19 薬師の昔語り
「お前を嗅ぎまわっている奴がいるぞ。気をつけろ」
渡る世間は鬼ばかり。だけど鬼は鬼同士、持ちつ持たれつなこともある。
人間界で暮らす魔族なら尚のことだ。
姿を変え人間と共存する者もいれば、あぶれてしまう者もいる。
魔界でも人間界でも、今いる場所に溶け込むというのは簡単なようでいて難しいと常々思っている。
「悪いな、恩に着るぜ」
「まあ、最悪は魔界に逃げ込めば何とかなるだろうけど」
変装をしたゴブリンが言いずらそうに言った。薬師は苦笑いをしながら首を振る。
見てくれは悪い……いや、個性的であるが、気の良い奴だと思っている。
「……いや。なんだかんだで魔界よりは人間界の方がマシだからな」
「確かにな」
実力主義なところのある魔界は、弱い魔族には住みやすいとは言えない。
強い奴に絡まれたら最後、ボコボコにされるなんてことは当たり前で。
(人間界でも似たようなことはあるけど、理由もなしにボコったら、暴力を振るった方が悪いって罰せられるもんな――それが普通だろう)
弱い方が悪いって、どんな理論なのか。
一応弱い者が割を食い過ぎないように、魔王がいろいろと模索していることはしているが……昔よりは住みやすくなっているとはいえ、力と魔力に訴えてやりたい放題の『強い奴ら』の顔色を窺って暮らさなければならない魔界は、薬師にとっては人間界よりもずっと嫌な世界だった。
(せめてもう少し、魔力があればなぁ)
薬師はそんな理不尽ともいえる、力一辺倒な魔界が性に合わなかった。
小さくて魔力の少ないワーラットだが、薬師は更に輪をかけて魔力が少なかったこともある。
高位魔族と顔を合わせないように隠れるように暮らす日々に嫌気がさし、狭間の森を抜けたのはいつのことだっただろうか。
結界を許可なく勝手に抜けるのはタブーであるが、狭間の森近くの薬師へのお使いだけは許されていた。
使いに行くふりをして逃げ出したのだが、きっと獣にでもやられたと思われたのだろうか。幸いにもと言えばいいのか不幸にもと言えばいいのか、未だ追手が来たことも捜索の報せがあったこともなかった。
いてもいなくてもいい、そんな軽い存在。
(それが俺だ)
「まあ、気を付けることにするよ」
鬱々とする気分を振り切るように小さく頭を振って、大きな薬箱を背負い直す。
近くの木に止まっていた羽虫が、驚いて小さな音と共に飛び立った。
「じゃあ、気をつけろよ」
人の良いゴブリンは手をあげて道を戻って行った。薬師も手を振り返す。
******
ねぐらへと帰ると占い師が戻って来ていた。
だいぶ飲んでいるのか、テーブルの上には酒瓶が一本転がっている。
「誰かにつけるられたりしなかったか?」
占い師は隠れるようにして窓を覗くと、注意深く外を見回す。
「……知り合いにも聞き込みをした奴がいたみたいで、忠告されたよ」
占い師の様子を見れば、彼もなのだろう。
(ふたりが仲間であると気づかれたのか、それともたまたまなのか。どっちが目をつけられたのか、両方なのか……)
ひょんなことから言葉を交わしたのが最初だが、同じような空気を感じて話を続けるうちに意気投合して、それからコンビを組んでいる。
「どんな奴が嗅ぎまわっているんだ?」
取り敢えず薬箱を下ろして椅子に座った。重い箱を下ろせば肩が軽くなって知らず知らずに息を吐いた。
「多分だが、魔塔の人間だと思う」
「――魔塔? 随分大物が出て来るな」
てっきり質の悪いゴロツキが金の匂いを嗅ぎつけて、上前を寄越せと言って脅してでも来るのかと思った薬師は、つぶらな瞳を瞠った。
基本的にはそれほど強い魔力を持った者達ではないが、時折上位魔族並みに強い魔力を持つ魔法使いもいるので要注意な奴らである。
「魔法や魔術に関することには出張って来るらしいからな……多分、誰かがタレ込んだんだろう」
占い師が街角でカモを見つけ、薬師がちょっと効く薬を売りつけるが第一段階。喜んだところで悪化し、高い薬を売りつけるが第二段階。第三段階は効かない護符を売りつけ、定期的に金を吸い上げるという寸法だ。
第四段階を考えていたのだが、実行はもう少し待った方がいいのであろう。
「少し様子を見て、危ないようなら東へ移動しようかと思う」
はっきりと『一緒に来るか』とは言わないが、今後も一緒にやって行くのかどうか自分に委ねているのであろうと思うと、何だかこそばゆいような薬師であった。
「解った」
「……荷物を纏めたら、なるべく早くに出発しようと思うが」
占い師の言葉に薬師は無言で頷いた。
一瞬静まり返った部屋の中で、微かな羽音がする。見れば薬箱に小さな羽虫が止まった。
(もしや外からくっつけて来てしまったのか……煩いな)
一瞬叩こうとしたが、止めて窓から放ってやる。
(『小さな虫も同じ生命』って言うからな)
「虫なんて潰せばいいものを……相変わらず小さなモンには優しいな」
占い師が苦笑いをした。薬師は少し悲しそうな表情で笑った。
「……圧倒的な強者が相手のことを何も考えずに痛めつけるのは、好きじゃないんだ」
もしかしたら虫は叩かれたことすら解らないのかもしれないが。
「詐欺師なのに、悪人なのか善人なのか解らねぇな」
「……別に、力のあるやつはいいんだよ」
「よく解らねぇ理論だな」
占い師は茶化すでもなく、静かにそう言った。




