けられたものだった。カリーの動きから、回避行動をとるのが最善なのに、防御行動をとった僕に対してのものだったのだろうか。
そういえば、カリーの消滅エフェクトが出た時も、HANAEさんは表情を変えずに攻撃モーションに移っていた。あれは、カリーが消滅していなかったからなのではないか。
カリーの消えるタイミングもおかしかった。コビーとの戦闘でクリティカルによる不確定要素があったとしても、やっぱり体力がゼロになるタイミングはもう少し遅い筈だった。
思い返せば、試合開始直後に感じた違和感。あれは、召喚時にHANAEさんを鼓舞するように吠えたカリーの声が聞こえなかったからじゃないだろうか。今になって思い返せば、所々僕には聞こえなかった音がある気がする。
「…」
僕は体勢を立て直す暇もなく、複雑な表情をしているHANAEさんの最後の一撃を受けた。
僕の視界は、黒いドットで埋め尽くされるようにして真っ黒になった。