3-1
悠が目を覚ましたとき、そこは深い闇に包まれた空間だった。上下の感覚すら曖昧で、ただ無重力の中を漂っているような感覚が全身を支配している。薄暗い光がぼんやりと漂う中、彼はゆっくりと身体を起こした。
「ここは……遺跡の中か?」
しかし、耳に届く自分の声はどこか反響しており、現実感が薄い。
ウルクの名前を呼び、辺りを見回すが、その姿はどこにも見当たらない。心臓が早鐘を打つ。彼女が倒れた姿が脳裏に蘇り、胸に嫌な予感が広がっていく。
「ウルク……どこにいるんだ?」
声が虚空に吸い込まれていく感覚に、悠は軽く歯を食いしばった。
少し落ち着きを取り戻し、自分の身体を確認する。疲労感はほとんどなく、むしろ力が漲っているように感じた。しかし、この不気味な空間からの脱出方法がわからない。
立ち上がり、暗闇の中で手探りを始めたその時、不意にどこからか声が響いてきた。
「何を探している?」
悠は一瞬、心臓が止まるかと思った。振り返るが、誰もいない。
「誰だ!」
悠は声を張り上げた。
「私か? お前の心の闇だよ。」
その声は静かでありながら、悠の心に深く食い込むような響きを持っていた。
声が聞こえた瞬間、悠の周囲に黒い霧が渦巻き始めた。その霧が形を成し、やがて黒い豹のような姿になった。豹は鋭い金色の瞳で悠を見据え、ゆっくりと歩み寄る。
「お前は何のために生きている?」
豹の声が悠の意識に直接響く。
「何のためだと……?」
悠は眉をひそめ、拳を握った。
「そんなもの、自分で決めるものだろう。」
豹は低く唸るように笑った。
「お前に決められるのか?お前はこれまでずっと何もできずに逃げ続けてきた。そうだろう?」
その瞬間、悠の脳裏にブラック企業時代の記憶が鮮明に蘇った。毎日終わらない仕事に追われ、何度も「やめたい」と思いながらも周囲の期待や責任感に押しつぶされて動けなかった過去。やがて心身が限界を迎え、ただ投げ出すように全てを放棄したあの日々。
「……そんなもの、もう終わったことだ。」
悠は低く呟くが、その声には力がなかった。
豹は一歩近づき、さらに畳み掛ける。
「終わったこと?違うだろう。それが今の“お前”を作っている。逃げることしかできない、自分を守ることしか知らない人間だ。」
悠の拳が震える。視界が揺らぎ、頭に浮かぶのはシアの姿――彼女を守りきれなかった自分の無力さだ。
「やめろ……!」
悠は叫ぶが、豹の言葉は止まらない。
「守りたいと願いながら守れなかった。信じたいと願いながら裏切られるのを恐れた。お前は結局何も変わっていない。」
豹の言葉に追い詰められ、膝をつく悠。目の前の暗闇がさらに濃くなり、彼の意識が再び折れそうになったその時――手元に何かが触れた。ふと見ると、それはシアが残してくれた手紙だった。遺跡を出発する前、ポケットに入れていたことを思い出す。
「……シア……」
震える手で手紙に触れると、彼女の優しい言葉が心によみがえる。
「悠、あなたは誰かのために戦える人だと信じているわ。自分を責めないで。あなたにはまだ可能性がある。新しい人生を見つけてほしい。」
その言葉は、彼の胸の奥で消えかけていた炎を再び燃え上がらせた。悠は手紙を握りしめ、立ち上がる。
「俺は変わる。もう逃げない。」
悠の目には、再び力が宿っていた。
豹は彼の変化に気づき、鋭い声で問いかける。
「それで何が変わる?お前が進んでも、また後悔するだけだ。」
悠は静かに首を振った。
「違う。後悔しないために、進むんだ。」
拳に魔力を込め、悠は力強く前へと踏み出した。その一歩は、これまでの自分を断ち切り、未来への道を切り開くものだった。
豹が襲いかかってきた瞬間、悠は渾身の力で拳を放った。その一撃は光のように輝き、豹の姿を打ち砕いた。
暗闇が消え、周囲に再び光が広がり始めた。悠は手紙をそっとポケットにしまい、深く息を吸い込む。
「……シア、ありがとう。」
彼は小さく呟いた。その声は静かだが、深い感謝の念が込められていた。
「お前がいてくれたから、俺はまた立ち上がれる。」
その言葉は、自分自身への誓いでもあった。そして悠の目には、これまでの迷いや不安ではなく、新たな決意の光が宿っていた。
次に目を開けた時、悠は遺跡の広間に立っていた。霧は晴れ、空間全体が静寂に包まれている。
「ウルク……!」
悠は彼女の名前を呼び、辺りを探す。その声に応えるように、微かなうめき声が聞こえた。
振り向くと、ウルクが倒れていた。彼女の元へ駆け寄り、そっと抱き起こす。
「悠……」
ウルクは弱々しく目を開け、かすかに微笑んだ。
「あなたも……無事だったのね……」
「さあ、ここから抜け出そう。俺たちの力で。」
悠が手を差し伸べる。
「ええ、一緒にね。」
ウルクもその手を握り返し、力強く頷いた。
悠の言葉に、ウルクもまた力強く頷いた。