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概念のない世界

作者: はやはや

 学生時代の友人に「朝ごはんを食べない」という子がいた。それを聞いて「朝ごはんを食べないって……」と絶句した。

 友人は「とにかくぎりぎりまで寝ていたいし、朝から何か食べるなんてできない」と話した。私はその理由が全くわからなかった。友人のことを馬鹿にしたり見下したりするような気持ちは一切なく、本当にわからなかったのだ。

 その時こう思った。

――私には朝食を食べないという概念がないんだ。

 友人と私は違う概念の中で生きている、と。もちろん意気投合する部分があり縁があったので友人になったのだろう。

 どんなに仲良くなっても友人は友人で、私とは全く別の概念の中で生きているのだ、と哲学的なことを思った。



 そんな気づきがあった過去なんて忘れ、私は大人になり、結婚し娘と息子を授かった。

 娘は小さい頃から割合しっかり者で、学年で学級委員を任されたり音楽会でピアノを担当したりと目立つ存在だった。

 一方で息子は頼りない子どもだった。何かをしでかし私が叱っても、ある程度叱られたら彼の中でキャパを超えるらしく、「あぁもう私の言葉を聞いていないな」と思わせたり、小学一年の生活科のテストで48点を採ってきたりして度肝を抜かれた。

 一年生の時点で48点なんて大丈夫か⁈ と心配した私は、「なぜ、こんなに悪い点数を採ったのか」と叱ったのを覚えている。


 そんなでも子どもは日々成長する。娘はしっかり社会人として活躍している。そして息子も4月から社会人になる。頼りない息子だが一応正社員として採用された。

 大学の卒業式も終わり、バイトや友達と出かける以外は家にいる息子。時間があっても家事は一切手伝わない。もしかすると家事は母親である私以外が手をつけてはいけないと思っているのかもしれない。

 だから私は何も言わない。言うだけ無駄だしエネルギーを使う。割り切ってしまえばイライラすることもない。


 そんなある日。息子と入社式の話になった。


「スーツと革靴はあるけど、腕時計っているかな?」


 息子なりに社会人になる心の準備をしているのだ、と思った。少し嬉しくなる。


俊太しゅんた、確か二十歳の記念にお父さんから腕時計もらわなかった?」


 普段プレゼントなんてしない夫が、息子が成人式を迎えた時には腕時計をプレゼントしたのだ。「はるかは着物を買ってやったからな」と言い訳めいたことを言っていたけれど、息子が成人を迎えたたことが嬉しかったのだと思う。


「あー……そういえば」と息子がダイニングの椅子から立ち上がり、自分の部屋へ入って行った。しばらくして小さな黒い箱を手に戻ってきた。

 息子が箱をあけると新品のCITIZENの時計が、澄ました顔で収まっていた。


「これ、チティゼン?」


 息子は腕時計を箱から出し手首に巻きつけながら呟く。

―― チティゼン?

 私は息子の言葉を心の中で反芻する。そして、急に朝食を食べないと話した友人のことを思い出した。あぁこの子はCITIZENシチズンの概念のない世界に生きてきたんだなぁと思った。親が教えてやるべきだったのだろうか? と一瞬思ったけれど、それは親が子どもを育てる上で「時計はCITIZENシチズンよ」と絶対に教える必要はないだろう。


 しかし、CITIZENシチズンの概念のない世界に息子がいると知った今、社会人になる前に親の役割を果たしておこう。


「俊太。それシチズンって読むんだよ」

「ふーん。そうなんだ」


 息子の反応は他人事のようだった。でも、それが息子なのだ。つけっぱなしのテレビに車のCMが流れていた。mazDaだった。もしかしたら息子はこれも「マズダ」と読むのかもしれない。今度、息子に読ませてみようと思いながら、「バイト行ってくる」と言って腕時計を外す息子の背中を見送った。


 ⁂


 帰宅した夫に「チティゼン」の件を伝えた。夫は「ははっ」と軽く笑い「アイツらしいな」と言った。


「アイツはそうやって社会に出てから、一個一個覚えていくことが多いのかもしれないな」


 夫の言葉に頷いた。きっと息子は社会に出たら苦労する部類に入るだろう。世渡りも下手だろう。息子が打ちのめされた時、あの子を否定せず受け入れようと心に決めた。

読んでいただき、ありがとうございました。

新年度がスタートですね。無理せずぼちぼち自分のペースで生きていきたいと思います。

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