第171話 自由は別れと共に
「研一君!」
神獣を吹き飛ばし、空から落下してきた研一をアクアが水魔法を使って柔らかく抱き留める。
身体能力を強化された研一ならば、水面に叩き付けられたところで、大したダメージを受けなかっただろうし、そんな事はアクアだって気付いていたが――
それでも迎えに行かずには居られなかったのだ。
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」
本当なら、よくやってくれたとか、君のお陰で助かったとでも言うべきなのだろう。
そんな事はアクア自身が一番解かっている筈なのだが、口から出てくるのは、子どもみたいな罵倒の言葉だけ。
無理もないのかもしれない。
人をこれだけ好きになった事も初めてなら、それだけ好きになった人が死に掛けた事も初めてで、生きて戻ってきてくれた事も初めて。
そんな未体験の連続に、感情を制御しろという方が難しい話。
口では語彙力を失った罵倒を繰り返し、力一杯抱き締めてしまう事しかアクアには出来ない。
「えーと……」
とはいえ、いきなりそんな複雑な気持ちのぶつけられ方をして、スマートに対応するのは普通の人間には困難だ。
ましてや研一は、今でもアクアをファルスと勘違いしたままなのである。
戸惑い以外の反応なんて出来る訳もない。
(随分情熱的だけど、海外の人は男同士でも抱き合って喜びを分かち合う場所もあるそうだし、ここは自分も抱き締め返したりするべきか?)
とりあえず手を回し、研一が抱き締め返そうとした瞬間だった。
「え?」
はっとした表情をすると同時に、慌てた様子でアクアが離れていく。
急にどうしたんだと思う研一だが、その理由をすぐに察する事となる。
「聞こえるか! 救世主と呼ばれるに相応しいだけの力を持つ、闇野研一!」
突然、辺りを大きな影が覆ったかと思うと――
中性的で透き通るような声が、それでも周囲を威圧するような刺々しさを持って、上から降り注いだ。
「君のお陰でウンディーネ国の党首である僕、アクアは生贄の役目から救われた。そして、安住の地を維持し続ける為とはいえ、多くの犠牲を強いてきた呪われた風習を断ち切る事が出来た。それには感謝している」
避難船という名の水上を移動する城が、いつの間にか研一達のすぐ傍にまで近付いていた。
波風一つ立てず、あまりに静かに接近してきたのは水魔法の力だろうか。
突然巨大な物体が現れたとしか思えない状況に、口を開けて驚く事しか出来ない研一を無視するかのように――
アクアの振りをしたファルスの言葉が、続いていく。
「だが、確認させてほしい。神獣様がお隠れになる前に我々に見せたあの光景は、事実か!」
そこまで言葉をぶつけられて、ようやく我に返った研一はこの問い掛けの意味を予想しようとする。
きっと自分の力が落ちないように、悪党として終わらせようとしてくれているのだろう。
――センの魔法でなく神獣の力にしたのは、センの事を民衆に説明したりするよりも、その方が早いとか、その程度の理由だろうと推測した。
「答えよ! 沈黙は肯定と受け取る!」
「はぁー……。ったく、何をピーピー喚いてやがんだか……」
それならば、研一がやるべき事は一つ。
このパスを正しく受け取り、膨らませて返すだけだ。
「世界を救ってやろうってんだぜ? 女の百や二百くらい、報酬として好き放題するなんて当たり前の事じゃねえか」
何の悪気もなく、当然の権利だと主張し、面倒臭そうに肯定する。
このあまりの態度に、周囲で会話を聞いていたウンディーネ国の民衆から、再び怒りや嫌悪と言った悪意が迸り――
研一の身体から、何もせずとも魔力が溢れ出す。
「強がって見せても無駄だ。君が先程の戦いで、魔力を使い果たしたのは解かっている。そんな見せ掛けの魔力に屈したりしない」
(アドリブ上手いな、この人……)
「悪逆非道にして血も涙も持たない卑劣漢、闇野研一! 我々ウンディーネ国は、君の所業を、君の存在を認める事は出来ない! 即刻、我等の領域から立ち去ってもらおう! さもなければ、強制排除も辞さないつもりだ!」
どうやら命を助けてもらった事や生贄の風習を終わらせてくれた事に関しては感謝しているから、無理をしてまで討伐する気はないが――
出て行かないのならば、戦ってでも追い出すというシナリオらしい。
「そして、愚弟よ。こんな悪漢を国の協力者として誘致した君の罪も許し難い。国外追放とし、以後、ウンディーネ領内への侵入を固く禁ずる」
「それは――」
突然、自分に矛先が向いた事に、驚きを隠せないアクア。
追放処分なんて言っているが、これが実質、ウンディーネ国の党首という立場から解放し、自由を与えてくれようとしているのは明らかだ。
(住んでいた地を失ったのに、ファルス一人で国を纏めていくなんて、あまりにも――)
だが、党首としての苦労を知っているからこそ、そんなものを実の弟に押し付ける訳には、いかないとばかりに、アクアは口を開こうとする。
けれど――
「これはもう決定事項だ。反論は許さない。魔王を打ち倒し、その罪を償うその日まで、お前はもう姉弟でもウンディーネ国の民でもないと思うがいい」
ファルスは、アクアに何も言わせなかった。
世界が平和になり、研一の能力の詳細などを明らかに出来るようになるその日まで、一人の女として研一の傍に居るように。
アクアにだけ解かるように、遠回しに告げると――
「救世主よ。悪しき風習を断ち切ってくれた礼であり、退去するにしても足がなければ不便だろう。この船をくれてやるから、我々の前から、疾く、失せるがいい」
水魔法の力で水流を操り、船という名の水に浮かぶ小さな家を研一達の前に差し出す。
民衆の目がある今の状況では、ここまでがファルスに出来る最大限の援助という事なのだろう。
「へいへい。それじゃあ嫌われ者は、さっさと退散させてもらうとするぜ。行くぞ、ファルス」
「待っ――」
「……ごめん、巻き込んで。後でいくらでも罵ってくれ」
聞きたい事や確認したい事なんて、たくさんあった。
それでも全てを押し殺し、研一はアクアを引っ張って、無理やり家だか船だか形容し難い物体の中に入る。
二人が玄関を潜ったかどうかという、際どいタイミングであった。
まるで逃げ出したかのような凄まじい速度で、船が動き始める。
(姉上の事を頼んだよ、研一君……)
ファルスの仕業だった。
こうでもして無理やり逃がしていなければ、怒りや嫌悪を堪え切れなくなったウンディーネ国の民の一部が、攻撃し兼ねないという懸念からである。
(そして神よ。どうかあの優し過ぎる救世主様に、救いのある結末を……)
研一達を乗せた船が遠く消えていくのを眺めながら。
心の中だけで、研一の未来に祈りを捧げたのであった。
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