第88話 その夢は水面に浮かぶ泡のように
それはマニュアルちゃんが人型として顕現して、間もない頃の事。
「あら、闇野さん家ちの奥さんじゃない」
不敬にも程がある夢を見ている、とマニュアルちゃんは夢の中で思っていた。
スキルだった頃は一度も見た事がなかったのに、人の姿を得てからは毎日のように何かしら夢を見ていたのだが――
(それにしたって、これはないのです……)
自分が研一の妻だとか、烏滸がましいにも程がある。
だって既に研一には元の世界に誰よりも愛している上に、優しくてお似合いの伴侶が居るのだ。
(精々、子どもとか親戚とか辺りが関の山なのです)
それですら望み過ぎというもの。
人の形をしているだけの物が、研一と同じ血を引いている世界を望んでいたなんて知られたら、きっと身の程知らずにも限度があると軽蔑されてしまうかもしれない。
せめて片想いの幼馴染。
それすら許されないなら、精々が使い捨てられる靴辺りがお似合いだなんてマニュアルちゃんが考えたところで――
『夢くらい好きに見てもいいでしょう? 誰にも迷惑を掛けてないんですから』
スキルの人格から卑屈過ぎると注意が入る。
「放っておいてほしいのです。千年近くも糞スキル扱いされてきたのです。そう簡単に自己肯定感とやらは回復しないのです」
『それこそ不敬というものでしょう。あの方が反則めいたスキル、などと評価して下さったのですよ? その一言だけに自信を持ち、天にも昇る程の気持ちになるべきでしょうに」
「……解かっているのです。私が卑屈な姿を見せては、御主人様の言葉を疑っているのと同じな事くらい。けど、そっちだって解っている筈なのです」
『そう簡単に割り切れるようなら、そもそも私は居ないでしょうからね』
人間達のように。
本心と建前が混在したまま、存在出来るほどスキルというのは器用な物ではなかった。
他のスキルの人型なんて聞いた事もないから、他だと違うのかもしれないが、少なくともマニュアルちゃんは人格を二つに分けるしかなかった。
そうしなければ、とても人型としてマトモに会話する事さえ難しかっただろう。
『そもそも内部どころか、見た目から割り切れていない顕現でしたからね』
実はマニュアルちゃんの容姿。
その子どもにも大人にも、なり切れてない見た目は、マニュアルちゃん自身が選んだようなものだ。
本当なら子どもか大人、どちらかに寄せる筈だったのだが――
『あの人と結ばれて家庭を持っている夢まで見てしまうくらい隣に立ちたい癖に、あのセンとかいう少女みたいにも接してほしかった。欲張りにも程がありますね』
「夢の中だからって好き勝手言いやがってなのです……」
起きている時なら、意識が混ざり合って途中で記憶が飛んだりする。
けれど、今は夢の中だからなのか。
普通に会話を続けているスキルの人格に、マニュアルちゃんは辟易とする。
――見たくもない本心を突き付けられ続けているようなものなのだから。
『いいじゃないですか。それこそ夢の中くらい、好き勝手にすれば』
言葉と共にスキルの人格は、今も流れ続けている夢の光景を指し示す。
そこには――
「だ、駄目なのです。そんな、人が見ている前で……」
「他人の目なんてどうだっていいじゃないか。俺が君を抱き締めたい。それとも、君は嫌か?」
「……解ってる癖に、意地悪な聞き方なのです」
口では嫌がりながら。
結局は自分から研一に抱き着いて、頭を撫でてもらっているマニュアルちゃんの姿があった。
「……こんなの虚しいだけなのです」
確かにこうなれば幸せだろうなとは、マニュアルちゃんも思う。
それこそ、千年近くの苦悩も全て吹き飛んでしまうだろうけれど――
「匂いも感触もない。張りぼての光景だけ見せられたって物足りないだけなのです……」
もしも防具として顕現していたなら。
それこそ、上下一式、全身を覆えるような装備だったなら――
『いつもいつでも、あの方の全てを感じられたのに、ですか。それは確かにそうですが、この人型の生も、それはそれでいいものでしょう?』
「……悪くはないのです」
いつでも所有者の傍に居て、存在を直に感じられるのは確かに悪くない。
けれど、初めて人型として顕現して解かった事がある。
「傍に居る時間も距離も減ってしまったのに、今の方がずっと寂しくないのです」
装備として使って貰っている時の方が、ずっと近くに居る筈なのに。
そこには自分を見てくれる視線がなかった。
自分を意識して貰えてなかった。
ちゃんと真っ直ぐ自分を見て話し掛けて貰えて――
『それだけで幸せで満足しないといけないと思っているのに、どんどん欲張りになっていく。難儀な物ですよね、私達は』
スキルの人格は溜息を吐く。
それはマニュアルちゃん自身、本心から呆れ果てているという証明だった。
「仕方ないのです。どうせ人の形をしてるだけの紛い物。本物の人間みたいに真っ直ぐには生きられないのです」
『……そうですね。物でしかない私達には、これが順当なのでしょう』
そして。
マニュアルちゃんは夢の続きを眺めていく。
『ちょっとちょっと、それはさすがに大胆過ぎるでしょう!?』
「やっぱりそう思うのです? でも――」
『た、確かに夢の中ですし。いや、ですが、これは――』
本心からいけない事だと思いつつ。
それでも夢だから少しくらいという建前に導かれるまま、欲望を加速させていく。
これは儚くも散った、少女の夢の物語。
一つ、お話しておきたい事があります。
大体の方は予想していると思いますが、マニュアルちゃんの事です。
実は今回のエンディングはWeb版用のモノで、本来のエンディングとは違う形になっております。
具体的には87話から派生して、本来のエンディングは完全無欠のハッピーエンド的な方向なのですが――
あえてバッドエンド寄りのトゥルーエンドの方をweb版の方では採用しております。
ちなみに本来は87話までは大体同じですが、その後が『ダークでもファンタジー』、『取り戻した騒がしくも平穏な日々』という名前の話になり、タイトルから想像してほしい内容のエンディングになる予定でした。
――そちらのエンディングは、一時期、別の場所で公開していました。
それでどうしてあえてそんな事をしたかというとですね、ダークファンタジー謳ってるんだから、今更救いなんて要らないんだよ。あそこまでやっておいて興覚めだとかそんな感じの事を言われてしまうと。
割と本気で私が切れ散らかして、続きを書けなくなってしまう可能性があるからですね。
そういう感想を抱くのが悪いという訳ではないですし、確かにあそこから救われるのはなんだかなあっていう気持ちは解かります。
が、それはそれとして。
言い方というモノを考えない人が結構多くてですね……。
Web掲載時点では、避けさせて頂きました。
そういう事情なので、本来のエンディングだとあの子が本当は何を思ってあんな選択をしたんだとか。
今後も泣いたり笑って元気で過ごす姿を見たい方は、その機会が来る事を祈って頂ければ嬉しく思います。
それはそれとして。
実は明日誕生日ですが、そんな事は興味ないと思うので三部について。
明日引き続き、三部を連載していきます。
三部終了までは毎日更新する予定なので、引き続き読んで頂ければ嬉しく思います。




