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10 ルーカスの婚約・後編

「よかったら一緒にお買い物に参りませんこと?」

 おっとりと公爵夫人にお誘いを受ける。


「まあ、素敵ですね」


 言葉を額面通りに受け取るマリアンヌは、しめしめと猛禽類のような瞳をした公爵夫人に高位貴族御用達の商会に拉致されるように連れていかれ、案の定着せ替え人形をすることになった。



「これも似合うわね! こちらも素敵よ」


 公爵夫人の声掛けに、商会の従業員はすさまじい速さでマリアンヌのドレスを脱がせ、脱がせては着せて行く。

 勢いに圧倒されながらもされるがままのマリアンヌが、目を白黒させながら公爵夫人に問う。


「公爵夫人!? 夫人はお買い物をなさらないのですか?」

「今日はあなたに似合うものを探しましょう?」

「い、いえ……その、大変ありがたいお申し出ですが」


 こんな高級店で散財するなど以ての外である。

 言い淀んでいると、女神のような優しい笑顔でマリアンヌを見た。


「いつも私のわがままにお付き合いいただいておりますでしょう? ささやかなプレゼントとして受け取っていただけたら嬉しいのですが」


(さ、ささやか!?)


 横目で煌びやかなドレスと装飾品の数々を見ては、ゾッと顔を青くした。

 そして困りますというのも聞かずに、何着もの最新高級ドレスが実家の屋敷に送られることとなる。



 そして今、公爵夫人の隣に寝そべっては、パン生地を捏ねるように身体中を捏ねまくられている。


「……い……っ!」


 背中をたっぷりと香油を縫った手でマッサージされると、ゴリッという音が響く。


「お嬢様は勉強熱心な方なのでしょうね。お若いのに大分凝っていらっしゃるわ」


 その後も容赦なくゴリゴリと背中を押しまくられる。マリアンヌは苦悶の表情を浮かべながらその手業に身をゆだねていた。


「腕は細くていらっしゃいますが、ここに良くないものが貯まるのでございますよ」


 そう言いながら今度は、軽く二の腕を摘まむようにマッサージされる。


「ぐはっ……!?」


 ……地味に痛い。同じ力加減でマッサージされても痛くないどころか気持ちの良い場所もあるので、多分本当に悪しきものが溜まっているのであろう。


 美容に詳しいという侍女たちに容赦なく、身体中の老廃物を排出させられていた。

 決して意地悪をされているわけではない。その証拠にこの施術をされた後は目に見えて身体のラインがスッキリするのだ。


 学園も冬期休暇に入り、時間が充分にあるマリアンヌは毎日のように身体のメンテンスやマナーの講義を受けていた。


 この頃になると素直を絵にかいたようなマリアンヌでさえも、公爵夫人が見た目とは違う人間だということに思い至ることになった。


 頭の先からつま先まで入念に手入れされ、一体どうしたものかと途方に暮れる。

 流石にマリアンヌの両親にも知れることとなり、最初は喜んでいたが、最近ではあまりの施されように心配をされるようになっていた。


 眉を整えられ、フェイスラインも二回りほど引き締まったように見えるマリアンヌは野暮ったい地味な子爵令嬢ではなく、非常に洗練された清楚な貴族令嬢に変化していた。


 見た目だけでなくマナーに教養などの中身もアップデートされているのだ。

 ちょっとした立ち居振る舞いの違いが、ここぞという時に大きくものをいうのである。


「いよいよ明日は冬の舞踏会ね。きっと会場中があなたに釘付けよ」


 公爵夫人は心根の優しいマリアンヌを大層気に入り、本当の娘のように可愛がるようになっていた。


「公爵夫人や先生に教えていただきましたことを忘れずに、きちんと務めたいと思います」


 ちょっと困ったように微笑むマリアンヌに、公爵夫人は心から慈愛に満ちた表情で頷いた。


「あなたなら大丈夫だから、そんなことは気にしないで舞踏会を楽しんでほしいわ」

「はい」

「ルーカスをよろしくね」

「……こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 優雅に頭を下げるマリアンヌを見つめては、公爵夫人が満足そうに頷いた。



