第163話 立ち込める霧と共に
「馬鹿な。私なんか庇って君が死ぬ必要なんて――」
時は僅かだが遡る。
アクアは研一が落ちていった穴の前で、呆然とした様子で座り込んでいた。
「だって君は僕の事を好きな訳でも、誰彼構わず助ける正義の味方でもないって言ってたじゃないか……」
目の前で起きた事の筈なのに、あまりにも受け入れたくなくて、
誰に聞かせるでもなくアクアの口から言葉が漏れていくが、どうしようもない。
「助けに来てくれただけで、それだけで本当に私はよかったんだ……」
けれど、どこかで理解してしまっていた。
ここで研一の後を追って死ぬのは、庇ってくれた研一の想いや犠牲を全て無駄にするだけ。
今から出来る事なんて、研一が救ってくれたという思い出だけを胸に、精一杯生きていくくらいしかないのだと。
だが――
「こんなの、あんまりだよ……」
たくさんの人を殺してしまった上に、気になっていた男の命まで奪ってしまった。
こんな罪を背負って生きていくなんて、想像しただけでアクアの目から涙が次々と零れ落ちていく。
もう耐えられなかった。
「寿命で死ぬまで、ウンディーネ国の党首として生き続けるのが僕の運命だって言うのか……」
だって、とっくの昔に限界だったからこそ。
せめて後顧の憂いを全て絶ち、信頼出来る後釜に全てを託す事で責任を果たし。
その代わり、全ての重荷から逃げ出し、死を選ぼうとしていたのだから。
「本当は君にさ、親近感を覚えていたんだ……」
素の自分を晒す事も出来ず、清廉潔白な党首として過ごさなければならなくて。
もう嫌だ嫌だと思いながら過ごす日々の果て、突如として現れた研一。
自分と同じように望まぬ力と立場を背負い、それでも正しく生きようとする姿にアクアは強く惹かれた。
それは恋や愛と呼んでいいモノでは、なかったのかもしれない。
きっと研一なら自分の苦労や気持ちを解かってくれる筈だと、縋るような気持ちで自分と重ねていただけなのだから。
「強過ぎる力も捨てられない立場も、羨ましがられるような容姿だって欲しくなんてなかった」
ただ平穏で普通に、何も知らずに生きたかった。
凄い力を持つ人や偉い立場に居る人間を見て、苦労も何も理解せず、羨ましいなんて友達と騒いだり憧れたりして。
普通に誰かと恋をして過ごしていく。
けれど――
「解るよって。贅沢だよなって君が頷いてくれたら、僕はそれで――」
あくまで夢として妄想するだけ。
平穏に理想通りに生きたいと願うのは、あまりにも贅沢過ぎるからアクアだって望まない。
ただ一度でいいから、この妄想話を聞いた研一が、頷いて共感してくれたら。
そんな願いを人殺しが抱いた結果が、この様。
「ごめん、ごめんよ……」
自分なんか、さっさと死んでおけばよかった。
生きているだけで迷惑しか掛けられない疫病神なんだと、アクアが心の底から打ちのめされた瞬間だった。
「え?」
そんなアクアの傷心を吹き飛ばす程の強大過ぎる力が、生贄の穴から吹き荒れる。
と同時に穴から水が噴き出してきて、霧のようになった水がアクアの視界を覆い尽くしてしまう。
「これが絶大な力を持つ救世主である研一を生贄に捧げた効果なのか」
そして、党首を演じ続けてきた性だろう。
突然の事態に、傷付き砕け散りそうなアクア本人の心とは別に頭が冷静に分析を始め、ウンディーネ国の利益を考えて身体が動き出そうとするが――
「事前予告もなく、いきなり外まで飛ばすかなあ。ゲームとかだと割と予告くらいはしてくれるんだけれど……」
どこか能天気にすら聞こえる緊迫感のない声が耳に届いて、心臓がビクンと跳ねる。
いくら何でも生きている訳がない。
仮に生きていたとしたって、底すら見えない穴から、こんなに早く戻ってくるなんて都合が良過ぎると――
聞こえた声を悲しみや後悔が聞かせた、妄想だと切り捨てようとする。
「あ、えーと、とりあえずただいまです、アクアさん」
けれど、そんなアクアの悲痛や苦しみを洗い流すように。
霧の中から、傷一つない研一が姿を現したのであった。
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