第144話 夢魔という種族
「おや、そんなに警戒されるような事をしてしまったかな?」
好意的とは掛け離れたセンの姿に、演技ではない戸惑いの声がアクアの口から漏れる。
センが研一に好意を抱いているのは、会って間もないアクアにさえ解かる事であり、恋敵とでも思われて嫌われている可能性自体は否定出来ないが――
どうにもセンの様子は、それだけではないように見えるのだ。
「……研一さんを騙そうとしている人を、信用する事なんて出来ません」
「騙す? 一体何の話を――」
アクアの予想通り。
信用出来ないだけの明確な理由があると告げるセンの姿に、アクアは本気で首を傾げてしまう。
というのも、研一を騙して何かさせようという予定なんて本当にないからだ。
「研一君には申し訳ない結果になるだろう、って治療してもらいたい人が居るって話をしていた時に思っていましたよね。それって、どういう意味ですか?」
けれど、強い感情を抱けば、その気持ちや考えを読み取れるセンは知っている。
アクアは研一に何かをさせようとしており――
その結果、おそらく研一が強く悲しむ事になると確信している事を。
「それにこの国。何か気持ち悪いというか、おかしいです。何を隠しているんですか?」
アクアの事を信じられない理由は、それだけではない。
このウンディーネ国の地に降り立った瞬間から、センは強い違和感を覚えている。
サラマンドラ国やドリュアス国に居た時には感じなかった、得体の知れない何かに命を握られているような。
そんな感覚が抜けてくれないのだ。
「……ああ、なるほど。君は夢魔系列の魔人だったのか」
センの言葉から考えを読み取る能力を察したアクアは、その精神感応能力に加えて、大人に姿を変えられる能力からセンの正体に気付く。
夢魔、他には淫魔やサキュバスという名前で呼ばれる事もある種族だ。
色々な特殊能力を持つ者が多い魔族の中でも、男の精気を糧に変える事で力を増していく能力を種族全体で保有している事で知られている。
その能力故に世間一般では男であれば誰でも何人でもいいと思われているが、実際は逆。
見目麗しい者が多い上に能力の影響だろうか。
肉体そのものが男を悦ばせる事に特化している部分があり、男の方が勝手に群がり、我を忘れて夢魔を求めた男達が自らの醜態を誤魔化す為に、夢魔の方から誘われただの襲われただの言い触らしただけ。
本来は番いと呼ばれる自分の選んだパートナーとだけ生涯を共に過ごし、パートナーの死後は子どもと過ごしていく者が多い、情の深い種族として事実を知る一部の者の中では知られている。
「……つまり研一君が、君の番いという訳か」
そして、ウンディーネ国の党首であったアクアは、事実を知る一部の側の人間だ。
まだ人と魔族が戦争状態に突入する前、人や魔族の男達から狙われ、夢魔が平穏を求めて隠れ里を作っていたという歴史があった事を知っている。
だから、センが唯一人のパートナーと決めた相手が研一であり、既にそういう関係にあるものだと推測し。
このままでは計画に支障が出てしまうと、僅かに顔を歪める。
「……いいえ。研一さんが私に触れてくれる事なんて、ありません。とても、とても大事にしてくれていますから」
肯定的な言葉とは裏腹に、センの言葉からも表情からも不満気が滲み出ている。
頭を撫でてもらえるくらいの交流では、満足していないのは明白だった。
「……そんな事はいいんです。もし研一さんを傷付ける気なら、私がアナタを許しません」
だが、今大事なのは研一とセンの関係性ではない。
アクアが研一に何をしようとさせているのか、それだけだ。
「心が読める相手に嘘を言っても仕方ないね。いいだろう、話すよ」
もしセンが全ての心を読めるのなら、わざわざ説明する理由もないが、どこまで読めるのかも解からないし。
単に細部まで心を読もうとすると魔力消費が激しいから読まなかっただけであれば、下手に嘘を吐いて後でバレた方が面倒な事になるだろう。
アクアは観念して、企みを全て話していく事にする。
「先に結論から言わせてもらうと、傷付ける気はないよ。ただ研一君は優し過ぎるから、傷付いてしまうだろうなと思っただけだ」
「そんな曖昧な言葉で納得なんて――」
「話は最後まで聞くものだよ。狐面の癒し手様、アレはおそらくセン君ではなく、研一君の事なのだろうね。だけど、能力には何かしらの制限がある。もし気楽に自在に使える能力ならば、あの性格だ。もっと誰にでも手を差し伸べ救っている事だろう」
「…………」
センは、アクアの言葉を肯定も否定もしない。
そんな態度こそがアクアの推測を裏付ける事になっており、アクアは諦めたように僅かに口元を歪めつつ、話を続けていく。
「だが、こちらの状況も形振り構って居られるほど、楽観出来るモノではなくてね。そこで噂とは違い女好きの悪漢でない事は解っているが、身体で誘惑しようと思ってね」
この辺に関しては、噂通りの変態であってくれた方が、話は早く済んでくれた筈だ。
夢魔との混血である魔人に好かれているにも関わらず、手も出さないような堅物を篭絡する事に比べれば――
身体さえ差し出せば頼みを聞いてくれるという男の方が、遥かに簡単だろう。
「僕が見たところ、彼は知り合いを見捨てられないタイプの人種だ。一度でも身体の関係さえ持てれば、多少の無理や無茶くらいしてくれるだろうからね」
「……それだけですか?」
「意外だね。君は怒って邪魔してくるものだと思ったよ」
「……怒っては、います」
アクアの企てにセンとしては思うところは、当然ある。
だが、仮にアクアが研一に迫ったとしても、良くも悪くもどうこうなってくれる人ではないと予想出来る上に――
そこまでして頼みたい事があるなら、言うだけ言ってみてほしいとか言い出すだけだろうとしか思えないし。
「ただ、そういう話なら私が口を出す話でもない、と思っているだけです……」
それ以前に、研一とアクアの問題だ。
わざわざ怒っていると口を出したように、思うところは当然あって、出していいなら手も口も出したいし、文句だって山のようにあるが――
そこは研一が決めるべき事だと、頑張って耐える努力くらいする。
「それで誘惑されて利用されただけだから傷付く、という話ですか?」
「そこは誤解しないで欲しい」
「誤解、ですか?」
「僕としても、彼は良い人だと思っている。どうせ最後になるのなら、一度くらいは女として経験しておきたいと思ったからこそ、その相手に彼を選んだんだ」
こう見えて憧れがあってね。
いくら国の為とはいえ、好きでもない男に身を委ねるなんて死んでも嫌だよ、なんてアクアは付け加える。
「最後って、まさか――」
色々と気になる事はあったが、それでも最も気になった単語は一つ。
話の流れから推測出来るが、それでも否定してほしい想いにセンは言葉を濁すが――
「ああ、最後だ。きっと僕は助からない」
だから、研一君を傷付けてしまうだろう。
寂しげに語るアクアからは強い諦めと悲しみの気持ちが溢れており――
(……本当、なんだ)
アクアが嘘を吐いていない事を確信したセンは、一度、強く歯を食い縛ったかと思うと、無意識に拳を握っていた。
まるで、今すぐにでも戦いでも始めるかのように。




