第145話 いつか振り向いてほしいから
「……どう頑張っても助からないんですか?」
「可能性は限りなく低い、だね。研一君が悪意を向けられる程に強さを増す能力を持っている事は聞いたけれど、治癒能力の方の詳細に関しては、何も知らないからね」
すぐにでも攻撃されるのかと思ったアクアだが、センの口から出てきた言葉が予想外のものである事に僅かに驚きつつ――
嘘を吐く事無く、アクアの推測をセンに伝えていく。
「予想外だよ。てっきり、そんな事に研一君を巻き込むなって言うかと思ったからさ」
それでも動揺を隠し切れなかったらしい。
思った言葉が反射的に口から飛び出してしまった事に、告げたアクア自身が驚く。
「……それを私に言う資格も権利もないと思っていますから。私だって、あの人に救って貰った身ですし――」
そこでセンは言葉を区切ると、僅かに俯く。
これ以上、続きを口にしてしまう事を嫌がるように。
「そうして自分が傷付いてでも、誰かを救わずに居られないのが研一さんだと思うから」
けれど、センは意を決したように顔を上げて言葉を紡ぐ。
本当なら傷付いてほしくなんてないだろう。
それでも、研一の進む道を邪魔なんてしたくないから、自分の気持ちを必死で押し殺して。
「研一さんの生き方や研一さんの選択を、私が止めるなんて出来ません。だから私は傷付いて帰ってくる研一さんを、少しでも癒せる存在になりたいんです」
だからって、気持ち全てを抑え込んでしまう事なんて容易に出来る訳もない。
押し殺し切れなかった想いが、涙となってセンの目から零れ落ちるが――
それでもセンは俯く事も目も逸らす事もせず、真っ直ぐにアクアを見詰め続ける。
「君は――」
「本当は、研一さんが苦しまないように、ずっと部屋の中に閉じ込めてしまいたいです」
傷付いている人や困っている人を見掛ければ、どうしても研一は心を痛めてしまう。
見殺しにしたって苦しむだけだし、助けに行ったところで助けるまでの間に、どれだけ傷付くか解からない。
それならば、傷付いている人も困っている人も見えない場所に閉じ込めてしまいたい。
そうして――
自分だけを見てくれたら、どれだけ幸せだろうとセンは思う。
誰も傷付かない世界で研一と二人だけで過ごせるなら、それ以外は何も要らないと思う程に。
「でも、研一さんは、そんな事なんて望んでないから……」
こんな知られてしまえば引かれてしまうだけの歪んだ願いも。
それ以外の想いだって、研一には伝えない。
「ずっとずっと誰よりも傍に居て。ずっとずっと研一さんを癒してあげられれば、いつか心変わりしてくれるかも、しれないから……」
今は研一が隣に居ても許してくれる子ども扱いで、我慢する。
我慢し切れなくて色々嫉妬してしまう事もあるけれど、それでもこの立ち位置を維持続けていこうと覚悟している。
「……申し訳ない。君を軽く見ていた」
ただの憧れや理想の押し付けなんて甘い想いではない。
間違いなくセンはセンなりの想いを抱え、真剣に研一の事を愛しており――
「これを聞いても尚、研一君を誘惑出来る程、僕は冷たい人間でも傲慢な女でもないつもりだよ……」
こんな想いを聞かされて誘惑して身体の関係を作ってまで、頼み事をしたいとは到底思えなくなっていた。
これで仮に、アクアが最終的に死んでしまったとしても、研一の傷は最低限で済むだろう。
(やっぱり、彼は僕の王子様ではないらしい)
アクアは敗北感のようなものを感じつつ、それでもスッキリとした何かを感じていた。
元々アクアが企んでいた事は、今だけでいいからセンを研一から遠ざける事。
どうせ、もうすぐ死んでしまう身なのだ。
それならせめて、研一と最後に二人だけで思い出作りがしたかったのだが――
どうやら既に隣には、子どもなんて言えない強く嫉妬深くて独占欲の強いお姫様が居たのだ。
それに――
(これで頼みを聞いてくれる可能性は、低くなってしまったな……)
身体の関係も無しに。
会ったばかりの人間を救う為に、必死になってくれるとは思えない。
ほんの僅かとは言え、残っていた生き残る可能性も潰えてしまったと落胆しそうになるアクアであったが――
「……大丈夫です。誘惑なんてしなくたって、あの人は、アクアさんを見捨てたりなんて出来ない人ですから」
その落ち込んだ気持ちを感じ取ったセンは、複雑そうに告げる。
絶対に自分が傷付く事になると解っていても。
それでも首を突っ込まずには居られないのが、研一という人なのだと。
「だと、有難いな」
センの言葉に、アクアは薄く笑う。
確かに研一は良い人という言葉では表現し切れない程に良い人だと思うし、生半可な自体ならば手を差し伸べてくれるのだろうとは、短い付き合いでも解っている。
だが――
(研一君。それは能力が通じないかもしれない、自分と同じような力を持つ、神の使い相手でも、君は今までの人と同じように助けてくれるのかい?)
研一が多少の無茶や無理が出来るのも、神に授かった凄まじい力があるからでしかない、と同時に思っており。
そこでアクアは、静かに視線を下に向けた。
地面よりも深い深い、何かを覗き込むように。
(もし代々のウンディーネ国の党首に島を動かす程の魔力があるなら、魔族なんて津波に呑まれて全滅しているし、人間の国だって全て支配されていただろうね)
その視線の先に居る存在こそ、神獣、ランドタートル。
文字通り、島並の大きさを持つ巨大亀。
神の居なくなった世界で急速に力を失い、強い魔力を持つ者を食べる事で命を長らえており、罪人や党首を食べる事で生き長らえているだけの、病に冒された死にゆく獣。
そんな神獣の背に、ウンディーネ国は存在している。
つまり――
(僕の命で、どれくらい生き長らえてくれるかな?)
神獣の死は、そのままウンディーネ国の崩壊と同じ意味であり、何が何でもアクアは神獣を生かさなければならないのだ。
例え自分の身体を食べさせる事になったとしても、だ。
「……」
無言で地面を眺めるアクアに釣られて、センも地面に目を向ける。
そこでようやく、センはウンディーネ国に入ってから感じる違和感の正体に気付く。
(これは……お腹が空いてる?)
地面の下。
そこに飢えて今にも暴れ出しそうな程に、苦しんでいる何かが居る事に。
そして、それは悪意を向けられ最大限に強くなっている研一よりも、遥かに強い事に。
「…………」
センは寒気のようなモノを覚えて、無意識に己の身体を抱き締める。
それは神獣の底知れない強さではなく――
研一を永久に失ってしまうかもしれない、予感と恐怖であった。




