第70話 戦いは既に始まっていた
「地位が確約されているんじゃなかったかしら?」
突然の惨劇にも関わらず、驚き一つ見せる事なく静かなテレレの声が響く。
そして、ジーンに見えないような角度で肘で研一を軽く突いた。
今から説明させるから、その間に正気を取り戻してと言うように。
「それに関しては、こちらとしても本当に不思議な話なのです。そんな約束を取り決めた事は一度だってない筈なのですが、勝手に先程の方が、その気になっていたと言いますか――」
「でしょうね。魔族に降った人間の話自体は私だって噂で耳にしている。けれど、それは何れも死なせるのが惜しい英傑だったから、魔族から乞うて仲間になってもらったという話だったもの。自分の身可愛さの裏切り者を受け入れる風習なんて聞いた事ないわ」
「全くその通りです。同胞を平気で売り渡す者なぞ、結局、情勢が変わればまた裏切るのは目に見えていますからね。そんな者、受け入れる理由も無ければ、ましてや地位を約束するなんて有り得る訳ないでしょうに。何を考えているのやら……」
本当に理解出来ないとばかりにジーンは頭を抱え込む。
それ程までにゲスタブの行動は、魔族からすれば信じられない常識外れな事だったらしい。
「けど、魔力は人間とは思えないくらいに随分と持っていた筈よ。食べれば魔力の強化や補充くらいなら出来たと思うのだけれど?」
「本気で言ってるのですか!?」
(ビックリした……)
突然の叫び声に研一は内心だけで驚く。
これまで驚くくらいに丁寧に話していたのもあるが、特に声を上げるような話題に思わなかったからだ。
「あんな同胞を平気で売り渡すような男の力が私の身体で生き続けるなんて、考えるだけで悍ましいにも程があるでしょうに!」
けれど、どうやらジーン的には相当に酷い発言だったらしく。
感情任せな叫びが次々に溢れ出していく。
「そもそも他の人間だって私は食べたくなんてなかった! 強く気高く、そのまま朽ち果てていくのが惜しい、自らが認めた戦士以外を食べるなんて屈辱でしかない! ただ消え失せて無価値になってしまうくらいなら、私の中で生き続けてほしいと思うからこそ、我々魔族は人を喰らうのです!」
(……あー、そういう感覚なのか)
どうやら魔族なりの食への感謝のような風習か何かがあるらしい。
食べられる側からすれば、色々と言いたい事がないでもないが――
(ああ、うん。こうやって考えると人間の食への感謝とかも結構ただの自己満足なモノが多いよな……)
食べられる側視点で見て、初めて理解する。
食への感謝や心構えについて、相手にどうこう言える立場ではない。
「ですが、ドリュアス国の薬が作れる魔法があれば、助かる同胞が数多く居る! ならば贅沢なんて言ってられないでしょう!?」
「同意を求められても困るわ」
そこで会話が途切れる瞬間を狙って、テレレが横目でチラリと研一に確認する。
もう落ち着いた、と。
(ああ、それは大丈夫なんだけど――)
突然の事態に驚いていただけで、そもそも研一がゲスタブに抱いていた感情なんて、大したモノではないし、その仲間だって同じ事。
そこまで取り乱すような事ではなく、小声でテレレに話し掛けるが――
(マズいぞ。大分、力が落ちてる……)
研一が戸惑っていた本当の理由。
それは驚く程急激に、力が落ちた事であった。
(……ごめん、読み違えた)
テレレが見ているのは、心ではなく魂の動きだ。
ゲスタブの身体が貫かれて暫くして、研一の魂が酷く動揺した動きを見せたから、眼の前で人が殺された事に戸惑っていると思って落ち着く時間を稼ごうとしていたのだが――
「それで、ジーンだったわね。この時間稼ぎは何の為のモノかしら?」
そもそも時間を稼いでいたのは、テレレだけではない。
ドリュアス国の所在に魔法まで手に入れている以上、それを持って撤退するだけで、魔族側としては十分な戦果になるだろう。
その戦果に加えて救世主すら討ち取ろうという可能性も無くはないが――
それなら変に会話なんてせずに、戦いを初めていればいい。
「おや、バレていましたか。これでも噂の救世主様とドリュアス国の偉大なる党首様と、お話してみたいという気持ち自体は本当だったのですが――」
特に隠す気もなかったのか。
時間稼ぎをしていた事を隠そうともせず、そのままジーンは話を続けていく。
「実は今までの話には、一つだけ嘘がありまして」
「でしょうね」
「やはり同胞を売り渡すようなゴミ共なんて、いくら食べても意味がなかったみたいでして。実はまだ、ドリュアス国の人間が持つという、薬を作る魔法とやらを取得していないのですよ」
「まさか――」
ジーンの言葉に研一の頭に最悪の想像が過ぎる。
センやマニュアルちゃん、ロザリーやドリュアスの人々が魔族に一方的に蹂躙されていく光景。
果たして――
「ですので、部下共がドリュアスの戦士達を喰らって能力を得るまで、アナタ達の足止めをさせて頂きたく思ったのですが、噂通りの実力者なら私では到底敵わないでしょうからね。会話で少しでも時間が稼げれば御の字でしょう?」
「お前っ!」
その光景は想像ではなく、既に現実で起きている事だと言わんばかりの態度のジーンに、一瞬で怒りが沸き立ち。
その感情のままに研一が拳を振るおうとした瞬間だった。
「馬鹿な、こんな……」
ジーンが驚きの声を漏らす。
まるで針鼠を思わせる程に無数の枝が、ジーンの身体から突然生えたのだ。
「ドリュアスの魔法を薬を作るだけの物だとでも思ってたの? この森で私の視界に映る限り、どこにも安息の場所はないと思いなさい」
(え、強っ!)
おそらくテレレの言葉から推測するに、テレレの魔法による攻撃だろう。
どうやら植物を操るような事が出来るらしく、ジーンの乗っていた枝から更に無数の枝を生やす事で、ジーンの身体を貫いたようだ。
「サーラみたいに広範囲を焼き尽くすとかは出来ないけど、奇襲や搦め手で戦うなら、私だって大したものでしょ?」
見直したでしょ、と言わんばかりにテレレが屈託なく笑う。
どうやらテレレが凄い強いという話を情報としては知っていたものの、実感が伴っていない研一にお披露目する機会が出来て楽しかったらしい。
「思ったより簡単に終わったし、これなら別に――」
驚いている研一の表情にテレレは満足そうに微笑んで、この場を後にしようとするが――
(え、何だ?)
研一の視界が、まるでコマ送りでもしているように緩慢に映り始める。
異世界に来てから何度か見た光景。
日常の中では一度も感じた事がないが、戦いになる度にお世話になってきたその現象の意味に気付いた瞬間――
「テレレ!」
「え、急に何――」
研一は即座にテレレを抱え込むと、勢いのまま横っ飛びに跳躍する。
ジーンが生きているのか、伏兵が居るのかは解からない。
それでも、この場に立ち尽くすのだけはマズいと思っての行動だった。
「お見事です。さすがは救世主様と言ったところでしょうか?」
そして、それは正しかった。
先程までテレレが居た場所を貫こうとでもしたように。
腕を突き出した姿のジーンが、そこに佇んでいた。