 そして、パートナーを務めるルーカスから送られた彼の瞳と同じ青いドレスに身を包む。


 迎えに現れたルーカスの揃いに見える正装であった。子爵家の者はお世辞抜きに似合いといえるふたりにため息を漏らしながら揃って、ふたりの乗りこんだ馬車を見送った。


 表情の硬いマリアンヌにルーカスが優しく微笑む。


「緊張していらっしゃいますか?」

「ええ、とても」

「今日のマリアンヌ嬢はいつにも増して美しいですよ」


(……う、美しい!?)


 ルーカスの言葉に頬を染めるよりも驚きが勝り、思わず俯いた。


「実は僕も緊張しているのですよ?」


 クスクスと笑うルーカス。マリアンヌは顔を伏せたままその表情を伺った。

 全く余裕に見える様子で、青い瞳を細めているのが見えた。


(……やっぱり、公爵夫人によく似ていらっしゃるのだわ)

 


 そしてルーカスにエスコートされながら王城の大広間に足を踏み入れる。


 ネーム・コールマンが読み上げた名前の組み合わせに驚いた若い者たちは、一斉に入り口を凝視した。

 そしてざわざわと騒めく。


 凛々しく正装したルーカスと楚々としながらも今正に綻びかけようとする花を思わせるような美しい女性が連れだっている。


「え……、あれがマリアンヌ・ベイカー嬢!?」


 学園での地味な様子を知る生徒たちは、彼女の見目を引き立てる化粧と装いで武装され、かつ連日のマッサージにすっかり美しく変身した彼女に呆気に取られていた。


「……何だかとっても見られている気がいたします……!」


 未だかつて感じた事のないほどの視線に気後れするマリアンヌ。そっとルーカスが小さな耳もとに囁く。赤みを増した耳たぶには、彼が送った青い石をふんだんに使った耳飾りが揺れている。


「大丈夫。皆マリアンヌ嬢の美しさに驚いているだけですから」

「ひょっ!?」


 思ってもみない言葉に思わずおかしな声をあげた。


(私が美しい!? ……化粧の力って偉大なのですわ……!)


 今朝がた早くに、公爵家から出張してきた侍女の面々を思い起こす。そして子爵家の侍女と共にマリアンヌを寸分の隙も無いように武装したのであった。


******

 

 ダンスが終わり、友人達に連れていかれるルーカスを見送ると、ずっと様子を見ていた令嬢の団体がわんさとマリアンヌのもとにやって来た。


「ベイカー様? どういうことですの!!」

 学園の同級生たちが鼻息荒く、目をランランと輝かせている。


(す、凄い圧ですわ……!)


 王城のデザートを楽しみにしていたマリアンヌはたじたじとたじろぐ。


「ルーカス様とお付き合いをしていらっしゃいますの!?」


(お付き合い……)


