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領主の屋敷に再び足を踏み入れた悠とウルクは、数日前とは異なる空気を感じ取った。広間に案内されると、辺境伯ガルフォードはいつになく穏やかな表情で二人を迎えた。その顔は、まるで重荷を下ろしたかのようにすっきりとしている。
「まずは、改めて礼を言わせてもらう。今回の騒動を収束させたこと、そして私自身の過ちを正してくれたことに感謝する。」
ガルフォードの言葉には誠意が感じられたが、ウルクは少し硬い表情を浮かべている。彼女は父親のこうした態度を見慣れていないのだ。
「操られていたとはいえ、その原因となるものを放置していた責任は重い。だからこそ私は、これを機に現役を退くことを決めた。家督は長男であるレイフォードに譲る。」
ガルフォードの突然の発表にウルクの目が見開かれる。
「家督を……譲る?」
彼女の驚きは隠せない。ガルフォードは頷き、続けた。
「そうだ。この一件で私は、自分の判断が甘かったことを痛感した。それに、レイフォードはもう十分に領主としての責務を果たせる器だ。私がいつまでもこの地位に留まっているべきではない。」
「それで、父上はこれからどうされるおつもりですか?」
ウルクが問いかけると、ガルフォードは微かに微笑みながら答えた。
「しばらくは領内を回り、民の声を直接聞くつもりだ。それが私にできる最後の務めだと思っている。」
一呼吸置いて、彼はウルクに視線を向けた。
「そして、ウルク。お前のことだが……」
ウルクは少し身構えたように背筋を伸ばす。
「私は元から、お前に貴族としての義務を押し付けるつもりはなかった。むしろ自由に生きてほしいと願っていた。それゆえに、お前に魔術の教育を受けさせたのだ。」
「自由に生きてほしい……?」
ウルクは戸惑いを隠せなかった。父親からそんな言葉を聞いたのは初めてだったからだ。
「そうだ。だが、冒険者になると聞いた時は正直、反対した。命の危険が伴うことは理解しているつもりだったからな。」
ガルフォードの言葉に、ウルクはほんの少し眉をひそめる。
「では、なぜ今回私たちに依頼を?」
その問いに、ガルフォードは少し困ったように微笑んだ。
「お前たちの実績を耳にした時、執事のバルトンが熱心に進言してきたのだ。『一度お嬢様の仕事ぶりをご覧になってはいかがでしょう』とな。実際に見て、私自身で確かめたいと思ったのだが……その判断が、結果としてバルトンに利用される形となってしまった。」
「……バルトンが。」
ウルクの声は低く、複雑な感情が混じっていた。彼女にとってバルトンは唯一、家の中で自分を理解し、応援してくれた存在だった。しかしその彼が今回の騒動の一因だったことに、どう向き合えばいいのか分からなかった。
「ウルク、バルトンの裏切りを知った時、私は自分の責任を痛感した。あいつがそんなことをするに至ったのも、私が執事としての役割を超えた重圧を与えたからだろう。だからこそ、私はお前にも詫びなければならない。」
ガルフォードの言葉に、ウルクはしばし黙り込んだ。
「執事として、お前や領地を守るために力を欲したのだろう。それが結果として、秘宝に支配されるという悲劇を招いてしまった」
「そんな……」
ウルクの声が震えた。
「バルトンは、私のことを理解してくれていた唯一の存在だったのに。」
ウルクは目を伏せ、記憶を辿るように小さく呟いた。
「冒険者になりたいと言ったとき、唯一応援してくれたのがバルトンだったんです。父上が反対する中、彼だけが『お嬢様の選んだ道を信じてあげてください』と言ってくれた。」
ガルフォードは眉をひそめ、少し間を置いてから口を開いた。
「それは……彼なりの誠意だったのだろう。だが、秘宝という存在がその誠意を歪めてしまった。最終的に、彼は秘宝に操られるまま、キマイラを生み出し、騒動を引き起こした」
「バルトンは……どうなるのですか?」
ウルクが問うと、ガルフォードは少し顔を曇らせた。
「彼は秘宝が破壊された瞬間にその支配から解放された。しかし、彼自身もあの力の一端を借りてしまったことで、その影響で意識不明の状態が続いている。」
ウルクは拳を握りしめた。
「バルトンがそんなことを……でも、彼を責める気にはなれません。」
ガルフォードは娘の言葉に一瞬驚き、穏やかな目で彼女を見つめた。
「ウルク、お前は優しいな。だが、これを教訓に、誰に対しても過信せず慎重であることを忘れるな。それが今回の出来事から得られる唯一の教訓だ。」
ウルクは深く頷いた。
「分かりました。バルトンが戻ってきたとき、彼に直接伝えたいです。私の選んだ道を認めてくれたことを、心から感謝していると」
続けて、ウルクは父に思いを伝えた。
「父上……これからどうなるか分からないけど、私は自分の道を進むつもりです。冒険者としてもっと成長して、誰かの役に立てる存在になりたい。それが私にできる、ウルクとしての生き方です。」
その決意を聞いたガルフォードは静かに頷いた。
「分かった。お前がそう決めたのなら、もう何も言うまい。ただ、一つだけ覚えておいてほしい。どんな時でも、お前は私の娘だということを。」
父親の言葉に、ウルクは少し目を伏せ、微かに笑みを浮かべた。
屋敷を出た後、悠とウルクは街道を歩きながら会話を交わした。
「どうだ、少しはスッキリしたか?」
悠が横目でウルクを見ながら尋ねる。
「うん……少しね。でも、まだ整理しきれない気持ちもある。」
ウルクの表情は複雑だったが、その歩みはどこか軽やかに見えた。
「時間が解決するさ。それに、俺たちはこれからも一緒に旅をするんだ。悩みがあればいくらでも聞く。」
悠が肩をすくめると、ウルクは小さく笑った。
「ありがとう、悠。あなたがいてくれるおかげで、私は前に進める。」
二人は笑い合いながら歩き続けた。