 どうなのだろうか。

 ふたりは相変わらず仲のいい友人であるものの、何となくそれだけでもないような気がする。


 信じられないことに、時折、ルーカスの瞳に熱を持った何かを感じることがあるのである。

 そんな馬鹿なと以前のマリアンヌであれば思うものの、流石に近すぎる距離や甘い言葉、優しいいたわりを感じれば感じるほどに期待が膨らんで行くのも確かなのである。


 かつて同級生や社交界を賑わせたご婦人、はたまた記憶に新しいクリストファー王子と男爵令嬢ミラと同じ瞳。


 ――あの瞳は恋をする者の目だ。

 そして多分、マリアンヌも同じ瞳でルーカスを見ているはずである。


「とってもお似合いですわ!」

「…………え?」


 ぱあっと顔を綻ばせた伯爵令嬢に、驚きのあまり、思わず疑問符を返した。


「それよりも、何ですの何ですの!! 本当はあなた、こんなにお美しかったなんてっ!」


 子爵令嬢がギラギラとした瞳でマリアンヌを募って来る。募ると言っても親しみを感じるような優しいもので、ワキワキと動いている手に思わず飴色の瞳を瞬かせた。


「ご婚約をされるのですか?」

「羨ましいですわ。でもとっても努力されておりますもの。当然の結果ですわね」

「本当ですわ」


 令嬢たちは口々にマリアンヌを褒めそやし、頑張れと叱咤して行った。


「…………」


 マリアンヌはびっくりした顔で拍子抜けしていた。

 子爵令嬢の分際でとにじり寄られるのかと覚悟すれば、何だかあり得ないぐらいに褒められているではないか。


 ……本心なんてわからないが、彼女たちは認めることにしたのだ。


(ああ……、アドリーヌ様!)


 かつて誰よりも努力をしながら認められず、自ら国を出た令嬢に心の中で語り掛ける。


(アドリーヌ様の行いが、貴族社会の悪い部分を少しずつ変えて行っております)


 最近は以前のような苛烈な身分差別を止めようという動きが起こっていた。特に若い世代ではその傾向が強く、本人の努力や人柄そのものを認めようという思想が広がってきている。


 犠牲が報われて良かったと思う気持ちと、もう少し早ければというやり切れなさと残念さ。いつかアドリーヌ本人にも届いてほしいという願い……様々な思いが胸に広がってマリアンヌの瞳に膜が張ったのを感じた。


(アドリーヌ様のお陰で、同じように不当な扱いを受ける者が減って行くことでしょう)



「……どうされました?」


 やっと友人達に解放され、マリアンヌのもとに帰って来たルーカスが心配そうに顔を覗き込んだ。

 マリアンヌは小さく首を振り、微かに微笑む。


「アドリーヌ様に、祈りを捧げておりました」


 一番幸せになるべきだったアドリーヌ。

 今は魔法使いの弟子として研鑽に励んでいるのであろうか。


「…………。少し庭に出ましょうか」


 気遣うようにそっと促すルーカスに、マリアンヌは頷いた。


******


「大丈夫ですか?」


 薄着のマリアンヌが寒くないようにと、ルーカスは自分の上着を細い肩にかけた。


「ありがとうございます。……あまりの歓迎ぶりにありがたい反面驚いてしまいました」


 苦笑いをするマリアンヌに、ルーカスは静かに話を聞いていた。


 ルーカスもマリアンヌと同じようなもので、友人達から気の早いお祝いを受けていたのだ。

 今までなら難色を示されたり、真っ向から見下すような対応をとる者もいたであろうに。


「アドリーヌ嬢だけでにではなく、他にも困っている人がいたのなら……今度こそ躊躇せずに力になれるような人間になりたいですね」


 心から悔いているような声を出すルーカスに、マリアンヌも頷いた。

 冬の空には青白い星が輝き、ふたりの息が白く闇の中にたなびいている。


 少しだけ離れた場所にある大きな窓から、楽団の奏でる調べが絶え間なく流れていた。

 暫し静かに空を見上げた二人だが、ルーカスが沈黙を破った。


「マリアンヌ嬢。僕と生涯を共にしていただけませんか」


 ルーカスは跪いてマリアンヌの細い指を取る。

 どうやってどんな場所で、どんな風に気持ちを告げるべきかずっと考えていたのだが。


 出て来たのは何の飾り気もない、ただただ真っすぐな気持ちだった。


「ふたりで思いやりに満ちた人生を過ごせるように、一緒に歩いていただけませんか」


 真摯なルーカスの瞳に、マリアンヌは力強く頷いた。


「はい」


 立ち上がったルーカスは、マリアンヌの細い肩を抱きしめた。


「お守りします。マリアンヌ嬢がいつでも笑顔でいられるように」

「私も、頑張ります」


 マリアンヌも細い腕を広い背中に回しては、慰めるように優しく叩いた。


「……お慕いしています、マリアンヌ」

 噛み締めるようにルーカスが囁く。


「奇遇ですね。私もです」


 そう言ってふたりは照れくささを隠すかのように微笑んだ。

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